先進工業国で最悪の原子力災害となった福島第1原発の炉心溶融事故から2年が過ぎた。私は事故調査報告書やメディアの調査報道に基づくルポを多く読んできたが、このような事故が祖国で起きたことの「重さ」を、時が経つにつれてますます強く感じる。除染は遅々として進まず、多くの市民が故郷を奪われたまま。「フクシマ」は終わっていない。我々はこの問題に今後何十年も取り組んでいかなければならない。
減った福島事故の報道
3月11日、12日発行のDie Welt紙面上の日本関連記事
ドイツでは、今年も3月11日前後に福島原発事故に関する特集記事や特別番組がパラパラと見られた。しかし、2011年に比べて大幅に少なくなっていることは否めない。このためドイツ人たちから、「福島は今どうなっているのか」という質問をよく受ける。
特に彼らの目に奇異に映っているのが、わが国のエネルギー政策の将来だ。「日本は広島と長崎で核攻撃を受け、福島の原発事故を体験したにもかかわらず、なぜ原子力を使い続けようとしているのか」と聞かれることも多い。福島原発事故をきっかけに、2022年までに原発を全廃することを決めたドイツ人ならではの疑問である。
エネルギー政策は霧の中
昨年9月14日、ドイツ人たちは東京からの特派員電を見て目を丸くした。「日本政府、2030年までに脱原子力へ」という見出しが飛び込んできたからだ。エネルギー・環境会議が「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」と明記した「革新的エネルギー・環境戦略」を発表したという報道である。ドイツ人特派員の中には、「日本はドイツと同じ道を進むことを決めた」とか、「脱原子力はすでに決まった」と書いている者もいた。この記事を読んだ人は、日本政府がメルケル首相のような政策の大転換を行ったかのような印象を持ったはずだ。
だがドイツ・メディアの「日本も脱原子力」フィーバーは、6日間しか続かなかった。野田政権(当時)は、「革新的エネルギー・環境戦略」の閣議決定を見送り、参考文書の扱いにとどめたからだ。閣議決定は、政権交代後も次の政権に対して拘束力を持つが、参考文書にはそれがない。政治的な「重み」は、はるかに低いのだ。ドイツでは9月20日に「野田政権は脱原子力の決定から後退した」と報じられたが、6日前の「日本も脱原子力」の記事に比べてはるかに小さかった。
この右往左往ぶりは、福島原発事故の後も日本政府の政策決定能力、コミュニケーション能力が相変わらず不足していることを物語っている。日本の将来にとって重要な、フクシマ後の長期的なエネルギー戦略を打ち立てようという真剣さが感じられない。
再稼動へ進む安倍政権
昨年末に誕生した安倍政権は、早々に脱原子力政策の見直しを宣言。首相は、原子力規制委員会が安全と認定した原子炉については、再稼動させる方針だ。多くのドイツ人が不思議に思っているのは、現在日本にある54基の原子炉は福井県の大飯原発の2基を除いてすべて停止しているのに、3・11直後のような深刻な電力不足が起きていないことだ。彼らは、日本の電力会社が天然ガスや石油などの輸入量を増やし、火力発電所からの電力で原発の穴埋めをしていることを知らない。日本の再生可能エネルギーの発電比率は、ドイツに比べるとはるかに低く、まだ安定した電力の供給源とはなっていないのだ。
経済界の影響力の違い
あるドイツ人は、「国民の間では脱原子力を希望する声が強いのに、なぜ安倍政権は原子炉の再稼動を計画しているのか」という疑問をぶつけてきた。日本の産業界や財界にとって、電力の安定供給と電力価格の抑制は極めて重要な課題である。このため、経済団体は原子力の使用継続を求めている。昨年4月から9月までの連結決算では、日本の電力会社10社の内、8社が原子炉停止と燃料費の高騰のために赤字を計上した。電力料金の値上げは、日本の製造業界の国際競争力の低下につながりかねない。
福島原発事故後に誕生した原子力規制委員会は現在、原発の下に活断層があるかどうかを調査している。活断層が見付かった場合は原子炉の廃炉を命じる可能性もあり、それを受けて電力会社が経営難に陥ることもあり得る。
電力の輸出入が日常茶飯事であるドイツとは異なり、日本は現在のところ電力を外国から輸入することができない。経済界は、福島原発事故後の電力供給の状況に強い危機感を抱いているのだ。
また、日本ではドイツに比べて、日本経団連や経済同友会など、経済団体の発言力、政治的な影響力が大きい。このことが、安倍政権が原子炉再稼動を目指す理由の1つであろう。これに対しドイツの政治家は、ドイツ産業連盟(BDI)のような経営者団体の意見よりも、市民の投票動向を重視する。福島原発事故直後にバーデン=ヴュルテンベルク州で行なわれた州議会選挙で、半世紀ぶりにキリスト教民主同盟(CDU)の単独支配に終止符が打たれ、緑の党の首相が誕生したことは記憶に新しい。
この違いが、日独のエネルギー政策の違いにもつながっているのだ。(次回に続く)