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一度は訪れたい動物園ガイド付き - 歴史からひも解くドイツの動物園

一度は訪れたい動物園ガイド付き歴史からひも解くドイツの動物園

82%の人が「動物園が好き!」というドイツでは、各地の動物園がそれぞれ工夫をこらしながら人々を惹きつけ、何より動物たちの幸せのために教育と研究、そして自然保護に力を注いでいる。しかし、そこに至るまでには暗い過去の存在も。本特集では、そんなドイツの動物園の歴史をひも解きつつ、新しいコンセプトのもと発展してきた選りすぐりの動物園をピックアップ。背景や理念を知ることで、かわいい動物たちに癒されるだけじゃない、もう一歩先の動物園の楽しみ方が見つかるはず。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

動物園が「動物たちのための場所」になるまで

参考:Verband der Zoologischen Gärten e.V. ホームページ、GRÜNE JUGEND Hamburg「Aufarbeitung der Kolonialen Vergangenheit von Hagenbecks Tierpark jetzt!」、Tagesspiegel Online「Ein Rückblick auf 175 Jahre Berliner Zoo」(2019年8月1日)、スイス公共放送協会「生き物としての動物に、もっと真剣に向き合う」(2021年8月2日)

1. 富と権力の象徴から始まった動物飼育

野生動物の飼育が始まったのは、およそ5000年前の古代エジプト。一部の動物が神として崇拝されていた一方で、戦利品としてキリンやゾウなどが飼われていたという。また古代中国では「知識の園」と呼ばれる場所で、トラやバク、ウワバミなどの珍しい動物たちを飼育。古代ローマ時代の闘技場「コロッセオ」ではライオンやハイエナなどが戦闘に駆り出され、紀元80年にはそこで5000頭もの動物が殺されたとの記録がある。その後も野生動物の飼育は、王族や貴族の特権階級が富と権力を象徴するものとして続いていった。

動物園の前身として知られるのが、1664年にヴェルサイユ宮殿に造られた「Menagerie」(メナジェリー)だ。メナジェリーとは動物をコレクションして見世物にする施設で、ヴェルサイユ宮殿では放射状に七つの囲いが設置されていた。1752年には、ウィーンにも同じくメナジェリーとしてシェーンブルン動物園が誕生。もともとは皇帝フランツ1世が科学的好奇心と家族の娯楽のために造ったものだったが、1779年には市民も無料で入場できるようになった。なお、シェーンブルン動物園は現存する世界最古の動物園として知られており、今も運営されている。

設立当初に描かれたヴェルサイユ宮殿のメナジェリー設立当初に描かれたヴェルサイユ宮殿のメナジェリー

1910年頃に描かれたシェーンブルン動物園。奥のパビリオンは1759年にフランツ1世が朝食用に建てたもので、現在もレストランとして営業中1910年頃に描かれたシェーンブルン動物園。奥のパビリオンは1759年にフランツ1世が朝食用に建てたもので、現在もレストランとして営業中

2. 近代動物園「Zoo」の誕生

今日の動物園を意味する言葉「Zoo」が誕生したのは、19世紀に入ってからだった。1828年に開園したロンドン動物園(London Zoological Gardens)に由来し、同動物園は純粋に動物学研究のために造られた世界初の動物園として知られている。

一方、ドイツではフリードリヒ・ヴィルヘルム3世がエキゾチックな動物をコレクションし、19世紀初頭にメナジェリーを造っていた。その後、息子のヴィルヘルム4世が王位につくと、1844年に一般にも公開することを決定。こうしてドイツで最初の動物園であるベルリン動物園が誕生したのだった。19世紀後半には、音楽パビリオンやレストランが造られ、社交の場としてもにぎわったという。

動物園(Zoo)は科学機関としての役割も果たすようになり、「生きた博物館」と認識されていた。できる限り多様な生物を展示することが求められたため、結果として動物の種類や飼育数を増やすことになり、檻はますます小さく、積み重ねられることさえあったという。そして19世紀が終わる頃には、ドイツには20以上の動物園や水族館が存在していた。

ベルリン動物園Zoologischer Garten Berlin

首都ベルリンの中心部にある33ヘクタールの敷地で、1200種の動物を飼育するドイツ最古の動物園。二頭のゾウが彫られた門は1900年頃に立てられ、今も多くの来園者を迎えている。2006年に同動物園で生まれたホッキョクグマのクヌートは一躍人気者となった。また2023年5月現在、ドイツで唯一パンダを飼育する動物園である。
Hardenbergplatz 8, 10787 Berlin
www.zoo-berlin.de

1910年頃に描かれたシェーンブルン動物園。奥のパビリオンは1759年にフランツ1世が朝食用に建てたもので、現在もレストランとして営業中1910年頃に描かれたシェーンブルン動物園。奥のパビリオンは1759年にフランツ1世が朝食用に建てたもので、現在もレストランとして営業中

3. 新しい展示方法を生み出したドイツの動物園

動物園史に名を刻んだ施設の一つに、ハンブルクのハーゲンベック動物園がある。1848年に珍しい動物を販売するビジネスを始めたハーゲンベック家は、その後動物展示やサーカスで成功し、1907年に動物園を開園した。この動物園を一躍有名にしたのは、1896年に2代目経営者のカール・ハーゲンベックが特許を取得した「ハーゲンベック式」と呼ばれる展示方法だ。鉄格子をなくし、堀によって人間と動物を隔てているため、無柵式ともいわれる。

カール・ハーゲンベック(1844-1913)カール・ハーゲンベック(1844-1913)

さらに魅力的なのは、まるで同じ空間にさまざまな種類の動物が自由に歩き回っているように見えるパノラマが楽しめる点だ(実際は堀などによって隔てられている)。ハーゲンベック式は、のちに世界中の動物園のお手本となった。

アフリカ・パノラマでは、ダチョウやシマウマを展示し、広大なサバンナのような風景を造ったアフリカ・パノラマでは、ダチョウやシマウマを展示し、広大なサバンナのような風景を造った

そんなハーゲンベックだが、1875年から「Völkerschau」(民族ショー)と呼ばれる、人間展示を行ったことでも知られている。ラップランドから連れてこられたサーミ人をはじめ、イヌイット族やマサイ族など、さまざまな民族を囲いの中で生活させ、大衆の目にさらしたのである。民族ショーは成功を収め、1931年まで続いた。しかし、今日までハーゲンベック動物園は被害を受けた民族へ謝罪をしたり、公式な見解を発表したりしていないため、問題視する声もある。

また、1911年にミュンヘンに開園したヘラブルン動物園も、1928年に新しい展示方法を生み出している。北極、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、アメリカ、オーストラリアと、大陸ごとに動物を展示する「Geozoo」を世界に先駆けて取り入れたのだ。さらにヘラブルン動物園はイザール川の自然保護地区につくられており、人工的な岩場などではなく、自然景観を活かした飼育を実践。現在では世界各地に同じコンセプトの動物園が存在し、日本では東京都の多摩動物公園がそれに当たる。

ハーゲンベック動物園Tierpark Hagenbeck

見どころの多いハーゲンベック動物園でとりわけおすすめは、北極と南極をテーマにした「Eismeer」エリア。ホッキョクグマやペンギンをはじめ、ドイツで唯一のセイウチの飼育も。昨年末に生まれたホッキョクグマのヴィクトリア(写真)の一般公開が待ち望まれている(4月時点で公開時期未定)。
Lokstedter Grenzstr. 2, 22527 Hamburg
www.hagenbeck.de

ヘラブルン動物園Münchner Tierpark Hellabrunn

約40ヘクタールという広大な土地に大陸ごとのエリアがあるヘラブルン動物園は、まるで世界一周旅行をしているような雰囲気を味わえるのが最大の魅力。特に子どもたちにライオンの吠え声、ゾウの強烈な臭い……など、五感全てで動物を感じてもらうことをヴィジョンに掲げている。
Tierparkstr. 30, 81543 München
www.hellabrunn.de

4. ナチス・ドイツの犠牲となった動物たち

1933年にアドルフ・ヒトラーが首相に任命されると、社会のありとあらゆる分野に政治が介入するようになり、首都にあるベルリン動物園もその例外ではなかった。政権樹立1年前には、国家社会主義者であるルッツ・ヘックが園長に就任。さらにナチスの人種政策により、ユダヤ人の株主を排除し、来園も禁止した。動物園の監査役員だったユダヤ人2名も追放され、のちに強制収容所で殺害されている。

また、園長のヘックはヒトラーの右腕ともいわれた軍人ヘルマン・ゲーリングに、ペットとしてライオンの子どもを貸し出している。その後もゲーリングの保護のもと、戦時中も運営を続けた。また1936年のベルリン五輪のために2000平方メートルのライオン展示場を新設し、200万人以上の来園者を記録。このように、ベルリン動物園はプロパガンダにも利用されたのだった。

ライオンの子どもとゲーリング夫妻。成長して扱いが難しくなってからは、動物園に戻されたライオンの子どもとゲーリング夫妻。成長して扱いが難しくなってからは、動物園に戻された

1938年、第二次世界大戦が勃発すると、来園者と従業員のための防空壕が用意され、新設されたヤギ岩にも150人が収容可能なスペースが造られた(気密性の問題のため実際には使われていない)。また爆撃に備え、万が一動物が逃走した場合に捕獲もしくは殺害する計画が立てられていた。1940年以降は徴兵により従業員が不足したため、ポーランドやフランス、そしてソ連の捕虜や民間人が動物園で強制労働させられたという。

そして1943年11月23日夜、連合軍による爆撃を受け、ベルリン動物園は火の海と化した。一夜の攻撃で3割もの動物が犠牲になったという。その後1944年夏に再開されたものの、終戦を目前に控えた1945年4月22日、ついに戦線となったベルリン動物園では塹壕 (ざんごう)が掘られ、動物たちも激しい戦闘に巻き込まれた。

爆撃で破壊されたベルリン動物園の園舎。解放後、いたるところに動物の死体があったという爆撃で破壊されたベルリン動物園の園舎。解放後、いたるところに動物の死体があったという

5月2日に動物園は解放されたが、かつて4000頭いた動物のうち、戦争を生き延びたのはわずか90頭のみ。第二次世界大戦中、ドイツ各地の動物園も爆撃に遭い、逃げ出して射殺されたり、食糧難で餓死したりするなど、数えきれないほどの動物たちが犠牲となったのだった。

戦争を生き延びたベルリン動物園のカバのクナウチュケは、復興のシンボルとなった(1947年撮影)戦争を生き延びたベルリン動物園のカバのクナウチュケは、復興のシンボルとなった(1947年撮影)

5. 現代の動物園が目指すもの

今日、ドイツには大小合わせて800もの動物園がある。第二次世界大戦までの動物園と大きく違うのは、「動物たちのための場所」へと生まれ変わった点だろう。そんな現代動物園の基礎を築いたのが、動物園生物学を創設したスイス人の動物学者ハイニ・ヘディガーだ。ヘディガーはスイスの動物園数カ所で園長を務めた人物で、第二次世界大戦後、野生で共生関係にある動植物を同じ囲いの中で自然に近い形で見せる、いわゆる「生態展示」を世界で初めて行った。動物のニーズを第一に考えたヘディガーの理念に基づき、今日におけるドイツの動物園の多くはレクリエーション、教育、研究、自然保護の四つの柱の上に成り立っている。

動物園ではすでに自然界で絶滅してしまった動物を飼育していることも少なくない。人工繁殖や研究成果は、野生の動物の保護にも有効とされ、動物園で育った動物を自然保護地区に放つことも。主にドイツ語圏の動物園から成る動物園協会(Verband der Zoologischen Gärten e.V.)では、動物園にいる約5分の1の種が絶滅の危機にあり、すでに自然界で絶滅したおよそ50種が飼育されているという。

シュトゥットガルトのヴィルヘルマ動物園では、絶滅危惧種に指定されているボノボを、ドイツで最多である22頭飼育するシュトゥットガルトのヴィルヘルマ動物園では、絶滅危惧種に指定されているボノボを、ドイツで最多である22頭飼育する

さらに現代の動物園では、動物に可能な限り最高の生活をさせることが求められる。身体的および心理的に幸福度が高い動物は、一般的に長生きできる傾向にある。動物の生息地に基づいた自然に近い飼育環境をはじめ、他種との共存、生態に合わせたエサの隠し場所、おもちゃなど、動物たちの幸せのためにさまざまな工夫がこらされている。

また、来園者が生態系や生物多様性について学べる場所として、それぞれの動物園がより魅力的な展示方法を生み出し、さまざまな教育プログラムを実施してきた。近年では、気候変動や環境保護について学ぶのにも動物園は最適な場所であると認識されている。そんな進化を続ける動物園を訪れることは、動物たちだけでなく、自分たちの未来を考えることにもつながるのではないだろうか。次ページではドイツにあるユニークな動物園をご紹介。気になった動物園が見つかったら、ぜひ訪れてみてほしい。

ハーゲンベック動物園のZooschule(動物学校)の様子ハーゲンベック動物園のZooschule(動物学校)の様子

ドイツのユニークな動物園6選

ドイツの動物園はそれぞれ理念やミッションを掲げ、どのように来園者にアプローチするのか、動物たちにとってどんな環境が望ましいかなどを常に考えながら、ユニークなアイデアを実践しているところがいっぱい。そんな数あるドイツの動物園のなかから、一度は訪れてみたい場所をその見どころや人気者と共にご紹介する。

ケルン
1. ケルン動物園Kölner Zoo

1860年に創立されたドイツで3番目に古い動物園。「Begeistert für Tiere」(動物に夢中)をモットーに掲げ、定期的に改築や増築をしながら、動物たちをより身近に感じられる展示方法を追及している。その飼育数はドイツ最大級で、カバたちの楽園ヒッポドーム、独自の生態系を学べるマダガスカルハウス、9種の霊長類が暮らす原始林ハウスなど、ユニークな動物たちが来園者を迎えてくれる。

総飼育数:約1万(約850種)
Riehler Straße 173, 50735 Köln
www.koelnerzoo.de

アルプス以北最大のエレファントパーク

2004年にオープンしたエレファントパークは、アルプス以北で最大規模を誇り、現在10頭のアフリカゾウたちが暮らしている。かつては2~5頭の小グループでの飼育が一般的だったが、2万平方メートルという広大なスペースのおかげで、集団での飼育が実現した。最年少は2020年に動物園で生まれたLeev Marie。

シュトゥットガルト
2. ヴィルヘルマDie Wilhelma

ドイツ唯一の動植物園であるヴィルヘルマは、もともと19世紀にヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世の命によって建てられた保養施設。王の死後は植物園として運営され、1952年に動物飼育が始まった。現在は温室や水族館をはじめ、アフリカ、アマゾン、霊長類などのエリアに分かれている。広大な園内はビオトープとしても機能しており、野鳥だけでも90種以上が生息。ムーア式庭園にある世界最大級の蓮池は夏にぜひ訪れたい。

総飼育数:約1万1000(約1200種)
Wilhelma 13, 70376 Stuttgart
www.wilhelma.de

2022年生まれの五つ子チーター

ヴィルヘルマで初めてチーターの繁殖に成功し、2022年6月に雄3頭、雌2頭の五つ子が誕生した。絶滅危惧種に分類されているチーターは、世界に約7500頭しかおらず、ライオンやヒョウよりも希少。また、ヴィルヘルマではナミビアでの個体保護にも取り組んでいる。そろそろ1歳になる五つ子の成長の様子は、時折ウェブサイトにもアップされるので要チェック!

ハノーファー
3. ハノーファー体験動物園Erlebnis-Zoo Hannover

1865年創立のハノーファー動物園が再開発される形で、1996年にオープンしたハノーファー体験動物園。アフリカのザンベジ川、霊長類が住むアフィマウンテン、カナダのユーコン・ベイ、インドのジャングル宮殿など、テーマごとにエリアが分かれているのが特徴だ。来園者の好奇心をくすぐりインスピレーションを与えることで、動物について新たな発見をもたらすことを使命としている。

総飼育数:約2000(約182種)
Adenauerallee 1, 30175 Hannover
www.zoo-hannover.de

夏季限定のザンベジボートツアー

ザンベジエリアを流れる川をぐるりと一周するボートツアーは、ハノーファー体験動物園の人気アトラクションの一つ。フラミンゴの群れのすぐそばを通り過ぎたり、浅瀬に水を飲みに来たキリンやレイヨウを眺めたり、動物たちを間近で観察することができる。3月下旬から10月下旬までの期間限定で、所要時間は約12分。

ライプツィヒ
4. ライプツィヒ動物園Zoo Leipzig

ライプツィヒ動物園は、1878年にレストランを拡張する形で開園。現在は、開園当初の建物からなるグルンダーガルテン、熱帯雨林のゴンドワナランド、霊長類が暮らすポンゴランド、アフリカ、南米、アジアの六つのエリアに分かれている。2000年以降、できるだけ自然に近い体験型の動物園を目指してきた。英国の動物専門家によるランキングで、ドイツで最も優れた動物園に選出されるなど、多数の賞を受賞している。

総飼育数:約6600(約800種)
Pfaffendorfer Str. 29, 04105 Leipzig
www.zoo-leipzig.de

巨大温室のゴンドワナランドを探検

サッカーコート二つ分以上の広さがある温室に、アフリカ、アジア、南米の熱帯雨林が再現されたゴンドワナランド。曲がりくねった小道やつり橋の上を歩いたり、ボートに乗船したりしながら、いろいろな動物を探してみよう。木にぶら下がったナマケモノやひなたぼっこをするコモドオオトカゲが見つかるかも!

ロストック
5. ロストック動物園Zoologischer Garten Rostock

1899年に開園したロストック動物園はバルト海沿岸で最大規模の動物園で、欧州最高の動物園に2年連続選出された(年間来園者100万人未満の部門)。霊長類たちが住み、生物の進化の過程を知ることができるダーウィネウム、ホッキョクグマやペンギンが暮らし、南極や北極について学べるポラリウムが特に人気。また園内ではクラシックコンサートやアートイベントが開催されるなど、文化プログラムも充実している。

総飼育数:約4500(約450種)
Barnstorfer Ring 1, 18059 Rostock
www.zoo-rostock.de

ポラリウムでのびのび暮らすホッキョクグマ

2018年にオープンしたポラリウムには、ツンドラ風景を再現した3600平方メートルの広大なホッキョクグマエリアが広がっている。現在3頭のホッキョクグマたちが飼育されており、思いっきり泳いだり遊んだりしている姿が見られる。屋内スペースでは、絶滅危惧種であるホッキョクグマについて、展示物に触れながら学ぶことができる。

ヴァルスローデ
6. ヴェルトフォーゲルパークWeltvogelpark Walsrode

ニーダーザクセン州ヴァルスローデ近郊にあるヴェルトフォーゲルパークは、世界最大級の鳥類専門の動物園。世界で最も小さい鳥、世界で最も速い鳥……など、全ての大陸から集まったありとあらゆる種類の鳥たちに出会うことができる。お気に入りの鳥が見つかったら、エサやり体験などができるミート&グリートを利用して(入場料とは別料金)、もっと間近で観察してみよう。

総飼育数:約4000(約600種)
Am Vogelpark, 29699 Walsrode
www.weltvogelpark.de

世界中の空をかけめぐる飛行ショー

1日2回開催される飛行ショーでは、羽を大きく広げた鳥たちが大空を飛ぶ姿を観ることができる。各回30分でテーマは「世界一周」。ハクトウワシのレディとは北米でサーモンフィッシングを、コンドルのカルロスとは一緒に南米のアンデス山脈を越え、ヘビクイワシのブーツとはアフリカのサバンナでヘビ狩りをしに出かけよう。

最終更新 Freitag, 19 Mai 2023 17:46
 

日本映画祭 ニッポン・コネクション 2023

日本映画100本がドイツにやってくる 第23回 ニッポン・コネクション
2023年6月6日(火)〜11日(日)

Nippon Connection

6月6日(火)〜11日(日)まで6日間にわたって、日本映画と日本文化の祭典「ニッポン・コネクション」がフランクフルトで開催される。コロナ禍でのオンライン開催を経て、昨年から市内の映画館に帰ってきた。1万7000人以上が来場する日本映画祭へと成長したニッポン・コネクションの見どころをピックアップしてお届けする。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

日本の長編・短編映画100本以上を上映

第23回ニッポン・コネクション日本映画祭では、6日間の期間中に100本以上の日本の長編・短編映画が上映される。会場は、MousonturmとNAXOSをはじめとするフランクフルト市内の八つの劇場。ジャンルはドラマ、コメディ、アニメ、ドキュメンタリーと、幅広い興味に合わせて上映される。

また今年の映画祭は、「Cityscapes And Countryside」(都市風景と田園風景)がテーマ。近未来的な大都会と緩やかな時間流れる地方が共存する日本の姿を、さまざまな映画を通じて観客に伝える。そんな第23回ニッポン・コネクションのラインナップをご紹介しよう。

2023年のハイライト

まず注目すべきは、映画祭のメインゲストである俳優で歌手の三浦透子だ。昨年オスカーを受賞した「ドライブ・マイ・カー」(2021年)での見事な演技は、国内外から評価を受けた。三浦へは、その若き才能を讃えて、今年新たに設立された「ニッポン・ライジングスター・アワード」が授与される。

2023年のハイライト

中江裕司監督の「土を喰らう十二ヵ月」(2022年)は、映画祭のテーマ「Cityscapes And Countryside」にもぴったりの作品だ。信州の山荘で暮らす作家の日々を、四季の移り変わりと美しい自然と共に描き出す。主演に沢田研二と松たか子、そして料理研究家の土井善晴が料理を初監修している。

阪本順治監督の「せかいのおきく」(2022年)の舞台は、1858年の江戸。のどを切られて声を失い、子どもに文字を教えているおきくと、下肥買いの二人の若い男が心を通わせながら、それぞれ懸命に生きる姿を描く。数々の賞を受賞してきた俳優・黒木華のセリフのない名演にご注目。

ドキュメンタリー作品では、コロナ禍の東京を記録した「東京自転車節」(2022年)が上映される。監督の青柳拓氏はコロナ禍で仕事がなくなり、山梨から東京へ。緊急事態宣言下の東京で、ウーバーイーツの自転車配達をすると同時に撮影を開始した。人がいない「ニュートーキョー」で、自転車配達員の視点から見えてきたものとは?

日本でも今年2月に公開されたばかりのクィア映画「エゴイスト」(2022年)が、松永大司監督と共にドイツへやってくる。主人公はファッション誌の編集者として働く浩輔(鈴木亮平)と、母を支えながら暮らすパーソナルトレーナーの龍太(宮沢氷魚)。愛し合うがゆえに生まれる葛藤を繊細に描き、東京国際映画祭でも高い評価を得ている。

アニメーション作品で見逃せないのは、マンガ原作ファン待望の「金の国 水の国」(2023年)。100年断絶している二つの国の王女と貧しい建築士が、国の思惑により偽りの夫婦を演じることに。それぞれの国を案じる二人の「優しい嘘」は未来を変えることができるのか……。アニメ制作会社マッドハウスの逸材・渡邉こと乃が監督を務めている。

日本を体験するニッポン・カルチャー部門

ニッポン・コネクションのもう一つの魅力といえば、体験や講演を通じて日本文化を理解するためのプログラム「ニッポン・カルチャー部門」。音楽プログラムでは、日本を代表するガールズロックバンド・つしまみれ(6月9日)、世界で活躍するヨーデル歌手・石井健雄(6月10日)などをはじめとするコンサートが予定されている。

人気のワークショップでは、木版画、マンガ、日本料理、茶道などの体験が可能。さらにメイン会場のMousonturmとNAXOSでは、30以上の屋台が日本料理、美術工芸品などを販売する。映画を観る前や観た後に、ぜひ立ち寄ってみてはいかがだろうか。

2023年のハイライト日本を体験するニッポン・カルチャー部門

そのほか上映作品やニッポン・カルチャー部門のプログラム、チケット情報などは、映画祭ウェブサイトからチェックしよう。

イベント情報
ニッポン・コネクション

ニッポン・コネクション Nippon Connection 開催期間:2023年6月6日(火)~11日(日)
メイン会場:Künstler*innenhaus Mousonturm Waldschmidtstr. 4, Frankfurt am Main
NAXOS Waldschmidtstr. 19, Frankfurt am Main
https://nipponconnection.com/ja

最終更新 Dienstag, 16 Mai 2023 10:08
 

日独交流を楽しむヒントが満載! ドイツの中の「日本」

日独交流を楽しむヒントが満載!ドイツの中の「日本」

160年以上の交流の歴史を持つ日本とドイツ。ドイツに住んでいても、歴史や伝統文化をはじめ、経済分野、ポップカルチャー、言語など、あらゆる分野で日本との深い結びつきを感じることができる。本特集では、そんな日独交流の歴史をおさらいするとともに、ドイツにいながら日本文化が味わえるイベントやスポットをご紹介する。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

日独交流を楽しむヒントが満載!ドイツの中の「日本」

その歴史は160年以上!日独文化交流の歴史

参考:在ドイツ日本大使館「日独交流150周年/歴史」、nippon.com「日独修好160周年:日本の近代化にドイツが果たした役割」

日本とドイツの交流は、160年以上前にさかのぼる。江戸時代の鎖国政策下の日本には、ドイツ人のケンペル(1690年から3年間滞在)やシーボルト(1823〜28年、59〜62年に滞在)がオランダ商館付きの医師として長崎に滞在。日本に西洋の知識を伝え、帰国後にはドイツで日本についての知見を広めた。やがて1854年に日本の鎖国政策が解かれると、1861年1月24日、統一国家としてのドイツが成立する以前のプロイセン王国との間に日普修好通商条約を締結する。これにより日本との正式な関係が樹立された。

開国以来、日本は医学や法律、芸術などのさまざまな分野でドイツから知識を吸収し、近代国家としての礎を築いていった。一方で1914年に始まった第一次世界大戦では、日本はドイツに宣戦し、中国の山東半島に出兵して青島などのドイツの租借地を占領。その時に捕虜になったドイツ人兵士によって、日本にバウムクーヘンやソーセージがもたらされたといわれる。さらに徳島県鳴門市の板東俘虜 (ふりょ)収容所では、ドイツ人捕虜らによって日本で初めてベートーヴェンの交響曲第9番が演奏された。1930年代に入るとナチス・ドイツとの関係が強まり、1940年にはイタリアも含めた日独伊三国軍事同盟へと発展。それぞれが軍国主義、そして戦争へと突き進んでしまう結果となった。

戦後、敗戦国として一時的に連合国軍の支配下に置かれた日本とドイツだったが、1951年には日本とドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の国交が再開。その後、両国共に奇跡的な経済成長を遂げるに至った。またドイツ民主共和国(旧東ドイツ)との国交も1973年には再開し、一定の交流が行われていた。そして1990年のドイツの再統一に伴い、日本との交流も一本化された。

今日、ドイツは日本にとって欧州最大の貿易相手国であり、日本はドイツにとって中国に次ぐアジア第2位の貿易相手国。またドイツには、学術・経済・政治・文化など幅広い分野にわたる日独の知的交流拠点「ベルリン日独センター」(https://jdzb.de)、ドイツにおける日本文化の紹介などを行う「ケルン日本文化会館」(https://co.jpf.go.jp)が置かれており、文化面でも緊密な交流が行われている。

数字で見る「ドイツの中の日本」

ドイツに住んでいる日本人

(2022年10月1日現在、海外在留邦人調査統計) 4万2266人(前年比+0.3%)

ドイツに住んでいる日本人

ドイツに拠点をおく日系企業

(2021年10月1日現在、日本外務省) 1934社(前年比+2%)

ドイツの公立大学にある日本関連の研究施設

(2023年5月現在) 約17カ所

日独姉妹都市・友好都市の数

(2023年5月現在) 61都市

在ドイツ日本国大使館・総領事館

(2023年5月現在) ベルリン、デュッセルドルフ、ハンブルク、フランクフルト、ミュンヘン

ドイツでも日本を満喫!おすすめ 日本イベント

ハンブルク

Japan Film Fest Hamburgハンブルク日本映画祭

今年で24回目を迎える日本映画に特化した映画祭。アニメはもちろん、短編から長編映画まで、あらゆるジャンルの映画が5日間にわたって上映される。日本の若手監督の作品が多く出品されるのも特徴の一つ。

2023年6月14日(水)〜18日(日) https://jffh.de

デュッセルドルフ

DoKomiドコミ

ドイツ最大の日本・アニメコンベンションで、5月にデュッセルドルフで開催される「日本デー」と並ぶ一大日本イベント。日本のポップカルチャーを軸に、日本から著名なミュージシャン、バンド、漫画家などが招待され、アーティストと触れ合う機会を提供している。

2023年6月30日(金)〜7月2日(日) www.dokomi.de

ミュンヘン

Japandult日本ダルト

今年10周年を迎えるミュンヘンの日本ダルトは、日本のデザインやアートをはじめ、音楽やグルメが楽しめる。武道や日本舞踊のパフォーマンス、着付けやマンガのワークショップなどの文化プログラムも充実。11月19日(日)には、日本ダルトのクリスマスマーケットも開催されるので要チェック!

2023年7月9日(日) https://japandult.de

マンハイム

AnimagiCアニマジック

1999年からマンハイムで開催されている、欧州最大規模のアニメ・マンガのコンベンション。コンサートや上映会、コスプレイベントなど、幅広いプログラムに加え、日本からマンガ家やアニメ声優などの豪華ゲストも来独する。

2023年8月4日(金)〜6日(日) https://animagic.de

オッフェンバッハ

Main Matsuriマイン祭り

3日間かけてマイン川沿いで開催される日本祭り。今年はオッフェンバッハで初の開催となる。屋台では日本料理を堪能できるほか、雑貨販売や文化ブースも。野外ステージでは数多くのアーティストが技を披露し、日本文化にたっぷり浸ることができる。

2023年8月18日(金)〜20日(日) www.main-matsuri.com

ヴィースバーデン

Connichiコンニチ

日本のサブカルチャーフェスティバルで、アニメ、マンガ、ゲーム、コスプレなど幅広い分野を網羅し、日独の架け橋として2014年に外務大臣表彰を受賞。今年は開催地をこれまでのカッセルからヴィースバーデンへと移し、さらにパワーアップして帰ってくる。

2023年9月1日(金)〜3日(日) www.connichi.de

ドイツで日本文化に触れるおすすめ ミュージアム&日本庭園

ケルン

Museum für Ostasiatische Kunstケルン東アジア美術館

1913年に開館した同美術館では、「東アジアの芸術を偏りのない新しい視点で紹介する」ことを目指しており、日本画をはじめ、初動や木版画、また韓国の陶芸や漆芸などの豊富なコレクションを有する。施設の中には、美しい日本庭園が広がっている。

Universitätsstr. 100, 50674 Köln https://museum-fuer-ostasiatische-kunst.de

ベルリン

Samurai Art Museumサムライアートミュージアム

ベルリンにあるサムライアートミュージアムは、日本刀や甲冑 (かっちゅう)をはじめとした4000点以上のプライベートコレクションを誇る。2022年にリニューアルオープンし、マルチメディアを使ったインタラクティブな展示が魅力。日本から輸送した能楽堂と茶室もお見逃しなく。

Auguststr. 68, 10117 Berlin https://samuraimuseum.de

テュルコー

Schloss Mitsukoシュロス・ミツコ

メクレンブルク=フォアポンメルン州テュルコーにある日本文化と現代アートの美術館。日本の美術品や民芸品、陶磁器、織物などの大規模なコレクションと日本文庫を所蔵している。現代彫刻家の深田充夫氏のインスタレーション作品も展示されている。

Kastanienallee 21-23, 17168 Thürkow-Todendorf https://schloss-mitsuko.org

デュッセルドルフ

Japanischer Garten im Nordpark

デュッセルドルフのノルトパークの北西部には、現地の日本企業と日本人コミュニティーによって1975年に寄贈された庭園がある。本格的な日本庭園をのんびり散歩できるほか、コスプレイヤーたちによる撮影会が行われていることもしばしば。

Stockumer Kirchstr., 40474 Düsseldorf www.duesseldorf.de/stadtgruen/park/nordpark/japanischer-garten.html

ベルリン

Gärten der Welt

ベルリン中心部からSバーンとバスで40分ほど行ったところにある「Gärten der Welt」(世界の庭園)では、欧州やアラブ諸国、アジアなど、世界中の特色ある庭園を楽しむことができる。日本人の作庭家によって設計された日本庭園「融水苑」をはじめ、韓国式庭園や中国式庭園も見応えあり。

Blumberger Damm 44, 12685 Berlin www.gaertenderwelt.de

バート・ランゲンザルツァ

Japanischer Garten „Garten der Glückligkeit“

テューリンゲン州バート・ランゲンザルツァにある日本庭園「幸福の庭」。春には桜をはじめツツジやシャクナゲが咲き、6月からはハナショウブやスイレンが日本庭園の池を彩る。植物館で茶会に参加ができるほか、お花見や七夕などの季節行事も充実。

Kurpromenade 15, 99947 Bad Langensalza https://badlangensalza.de/erleben/parks-gaerten/japanischer-garten

冷戦下の旧東ドイツとの文化交流も日本の有田焼をお手本にしたマイセン

17世紀の欧州では、薄い磁器を作る技術がなく、中国の景徳鎮や、日本の白く艶やかな磁器が貴族の間で高い人気を誇っていた。なかでも佐賀県有田市で製造されていた有田焼は、オランダ東インド会社によって1660年以降に欧州にも輸出されるように。伊万里港から出荷されることから、伊万里焼とも呼ばれた。特にその魅力に取りつかれたザクセン王国のアウグスト強王は、錬金術師を城に幽閉して白磁器の研究を行わせ、世界的に有名な磁器「マイセン」を誕生させた。その中でも力を入れたのが、「柿右衛門様式」の有田焼の模倣製造だったという。

そんな「陶都」である有田市とマイセン市が姉妹都市であることは不思議ではないが、姉妹都市の提携が結ばれたのは、なんとまだベルリンの壁によって東西ドイツが隔てられていた時代。1970年、ドレスデンに膨大な有田磁器のコレクションがあると知った有田町の窯業界の代表らが、東ドイツを訪問したことが契機となった。彼らは冷戦下の東ドイツを訪問するために外務省と地道に交渉し、最終的には文化交流使節という形で実現した。ドイツで有田焼のコレクションとの邂逅 (かいこう)を遂げた有田町の代表らは、1975年に福岡大博覧会で「古伊万里里帰り展」を開催し、ドレスデン美術館秘蔵の有田磁器を公開することに成功。さらに1979年には有田町から申し入れがあり、マイセン市と姉妹都市提携が結ばれることになった。以来40年以上にもわたって、世界有数の名陶磁器を誇る両都市の交流が続いている。

参考:Arita Episode 2「1970年―冷戦期、東西の壁を越え有田マイセン交流の架け橋となった7人のサムライ」、外務省「磁器が結び付けた絆(佐賀県有田町とドイツ連邦共和国マイセン市の交流)」

(写真左)柿右衛門様式を模して絵付けされた、1730年ごろのマイセン磁器(右)1970年、有田町の窯業界の代表らはドレスデンやマイセンをはじめ、欧州各地の有名な窯業地を訪れた(写真左)柿右衛門様式を模して絵付けされた、1730年ごろのマイセン磁器(右)1970年、有田町の窯業界の代表らはドレスデンやマイセンをはじめ、欧州各地の有名な窯業地を訪れた

あの日本語がこんな意味に!?ドイツ語で使われている日本語

Sushi(すし)やManga(マンガ)、Emoji(絵文字)など、ドイツ語の中で当たり前のように使われている日本語が数多く存在する。しかし中には、元々の意味とは離れて独自の使われ方をしている、ちょっと不思議な日本語由来の言葉も。ここでは、そんな単語をいくつか紹介しよう。

Hokkaido ホッカイドウ

秋になるとスーパーにも並ぶ、オレンジ色のドイツ産カボチャ。1945年以降に、ドイツに初めて輸入され種子が北海道産であったころとから、シュトゥットガルト在住の日本人八百屋が「Hokkaidokürbis」(北海道カボチャ)という名前で販売したのが始まりだそう。

Mikado ミカド

色付けされた竹ひごのような棒を使った、欧州ではポピュラーなボードゲーム。棒にはいくつかの模様があり、それぞれミカド、ボウズ、サムライの名前が付いており、これらを集めて得点を競う。ちなみに日本でもおなじみのお菓子「ポッキー」は、欧州ではこのゲームの竹ひごに似ていることから「MIKADO」という名前で販売されている。

Kombucha コンブチャ

欧米をはじめドイツでも流行している健康飲料「コンブチャ」。これは日本語の「昆布茶」とは全くの別物。紅茶や緑茶などを発酵させたもので、日本では「紅茶キノコ」と呼ばれている。もともと中国やモンゴルからロシアに渡ったとされ、名前の理由は韓国語の「菌」(Kom)からきているとする説や、日本語の「酵母茶」が訛ったという説も。

最終更新 Freitag, 05 Mai 2023 15:39
 

Eurovision Song Contestのトリビア

今年はリヴァプールで開催Eurovision Song Contestのトリビア

ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト(以下、ユーロヴィジョン)は、主に欧州地域の国が出場できる視聴者参加型の音楽コンテスト。各国のパフォーマーが次々登場するライブ中継を観賞する楽しさはもちろんのこと、国際政治関係が色濃く感じられる決勝投票など、最後まで見どころがぎっしり詰まっている。まだ観たことがない人は、今年こそぜひ観賞してみてはいかがだろうか。

準決勝に進んだチームの組み合わせの抽選会が、英北部リヴァプールで行われた準決勝に進んだチームの組み合わせの抽選会が、英北部リヴァプールで行われた

Eurovision Song Contest

5月9日(火)、11日(木)、13日(土)
ドイツ時間21:00~
M&S Bank Arena Liverpool
https://eurovision.tv

視聴方法: 会場チケットは3月にソールド・アウトになったため、生放送での観覧のみ。ドイツでは、公共放送ARDのDas Ersteで生放送される。ストリーム配信を視聴する場合は、www.eurovision.deもしくはARD Mediathekから。

今年のドイツ代表は、ハンブルク出身のメタルバンドの「Lord of the Lost」。最新アルバム「Blood & Glitter」では、予約開始からわずか6日でドイツのチャートで1位を獲得した実力者だ。

1. ご長寿音楽コンテスト番組としてギネス世界記録に登録

ユーロヴィジョンは、1956年の第1回目を皮切りに、新型コロナウイルスが流行した2020年を除き毎年開催されている。第二次世界大戦後、欧州各地で放送網が整ってきたことを受け、「国境を越えたテレビ放送を通じ、欧州諸国間の協力関係を深める」ことを目的に、欧州放送連合(European Broadcasting Union=EBU)が1950年に誕生。そんなEBUの創成期において、ユーロヴィジョンは国際同時生放送という技術面でのテストという役割も担っていた。初回はオランダ、スイス、ベルギー、ドイツ、フランス、ルクセンブルク、イタリアが参加し、これまでに全52カ国が参加している。

1982年に優勝を飾ったドイツ代表のNicole(右から3人目)。冷戦下にあった東西ドイツ両方の人々の気持ちを歌った「Ein bisschen Frieden」を披露した1982年に優勝を飾ったドイツ代表のNicole(右から3人目)。冷戦下にあった東西ドイツ両方の人々の気持ちを歌った「Ein bisschen Frieden」を披露した

2. 歌詞は架空の言語でもOK

パフォーマーの人数や演奏の事前録音など、参加規則は時代に合わせかなり変更されてきたが、歌詞の言語規制もコロコロと変わっている。初期段階では特に制限が設けられていなかったものの、後に2曲中1曲は自国の公用語で歌わなければならなかったり(現在は各国が1曲のみ披露)、公用語のみが許されたりした時期も。現在は公用語に加え、誰も理解できない架空の言語での歌唱も認められている。ちなみに1973年に出場したノルウェー代表のベネディク・シンガーズは、曲中に12もの言語が登場する「It's Just A Game」を歌唱した。

3. ABBAが有名になったきっかけ

当日はユーロヴィジョン不参加国でも放映されるため、毎年約1億6000万人もの視聴者がおり、放映後数カ月は街の至る所で選出曲を耳にすることになる。1974年のスウェーデン代表だったABBAや、2014年のオーストリア代表で、髭を生やしたドラァグクイーンのコンチータ・ヴルストなど、後にスターやゲイのアイコンとなり、世界を席巻したパフォーマーを生んできた。一方で、なぜ選ばれたのかと思わせるような、誰も入り込めない世界観のパフォーマーが出てくることもしばしば。新生スターの輩出と同時に、一発屋も量産しがちだといわれている。

4. 各国代表による投票=国際政治

パフォーマーの決勝進出は視聴者投票、そして優勝者は視聴者と各国を代表する審査員の投票によって決まる。また今年から、指定された不参加国の視聴者もオンライン投票が可能になった。例年目が離せないのは各国代表による投票。純粋に歌やステージのパフォーマンスに対する評価だけでなく、各国同士の政治的な敵対・協力関係が絡んだ投票になるからだ。例えば北欧・バルト3国同士で入れ合ったり、毎年同じ国に投票している国が投票先を変えたりと、今日の政治情勢が垣間見えるのも興味深いだろう。

5. 今年はリヴァプールで開催

優勝国が翌年の主催国になるのが伝統だが、昨年の優勝国はウクライナ。ロシアによる侵攻で、同国での開催が叶わなかった。よって今年は「United By Music」のスローガンのもと、英北部リヴァプールが代わりを務める。英国は25年ぶり9回目の主催国で、最も多く開催地を提供している。

最終更新 Freitag, 05 Mai 2023 15:39
 

「日本の家」は続く、どこまでも!

ライプツィヒ東部にあるみんなの居場所「日本の家」は続く、どこまでも!

かつて「ドイツで最も危険な通り」と呼ばれたライプツィヒ東部のアイゼンバーン通り。安い家賃に惹かれた若者や移民が集まり、ここ数年で活気のある通りへと変貌した。一方で地域の活性化は、家賃上昇や低所得者の排除も引き起こす。この通りで10年以上活動してきたフリースペース「日本の家」も、昨年、賃上げによる退去勧告を受けた。今年3月、移転したばかりの日本の家で、運営メンバーたちに話を聞いた。

今年3月、引っ越し作業を終え、空になった旧日本の家の前で最後の記念撮影今年3月、引っ越し作業を終え、空になった旧日本の家の前で最後の記念撮影

お話を聞いた人
イェンスさん

イェンスさん

メンバー歴7年の古株。大工仕事や事務処理、コミュニケーション能力に長けた、日本の家の良心的存在

ダヴィッドさん

ダヴィッドさん

料理の腕とたくましいパンク精神、そして日本への愛で、コロナ禍で閉鎖の危機にあった日本の家を救った

郁子さん

郁子さん

岡山で「日本の家」のドキュメンタリーを観たのがきっかけで渡独。ここでの出会いから、日本食レストラン「ponpoco」を立ち上げた

晴香さん

晴香さん

日本の家の現代表の一人。自由人な運営メンバーたちを見守っていることが多いが、実は日本の家への愛は誰よりも深い

トビアスさん

トビアスさん

本業は心理カウンセラー。イベントでは琴の演奏やDJなどを行うほか、優れた日本語能力で運営メンバー間の橋渡し役にも

そもそも「日本の家」って?

「日本の家」(Das Japanische Haus e.V.)は、ライプツィヒの衰退していた一角の空き家を日本人チームが中心となってセルフリノベーションし、2011年に立ち上げた非営利団体。ライプツィヒ東部地域に根付いた活動を軸にさまざまな地域交流イベントを実施してきた。運営は常時10〜15人程度のコアメンバーによって、ボランティアで行われている。10年以上活動を続けるなかでメンバーの世代交代も何度かあったが、多様な人々が交流するスペースとして、地元民たちから愛されてきた。

 
 
 

トビアスさん:初期メンバーは建築やアート関係の人が多かったこともあり、展覧会や街づくりワークショップ、日本文化にまつわるイベントが中心だったそうです。それが大きく変わったのが、2014年からの「ごはんの会」。これは参加者みんなで調理をして、一緒にごはんを食べようというもので、お代は寄付制。日本に興味があるかどうかや、経済的・社会的状況に関係なく、さまざまな人が訪れるようになりました。現在も毎週木曜・土曜の夜に開催しています。

メンバーの交代が新しい風を呼ぶ

ごはんの会を契機に、「日本人が運営しているアートスペース」から「地域に開かれた交流の場」へと変化した日本の家。この場所の特徴の一つが、多様な背景を持つ人々によって運営されていることだろう。ワーキングホリデーや留学生、職人、フリーランサー、会社員、失業者、難民申請中など、国籍や世代、背景もばらばら。今回お話を伺った面々も、それぞれの思いがあってこの場所と関わっている。

イェンスさん:娘が日本のアニメやマンガが好きだったことがきっかけで、日本に興味を持つようになりました。その後ライプツィヒに引っ越してきて、日本関係でどんな場所があるかを調べたら「日本の家」に行き当たった。初めて遊びに行った日、すぐにみんなが私を輪の中に入れてくれて。とても幸せな時間で、いつの間にか自分も運営メンバーになっていました。

晴香さん:私がドイツに来たのは、コロナ禍でロックダウンしていた頃。もともとドイツ人のパートナーと暮らすためにこちらへ来たので、彼以外には知り合いもいなくて、初めのころは辛いことも多かったです。そんなときに勇気を出して日本の家に来てみたら、すごく居心地が良くて。ドイツ生活で大変なことがあったときは、日本の家があるから頑張ろうと思えています。

郁子さん:私が日本の家で面白いと思うのは、普段生活していてなかなか出会わないであろう人たちと肩書きなしで話せるところ。人種や性別、年代に関係なくオープンな人が多く、すごくエネルギーをもらえます。

モデルを決めて、似顔絵を描くイベントモデルを決めて、似顔絵を描くイベント
旧日本の家の裏側スペースでは、映画の上映会なども行われた旧日本の家の裏側スペースでは、映画の上映会なども行われた
 
 
 

運営メンバーのなかには、学生やワーキングホリデーなどドイツに滞在できる期間が限られている人も多いため、メンバーの入れ替わりも頻繁に起こる。そんなフレキシブルかつ多様な人たちの集まりをまとめていくのは、実際のところ大変ではないのだろうか。

イェンスさん:日本の家は、すごくカオスな集団です(笑)。月に一度Plenum(メンバーでの会議)を開き、大きなイベントの役割分担や、日本の家全体の方向性について議論をします。しかしそれ以外は、「今日は誰がごはんを作る?」「誰が来られる?」「こんなイベントをやりたい!」という感じで自発的に進んでいきます。

郁子さん:ダヴィッドのように料理が得意な人がいれば、家具作りや掃除が得意な人がいたり、残った雑務をイェンスやトビアスが片付けてくれたり。はっきり役割分担があるわけではなく、信頼関係によってゆるく成り立っています。さまざまな人がいる分、コミュニケーションに苦労することもありますが、このまとまりの無さも日本の家らしさかなと思います。

退去勧告は突然に……

日本の家がアイゼンバーン通りで活動を始めた当初、この地域は空き家だらけの廃れた場所だった。やがて日本の家のようなフリースペースが人を集めるようになり、通りの活性化が進んだが、それと引き換えに家賃が高騰。元の居住者たちが排除されてしまう、いわゆるジェントリフィケーションが起きつつある。日本の家にも2022年3月のある日、不動産管理会社から退去を求める手紙が届いた。

イェンスさん:手紙には、①私たちが退去しなければいけないこと、②私たちの建物の裏側に入居している自転車修理スペースRadsfatzとセッションバーTrautmannも退去させるので、そこに日本の家が引っ越したらどうか、ということが書かれていました。RadsfatzとTrautmannも地域交流の場であり、私たちの昔からの隣人で友人です。彼らを追い出して、そこに日本の家が入居するなんてありえない。すぐに弁護士に相談し、新しい引っ越し先を探し始めました。

ダヴィッドさん:退去の理由は、「日本の家よりも多く家賃を払える借り手がいるから」。自分たちは10年以上もここで活動し、家賃も常に期限通りに支払ってきました。コミュニティースペースとして地域に貢献している自負もあったので、とても残念です。とはいえ退去期限は迫るばかりなので、自分たちのベストを尽くそうと気持ちを切り替えました。

それから日本の家では「Wir müssen raus!」(私たちは出ていかなければならない)というプラカードを掲げ、発信を始めた。ライプツィヒ東部には、ほかにも有志で運営しているギャラリーやカフェ、スペースがいくつもある。日本の家がこのような形で退去させられることは、彼らにとっても他人事ではなかった。

郁子さん:日本の家の退去についてソーシャルメディアに投稿したところ、瞬く間に100件以上もシェアされて、さまざまなグループや地域団体が連帯を示してくれました。ほかにも近所の印刷屋さんが私たちの活動のチラシを印刷してくれたり、引っ越し費用や弁護士費用を集めるためにチャリティーイベントを実施したりするなかで、「ここに相談してみてはどうか」「あそこに空き物件があるよ」など、さまざまな情報が届くように。コミュニティーの力の強さに驚きました。

救世主となった200メートル先の隣人

転機が訪れたのは2022年8月。日本の家からアイゼンバーン通りをさらに東へ200メートルほど行ったところにある、「Gleiserei」(グライゼライ)というコレクティブから連絡を受けた。彼らはジェントリフィケーションの煽りを受けないようにと、2014年にアパートを一棟まるごと購入。1階は非商業的なイベントを行えるフリースペース、2階から上は自分たちの住宅として改装した。一方で、人手不足もあって1階スペースを有効活用できていなかったという。

トビアスさん:Gleisereiの人たちは、1階スペースを商業店舗ではなく、若者や移民たちがプロジェクトをできるような場所にしたいと考えていたそうです。これはまさに日本の家の在り方と一致します。それからGleisereiのメンバーと、スペースをどのように共有するか、お互いのイメージを擦り合わせていきました。約半年かけて話し合いを続け、今年3月、晴れて引っ越しが完了。Gleisereiの人たちも、私たちの入居を喜んでくれていて、まさにウィンウィンの関係ですね。

再出発した「日本の家」

こうして日本の家は、新しい場所でスタートを切った。全ての荷物を運び終えた翌週にはごはんの会も再開し、今までと変わらず多くの人が一緒にごはんを食べ、語り合う姿があった。

ダヴィッドさん:(新しい日本の家は)最高ですね。宝くじに当たったくらいラッキーだと思います。新しい日本の家の雰囲気も、引っ越し前と全く変わらない。前の場所からさほど離れていないので、今まで日本の家に来ていた人たちも変わらず遊びに来てくれています。

晴香さん:以前よりも座れる席が多く、キッチンやトイレも広くて使いやすい。キャパシティーが大きくなった分、ここでできるイベントの可能性も広がったので、これからが本当に楽しみです。

新しい日本の家は、バーカウンターも広々新しい日本の家は、バーカウンターも広々

これからの日本の家の活動に興味を持つ人や、日本の家を応援したいという人に向けて、どのような支援方法があるかを尋ねたところ、全員が口を揃えて「Mitmachen」(一緒にやること)と答えてくれた。

ダヴィッドさん:自分たちにとって一番の支えは、多くの人がここに来て、一緒にごはんを食べて、ビールを飲んで、楽しんでくれること。それが日本の家にとって最も大切なことだと思います。

晴香さん:遠方に住んでいる人は、たまに旅行で来たときに遊びに来たり、音楽をやっている人はコンサートを開いたり、あるいは一緒にごはんを作ったり。どんな関わり方も歓迎です。また日本の家の活動に共感する人や、ごはんの会やコンサートを楽しんだ人は、自分にできる範囲で寄付をしてくれたらありがたいです。

トビアスさん:得意なことで日本の家を助けてくれるのもうれしいですが、この場所では、逆に自分がやったことのないことにも挑戦できます。例えば人生で初めてイベントの企画に挑戦する人や、隠れた趣味である絵の展覧会をしてみんなを驚かせる人も。そういう新鮮な刺激が日本の家を面白い場所にしていると思うので、新しいことをしたい人にも訪れてみてほしいです。

新しい日本の家のキッチンで、ごはんの会の準備中新しい日本の家のキッチンで、ごはんの会の準備中
地元のアーティストらが、難民としてドイツに来た子どもたちとコミックワークショップを行いその成果物を発表地元のアーティストらが、難民としてドイツに来た子どもたちとコミックワークショップを行いその成果物を発表
 
 
 

ニューヨークやロンドン、ベルリンなどの大都市がそうであるように、今日、都市開発によってライプツィヒでも多くのフリースペースが消えつつある。文化的・社会的な活動を通して街を盛り上げてきた当事者たちが、やがてそこを追い出されるのだ。そんな社会の流れにあらがうのは簡単ではない。しかし日本の家の引っ越しは、この問題について地域共同体として考える機会にもなったと、彼らはポジティブに語る。

イェンスさん:今回の引っ越しは、日本の家の力をもっと発揮できるチャンスだと思っています。ごはんの会をはじめとする今までの活動を継続するのはもちろん、これからはアクセルをもう少し踏み込んで、ほかのコミュニティーとのネットワークを広げていきたい。Gleisereiの人たちと良い関係が続く限り、私たちはずっとここにいられるでしょう。この場所だからこそ、もっと多くのことに挑戦できるはずです!

info

日本の家

日本の家 Das Japanische Haus e.V.

Eisenbahnstr. 150, 04315 Leipzig
http://djh-leipzig.de
Instagram @dasjapanischehaus

都市ガイドシリーズ❻
歴史と若いエネルギーが混交する
ライプツィヒの魅力再発見!
最終更新 Donnerstag, 27 April 2023 10:03
 

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