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10年続く福島・ドイツ交流プロジェクト - 高校生たちが福島を伝え、再エネを学ぶ

10年続く福島・ドイツ交流プロジェクト高校生たちが福島を伝え、再エネを学ぶ

2013年から毎年夏に行われている日本とドイツの高校生の交流プロジェクトがある。NPO法人アースウォーカーズが主催する「福島・ドイツ高校生プロジェクト」だ。福島の高校生たちがドイツを訪れ、ドイツにおける再生可能エネルギーの取り組みなどを学びながら、ドイツ人家庭にホームステイしたり、地元の高校生たちと交流したりする機会が持たれる。今年3月で東日本大震災から12年、そして4月にはドイツは脱原発を達成した。8月にドイツを訪れた日本の高校生たちは、ドイツで何を見聞きし、どのように「福島」を伝えたのだろうか?(取材・文:見市知)

デュイスブルクの高校で、日本語を勉強しているドイツの高校生と交流会が持たれたデュイスブルクの高校で、日本語を勉強しているドイツの高校生と交流会が持たれた

脱原発したドイツで福島の記憶を語る

「汚染された福島から来たから近寄るな」。今回ドイツを訪れた福島市出身の押山祐太さんは、震災当時わずか3歳。その後小学生になってから移住した他県で、そう言われたときのことを鮮明に覚えている。震災直後は福島にいて、東京電力福島第一原発の事故による放射能汚染のため、外では自由に遊べなかったと話す。

「原子力発電が本当に必要なのかどうか、自分にはまだ分からない。ただ、子どもたちが何の不自由も不安も感じないで暮らせる世の中になってほしい」。8月6日、ベルリンで開催された広島原爆慰霊祭の場で、祐太さんは自身の思いを聴衆に訴えた。

ベルリンで行われた広島原爆慰霊祭で、祐太さんが東日本大震災で経験した被害を伝えたベルリンで行われた広島原爆慰霊祭で、祐太さんが東日本大震災で経験した被害を伝えた

今回、同プロジェクトに参加して訪独した高校生は8人。12年前の震災当時はまだ3~5歳だった世代だ。祐太さんのように、それぞれが震災当時の記憶やそれにまつわる思いなどを、ドイツの複数箇所でスピーチする機会があった。ベルリンの後に訪れたデュイスブルクでは、同年代の高校生たちと交流。高校の授業に参加し、英語でスピーチを行った。

「福島の原発事故のことを知らなかったので、生々しいエピソードを聞いてびっくりした」と語るのは17歳のベネットさん。一方15歳のユリアさんは、12年前の出来事と、それによってドイツ連邦政府が脱原発を加速化させることを決定した経緯を知っていた。今年4月の脱原発完了についても、「ドイツは正しい判断をしたと思っています」とはっきり意見を述べる。日本では原発が再稼働しており、脱原発の道筋も立っていないことに対しては、驚きを隠せない様子だった。

各都市をめぐり再エネについて考える

福島の高校生たちは約2週間の間に、ベルリン、デュイスブルク、デュッセルドルフ、マインツなどを訪れた。滞在期間中は、ベルリン在住のエネルギー政策専門家・西村健佑氏の講演を聞いたり、デュッセルドルフの生物季節観測用の庭や、マインツの再エネ大手のJUWI社を訪問したりする機会も。

再生可能エネルギーへの取り組みは、いかにクリーンなエネルギーを作るかの前に、いかにエネルギーの消費量を減らすかが、必ずセットになって考えられなければならない。例えば、省エネを考えて建てられたドイツの住宅は断熱構造になっている。ドイツの高校生たちに尋ねると、「近い距離であれば、自転車で移動するようにしている」「なるべくゴミを出さないように気を付けている」「肉は食べない」「自宅にソーラーパネルが取り付けてある」など、各自が気候と環境のために心がけていることを語ってくれた。

ドイツの考え方から日本の高校生たちが得た気づき

西村氏は、講演会で次のエピソードについて紹介。ドイツでは2020年、15~32歳の9人の若者たちが「政府の気候政策において自分たちの未来が脅かされている」として、ドイツ連邦政府を連邦憲法裁判所に訴えた。これによって連邦政府は二酸化炭素(CO2)の削減目標を引き上げ、気候政策の強化を余儀なくされたのである。同じ若者たちの行動に、福島の高校生たちは感銘を受けていた。

デュッセルドルフにある、さまざまな植物を植えて気候の影響を観察している庭で説明を聞くデュッセルドルフにある、さまざまな植物を植えて気候の影響を観察している庭で説明を聞く

こうしたエピソードからも分かるように、ドイツでは「バックキャスト的」な考え方が重要視されている。すなわちよりよい未来を思い描き、そこから逆算して今何をするべきか考えるという思考法だ。一方日本では、例えば「今の自分の学力ならば、どこの大学に行けるだろうか?」というような「フォアキャスト的」な考え方が主流だ、と西村氏は語る。

「気候問題は身近なことなんだと気付いた」(遠藤真志さん)、「日本に帰ったら、私も身近なところから地球環境のために何かをしたい」(深谷美波さん)、「ほかの人に流されない、自分の意見をきちんと持てるようになりたい」(古川佳音さん)。

今回の旅を終えた福島の高校生たちは、それぞれの思いをそんなふうに語ってくれた。次世代を担う10代の彼らが今回の体験を、よりよい未来を目指す力に変えていってほしい。

INFO

アースウォーカーズ
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最終更新 Donnerstag, 21 September 2023 14:26
 

伝説的マンガから、ほのぼのコミックエッセイまで - ドイツが出てくる 日本のマンガ 13選

伝説的マンガから、ほのぼのコミックエッセイまでドイツが出てくる日本のマンガ 13選

ドイツでも大人気の日本のマンガ。実は、日本の名作マンガにはドイツの歴史を題材にしたものや、ドイツを舞台としたものが数多く存在している。本特集では、そんなドイツをより深く知れるほか、身近に感じることができる日本のマンガ作品を一挙ご紹介。「読書の秋」であるこの季節、マンガを通してドイツが舞台のさまざまな世界に浸ってみては?(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

少女マンガの金字塔より美しき憧れのドイツ

硬派のドイツ人が日本でブームに
1.『エロイカより愛を込めて』

青池保子 著 秋田書店
1976〜2012年連載 全39巻
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『エロイカより愛を込めて』

金色巻毛の英国人の貴族、ドリアン・レッド・グローリア伯爵は、美意識もプライドも高い美術品愛好家。しかし実は「エロイカ」の通称をもつ美術品泥棒であった。男色家でもあるエロイカは、ドイツ人の北大西洋条約機構(NATO)軍情報部ボン支部の陸軍少佐、クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハに夢中になる。少佐は東西両陣営から「鉄のクラウス」と呼ばれているほど規律を重んじ、曲がったことが大嫌い。それゆえエーベルバッハはエロイカのことも毛嫌いしているが、ソ連のスパイと戦うため、互いの目的のために協力し合うようになる。

『エロイカより愛を込めて』

作品をもっと知る

1976年から始まった本作は39巻まで刊行されているロングセラー。特に第2回目から登場したドイツ人のエーベルバッハ少佐は硬派で大人気に。作品の影響を受けて、少佐と同名の都市「エーベルバッハ」は日本人観光客が急増したほどだ。そのため作者の青池保子氏は、同市から感謝状と小さなブロンズのイノシシを贈られたというエピソードもある。ちなみに少佐の部下は、部下A(アー)、部下B(べー)などドイツ読みのアルファベットで呼ばれており、アルファベットと同数の26人。ドイツ語を使ったクスッと笑える言い回しにも注目してみよう。

歴史の渦に 翻弄 (ほんろう) される青春
2.『オルフェウスの窓』

池田理代子 著
集英社文庫〈コミック版〉
1976~1981年連載 全9巻
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『オルフェウスの窓』

主人公ユリウスは、由緒ある貴族フォン・アーレンスマイヤ家の当主である父親と、その愛人から生まれた女の子。父親と正妻との間に男の子がいなかったため、捨てられた愛人である母親はユリウスを男性として育て、 復讐 (ふくしゅう) のため一家の財産を奪う計画を立てる。やがて正妻が亡くなり、次期当主として迎えられたユリウスは、男子校である聖ゼバスチアン附属音楽学校に入学。この学校には「オルフェウスの窓」と呼ばれる窓があり、この窓の前に立った男性が下の階にいる女性を見ると悲恋になるという言い伝えがあった。ユリウスはイザーク、クラウスと出会い、3人の運命が動き始める。

作品をもっと知る

第一次世界大戦からロシア革命までの歴史的出来事を交錯させながら、3人の運命を描く壮大なストーリー。物語は4部構成で、舞台はドイツ、オーストリア、ロシアと移り変わるが、1部と4部はドイツのレーゲンスブルクだ。レーゲンスブルクは旧市街などが世界遺産に登録されている美しい街。作品に出てくる音楽学校の建物は、同地のトゥルン・ウント・タクシス城をモデルにしているといわれている。ほかにもケプラー記念堂や、レーゲンスブルク大聖堂、レーゲン川など、作品に出てくるスポットがいっぱい。

ギムナジウムの少年たちを描く
3.『トーマの心臓』

萩尾望都 著 小学館
1974年連載
全1巻(プレミアムエディション版)
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『トーマの心臓』

男子校のギムナジウムの生徒であるユーリ。同じ学校の生徒のトーマが陸橋から転落死したことをきっかけに愛を信じられなくなっていた。ユーリはトーマの遺書を受け取り、自殺だったこと、そして彼がユーリを愛していたことを知り衝撃を受ける。そんななか、学校にトーマとうり二つのエーリクが転校してきた。ユーリは彼にトーマの面影を重ねてしまい苦しむ。ある日、エーリクは母親が死亡したことから帰省し、ユーリがエーリクを実家に迎えに行ったことで2人は親密に。ところが、ユーリの心に深い傷を付けた人物に再び会ってしまう。

作品をもっと知る

ボーイズ・ラブというジャンルがまだメジャーではなかった時代、本作はセクシャリティよりも純愛に焦点を置き、マンガ界に衝撃を与えた。萩尾望都氏はドイツ文学に親しみ、1971年には『11月のギムナジウム』(小学館)という本作の姉妹版の作品を発表。『トーマの心臓』の舞台としては、エーリクの実家がケルンにあり、ユーリらが通うギムナジウムがハイデルベルクとカールスルーエの間にあるという設定。ヘルマン・ヘッセを思わせるような、内面の問題も深く掘り下げて探究している作品だ。

少年・青年マンガで描かれるエネルギーあふれるドイツ

ドイツ各地を旅するサイコ・サスペンス
4.『MONSTER』

浦沢直樹 著 小学館
1994~2001年連載 全18巻
https://amzn.to/3rlJUaH

『MONSTER』

デュッセルドルフのアイスラー記念病院に勤める日本人医師・天馬賢三は、天才外科医として将来を期待されていた。ある晩、東ドイツから亡命してきたリーベルト一家が襲われるという事件が発生し、銃に撃たれた息子ヨハンが運び込まれる。天馬は院長の指示にそむいてヨハンの手術を担当し、その命を救った。しかし、それが全ての始まりだった。ほどなくして病院で不可解な殺人事件が起こり、ヨハンは双子の妹アンナと共に姿を消してしまう。そして9年後、ヨハンと再会した天馬はあらぬ疑いで警察に追われる身となり、またも失踪したヨハンを追って旅に出るのだった。

『MONSTER』

作品をもっと知る

謎の少年ヨハンをめぐるサイコ・サスペンスである本作の見どころの一つは、デュッセルドルフをはじめ、ドイツのさまざまな都市が登場すること。天馬がドイツ各地、さらには国外へと旅を続けながら、ヨハンの痕跡を見つけたり秘密を知ったり、少しずつ真実に迫っていく。さらに、ヨハンが東ドイツから西ドイツへ来たという設定も、歴史好きにはたまらない。完全なフィクションでありながら、ひょっとしたら過去に東側でこんなことがあったのではないか……と思わせるところが、多くの読者がハマる浦沢作品の魅力だろう。

世界一を目指すジャズプレーヤーの成長物語
5.『BLUE GIANT SUPREME』

石塚真一 著 小学館
2016~2020年連載 全11巻
https://amzn.to/3PHhMIt

『BLUE GIANT SUPREME』

仙台に暮らす宮本大は、バスケ部に所属する高校生。そんな大の夢は、世界一のジャズプレーヤーになること⁉ 中学時代、友だちに連れられて聴きに行ったジャズの生演奏に心打たれ、自分流でテナーサックスを練習しているのだ。それも、たった独りで雨の日も猛暑の日も。ある日、ステージで演奏できることになったが、大音量でめちゃくちゃに吹いたせいで客から怒鳴られてしまう。それでも世界一を目指して、全力で吹き続ける。やがて上京した大は、仲間を得てトリオを組むことに。そして次なるステージ、ドイツへと飛び立つのだった。

『BLUE GIANT SUPREME』

作品をもっと知る

迫力ある絵でジャズの激しさや自由さを表現した、現在も連載中の人気シリーズ。第2部である『BLUE GIANT SUPREME』は、大がミュンヘン国際空港に降り立つシーンから始まる。初めは英語やドイツ語が日本語訳なしに登場し、外国に来たばかりの新鮮さや、ちょっとドライなドイツ人(?)も描かれる。実在する場所も多く登場し、第2部制作のため作者自身がドイツに視察に来たというのも納得だ。ドイツで新たな仲間たちに出会った大が、日本と違う価値観と触れながらどう成長していくのか、お見逃しなく!

東ドイツ時代のリアルを追求
6.『東独にいた』

宮下暁 著 講談社
2021年~現在休載中 既刊5巻
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『東独にいた』

ベルリンの壁が崩壊する数年前の東ベルリン。社会主義国で育ったアナベルは、古本屋を営む青年ユキロウ・フジサキに密かに恋心を抱いていた。しかし、彼女にはさらに大きな秘密があった。東ドイツの超人部隊「多目的戦闘群」(MSG)に所属する軍人なのだ。一方、反政府組織「フライハイト」が勢力を増し、各地でデモやテロが多発するなど、民主化運動が過激化していく。そして、日本にバックグラウンドを持つユキロウにも人には明かせない秘密が……。時代や思想によって隔てられた東ドイツの人々を描く本格派歴史劇。

作品をもっと知る

バトルシーンや歴史の転換期の人間模様は本作の見どころだが、作者が追求するリアリティーが作品をさらに魅力的にしている。制作に当たり、実際にベルリンを訪れたり、東ドイツに生きた人々の書物や映画を参考にしたりしたという。盗聴や尋問の描写は、東ドイツ時代を描いた映画「善き人のためのソナタ」のワンシーンを思い出す。そんなリアリティーの延長線上に物語が展開していくからこそ、作品に深みが増すのだろう。現在5巻まで発売しているが、残念ながら休載中。連載再開に期待したい。

巨匠たちが真摯に向き合ったヒトラーの時代のドイツ

3人のアドルフの数奇な運命
7.『アドルフに告ぐ』

手塚治虫 著 講談社
1983~85年連載
全3巻(手塚治虫文庫全集)
https://amzn.to/3PJtIJy

『アドルフに告ぐ』

物語の始まりは1936年、ベルリンオリンピックの取材に来ていた新聞記者の(とうげ) 草平 (そうへい) は、ドイツ留学中の弟を何者かに殺されてしまう。弟の死の真相を追うなかで、峠もまた、ドイツ総統であるアドルフ・ヒトラーの出生にかかわる秘密文書の存在を知り、追われる身となる。一方、神戸に住むドイツ総領事館員の息子アドルフ・カウフマンは、同じく神戸に住むドイツ系ユダヤ人のパン屋の息子アドルフ・カミルと親友として幼少期を過ごした。しかし、ナチス党員の息子として国粋主義者に成長していくアドルフと、ユダヤ人としてナチスの陰謀に巻き込まれていくアドルフの友情は、時代の流れに大きくゆがめられていく。

作品をもっと知る

ユダヤ人などに対する迫害・大量虐殺を行ったヒトラーが、実はユダヤ人の血を引くということを証明する文書が存在したら?という虚構をもとに作り上げられた本作。ヒトラーゆかりの地であるベルリンやニュルンベルク、南ドイツの山荘ベルクホーフや、神戸の風景が描かれるなかで、3人のアドルフをめぐって事実と虚構を織り交ぜたストーリーが展開する。第二次世界大戦勃発前のドイツや日本、神戸での空襲、終戦、そしてイスラエル建国に至る長い闘いから、手塚治虫氏の自らの戦争体験と反戦への強い思いがにじむ。

独裁者の生涯を淡々と描いた
8.『劇画ヒットラー』

水木しげる 著 筑摩書房
1971年連載
全1巻(ちくま文庫版)

『劇画ヒットラー』

ウィーンで画家になるという夢に敗れ、働く気力もなく放浪生活を続けていたはにかみ屋の青年アドルフ・ヒトラー。やがて第一次世界大戦が勃発し、ヒトラーも従軍するが、敗戦を喫した祖国は動乱の時代を迎える。混乱が続くドイツで政治活動を始めたヒトラーは演説の才能を発揮し、やがて多くの支持者を集めるようになる。ドイツの民衆を熱狂させ、世界制覇を目指すヒトラーは、やがてドイツを破滅の戦争へと導いていく。ヒトラーの若き日から最後の日までを、英雄視するのでもなく誇大に風刺するのでもなく、淡々と描いた伝記的マンガ。

作品をもっと知る

太平洋戦争に従軍した水木しげる氏は、『総員玉砕せよ!』(講談社)などの作品で自らの戦争体験を描いてきた。ヒトラーと同年代を生きた作者は、ヒトラーへの関心が高く、ナチス研究者の後藤修一氏の協力を得て本作の執筆に当たった。巻末には参考文献リストが添えられ、当時の写真をもとにしたコマもあり、史実に即した内容であることが分かる。一方で、ホロコーストについては作品の最初と最後に登場するのみ。それ以外はヒトラー自身に焦点を絞り、彼の生涯を通して、時代背景や当時の民衆心理などが複雑に絡み合う様が見て取れる。

かわいらしさ満点!メルヘンなドイツ

ドイツ文学がつなぐ歳の差の恋
9.『 長閑 (のどか) の庭』

アキヤマ香 著 講談社
2014~2019年連載 全7巻
https://amzn.to/48nfG7N

長閑の庭

ドイツ文学を専攻する大学院生の元子(23歳)は、地味な外見といつも黒い服を着ていることから「シュヴァルツさん」(ドイツ語で「黒」の意味)と呼ばれている。しかし実はグリム童話や、メルヘンチックなかわいいものが大好き。そんな彼女は、ドイツ文学教授の(さかき) (64歳)から「君の日本語は美しい」と褒められたことをきっかけに彼に恋をする。ある日、話の流れでうっかり榊に告白してしまうが、榊からただの勘違いだと突き放されてしまう。しかし元子のひたむきな思いを受けて、榊は「好意の種類とその分類について」のレポートをドイツ語で提出するよう課題を与える。

作品をもっと知る

自身の外見や内面にコンプレックスを抱える主人公の姿が共感を呼ぶのに加え、文学的な雰囲気やファンタジックな世界観が美しく物語を深める。自分の意見をはっきり言うが、思慮深い言葉を投げかける榊教授は、まるでドイツ文豪のよう。元子がレポート課題について考えるなかでシラーやハイネの名言を参照したり、榊の元妻がピナ・バウシュなどのドイツ舞踊の研究者であったりと、大学のドイツ文学科らしいシーンが垣間見られる。ドイツ語での授業風景や、ドイツ語の単語を使ったネタなど、ドイツ語学習者ならより一層楽しめるポイントも満載。

異国に行けば異国のあやかしがいる!?
10.『あやかしメルヒェン』

白乃雪 著 講談社
2020~2021年連載 全2巻
https://amzn.to/45TdUcR

『あやかしメルヒェン』

日本の 座敷童 (ざしきわらし) である 花緒 (はなお) は、就職浪人中の青年・コテツを見守りながら暮らしている。しかしある日、アクシデントで家を失ってしまったコテツは、絵本作家を目指してドイツにワーキングホリデーへ! コテツを守り抜く決意をしている花緒もまた、コテツと共に黒い森の近くにある古いシェアハウス(WG)で生活することになる。ドイツ人だけでなく世界各地から人が一緒に暮らすシェアハウスには、妖精や吸血鬼など、これまた世界各地のあやかしたちが集まっていて……。ドイツで新生活を始めた純粋なコテツと、あやかしたちのてんやわんやな日常が幕を開ける。

作品をもっと知る

作者の白野雪氏は、ドイツ人男性との結婚をきっかけにドイツに移住。『とつげきドイツぐらし!』(角川文庫)など、自身のドイツ生活を描いたエッセイコミックで人気を博しているが、本作はそんな彼女が描くメルヘンな物語。語学学校に通ったり、シェアハウスで住人とパーティーをしたりして次第にドイツ生活になじんでいくコテツの姿は、ドイツ生活経験者の共感を呼ぶこと間違いなし。また南ドイツ名物の「黒い森のさくらんぼケーキ」を「人間の欲を塗り固めたようなケーキ」と言ってみるなど、南ドイツでの人間たちの生活が、あやかしたちのちょっぴりひねくれた目線で描かれるのも面白い。

生活の中で見えてくる小さな冒険に満ちたドイツ

一人と一匹のごきげんなベルリン生活
11.『ねこと私とドイッチュラント』

ながらりょうこ 著
少年サンデーS増刊/小学館
2018年~現在休載中 既刊6巻
https://amzn.to/45VeFCe

『ねこと私とドイッチュラント』

日本から遠く離れた「ドイッチュラント」。主人公で物書きのトーコちゃんは、その首都である緑の多い街ベルリンに移り住んだ。彼女の相棒は、2本足で歩き、おしゃべりもするネコのむぎくん。食いしん坊のむぎくんのために、トーコちゃんはさまざまな工夫を凝らして和食やおやつを作る。ほかにも青空市に出かけてチーズやパン、野菜を買ったり、おにぎりを持って散歩に出かけたりと、派手さはないけれど優しくて温かい日常を二人で楽しく過ごしている。ドイツと日本の違いを楽しみながら、毎日をごきげんに暮らす一人と一匹の物語。

『ねこと私とドイッチュラント』

作品をもっと知る

ベルリン在住の作者の実体験がベースとなっているマンガとあって、ベルリンの街の雰囲気をはじめ、トーコちゃんとむぎくんが暮らすアパートの造り、料理や食品のパッケージなど、細部にわたって温かみのあるタッチで描写されている。ほかにも電車の乗り方や、アパートの暖房設備「ハイツング」のこと、ドイツの郵便事情、くしゃみをした人への「Gesundheit!」という声かけなど、細かい日常生活や文化も題材として取り上げられている。これからドイツで生活してみたいという人や、ドイツ生活初心者にとっても参考になる内容が盛りだくさん。

自分にとって生きやすい街を求めて
12.『ベルリンうわの空』

香山哲 著
イースト・プレス
2018~2021年連載 全3巻
https://amzn.to/3t0UJ2r

『ベルリンうわの空』

ベルリンを初めて訪れたとき、「僕」はこの街に漂う優しさに惹かれるなかで、自分の心にも余裕が生まれていることに気づく。そして自分にとって生きやすい街を求めてベルリンへの移住を決めた。スーパーマーケットで買い物したり、お気に入りのカフェでくつろいだり、子ども新聞を作ったり。ちょっと怪しくて愉快な仲間たちと共に、豊かなカルチャーが混在するベルリンを満喫する。また街中で見かける「つまづき石」のこと、社会に存在する差別にどう向き合っていくかなど、さまざまな視点で社会のあり方を見つめる。

作品をもっと知る

作者は2018年にベルリンへ移住した香山哲氏。この街が自分に合うのか、どんな人々や価値観がこの街に存在するのかと、毎日小さな実験を繰り返していくようなエッセイマンガだ。ベルリンを「憧れの街」として終わらせるのではなく、どこに住んでいても起こりうるような社会問題も描かれる。そんな時にどうやって自分なりに柔軟に対処していこうかと試行錯誤する人々の姿が清々しい。続編では、移住者からより「街の参加者」としてベルリンに関わっていく人々の姿が描かれる。

ネガティブ女子のふらり海外移住
13.『思えば遠くにオブスクラ』

靴下ぬぎ子 著
秋田書店
2019~2021年連載 上下巻
https://amzn.to/3t6BmVu

『思えば遠くにオブスクラ』

フリーカメラマンの 片爪 (かたづめ) 。火事で自宅が全焼して住めなくなり、愛用しているカメラのレンズがドイツ製であったという理由で、大志もなくふらりとベルリンへ移住する。共通の友人の紹介で音響アーティストの石根と同居し始めた片爪は、ベルリンでの暮らしを通して新しい考え方や価値観に触れていく。やがて大学の後輩である王子も加わり、それぞれに生きづらさを抱えていた3人は大切な友人同士となる。人を撮影することが苦手だった片爪は、譲り受けたフィルムカメラで人々を撮影するように。やがて3人は一緒にアムステルダムへと移住するのだった。

『思えば遠くにオブスクラ』

作品をもっと知る

主人公の片爪は、お世辞にも明るい性格ではなく、ネガティブで人見知り。大した目的もなくベルリンに移住した彼女が、見慣れないものを食べてみたり、知らない人から家具を購入して家まで取りに行ったりと、勇気を出して行動することで新しい世界を体験していく。ドイツ語が分からなくて役所や銀行で厳しい対応をされたり、カフェの店員さんが不機嫌だったりと、ドイツ移住経験者なら共感できるポイントも。ネガティブだって目的がなくたって、ベルリン生活は楽しんだもの勝ち!

最終更新 Montag, 18 September 2023 18:01
 

最期まで自分らしい人生を送る - ドイツのセカンドライフ&終活事情

最期まで自分らしい人生を送るドイツのセカンドライフ&終活事情

ドイツは日本と同じく高齢化率が世界でトップ3に入る超高齢社会。年金問題や定年問題をはじめ、老後に不安を感じている人も少なくない。充実したセカンドライフを送るために、ドイツではどのような選択肢があるのか、人生の最期をどのように迎えるのか……。本特集では、日本とは違う文化や考え方にもフォーカスしつつ、在独邦人としてどのように老後を過ごしたらよいか、ヒントをお届けする。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

画像をお願いいたします

数字で見るドイツの超高齢社会事情

参考:ドイツ連邦統計局
65歳以上の人口

65歳以上の人口

老年指数 Altenquotien ▶︎ 20~64歳の年齢層100人当たりの年金受給者の数

老年指数

ドイツ人の平均寿命(2020/22年)

ドイツ人の平均寿命

ドイツ人はセカンドライフをどう過ごす?

仕事も引退して、いよいよセカンドライフスタート!ボランティアに参加したり、旅行に出かけたり、さまざまな選択肢があるなかで、ドイツらしさも垣間見えるセカンドライフ事情をのぞいてみよう。

定年引き上げにもかかわらず早期退職者が増加傾向に

2023年現在、ドイツの定年は65歳となっているが、2031年までに段階的に67歳まで引き上げられることが決まっている。しかし実際には、63~64歳に早期退職を希望する人が多いという。ドイツ年金保険(DRV)の調査によれば、2021年に年金の受給を開始した人のうち4人に1人が早期退職に該当し、これは2013年以降で最も多かった。ドイツでは、年金保険に35年以上加入していれば、早期退職でも年金を受け取ることができるが、定年に達するまでは毎月0.3パーセントずつ減額される。年間3.6%もの減額になるが、そこまでして早期退職を望むのはなぜだろうか。

ヴッパータール大学の研究によると、最も多い理由としては「自由な時間がほしい」ことが挙げられる。ほかにも、経済的に安定していること、激務であること、健康上の問題なども。2021年に調査会社Civeyが2500人に実施した調査によると、4人に3人は身体的もしくは精神的な理由により67歳まで働くことができないと考えており、67歳まで働きたい労働者は8人に1人のみ。18~29歳にいたっては、約6割が61歳までしか働きたくないと回答している。

ヴッパータール大学の労働学のハンス・マルティン・ハッセルホルン教授は、「人々はただ早く仕事から抜け出したいだけで、63歳で退職するという選択肢を国が与える限り、それを選ぶだけ」と話している。早期退職は、経済的に余裕がある限り、今後さらに多くの人が選択するとみられている。

参考:MDR「Warum die Menschen früher in Rente gehen」、Handelsblatt「Mehrheit der Deutschen will mit 62 in den Ruhestand」、 tagesschau「Mehr Menschen gehen früher in Rente」

地域の子どもたちを世話するおばあちゃん・おじいちゃん代行

近くに孫が住んでいない、あるいは孫がいないシニアもいる。それでも子どもが好きで、時間もたっぷりある……そんなシニアたちに人気の活動が、「Leihoma(Ersatzoma)/Leihopa(Ersatzopa)」(おばあちゃん・おじいちゃん代行)だ。これは、近くに祖父母が住んでいない子育て中の家族の仮のおばあちゃん・おじいちゃんになるというシステムで、20年以上前からドイツ各地で行われている。ボランティア団体やポータルサイトを通じてマッチングし、定期的に子どもの面倒を見たり、一緒に料理をしたり、どこかへ出かけたり、本当の祖父母と孫のような関係を築くことができる。

ボランティアで行う人もいるが、時給が発生したり交通費のみ支給されるなど、どの団体を通すかによっても条件が変わってくる。子どもの宿題を見るのか、車での送り迎えは必要なのか……など、お互いの条件に合う人を見つけるのに数カ月かかることもあるという。

代理で誰かのおばあちゃんやおじいちゃんになり、人とのつながりや責任感を持つことで、社会に必要とされていると感じることができる。それは高齢者にとって、心理的にも身体的にも充実した生活を送ることにつながる。一方、子どもにとっても、親以外に良き理解者がいることや、違う世代と関係を持つことは成長過程において大切であり、双方にとって意義のある取り組みといえそうだ。

参考:familie.de「Betreuungshilfe Leihoma: So könnt ihr euch von liebevollen Ersatzomas unterstützen lassen」、Aktive-Rentner.de「Wie werde ich Leihoma?」

高齢者同士で暮らす「シニアWG」も住まいの一つの選択肢に

ドイツ語でフラットシェアを意味する「WG」(Wohngemeinschaft)が、ドイツでは高齢者施設に代わる、住まいの選択肢の一つとなっている。いわゆる「シニアWG」(Senioren WG)は、大きく分けて二つのタイプに分かれる。一つ目は、昔ながらのシニアWG。学生などのWGと同じようにリビングやキッチン、バスルームなどの共用スペースに加え、個人部屋があるのが一般的だ。WGを検討する際は、同居者と柔軟にコミュニケーションが取れるかどうか、どんな社会的背景、趣味や興味を持っている同居者が自分にふさわしいのかなど、考える必要がある。二つ目は、ディアコニーやカリタスなどの福祉法人が運営する介護WG(Pflege-WG)。介護士が常駐している場合も多く、認知症の人々に特化した認知症WGもある。今日では、シニアWGのほとんどがこの介護WGに当たるという。

大きな介護施設に入りたくない人にとって、介護WGは魅力的な選択肢だ。WG立ち上げ時には、助成金として1人当たり2500ユーロ(1戸4名で上限1万ユーロ)が介護保険会社から支払われる(在宅介護での自宅改築に給付される4000ユーロとは別)。しかし、条件が合わずに申請が却下されることも多く、成立しても毎月の自己負担額は介護施設に比べて割高。また、プライベート空間が確保された高齢者共同住宅(Senioren-Hausgemeinschaft)や多世代融合住宅(Mehrgenerationenhaus)など、個々のニーズに合わせた選択肢が存在する。いずれにしても、元気なうちに検討し、行動に移すことが大切だ。

参考:『ドイツで送る老後』(DeJaK友の会)、pflege.de「Senioren-WG」

じわじわ増えているシニアの海外移住 人気の移住先は?

ドイツの年金受給者が海外移住するケースが増えている。ドイツ年金保険(DRV)によると、2020年には2122万4000件の年金支給があったうち、24万8000件が外国に住むドイツ人に支払われたという。これが2016年の時点では23万4000件だったため、在外の年金受給者がじわじわと増えていることが分かる。実はDRVでも「憧れの地で年金生活を満喫して」(Genießen Sie Ihren Ruhestand am Wunschort)というキャッチコピーを掲げ、積極的に移住を推奨。これにはグローバリゼーションに伴い、外国での年金受給におけるさまざまな障壁が取り除かれたことが背景にある。

ドイツに残って少ない年金でやりくりするよりも、物価やサービス料の低い他国で充実した年金生活を送りたいというのが、最も多い移住理由。また、冬の間だけ気候が穏やかな地に移住するというパターンもある。これらの理由から、人気の移住先上位5カ国には、ポーランド、チェコ共和国、ハンガリー、オーストリア、スペインがランクインしている。東欧や南欧の人気も上昇中で、欧州以外では米国が最も多い。

しかし、高齢になってからの海外移住は憧れだけでは実現しない。在外ドイツ人協会でも、外国で年金生活を送るために資金確保を含めてきちんと計画を立てること、言語や文化の違いによって起こりうる問題についてよく考えることを呼びかけている。

参考:Deutsche Rentenversicherung、inFranken.de「Für die Rente auswandern - die besten Länder für den Ruhestand」、DIA Deutsche im Ausland e. V.「Ruhestand im Ausland Auswandern als Rentner」

自分のことは自分で決める!ドイツの終活で大切な3つの手続き

ドイツにおいて、自分の医療措置や最期の迎え方を自分で決めたいという人は、年齢にかかわらず、万が一の場合に備えてさまざまな手続きを行っておく必要がある。いわゆる「終活」の一環として、法的に必要な項目をご紹介しよう。

参考:『ドイツで送る老後』(DeJaK友の会)、Deutschen Friedhofsgesellschaft「Deutsche sorgen für Krankheit und Tod vor」

事故や病気によって判断能力や自分の意思を表現する術がなくなった場合、日本では家族が代わりに世話をしたり、判断したりするのが一般的。しかしドイツでは本人から委任を受けていなければ、本人の代わりに決定を下すことはできない(緊急時に限り、一緒に暮らす配偶者が決定を代行できる)。もし代理人がいない場合には、裁判所が後見人を選定するため、手続きにも時間がかかる。さらに、本人をよく知らない人が後見人に指定されれば、本人の意思にそぐわない判断がなされることも。そうした事態に備えて、右の三つは特に重要な法的手続きとなる。

実際こうした手続きを含め、ドイツではどのくらいの人が万が一に備えているのだろうか。2022年にドイツ墓地組合が調査会社GfKと共同で行った調査によれば、54%の人が遺言や事前医療指示書、任意代理委任などの準備をしていることが分かっている。これは年齢層が上がるにつれて割合が高くなる傾向にあり、50~59歳は51%、60~69歳は67.6%、70歳以上では72%だった。なお、任意代理委任は全体の39.2%、事前医療指示書は37%が持っていると回答している。

重要な法的手続き

❶ 事前医療指示書 Patientenverfügung

治癒の見込みがない病気にかかり死期が迫ったときに、どのような治療を望む・望まないかなど、事前に医療に関する指示をまとめておく法的な文書のこと。「苦しみの少ない生活を取り戻せる可能性がある場合、妥当と思われる治療や介護を続けてほしい」といった抽象的な表現はNGで、かなり具体的に記しておく必要がある。指示書は連邦中央公証人登録所(ZVR)に登録するか、代理人に指示書の保管場所を伝えておく。

❷ 任意代理委任 Vorsorgevollmacht

まだ本人に決定能力がある間に、判断能力のある人に代理人としての権利を委任すること。健康・介護・医療、財産、居住場所など、委任範囲は限定できる。代理人1人では荷が重い場合は、委任範囲ごとに複数人に委任することもできる。委任状を作成する必要があるが、委任した内容が法的に有効とならない場合もあるため、公証人にチェックしてもらいながら用意すると確実。

❸ 事前後見指示書 Betreuungsverfügung

事前に任意代理を委任していない場合で、例えば事故で意識がなくなったとき、後見人が本人に代わって意思決定を行う。事前後見指示書は、自分が知らない人が後見人になることを避けるためのもの。指示書では、本人が後見人として希望する人、絶対に希望しない人などの情報を記入しておき、病気などになった際に裁判所が後見人を決定する。後見人をお願いできる人がいない場合は、後見協会(Betreuungsverein)にサポートを依頼できる。

在独邦人のための終活案内

ドイツでは高齢者の支援と介護は、個人のニーズに応じた形でなされるべきものとされ、それは移民の文化や言語的背景を配慮することも意味する。そうした考えのもと、2012年にドイツに暮らす日本人のための団体として「DeJaK(デーヤック)友の会」が立ち上げられた。DeJaK友の会では情報共有をはじめ、講演会や勉強会を行っているほか、各種相談を受け付けている。右記は、同会による出版および配布物。
https://dejak-tomonokai.de

ドイツの老後にまつわる情報を日本語で解説『改定版:ドイツで送る老後』

公益法人DeJaK-友の会著

「介護保険と介護」、「高齢時の住まい」、「老後に備えて」の三つの章からなり、ドイツの介護保険制度などの具体的な情報を日本語で解説。巻末付録として、事前医療指示書や任意代理委任の書式例が日本語訳付きで掲載されている。会員12ユーロ、非会員は18ユーロで購入可(郵送費2ユーロ)。

日本語でじっくり考えられる備えファイル

自分で意思表示ができなくなった場合に備えて、上記の書類等の保管場所を含め、介護・医療、保険、葬儀、お金に関する情報や自分の希望を記入できるファイル。こちらからダウンロードできるほか、印刷版とインデックス(上)は注文可能。

時代とともに多様化するドイツの葬儀スタイル

誰もがいつかは迎える死。自分らしく送り出してもらえるよう、故人が遺書や代理人を通じて希望を残していることも多い。ドイツではどんな葬儀スタイルが一般的なのか、最近のトレンドも取り上げながらご紹介する。

参考:『ドイツで送る老後』(DeJaK友の会)、本誌1007号「死亡後の手続きからドイツでの葬儀まで エンディング・プラン」

ドイツで人が亡くなったら……

人が亡くなったら、まずは死亡診断書(Totenschein)を発行しなければならない。自宅で亡くなった場合は医師を呼ぶ。遺体は死亡してから36時間以内に遺体安置所へ移さなければならない。一般的に葬儀会社が移送を手配し、ほかにも埋葬方法、死亡広告、墓、埋葬と葬儀の準備と実施などを請け負ってくれる。また、遺族の悲しみを癒すため、カウンセリングなどを手配してくれる葬儀会社もある。

葬式 Beerdigung

土葬、火葬などの葬儀スタイルにかかわらず、埋葬する日に告別式(Trauerfeier)が行われる。一般的には教会や墓地に付属する礼拝堂、または葬儀会社の1室で行われ、聖職者や専門の語り手、もしくは近しい友人などが故人の生前のエピソードや人柄などについて語り、弔問者一同で故人をしのぶ。また、埋葬後はレストランなどの1室を借り、コーヒーやケーキ、昼食などが弔問者に振る舞われることも(Trauerkaffee)。服装は黒、白、グレーなどの控えめな色を着るのが一般的。

土葬 Erdbestattung

キリスト教では伝統的な埋葬方法だったが、現在は20~40%ほどの割合となった(地域によって異なる)。昨今の宗教離れに加え、費用が高額であることが理由になっている。遺族の心理的な事情から棺が降ろされる場面に立ち会いたくない場合は、参列者が全員立ち去ってから埋葬するなどの配慮がなされることもある。

火葬 Feuerbestattung / Urnenbestattung

1963年にキリスト教会で火葬が許可されるようになった。土葬よりも費用がかからないことから、現在では60~70%が火葬を選択している。骨壺(Urne)はさまざまなデザインのものがあり、故人の好きなものやイメージに合わせてオリジナルを制作することも可能。一般的には、土葬と同じように墓地に埋葬されるが、例えば次のような埋葬方法もある。

日本との違い
  • 荼毘 (だび) にふす際は遺族であっても立ち合えない
  • 高温で焼くため、日本のように骨の形は残らず遺灰となる
  • 遺族は遺灰を見ることも触ることもできない
  • 遺灰は自宅に持ち帰ることができない*
  • 分骨は認められていない*
※ただし、外国で火葬してドイツへ遺灰を持ち帰った場合は認められるなど一部例外が存在する
樹木葬 Baumbestattung

森林墓地(Friedwald)などの木の根元に骨壺を埋葬する樹木葬。埋葬される木には番号などのプレートが付けられており、墓碑を設置することもできる。家族や友人と共有することも可能。ドイツでは10人に1人以上が樹木葬を望んでおり、一般的になりつつある。

海葬 Seebestattung

日本で知られる散骨ではなく、骨壺を海へと放つ埋葬方法。ドイツでは北海やバルト海で行われ、およそ5~10%の人が希望している。なお、樹木葬や海葬向けの骨壺として、速やかに生分解されるようコーンスターチなどで造られたものもある(認められた州や墓地のみで埋葬可能)。

匿名葬 Anonyme Bestattung

匿名葬は全ての埋葬方法で可能だが、ほとんどの場合、火葬で骨壺を草原の墓地に埋葬する。墓石はないが、埋葬地の敷地内にある石碑に名前を刻める場合もある。匿名葬を希望する最も多い理由は、墓の管理費が不要であること。故人が匿名葬を希望していた場合は、遺族は埋葬に立ち会えず、埋葬場所も不明となる。

日本人としてドイツで最期を迎えるには?

現在、ドイツにはおよそ4万2000人の日本人が住んでいるが、そのなかにはもちろん高齢者も含まれる。自分らしく最期を迎えるために、ドイツに残るべきか日本に帰るべきか、家族がいない場合はどうしたらいいのか……など、在独邦人ならではの悩みもある。実際どのような課題があるのか、それらをどう解決したら良いのか、デュッセルドルフの公益団体「竹の会」の方に経験やアドバイスを伺った。※本記事の内容はあくまで個人の経験や知見によるものです。

お話を聞いた人

浅井ベルガー昭子さん(竹の会会長)、シェーファー弘子さん(同理事)、太田まりさん(同理事)

竹の会

在独邦人が自分らしく、社会とのつながりを持って老後を過ごせるよう立ち上げられた公益団体。現在、デュッセルドルフを中心に90名弱いる会員の40%が70代、22%を80代が占める。社会福祉団体ディアコニーと提携し、文化活動、相談や交流を目的にさまざまな定例会を設けているほか、講演会やイベントも開催。子ども連れで参加できる「おとなり会」も。若い世代の会員も募集中!
https://takenokai.de

日本外務省は8月16日、竹の会が日本とドイツの相互理解の促進に寄与してきた功績を称え、外務大臣表彰を授与することを発表した。

老後はドイツで過ごす?日本で過ごす?

一つの基準は「家族」

自分一人で判断して動けるのか、配偶者がいるのか、子どもがどこでどんな生活を送っているのか……家族の状況によって、ドイツに残るべきか日本に帰るべきかが、おのずと見えてくる。ドイツに残れば、言語や食事の問題が出てくる場合も多いが、人によっては、ドイツに家族がいることが大きな吸引力になることも。一方で、日本に帰る場合は受け入れ先があることが一つの指標になる。家族や親族、友人など、受け入れ側が健在であることも大切だ。

ドイツと日本の価値観、どちらが自分に合うか

日本に長い付き合いの友人がいても、お互いの経験には大きな違いがあり、分かり合えないことが少なからずあるだろう。ドイツに長く住む日本人同士であれば、ドイツで同じような経験をしているため、理解し合えることもある。また、自分の考えが日本での価値観に合わなくなっている可能性も。どちらの国での生活が自分の価値観に合うのか、今一度考える必要がある。

本帰国をするなら元気なうちに

終活の一環として、荷物を片づけたり処理したりする必要もある。そうした作業ができるよう、体が健康であることも大切。老後はドイツか日本か……と悩むタイミングは、誰しも一度は訪れるもの。決め切れずに気が付いたら体の調子が悪くなっていて、荷物の整理ができずに本帰国が叶わないことも十分に起こりうる。同じような状況や立場の人と情報交換をするなどして、元気なうちに決断することが望ましい。

ドイツで日本人高齢者が抱える問題

認知症でドイツ語が話せなくなってしまう

ドイツは移民大国のため、歳を重ねて母国語しか話せなくなってしまうことは日本人だけの問題ではない。例えば、ドイツではポーランド語話者やロシア語話者の高齢者が多いが、文化的配慮だけでなく、介護雇用の歴史的背景からもこの二言語を話す職員が高齢者施設に勤務していることは珍しくない。また、移民が多い国の言語やユダヤ教など宗教ごとの高齢者施設もある。しかし日本語話者の高齢者だけで施設を埋めるには人数が足りないため、残念ながら日本人向け施設を造ることは現時点では実現していない。そうした状況を少しでも改善するため、竹の会ではまず「認知症カフェ(※)」を定期的に開催することを目指している。

※認知症の当事者やその家族などが交流する定期的な集まり。オランダが発祥。

施設に入っても日本食を食べたい

ドイツの高齢者施設に入れば、もちろんドイツ式の食生活を送ることになる。一方で、一般的に高齢者施設への食べものの持ち込みは許可されているため、家族や友人が日本食を差し入れることも可能。また、ウーバーイーツなどの宅配サービスなどを利用できる施設では、事前に決済さえできていれば、職員が受け取ってくれる。いずれにしても、施設側と話し合うことが必要だ。竹の会では、日本人高齢者向けの弁当宅配サービスのアイデアが出ているが、実現するにはさまざまな壁を乗り越える必要がある。

孤独になりやすい傾向にある

特に一人暮らしの場合は、家に引きこもることで運動量が減り、病気になる、という悪循環に陥るケースが多い。そうした事態を引き起こさないために、例えば竹の会が開催する「コミュニティカフェ」のように、母国語でおしゃべりをしたり困りごとを相談したりする場に定期的に参加することが有効だ。ただし、認知症や移動が困難な場合は、そうした集まりに参加できないため、今後それらのケースにどう対応していくのか、竹の会でも課題となっている。

日本と違う介護制度に振り回されることも

日本の介護制度との大きな違いの一つは、ドイツにはケアマネージャーがいないこと。在宅介護の場合、日本ではケアマネージャーが介護レベルに合わせて利用できるサービスや施設を案内してくれるが、ドイツでは本人や家族などの在宅介護者が全て自力で調べ、申し込み等も行う必要がある。また、ショートステイも日本のように2~3日のみ対応してくれる施設は原則なく、そもそも予約できる施設を探すのに一苦労というケースも。一方で、ドイツでは在宅介護者に給付金が支給される。

ドイツで安心して老後を送るためにすべきこと

自分の希望を伝えておく

朝食には必ずコーヒーを飲みたい、毎日お風呂に入りたいなど、日々の生活には細かい希望があるもの。しかし、ドイツ語が十分に話せなくなったり、認知症になったりすれば、そうした希望を伝えることができなくなってしまう。子どもがいる場合は、子どもが施設とのやり取りを担うことも多いため、元気なうちに自分の要求をしっかり伝えておくことが大切。また、DeJaK友の会の「備えファイル」のように、書面で準備しておくことも有効だ。

近所の人と関係を築く

特に一人で暮らしている場合は、近所の人とコンタクトを持っておくことが大切だ。日本人コミュニティにしかコンタクトがない場合は、家で倒れるなどした際に、対応が遅くなってしまう可能性がある。例えば、隣りの人と関係を築いておけば、万が一の時に救急車を呼んでもらえるようにお願いすることもできる。本当に信頼できる人であれば、鍵を預けておくことも備えの一つになる。

ドイツ社会に根ざす努力

元来ドイツでは、移民に対してインテグレーション(統合)が求められている。これはドイツ社会に同化するということではなく、自分の言語や文化を持ったまま、ドイツ社会に根ざすことを意味する。例えば、デュッセルドルフの場合は、日本語だけで生活して日本語だけで老いていくことは究極的には可能だ。しかし、ドイツ社会や価値観について理解し、どれだけ地域に密着できるかが、さらに老後を充実させるポイントの一つになる。

最終更新 Donnerstag, 07 September 2023 09:18
 

人から人へと受け継がれる世界遺産 - ドイツの「無形文化遺産」を知る!

人から人へと受け継がれる世界遺産ドイツの「無形文化遺産」を知る!

人類共通の遺産として保護されているユネスコの無形文化遺産。グローバリゼーションに伴って、世界的に伝統文化の消滅の危機が叫ばれており、ドイツでも伝統文化の保護対策として無形文化遺産は重要視されている。本特集ではドイツが築いてきた無形文化遺産をご紹介。さまざまな地域やコミュニティーによる無形文化遺産を知ることで、異文化や多様な生き方への理解を深めてみよう。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:Deutsche UNESCO-Kommission、UNESCO Intangible Cultural Heritage、文化庁「無形文化遺産」、『ユネスコ「無形文化遺産」生きている遺産を歩く』(国末憲人著、平凡社)、シンクタンクせとうち総合研究機構

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そもそも「無形文化遺産」とは?

「世界遺産」と聞くと、ユネスコにより1978年から登録が始まった文化遺産や自然遺産など、有形のものを思い浮かべるだろう。伝統文化や知識、技術などのいわゆる「無形文化遺産」が世界遺産条約の対象となったのは、2003年のこと。その年に開催されたユネスコ総会で、無形文化遺産も国際的に保護する仕組みを作ることが採択されたのだ。その背景には、1990年代からグローバル化の大きな流れにより、各地の文化遺産が消滅の危機や脅威にさらされていたという事実がある。

また欧米では第二次世界大戦後に、著作権を保護する活動が活発になったが、民間伝承や伝統的知識が著作権や特許権の対象になることはほとんどなかった。例えば先住民族の絵柄や民謡などを、欧米人が商品として使用し利益を得ていたことも。先住民族側は大切な文化を無断で使われたことが許せないと、著作権をめぐって争いになったケースもある。このような背景から、民間伝承や伝統的知識を知的所有権を有するものとして守ることも、無形文化遺産の登録を目指す大きな軸となった。

各国の無形文化遺産をユネスコの「無形文化遺産の保護に関する条約」へ登録するには、まず国内の無形文化遺産一覧表に登録される必要がある。すなわち、各締約国は自国における無形文化遺産の保護のため、国内の無形文化遺産を特定し、一覧表を作成する。各国は遺産の保護措置を取るよう努めることが求められているのだ。この中から、各国は国際的な水準での無形文化遺産の保護のため候補を選定し、ユネスコ事務局に提案。提案書は、無形文化遺産保護条約政府間委員会によって評価され、記載するか否かが決定される。ちなみに政府間委員会は締約国の中から十数カ国が選ばれ、任期は4年。2年ごとに半数が改選される。

2023年7月現在、世界140カ国で676件がユネスコ無形文化遺産に登録されている。ユネスコでは、無形文化遺産を次の三つのカテゴリ(一覧表)に分類し、それぞれの目的や方法によって保護している。

❶ 人類の無形文化遺産の代表的な一覧表

文化の多様性を尊重する対話を奨励するために、無形文化遺産の重要性が世界的に認識され、認知度が高まることを目的としている。登録件数が一番多く、2013年に登録された「和食;日本人の伝統的な食文化」はこれに分類される。

人類の無形文化遺産の代表的な一覧表

❷ 緊急保護が必要な無形文化遺産一覧表

適切な保護措置が必要であることを強調するための一覧表。この一覧表にある無形文化遺産の保護を支援するために、ユネスコは国際基金を設立している。例えばモンゴルの伝統的民族舞踊「モンゴル・ビエルゲー」などがある。

緊急保護が必要な無形文化遺産一覧表

❸ グッド・プラクティス

無形文化遺産を革新的な方法で効果的に保護している実践事例の一覧表。日本にはまだグッド・プラクティスに登録されているものがないが、ドイツでは「バウヒュッテにおける工芸技術と慣習」が登録されている。

グッド・プラクティス

ユネスコに登録された7つのドイツの無形文化遺産

現在、ドイツの無形文化遺産でユネスコで登録されているものは7件。なかには他国と共同遺産として登録されているものもあるが、それぞれにドイツの文化的要素も垣間見える。そんなドイツの無形文化遺産をピックアップするとともに、実際にその文化遺産を見学したり体験したりできるヒントをご紹介する。

今日の「協同組合」の原点はドイツに!❶ 協同組合における共通的利益を組織する理念と実践Idee und Praxis der Organisation gemeinsamer Interessen in Genossenschaften

登録年
2016年(人類の無形文化遺産の代表的な一覧表)

同じ目的を持つ人同士が集まって組織される「協同組合」の存在は今日では当たり前となったが、ドイツには古くから商業や職人による職業別組合「ギルド」があり、ドイツらしい無形文化遺産ともいえる。

中世のギルドでは、メンバーになるとさまざまな規律に従わなくてはならなかったが、その代わりに経済的安定や平等が保証され、共用施設も使用できた。19世紀になって自由主義思想が広がると、ギルドは解体する。そこで新たに登場したのが、協同組合だった。その協同組合の重要な基礎を築いたのが、ヘルマン・シュルツェ・デーリチュ(1808-83)とフリードリヒ・ヴィルヘルム・ライファイゼン(1818-88)だ。経済学者であるシュルツェ・デリッチュは世界初の信用協同組合を、市長であったライファイゼンは農村信用組合の基となる信用協同組合を築き上げた。

協同組合は民主的に確立された組織構造であり、組合員が市民社会への積極的な関与を通じて社会的責任を担う。組合員は、協同組合に出資することで共同所有者となり、議決権は出資額に関係なく皆平等に与えられる。協同組合のアイデアはすぐに応用され、今日では仕事、金融、食料、住宅など、地域的にも世界的にも、ほとんど全ての分野に存在している。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Gesellschaftliche Selbstorganisationsform ist erster deutscher Eintrag auf UNESCO-Liste」、Deutscher Genossenschafts- und Raiffeisenverband e.V「Kulturerbe der Menschheit」
見学・体験

シュルツェ・デーリチュ・ハウスの協同組合博物館Genossenschaftsmuseum im Schulze-Delitzsch-Haus

ヘルマン・シュルツェ・デーリチュの生涯と、協同組合の誕生について学ぶことができる博物館。約250平方メートルの広さを誇る館内では、19世紀の社会問題を解決するために彼が行ったさまざまなアプローチについて解説。また当時のドイツの社会から経済、社会史の一端が語られ、現在の協同組合へのつながりも見えてくる。壁に展示されている「協同組合の世界地図」では、協同組合のアイデアが国際的に広がった様子が一目で分かる。
https://genossenschaftsmuseum.de

楽器の音色も文化遺産❷ オルガン製造技術と音楽Orgelbau und Orgelmusik

登録年
2017年(人類の無形文化遺産の代表的な一覧表)

オルガンは約2000年前にエジプトで誕生したといわれている。その後、東ローマ帝国時代に欧州に伝わり、ドイツでも発展してきた。中世以来、オルガン演奏は教会の典礼の一部でもあり、バッハ、リスト、メンデルスゾーンなどドイツの作曲家たちもオルガンの曲を多く残している。

職人に代々引き継がれる技と知識はオルガン製造に欠かせず、非常に高度な感性も必要といわれる。オルガンを制作する際は、建物の音響条件をしっかり把握し予算に応じて個別に設計される。一方でオルガンは伝統的な職人技だけではなく、常に変化する革新的な技術を取り入れていくことも大切にされている。例えば、初期のオルガンの内部は鍵盤と弁が直接結合されていたが、時間が経つにつれて空気圧のモーターや電気で動作するように改良されてきた。

今日、ドイツ全国には5万台のオルガンがあり、オルガン工房は400社(2800人の従業員と180人の見習い)存在する。国内に3500人のオルガニストがいるが、アマチュア奏者も合わせると数万人ともいわれる。音楽大学や教会施設でオルガン奏者養成を行っており、将来のオルガニストが今も着々と育っている。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Hochspezialisiertes Erfahrungswissen und besondere Fähigkeiten」、Sonntagsblatt「Orgelbau und Orgelmusik gehören zum "Immateriellen Kulturerbe" der UNESCO」
見学・体験

第13回 ドイツオルガンの日13. Deutscher Orgeltag

毎年9月の「ドイツオルガンの日」には、さまざまな大きさ、古いものから新しいものまでドイツのオルガンが全国同時に一般公開される。コンサートだけでなく、舞台裏を見学するオルガンツアー、オルガニストやオルガン製作者、オルガン愛好家たちとのトークやインタビュー、オルガンの歴史や新築計画に関する展示会など、オルガンにまつわるあらゆるイベントも開催。音も見た目も違うオルガンは、聴きごたえ見ごたえあること間違いなし!
2023年9月10日(日)
www.orgeltag.de

工業化で消滅しかけた伝統技術❸ 藍染め ヨーロッパにおける防染ブロックプリントとインディゴ染色Blaudruck

登録年
2018年(人類の無形文化遺産の代表的な一覧表)
※オーストリア、チェコ共和国、ハンガリー、スロバキアと共同

17世紀後半、オランダ東インド会社の旅行者たちによって、藍染めが欧州に伝えられた。その後、18世紀から19世紀にかけて藍染めの技術は中欧にも広まってゆく。それまで染色には森林植物が使われていたが、大量に収穫しやすい藍が染料として使われるようになったことが理由の一つだ。しかし工業化により大量生産の時代になると、手作業による藍染めは衰退し、多くの工房は閉鎖を余儀なくされた。

今日、伝統的な方法で藍染めを行っている工房はドイツでは12軒、そのほかの欧州諸国では15軒のみ。そのほとんどが家族経営だ。伝統的な工房は何世代にもわたって存続し、固有の知識と技術は家族内だけで受け継がれている。

生地のデザインは、木型を使って手作業でプリントされる。細かい模様が施された木製(あるいは金属製)の版木に防染剤を付け、布の上に版木を設置。次に藍の染色槽に布を浸すのだが、防染剤を付けた部分は染まらないため、模様ができるという仕組みだ。現在、若手のデザイナーが工房と協力して独自のファッション・コレクションを発表するなど、藍染の魅力があらためて注目されている。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Blaudruck in Deutschland ist Immaterielles Kulturerbe der UNESCO」、Auswärtiges Amt「Blaudruck von der UNESCO als Immaterielles Kulturerbe der Menschheit anerkannt」
見学・体験

イェーファー藍染工房Blaudruck Jever GmbH

ニーダーザクセン州イェーファーの中心部にある藍染工房は、1822年に建てられた倉庫を使用し、消滅しかけていた藍染めの伝統を復活させた。ニーダーザクセン州で受け継がれている型のほか、北ドイツ、オランダ、スイス、ハンガリーなどの伝統的な型も保管。古くから伝わる職人技と現代的なデザインを融合させながら、藍染技術を守り続けている。毎週水曜15時には、色模様を染めだす 捺染 (なせん) などの様子を実演するほか、工芸の歴史や文様の由来を解説し、藍染めについて深く知ることができる(所要時間約45分、参加費7ユーロ)。
www.blaudruckerei.de

数百年受け継がれてきたチームワーク❹ ヨーロッパにおける大聖堂の建設業場、いわゆるバウヒュッテにおける工芸技術と慣習:ノウハウ、伝達、知識の発展およびイノベーションDas Bauhüttenwesen - Weitergabe, Dokumentation, Bewahrung und Förderung von Handwerkstechniken und -wissen

登録年
2020年(グッド・プラクティス)
※フランス、ノルウェー、オーストリア、スイスと共同

ゴシック建築様式の大聖堂は、建築家、石工、鍛冶職人、大工、芸術的なガラス職人、足場職人、塗装職人、屋根職人など、多くの専門的な石工作業を必要とする。そんなゴシック建築の最盛期である13世紀、都市生活が発展すると同時に、分業制に基づいて高度に専門化された建築組織と施工形態も発展した。そうした新たな組織や形態は「バウヒュッテ」と呼ばれ、棟梁の指導のもと各専門家が共同作業で一つの建物を造り上げていた。中世後期以降、バウヒュッテは国境や帝国を越えて互いに密接に結びつき、ネットワークが形成され、欧州中に知識や技術が広まった。

バウヒュッテの職人たちは、毎年春になると欧州中の大きな建設現場に出向き、秋になるとまた故郷へと帰った。職人を長い期間確保するために、彼らには宿舎が提供され、冬でも作業できる部屋が用意されることも。こうして同じ職人たちによる長期的な計画が可能になり、非常に複雑な構造の建築が可能になった。

大聖堂のバウヒュッテの安定と成功の中心は、経験豊かなマイスターの知識と技が弟子たちに受け継がれてきた教育システムの賜物。職人としての活動以外でも保存活動を記録し、青少年などに活動を広めたり、定期的に会議を開き情報交換したりと、地域を超えて文化を受け継いできたことがグッド・プラクティスに登録された要因だ。現在も当時と同じように、バウヒュッテは教会のすぐ近くに作業場を持ち、さまざまな業種の人々が建築現場で密接に協力し合っている。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Das Bauhüttenwesen - Weitergabe, Dokumentation, Bewahrung und Förderung von Handwerkstechniken und -wissen」。Karlsverein – Dombauverein「UNESCO nimmt Bauhüttenwesen als Immaterielles Kulturerbe auf」
見学・体験

ケルン大聖堂Kölner Dom

3人の王の骨を収めた聖遺物箱があるケルン大聖堂は、ゴシック建築の傑作の一つといわれている。ローマ・カトリック教会として1248年から建設が始まり、完成したのは1880年。600年以上の歳月を費やした大聖堂は、1996年にユネスコの世界遺産に登録された。しかし近年は環境の影響によって風化が深刻に進んでいる。バウヒュッテは損傷した石造物の修復や、歴史的な窓の保存と保護などを随時行なって、世界遺産を守り続けている。
www.koelner-dom.de

24カ国で守り続ける狩猟文化❺ 鷹狩りFalknerei

登録年
2021年(人類の無形文化遺産の代表的な一覧表)
※オーストリア、ベルギー、クロアチア、チェコ共和国、フランス、ハンガリー、アイルランド、イタリア、カザフスタン、キルギスタン、モンゴル、モロッコ、オランダ、パキスタン、ポーランド、ポルトガル、サウジアラビア、スロバキア、スペイン、韓国、シリア、アラブ首長国連邦、カタールと共同

訓練された猛禽類を使って野生の獲物を捕らえる狩猟には、3500年以上の歴史がある。動物を飼いならし、調教するための知識と経験は、世代を超えて受け継がれてきた。

猛禽類と鷹匠は、まず信頼関係を築く必要があり、打ち解けるまでには繊細なプロセスを踏まなければならない。猛禽類はごほうびをもらうなどポジティブな経験を通じてゆっくりと鷹匠に慣れていき、やがて狩猟を行うようになる。訓練した猛禽類たちの飛行速度は、時速300キロ以上にもなるという。鷹匠の技術習得は、生きた動物を扱うため、理論の勉強だけでは不十分であり、実践のほか、動物や自然の保護対策も不可欠である。

ドイツで狩猟免許を取得するためには、通常の狩猟試験に加え、特別な鷹匠試験に合格しなければならない。この二つの試験が存在するのは、世界でもドイツだけである。またドイツでは鷹匠1名につき合計2羽まで飼育が可能で、鷹狩り用の鳥としてオオタカ、イヌワシ、およびペレグリン・ハヤブサが、法的に認められている。使用される道具も、この数千年の間、ほとんど変わっていない。これらの道具は高品質で特別な仕組みがあるため、今日でも手作業で作られている。

鷹狩りは多くの国で行われていて、鷹匠間で国内および国際的に情報を交換することは文化保存にとって重要だ。リストに登録されたことで、国境を越え、後世に継承されるに違いない。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「3.500 Jahre alte Tradition durch insgesamt 18 Länder nominiert」、Deutscher Falkenorden e. V.「Immaterielles Kulturerbe」
見学・体験

ホーエン・ノイフェン城でのサマープログラムSommerprogramm auf der Burg Hohen Neuffen

シュトゥットガルト近郊にあるホーエン・ノイフェン城で毎年夏に行われる鷹狩りショー。ワシ、ハヤブサ、ハシビロコウ、フクロウなどを間近で見ることができ、猛禽類が来場者の頭上近くを飛び、さまざまな狩りの戦略や獲物を捕らえる技術を実演する。鷹匠の高度な技術はもちろん、人と動物、そして自然が織り成す特別な体験を楽しめる。
2023年4月7日〜11月末まで
日曜・祝日 12:00、14:00、16:00
www.falkner-wolfgang-weller.de

ワイマール共和国時代に生まれた前衛舞踊❻ ドイツにおけるモダンダンスの実践Moderner Tanz – Stilformen und Vermittlungsformen der Rhythmus- und Ausdruckstanzbewegung

登録年
2022年(人類の無形文化遺産の代表的な一覧表)

モダンダンスは、ワイマール共和国時代にクラシックバレエを否定して生まれた自由な身体表現で、表現主義ダンスと生活改革運動にルーツを持つ。表現主義ダンスの創始者の一人、ルドルフ・フォン・ラバン(1879-1958)をはじめ、舞踊家ピナ・バウシュ(1940-2009)の師匠であるクルト・ヨース(1901-79)、振付師のマヤ・レックス(1906-86)などに影響されながら発展し、今日まで受け継がれている。

あらかじめ決められたポジションを再現するのではなく、感情や人生経験を反映したありのままの表現を追求するモダンダンス。ソロや小グループでの共同創作が中心で、年齢、社会的地位、出身、体格、性別は関係ない。そしてモダンダンスはさまざまなダンススタイルと組み合わさり、コンテンポラリーダンスへと発展した。

ドイツでは、モダンダンスはさまざまな年齢やスタイルのダンサー、振付家、ダンス教育者によって実践され、教えられている。また公立学校やレジャー施設での子どもや若者のためのダンス・プロジェクトも盛んだ。専門学校、文化施設、成人教育や学習プログラムにおいても、コースやワークショップを提供し、地域に根差している。モダンダンスには共同体感覚を生み出し、人と人との結びつきを強めるという側面もあるのだ。こうしたコミュニティー構築に貢献している点も、無形文化遺産登録に際して評価されたといえる。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Moderner Tanz – Stilformen und Vermittlungsformen der Rhythmus- und Ausdruckstanzbewegung」、Ständige Vertretung der Bundesrepublik Deutschland「Der Moderne Tanz wurde in die UNESCO-Liste des Immateriellen Kulturerbes aufgenommen」
見学・体験

タンツハウス nrwtanzhaus nrw

デュッセルドルフのtanzhaus nrwは、現代のダンス文化を促進する非営利団体で、アマチュアからプロまで通えるダンスアカデミー。さまざまなジャンルのダンスが学べ、モダンダンスのコースも開講されている。八つのスタジオのほかにシアターもあり、プロのパフォーマンスが見られる機会も多い。またドイツ各地にある市民学校のフォルクスホッホシューレ(VHS)でも、モダンダンスのコースが提供されていることもあるため、気になる人はチェック!
https://tanzhaus-nrw.de

ライン川でも行われていた木材輸送❼ いかだ流しFlößerei

登録年
2022年(人類の無形文化遺産の代表的な一覧表)
※オーストリア、チェコ共和国、ラトビア、ポーランド、スペインと共同

河川に木材を流して運ぶ「いかだ流し」は、何世紀にもわたって森林地帯から木材を移動させる最も費用対効果の高い方法だった。遅くとも13世紀には、木材の需要は燃料や家屋の建築のみならず造船用としても高まり、いかだ流しは重要な輸送手段の一つとなったと考えられている。

いかだ師たちは、組んだいかだの上で何週間も共同で生活を送り、作業をしていた。その結果、いかだを作り川を下るための知識や技術、価値観を共有するコミュニティーが生まれた。いかだ流しによって繁栄した街もあり、例えばバーデン=ヴュルテンベルク州のヴォルフアッハでは、1763年時点で労働人口の20%がいかだ流し業に携わっていたという。

三十年戦争(1618〜1648)の復興期には、木材に乏しいオランダでは造船需要に対応するため、取引先を拡大。その莫大な需要により「オランダいかだ」でライン川を航行し、ドイツから大量の木材を輸送していた。しかし19世紀末には交通網と鉄道網が整備され、さらにライン川の運送船がいかだ流しに不満を抱くようになり、いかだ流しの重要性は次第に低下していった。第二次世界大戦には、いかだ流しはドイツの川で散発的にしか行われなくなり、1967年にライン川でのいかだ流しは廃止された。

人々の生活を支えてきたいかだ流しは、1980年代まで商業的に続けられ、現在は観光客向けに行っている地域も。近年では、いかだ流し協会が学校などに出向き、いかだ流しを通じて子どもたちに木材の重要性を伝える活動をしている。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「UNESCO erklärt Flößerei zum Immateriellen Kulturerbe der Menschheit」、planet wissen「Vom Floß zur Kogge: Geschichte der Floßschiffahrt」
見学・体験

いかだ流しと交通博物館 ゲンゲンバッハFlößerei- und Verkehrsmuseum Gengenbach

ヘッセン州にあるキンツィヒ渓谷のいかだ師の歴史を詳しく紹介する博物館。いかだ師は長旅に出る前に天に祈りを捧げ、危険な旅への安全を祈願していた。いかだ師の仕事は体力勝負でもあり、気性が荒い人が多かったが、根は優しかったといわれている。いかだ流しは、19世紀までシュヴァルツヴァルトの重要な収入源であった。地域の活動を後世に残すために、1991年にシュヴァイバッハのいかだ師組合がかつての鉄道衛兵の家を使用して博物館を設立。館内ではいかだ流しや林業、木材加工に関する数多くのドキュメンタリーを見ることができる。
www.floesserei-museum.de

ドイツ国内で保護されている無形文化遺産

ユネスコの無形文化遺産に登録されるには、まず国内で保護体制が取られていることが条件。そのため、ドイツユネスコ委員会はまず国内で無形文化遺産リストを作り、該当する遺産を登録している。ドイツ国内で登録されたものから、あまり知られていない興味深いものをご紹介しよう。

ハイデルベルクのヒップホップ文化Hip-Hop-Kultur in Heidelberg und ihre Vernetzung in Deutschland

登録年
2023年

ラップ、DJ、ヒューマンビートボックス、グラフィティ、ブレイクダンスなどのさまざまな要素に基づくヒップホップ文化。多様な表現形態があることが特徴で、1970年代の米国が発祥の地だ。ドイツでは1980年代からハイデルベルク出身のグループ、アドバンスド・ケミストリーを中心に発展した。ドイツ語圏全域で継承されているが、ハイデルベルクはヒップホップ文化の発展に貢献した都市として、同地のヒップホップ文化がドイツ国内の無形文化遺産にリストアップされた。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Hip-Hop-Kultur in Heidelberg und ihre Vernetzung in Deutschland」、Stadt Heidelberg「 Immaterielles Kulturerbe: Deutsche UNESCO-Kommission zeichnet Heidelberger Hip-Hop aus」

ハーメルンの笛吹き男 民間の取り組みAuseinandersetzung mit dem Rattenfänger von Hameln

登録年
2014年

「ハーメルンの笛吹き男」は、最もよく知られたドイツ民話の一つ。そして今日、ハーメルン市ではこの話を軸にして、芸術や大衆文化のあらゆるジャンルでさまざまな解釈による上演や創作活動が行われている。例えば、1956年以来、毎年夏にボランティアの俳優たちによる「笛吹き男」の野外劇が、2000年からは5~9月までの毎週水曜日に、ミュージカル「RATS」が入場無料で上演される。さらに2004年には、70匹以上のネズミが表現された彫刻フェスティバルが開催された。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Auseinandersetzung mit dem Rattenfänger von Hameln」Die Rattenfängersage: Stadt Hameln「Eine gelebte Tradition」

モールス信号Morsetelegrafie

登録年
2014年

1830年代半ばに米国人のサミュエル・モールスが開発した、短音と長音の組み合わせで伝達を行うモールス信号。当初は有線のみだったが、19世紀末には電波を使った無線機器も登場した。1849年にドイツ人のフリードリヒ・クレメンズ・ゲールケが符号を改良し、国際規格として承認され、今日まで公式かつ世界的に使用されている。20世紀後半にはモールス信号は使用されなくなったが、アマチュア無線家の中にはファンも多い。歴史、言語、そして文化を超えたモールス信号は、世界のコミュニケーションツールとして伝承されている。

参考:Deutsche UNESCO-Kommission「Morsetelegrafie」、Ministerium der Deutschsprachigen Gemeinschaft Belgiens「Morsetelegrafie」
最終更新 Dienstag, 29 August 2023 09:31
 

ドイツでサッカーを120%楽しもう! - はじめて観に行く ブンデスリーガ

ドイツでサッカーを120%楽しもう!はじめて観に行くブンデスリーガ

昨年開催されたカタールW杯では日本代表がドイツ代表に勝利するなど、日本人選手の活躍もあり、サッカーに興味を持ち始めたという人はきっと少なくないはず。せっかくドイツに住んでいるなら、世界トップリーグの一つ「ブンデスリーガ」を見に行かなきゃ損! シーズン開始前に、ブンデスリーガの歴史から楽しみ方まで、その魅力をとことん解説する。今号を片手にスタジアムに熱い試合を観に行こう。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

ビギナーのためのブンデスリーガ Q&A

Q1. いつからブンデスリーガは始まった?

ドイツサッカーの最高位リーグである「ブンデスリーガ」(Bundesliga)がスタートしたのは、1963年の西ドイツ。1888年にイングランドでサッカーリーグが始まったことに比べると、その始まりはずいぶんと遅い。一方で、1920年初頭のドイツには、さまざまな名前で70もの「1部リーグ」が存在していたとか。当時から全国統一リーグの設立が叫ばれていたものの、アマチュアとプロを分けるかどうか、非営利で運営されていたクラブの税制優遇をどうするか……などの諸問題でなかなか決着がつかず、さらに戦争や東西分断など歴史的な理由からも長らく実現に至らなかった。

そして数十年にわたる論争を経て、1962年7月28日、ドイツサッカー連盟は賛成票103票、反対票26票でプロリーグであるブンデスリーガの導入を決定。1963/64シーズンに初のブンデスリーガが開催され、ケルンが最初のチャンピオンとなった。これまで最も多くチャンピオンシップを獲得したのは、33回優勝しているバイエルンで、ニュルンベルク(9回)とドルトムント(8回)がそれに続く。 参考:der-fussball-gehoert-uns.de「Die Geschichte der Fußball Bundesliga」、NDR「1962: Die schwere Geburt der Bundesliga-Gründung」

第1回ブンデスリーガで初ゴールを決め、喜ぶドルトムントの選手たち第1回ブンデスリーガで初ゴールを決め、喜ぶドルトムントの選手たち

Q2. ブンデスリーガの特徴は?

ドイツのブンデスリーガは、英国のプレミアリーグ、スペインのリーガ・エスパニョーラ、イタリアのセリエAと並ぶ世界4大リーグの一つ。それぞれのリーグに特徴や傾向があるが、ブンデスリーガのポイントをいくつかご紹介する。

❶ 1対1の「デュエル」が見られる

ブンデスリーガでは、選手同士の1対1の対戦「デュエル」が多く見られるのが特徴の一つ。最近では、日本代表の遠藤航選手(シュトゥットガルト)が、2年連続でブンデスリーガの最多デュエル勝利数を誇っている。

デュエルが強みの一つである遠藤選手は日本代表の新主将に選出されたデュエルが強みの一つである遠藤選手は日本代表の新主将に選出された

❷ 物議をかもす「50+1ルール」

1998年に導入されたドイツサッカー特有の「50+1ルール」が、しばしば物議をかもす。これは、単一の企業などがクラブの決議権の50%以上を持つことを禁止したもので、スポーツクラブは公共のものであるという考えに基づいている。一方では、国際的な競争力の低下につながるとして、ルール廃止を求める声も。

❸ 日本人選手が多く所属

ブンデスリーガでは各チームにドイツ人選手12名以上の登録が義務付けられているが、外国人選手の人数制限はない。そのため、日本人選手も多く活躍している。2022-23シーズンでは、1部と2部を合わせて16人の日本人選手が所属していた。 参考:SPORTS UP!「サッカーの世界4大リーグとは?各リーグの特徴についても解説」、REAL SPORTS「なぜドイツで「侮辱バナー」「試合放棄」事件が起きた? ファンとの亀裂招いた“2つの要因”」

Q3. ブンデスリーガのシーズンは?

1部と2部には各34節あり、各チームは本拠地で行うホーム戦と敵地で行うアウェー戦で対戦する。前期シーズンは8月から12月中旬(第1~17節)、後期シーズンは2月から5月(第18~34節)にかけて開催。選手の移籍はウィンターブレイクやシーズンオフに行われる。また、ブンデスリーガは基本的に金曜から日曜にかけて試合がある。

基本的な試合日程 金曜 20:30(1試合)
土曜 15:30(4試合)/ 18:30(1試合)
日曜 15:30(1試合)/ 17:30(1試合)

シーズンカレンダー

Q4. リーグは何部まであるの?

ブンデスリーガは二つのプロリーグからなる。各18チームある1部リーグと2部リーグは、ドイツサッカーリーグ(DFL)、3部リーグ以下はドイツサッカー連盟(DFB)の管轄となっている。最終節の順位が1部の18位と17位のチームは自動的に2部に降格し、逆に2部の首位と2位のチームは昇格する仕組み。また、1部の16位と2部の3位のチームは、ホーム&アウェーの入れ替え戦を行い、それによって昇格・降格が決まる。2部と3部の昇格・降格も同じ仕組みだ。4部以下はセミプロリーグとなり、五つの地方に分けて行われるレギオナルリーガ(4部)、オーバーリーガ(5部)、フェアバンデスリーガ(6部)と続き、地域ごとに10部ほどまでリーグが存在する。

Q5. ブンデスリーガで優勝するとどうなる?

ブンデスリーガの首位を含む上位4位までが、自動的にUEFA(欧州サッカー連盟)が主催するチャンピオンズリーグの出場権を得ることができる。また、5位チームは同連盟のヨーロッパリーグに、6位チームはヨーロッパ・カンファレンスリーグにプレイオフから出場する。ブンデスリーガの上位に入れば、欧州の舞台で活躍するチャンスがあり、ブンデスリーガが盛り上がるポイントの一つとなっている。

チャンピオンズリーグ Champions League

欧州最強のクラブチームを決定する国際大会。毎年9~5月に開催され、32クラブが出場する。2023/24年シーズンの決勝戦は、英国ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行われる予定。

ヨーロッパリーグ Europa League

チャンピオンズリーグに次ぐ欧州クラブチームの国際大会。毎年9~5月に開催され、出場枠は32チーム。前年度優勝したチームは、翌年のチャンピオンズリーグに出場することができる。

ヨーロッパ・カンファレンスリーグ
Europa Conference League

2021年からUEFA主催で始まったヨーロッパリーグに次ぐ国際大会。ヨーロッパリーグと並行して開催される。優勝したチームは、翌年のヨーロッパリーグに出場することができる。

参考:BUNDESLIGA「欧州カップ戦の出場権を手にするには?」

Q6. チケットの入手方法は?

チケットは、ホーム戦を行うクラブの公式サイトで購入可能。シーズンの1~2カ月前から販売が開始されるため、人気の試合は販売スケジュールをチェックしよう。メンバーシップに加入していると、優先してチケットを購入することもできる。ちなみに、チケットには市内交通チケットが含まれている(適用範囲は要確認)。また、どうしても観たい試合のチケットが手に入らない場合は、チケット販売代理店(viagogoやStubHubなど)で探すことも可能。ただし、高値で販売されていることも多いのでご注意を。

一般的な観戦席位置

ビギナーには、試合全体が見えるメインスタンドがおすすめ。また、アウェー席は相手チームのホームページで買うのが基本
※スタジアムによってアウェー席は異なる

Q7. スタジアムでの服装やマナーはある?

地元チームの席で相手チームのユニフォームを着るのはもちろんNGだが、相手のチームカラーと同じ色の服装も避けるのがベター。地元側の熱狂的なファンから罵声を浴びせられることもある。また興奮状態が高まった観戦席では、ビールが飛び交うこともしばしば。汚れてもいい服装で出かけよう。暑い時期には熱中症や日焼け対策を、寒い季節には防寒対策を忘れずに。雨が降った場合は、周りの観戦者の迷惑にもなるため、傘ではなくレインコートを着るのがマナー。

サッカー観戦のお供といえば、ビール! ソーセージと一緒にスタンバイしようサッカー観戦のお供といえば、ビール! ソーセージと一緒にスタンバイしよう

観戦ですぐ使えるドイツ語

・Tor!!!
ゴール!!!

・Los!!!
行け!!!

・Schieß!!!
シュート(キック)!!!

・Schieß doch!!!
シュート(キック)だよ、おい!!!
※チャンスの際にボールを蹴らなかったときなど

・Weiter so!!!
その調子!!!

2023-24シーズンブンデスリーガ1部マップ

開催期間 2023年8月18日(金)~2024年5月19日(日)

8月18日(金)にいよいよ開幕する第61回ブンデスリーガ。今シーズン戦いを繰り広げる、1部リーグ全18チームを一挙にご紹介する。ビギナーのあなたも、今シーズンで推しのチームが見つかるかも!参考:fussball.jp、スカパー!サッカー、各クラブチームのホームページ

2022-23シーズンで優勝したバイエルン。ドイツ代表で同チーム主将のマヌエル・ノイアーが優勝皿を掲げている2022-23シーズンで優勝したバイエルン。ドイツ代表で同チーム主将のマヌエル・ノイアーが優勝皿を掲げている

※ランキング順 ※2023年7月11日現在の情報

1 FCバイエルン・ミュンヘン
FC Bayern München AG

設立年1900年
ホームAllianz Arena(7万5024人収容)
FC Bayern München AG

33回のブンデスリーガ優勝経験があるバイエルンは、ドイツ代表選手が多く所属する強豪。人気がある一方で「一強」ともいわれ、他チームのファンから煙たがられることも。前シーズンでは、最終節の逆転勝利で王者の座を守り抜いた。今シーズンで12連覇なるか、最後まで目が離せない。

2 ボルシア・ドルトムント
Borussia Dortmund GmbH & Co. KGaA

設立年1909年
ホームSIGNAL IDUNA PARK(8万1365人収容)
Borussia Dortmund GmbH & Co. KGaA

前シーズンでは、バイエルンにあと一歩及ばす優勝を逃したドルトムント。昨年SLC Managementによる調査では、最も人気のあるチームに初選出された。香川真司選手が所属(2010-2012、2014-2019)していたことから、日本人の間でも特にファンが多いクラブチーム。

3 RBライプツィヒ
RasenBallsport Leipzig GmbH

設立年2009年
ホームRed Bull Arena(4万2558人収容)
RasenBallsport Leipzig GmbH

発足からわずか7年で5部リーグから1部リーグへと部へと昇格した。バイエルン、ドルトムントと並んでドイツ代表に4名が選出されている(2023年7月現在)。前シーズンはDFBポカール(ドイツ杯)で連覇を果たし、今季はチャンピオンズリーグにも出場予定。

4 1.FCウニオン・ベルリン
1. FC Union Berlin e.V.

設立年1966年
ホームAn der Alten Försterei(2万2012人収容)
1. FC Union Berlin e.V.

第二次世界大戦後に東ドイツで発足したベルリンのクラブチーム。2018-19シーズンでは2部で3位となり、入れ替え戦で1部に昇格した。チャンピオンズリーグ出場権も獲得しているが、ドイツ代表は現時点でゼロ(2023年7月現在)。今後の選手たちの活躍に期待したい。

5 SCフライブルク
Sport-Club Freiburg e.V.

設立年1904年
ホームEuropa-Park Stadion(3万4700人収容)
Sport-Club Freiburg e.V.

かつては2部と3部を行き来していたが、1993年に2部で優勝を果たし、1部に昇格した。フライブルクが大学都市であることから、サポーターはインテリ層が多いことで知られている。日本人選手では、堂安律が活躍中。

6 バイエル・レヴァークーゼン
Bayer 04 Leverkusen Fußball GmbH

設立年1904年
ホームBayArena(3万210人収容)
Bayer 04 Leverkusen Fußball GmbH

1904年、レヴァークーゼンに本社を置く製薬会社バイエルの従業員が作ったクラブチーム。2002年にチャンピオンズリーグ、ブンデスリーガ、DFBポカール(ドイツ杯)で全て準優勝し、準三冠となったことがある。ドイツ代表のフローリアン・ヴィルツが所属している。

7 アイントラフト・フランクフルト
Eintracht Frankfurt Fußball AG

設立年1899年
ホームDeutsche Bank Park(5万1500人収容)
Eintracht Frankfurt Fußball AG

ドイツで最も歴史あるクラブチームの一つで、ブンデスリーガでの優勝経験もある。また、2021-22シーズンではヨーロッパリーグを制覇した実力のあるチーム。現在、日本人選手では長谷部誠が所属している(2023年7月11日現在)。

8 VfLヴォルフスブルク
VfL Wolfsburg-Fußball GmbH

設立年1945年
ホームVolkswagen Arena(3万人収容)
VfL Wolfsburg-Fußball GmbH

ヴォルフスブルクに本拠地を置くフォルクスワーゲンがスポンサーの一つ。2008-09シーズンではグラフィッチとエディン・ジェコのコンビが話題となり、ブンデスリーガで王者に。当時所属していた長谷部誠と大久保嘉人が、日本人選手として31年ぶりに優勝を経験した。

9 1.FSVマインツ
1. FSV Mainz 05 e.V.

設立年1905年
ホームMEWA ARENA(3万3305人収容)
1. FSV Mainz 05 e.V.

長らく2部に属していたが、2004-05シーズンで創立100年目にして初の1部昇格を果たした。同シーズンにはUEFAフェアプレー賞を受賞し、初のヨーロッパリーグ出場権も獲得。前シーズンでは、最終節でドルトムントの優勝を阻んだ。

10 ボルシア・メンヒェングラートバッハ
Borussia VfL 1900 Mönchengladbach GmbH

設立年1900年
ホームBORUSSIA-PARK(5万4022人収容)
Borussia VfL 1900 Mönchengladbach GmbH

1960~70年代には攻撃サッカーの殿堂と呼ばれ、ブンデスリーガでは5回の優勝経験がある。常に強豪バイエルンと争ってきたが、ここ数年は4~10位の間を行き来している。日本人選手では、板倉滉が所属する(2023年7月11日現在)。

11 1.FCケルン
1. FC Köln GmbH & Co. KGaA

設立年1948年
ホームRheinEnergieSTADION(5万人収容)
1. FC Köln GmbH & Co. KGaA

ブンデスリーガの初代王者で、日本人初のブンデスリーガ選手だった奥寺康彦が所属していた。ロゴのヤギは実在し、ヘンネスという名で親しまれている。現在は9代目ヘンネスがホーム戦で選手たちを応援している。

12 TSG1989ホッフェンハイム
TSG 1899 Hoffenheim Fußball-Spielbetriebs GmbH

設立年1899年
ホームPreZero Arena(3万150人収容)
TSG 1899 Hoffenheim Fußball-Spielbetriebs GmbH

1989-90シーズンで8部へと降格したが、ソフトフェア企業SAP創設者のディートマー・ホップ氏の経済的支援により、2007-08シーズンで1部まで昇格を果たす。サッカー育成部門はドイツでもトップレベルで、最も注目を浴びているクラブチームの一つ。

13 ヴェルダー・ブレーメン
SV Werder Bremen GmbH & Co. KG aA

設立年1899年
ホームwohninvest WESERSTADION(4万2100人収容)
SV Werder Bremen GmbH & Co. KG aA

1899年、ブレーメンの学生たちが綱引き大会で優勝し、賞品にサッカーボールをもらったことをきかっけに設立された。2021-22シーズンでは41年ぶりに2部に降格したが、翌年には1部に復帰。オープニングマッチでは、バイエルンとのホーム戦を控えている。

14 VfLボーフム
VfL Bochum 1848 GmbH & Co. KGaA

設立年1938年
ホームVonovia Ruhrstadion(2万7599人収容)
VfL Bochum 1848 GmbH & Co. KGaA

ブンデスリーガ2部では4回の優勝経験があり、2021-22シーズンから1部に復帰。現在は、日本人選手として浅野拓磨がプレーしている。チームの応援歌はロック歌手ヘルベルト・グレーネマイヤーの「Bochum」で、ホーム戦の選手入場前に歌われるのがお決まり。

15 FCアウクスブルク
FC Augsburg 1907 GmbH & Co. KGaA

設立年1907年
ホームWWK ARENA(3万660人収容)
FC Augsburg 1907 GmbH & Co. KGaA

かつては2部と3部と行き来することが多かったが、2010-11シーズンで史上初の1部昇格を果たした。今年7月に奥川雅也選手が3部へ降格したビーレフェルトからアウクスブルクへ移籍することが発表されたばかり。

16 VfBシュトゥットガルト
VfB Stuttgart 1893 AG

設立年1893年
ホームMercedes-Benz Arena(6万449人収容)
VfB Stuttgart 1893 AG

ブンデスリーガ1部・2部共に2回ずつ優勝経験のあるクラブチーム。前シーズンでは入れ替え戦でハンブルガーSVを下し、1部残留が決まった。現在日本人選手が多く、遠藤航、伊藤洋輝、原口元気の3名が所属している。

17 SVダルムシュタット98
SV Darmstadt 1898 e.V.

設立年1898年
ホームMerck-Stadion am Böllenfalltor(1万7400人収容)
SV Darmstadt 1898 e.V.

2022-23シーズンでは2部リーグで2位となり、2016-17シーズンぶりに1部リーグ復帰となった。チームの愛称「Lilien」(リリエン、ユリの意)は、ロゴのユリが由来。ダルムシュタット市の紋章にも同じくユリが描かれている。

18 1.FCハイデンハイム
1. FC Heidenheim 1846 e.V.

設立年2007年
ホームVoith-Arena(1万5000人収容)
1. FC Heidenheim 1846 e.V.

1910年に前身となるVfB Heidenheimが設立され、長い間アマチュアチームとして存在していた。2007年に現在の名称になってから、南ドイツの若い選手たちの育成に取り組んでいる。2022-23シーズンは2部で優勝し、クラブ史上初の1部昇格を果たした。

サッカー好きスタッフが語る!ブンデスリーガが好きな理由

きっかけはサポーターとの交流

もともとサッカーが好きでしたが、「ブンデスリーガのサッカー」が好きだったわけではありません。大学でドイツ語を勉強したため、日本人選手が多く活躍するドイツへ観戦旅行をして、覚えたドイツ語で現地のサポーターたちと話せたらいいなと思ったことがきっかけです。実際にドイツのスタジアムに足を運んでみると、当時ドルトムントで香川真司選手がプレーしていたため、「Shinji Kagawaはすごい選手だよね!」と何人もの人に話しかけられました。試合が始まってからもサポーターたちの熱量に圧倒されるばかり……日本のサポーターと比べてアグレッシブな部分もありますが(笑)、それも含めてブンデスリーガに夢中になりました。ドイツで暮らすようになってからは、スタジアムやスポーツバーで観戦しています。

今シーズン注目の選手は?

フランクフルトの長谷部誠選手です。2014年から同チームでプレーしている長谷部選手は現在39歳ですが、今年3月に2024年6月末まで1年間契約を延長しました。クラブ最年長で最も古株。強豪クラブで監督や選手も入れ替わっていくなかで、常に必要とされる選手であり続けることが、長谷部選手の実力を物語っていると思います。

はじめてブンデスリーガを見に行く人へ

最初は好きなチームがなくても大丈夫です。まずは近くのスタジアムに観に行ってみてください。サッカー好きの友人や知人についていけば、観戦のハードルも下がり、一緒に盛り上がれると思います。推しのチームが見つかったら、好きな気持ちを全力に押し出して、熱いサポーターたちと一緒に観戦を楽しんでくださいね!

最終更新 Donnerstag, 27 Juli 2023 10:12
 

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