特集


イスタンブルの休日

イスタンブルの休日

今年のイースター休暇の目的地は、太陽の恵みを求めて地中海方面に決まり!
特集「イースター休暇は東地中海へ」を企画しました。
すると、その矢先に訪れたイスタンブルへの取材旅行のチャンス……。
「百聞は一見に如かず」とばかりに弾丸旅行で駆け回ってきた、
イスタンブルでの週末の様子をリポートします。
(編集部:高橋 萌、取材協力:H.I.S )

1月吉日、凍てつく寒さのデュッセルドルフを出て、トルコ航空の飛行機に乗り込み3時間ちょっとの空の旅。千年の都イスタンブルを目指す。初めてのトルコを前に慌てて知識を詰め込んだ私。週末しか滞在できない今回は、世界三大料理に数えられる美食、ビザンティン帝国やオスマントルコ時代の栄華を誇る建築物、親日的な国民性と噂されるトルコ人の人の良さ、この辺りを検証する必要があるとマークする。

トルコ航空機内食
トルコ航空の機内食はさすが。トルコ料理が出てくる。
しかもボリュームたっぷり!

到着してすぐに感じるのは、その暖かさ。ドイツと比較すると季節が1つ先を行っているように感じた。手袋もコートも脱いで、イスタンブルの空気に身を馴染ませていく。時間的には金曜の夜10時過ぎ、宿の近くにあるタクスィム広場に向うと、そこはタクシーを待つ人の長蛇の列と、路上の大渋滞、鳴り響くクラクション、そして溢れ返る人・人・人……人口1000万人を抱えるメガシティは伊達じゃない。こりゃ、花の金曜日ってやつだね、と陽気に飲み歩く人に圧倒されながらも、ふと思う。ここはイスラム教の国ではなかったか?

トルコビールトルコは共和国建国の父と呼ばれるケマル・アタチュルク氏が政教分離政策を推し進めて以来、教義や戒律について随分ゆる~くなっているらしい。そうかそうか、と入ったお店でさっそくトルコビールをいただく。く~! 地ビールの味に旅の気分も盛り上がる。

さて、大都市イスタンブルを週末だけで回るにはそれなりの計画性が求められる。今回の土日のタイムテーブルは以下の通り。自信を持ってお届けする欲張りコース!

土曜日
07:30 ガラタ塔に上り、イスタンブルの全容を把握
08:00 イスティクラール通りを行き、新市街を散策
12:00 昼食・ケバブを食す
14:00 スルタンアフメット・ジャーミィ、トプカプ宮殿など、旧市街の名所を巡る
17:00 グランドバザールへ
18:00 夕食・魚料理を食す。この後、ベリーダンスを見に行く
日曜日
06:00 朝一でハマム(トルコ風呂)体験
07:00 旧市街のロカンタで朝食
08:30 エジプシャンバザールへ
10:00 トルコのお菓子を堪能
11:00 空港へ

ガラタ塔から臨むイスタンブルの大パノラマは、ため息もの。ヨーロッパ側の大陸の旧市街と新市街を隔てる金角湾は、朝日を受けて黄金に輝き、ドーム型の屋根とミナレット(塔)でそれと分かるいくつものモスクが異国情緒をくすぐる。と、1日に5回あるというイスラム教のお祈りの時間を知らせるアナウンス(というより歌っているように聞こえる)が聞こえてくる。イスラム教圏に初めて足を踏み入れた私には新鮮。

現地で出会った日本からの旅行者の中島さんご夫妻は、朝一でアジア大陸側のカドゥキョイに船で渡り、鯖サンドを食したと言っていた。船は片道約1.50TL(1トルコリラ=約0.50ユーロ)。そのプランも良かったな。

絶景!
エレベーターで最上階に行くと、この絶景が待っている

旧市街の名所、スルタンアフメット・ジャーミィ(通称ブルーモスク)、トプカプ宮殿、アヤソフィアと地下宮殿は徒歩圏内にある。現地ガイドのメティンさんの解説にうなりながら見学を続けていると、「カワイイですね~」

トプカプ宮殿
世界中の富と権力を集めたオスマントルコ。
そのすさまじい財力を証明するトプカプ宮殿

ブルーモスク
ブルーモスクでは、チューリップの花などが描かれた
青いタイルの美しさに心奪われる

「日本人好きでーす」と囁いて来るトルコ人男性の皆さん。おぉ、噂通りの親日家!と振り返ったら、彼ら手にはしっかり日本語のガイドブックや絨毯を携えている。あ、売りつけようってことか。カワイイのは足元に擦り寄ってくる野良猫たちの方さ、と少し卑屈になる。それにしても、イスタンブルには悠々自適に散歩を楽しむ奔放な野良猫が多い。猫だけでなく、犬、それも大型犬がふらふらしているのだから。とはいえ、彼らは人懐こく、おとなしいのでご安心あれ。

グランドバザールやエジプシャンバザールでは、体力を使った。まず、外国人観光客には高値をふっかけてくるから、値引き交渉が必要。お目当ての品を探しながら、迫りくる売り子たちの日本語や英語による猛攻を交わし、納得の行く買い物をするには、粘り強さが必要。「ちっちゃいお尻~!」と声を掛けられたときはさすがに噴出してしまった。そのごますり文句で引っかかる客はいるのか?!

グランドバザール
雑貨から絨毯、食料品まで何でも揃っているグランドバザール

トルコ人の旅人や客人に対するやさしさは、少し観光名所を離れたところで実感することができた。朝ごはんをいただいたロカンタ(大衆食堂)のご主人は、「今日、イスタンブルを去らなければいけないのに、トルコの美味しい食事を食べ切れていない」と愚痴をこぼす私に、「これも試してみるか?これはどう?」と、いろいろなトルコ料理を試食させてくれた。「気を抜くと、ぼったくられるかも……」と、身構えていた私は会計のときに罪悪感に駆られることになった。

鶏肉ケバブ
ロカンタのご主人おすすめの鶏肉ケバブ。
焼き立てでやわらかくて、とってもジューシー

ふらっと入った、ライスプディングが美味しいお菓子屋さんでも、トルコ人の温かさに触れた。前述のロカンタで3杯、お菓子屋で2杯と、気の良い店主たちによって振舞われたチャイ(お茶)の美味しいこと。お茶でたぷたぷのお腹を抱えながら、トルコにいつか再び戻ってくることを誓った。

イスタンブルのおみやげ

イースター休暇は東地中海へ

最終更新 Dienstag, 13 August 2019 13:09
 

ドイツ弓道連盟名誉会長 フェリックス・F・ホフさん

身体、精神、弓が一体になる感覚を味わえる - ドイツ弓道連盟名誉会長 フェリックス・F・ホフさん

青年期に読んだ1冊の本をきっかけに、柔道、剣道、弓道、居合道と、あらゆる武道にのめり込んでいったフェリックス・F・ホフさん。中でも、恩師との運命的な出会いを果たした弓道には、40年以上にわたり並々ならぬ情熱を傾けてきた。ドイツ弓道界の第一人者であるホフさんに、弓道家としての半生を語っていただいた。
(Text: Yasuko Hayashi)
Feliks F. Hoffフェリックス・F・ホフさん
Feliks F. Hoff
1945年6月16日、ハンブルク生まれ。69年に稲垣源四朗氏の下で弓道を習い始め、同年にドイツ初の弓道クラブ「Alster Dojo Hamburg e.V.」を設立。74年、ドイツ柔道連盟・弓道部門の代表に就任。94~97年、ドイツ弓道連盟会長(現在は名誉会長)。ドイツ弓道選手権個人の部優勝3回。欧州弓道選手権個人の部優勝2回。2010年第1回世界弓道大会個人の部優勝。日本弓道連盟名誉会員。弓道6段、教士。柔道初段、剣道4段、居合道2段。

弓道を始めたきっかけは何ですか?

青年期にオイゲン・ヘリゲルの著「弓と禅」に出会って弓道の世界に魅せられ、ぜひ弓道をやりたいと、地元ハンブルクで弓道場を探しました。しかし見付からず、「ならば剣道を」と考えたのですが、剣道クラブもない。結局、柔道を始めました。

学生時代は柔道一筋でしたが、あるとき、近所の女性から「近くで袴を着て長い弓を持っている人を見かけたわよ」と聞き、早速行ってみると、後に恩師となる稲垣源四朗氏がいたのです。ちょうど交通事故で足にけがを負って柔道ができなくなり、剣道に転向しようと考えていた折でした。竹刀や防具など剣道具一式を日本に注文したのですが、それがいつまで経っても届かずに悶々としていて。その後26年間、稲垣先生の下で弓道を習いました。

武道全般に興味があったのですね。

稲垣先生と出会い、弓道を始めた約1カ月後に剣道具が届いたので、剣道も始めることにしました。さらに居合道も始めたりと、これまでの半生の大半を武道に費やしてきました。それほど武道の精神に魅力を感じていたのです。

武道における「学び」では、本を読み、そこにある概念を通して物事の核心に近付く西洋的な方法とは異なり、剣道の「見取り稽古」に代表されるように、師匠の技を見て、真似して覚えることが基本となります。この、行為を中心に据えた学習方法がとても面白いと思います。

恩師である稲垣先生はどのような人でしたか?

稲垣先生は1974年以降、毎年夏に来独してセミナーを開くようになり、私もその開催に携わりました。先生は筑波大学に初めて弓道専門の学科を設立した教授であり、レベルの高い指導をしてくださっただけでなく、伝統を重んじる姿勢を保ちながらも、子どものように何に対しても興味を示す方でした。私は周囲の日本人から「先生の内弟子か?」と聞かれたこともあるくらい、先生を慕っていました。私も人間として、指導者として、先生のようになりたいと思っています。

割わりわざ膝
左足を床に付け、姿勢を低くして弓を引く
「割わりわざ膝」と呼ばれる流儀


今までで一番印象に残っている大会は?

1997年の欧州弓道選手権、まさか優勝できるとは思っていなかった大会です。私は特に勝ちたいという野心はなく、ほかの選手の成績は気にせず、それまでの練習で理解したことのみを出し切ろうと思って挑みました。結果、すべての矢を的中させたのは私だけ。競技後に私の元に駆け寄って来た人々から「優勝おめでとう!」と声を掛けられて、初めて勝利を実感しました。

ホフさんにとって、弓道の醍醐味は何ですか?

身体と精神と弓が一体となり、「これだ!」とすべてが調和しているように感じられる瞬間ですね。

逆に、それほど調子良くいかないときでも、神経質なほどにその理由を深く突き詰めながら練習していると、ふと「なるほど、そうなのか!」と思うことがあります。一種の閃きですね。

弓道家、指導者として大切にしていることを教えてください。

弓道は、目に見える速さで上達するものではありません。学ぶテンポもゆっくりなので、野心家には物足りないかもしれませんが、すべての技を簡単にクリアできてしまったら、すぐに飽きてしまうと思うのです。その意味で、我慢する術を身に付けることができるのが弓道だと思います。

道場に通う学習者には、「ここ(道場)では失敗しても全く問題ありません。難しいなら、もう少しゆっくり進めましょう」と話しています。ゆっくりでも、練習すれば必ず進歩する。弓道は、我々にこんな考え方を教えてくれた、日本から世界への贈り物だと思います。

第1回世界弓道大会
2010年4月、第1回世界弓道大会にて(写真右)


大会情報

● 欧州弓道選手権(ウィーン)
1989年より、2年に1度開催されている大会。欧州弓道連盟に所属する国(現16カ国)を代表する弓道選手たちによる団体・個人戦が行われる。
5月28日(土)・29日(日)

● ドイツ弓道選手権(アーヘン)
1979年より、毎年開催されている大会。連邦各州の弓道連盟に所属する選手たちによる団体・個人戦が行われる。
6月18日(土)・19日(日)


フランス柔道・柔術・剣道等連盟会長 ジャン=リュック・ルージェさん

イギリス 剣道道場無名士主催者 テリー・ホルトさん

最終更新 Dienstag, 13 August 2019 10:49
 

日独交流150周年イベントで、日本の魅力を再発見!

日独交流150周年イベントで、日本の魅力を再発見!

2011年は日独交流150周年という節目の年。
これを記念して、ドイツ各地で日本に関するイベントや交流事業が目白押し!
ドイツに暮らし、毎日がドイツとの国際交流という私たち在独邦人も、
どんどんイベントに参加して、一緒にお祝いしたい。
伝統文化からポップカルチャー、歴史、経済まで、
あらゆる分野で日本にいても体験できないような貴重なイベントが盛りだくさん。
せっかくだから、お隣さんや友人、同僚のドイツ人を誘って出掛けてみよう!!
(編集部:高橋 萌)

日独日独の歴史をちょっと復習

横浜港に停泊する「アルコナ」号
横浜港に停泊する「アルコナ」号、カール・フォン・アイゼンデッヒャーによる水彩画(ボン大学日本文化研究所所蔵、トラウツコレクション)

日独交流150周年の起点となるのは、日普修好通商 条約が締結された1861年1月24日(旧暦の万延元年 12月14日)。当時はまだ大小合わせて40 ほどの国々が乱立する戦国時代にあった中欧のこの地に「ドイツ」という連邦国家は存在せず、その前身であるプロイセン王国(普)と日本が結んだ条約だった。対する日本は江戸時代の末期、腰に刀を差したお侍さんが闊歩している時代。鎖国していた日本に、米国や欧州などの列強諸国から猛烈なアプローチが相次いでいた時代でもあった。

ドイツ側の植民地主義的欲望が渦巻く修好条約から幕を開けた日独関係だが、戦前・戦後を通して医療や法律、道路標識まで、ドイツのものを参考にしながら近代国家としての基礎を作ってきた日本にとって、一歩先を行くドイツへの信頼は並々ならぬものがあったことは確かだ。

国民性が似ていると言われる日本とドイツ。第2次世界大戦で同じように苦汁を味わい、その後、奇跡的な経済成長を果たすなど、歴史的な共通点も多い。今年の150周年交流事業の名誉総裁には皇太子さまとドイツのヴルフ大統領が就任。それぞれの国が誇る技術力や個性的な文化を通して、経済・文化の双方から二国間関係の発展を目指す。

日独150周年 年間イベントダイジェスト

1月 Januar

1月19日(水)~27日(木)各地
能の公演 No-Theater

能日独交流150周年オープニング行事として、金春流の能公演がドイツ各地で開催される。演目は、ベルリンで「船弁慶」「葵上」。ミュンヘンで「清経」。デュッセルドルフとエアフルトで「船弁慶」。日本語で演じられ、ドイツ語の字幕が付く。能を鑑賞する のは初めて!というあなたは、www.thenoh.com で予習を。各演目のあらすじを事前にチェックしておけば、能の世界を存分に堪能できるはず。

1月19、20日 ベルリン
Haus der Kulturen der Welt
John-Foster-Dulles-Allee 10, 10557 Berlin
www.hkw.de

1月22日 ミュンヘン
Gasteig, Carl-Orff-Saal
Rosenheimer Str.5, 81667 München
www.gasteig.de

1月24日 エアフルト
Theater Erfurt
Theaterplatz 1, 99084 Erfurt
www.theater-erfurt.de

1月27日 デュッセルドルフ
Schauspielhaus, CENTRAL
Gustaf-Gründgens-Platz 1, 40211 Düsseldorf
www.duesseldorfer-schauspielhaus.de

※上演時間、チケットなど詳細については各会場のウェブサイトをご参照ください。


1月21日(金)~ 3月6日(日) Berlin
日本のアニメーション映画の原画展
Räume und Visionen im japanischen Animationsfilm

日本のアニメーション映画の中でも、カリスマ的な人気を誇る「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明、「攻殻機動隊(GHOST IN THE SHELL)」の押井守をはじめ、日本のアニメーション映画のクオリティを高めてきた重要な監督やイラストレーターが描いた原画を展示する。

Künstlerhaus Bethanien
Mariannenplatz 2, 10997 Berlin
http://jardinsdespilotes.org


1月27日(木)~ 3月27日(日) Frankfurt
京都の伝統的な手工芸品展
WAZA – Traditionelles Kunsthandwerk aus Kyoto

手工芸品古都が生み出す珠玉の手工芸品。京都の職人、およそ30人の作品が一同にお披露目される。伝統の重みと、匠の技が紡ぎ出す輝きをあわせ持つ優美な品々をご覧あれ。

Museum für Angewandte
Kunst Frankfurt Schaumainkai 17, 60594 Frankfurt
www.angewandtekunst-frankfurt.de


2月 Februar

2月3日(木)~ 各地
150周年の特別切手、発売
Briefmarke - Gemeinschaftsausgabe mit Japan

日独交流150周年を記念して、日独共通デザインの特別切手が両国で共同発行される。デザインを手掛けたのは、ディーター・ツィーゲンフォイター氏。共に世界遺産に登録されているレーゲンスブルクの旧市街と薬師寺の描かれた2種類の切手が発行される予定。

www.deutschepost.de


2月6日(日)~12日(土) 各地
創造する伝統2011 ドイツ公演ツアー
Creative Tradition 2011 - Deutschland tour

創造する伝統2011千数百年の歴史を誇る日本伝統音楽である雅楽、舞楽と声明をベースに、日本の伝統的古典形式の舞台と現代形式の舞台の、異なる2つの世界を見せてくれる。演奏される雅楽曲は、シュトックハウゼン作曲「リヒトより雅楽曲抜粋」とベルリン、デュッセルドルフで現代音楽を学んだ三輪眞弘による委嘱作品。和と洋が音楽の中で出会い、新しいハーモニーを響かせる。

2月6、7日 ベルリン
Großer Sendesaal des RBB
Masurenallee 8-14, 14057 Berlin

2月9日 デュッセルドルフ
Tonhalle
Ehrenhof 1, 40479 Düsseldorf

2月11日 フランクフルト
Saalbau Titus-Forum
Walter-Möller-Platz 2, 60439 Frankfurt

2月12日 ヴュルツブルク
Barbarossa Saal im Maritim Hotel
Pleichertorstr.5, 97070 Würzburg

※詳細は下記のウェブサイトをご参照ください
www.creativetradition.de


2月13日(日)~ 3月27日(日)Leipzig
現代日本の「本」のデザイン展
Japanisches Buchdesign der Gegenwart

絵本や漫画、専門書、図鑑まで、およそ100点におよぶ日本の本を展示。日本のブックデザインの「今」を紹介する。

Stiftung Werkstattmuseum für Druckkunst Leipzig
Nonnenstr.38, 04229 Leipzig
www.druckkunst-museum.de


2月17日(木)~ 4月6日(水)Hanau
ジュエリー芸術家・石川真理の個展
Mari Ishikawa, PARALLEL WORLDS

石川真理さん個展ミュンヘンで活動する石川真理さんが、「PAR ALLEL WORLDS」をテーマにジュエリー100点、写真20点を展示する。自然の素材を取り入れた幻想的な作品世界を垣間見よう。

Deutsches Goldschimiedehaus
Altstädter Markt 6, 63450 Hanau
www.gfg-hanau.de


3月 März

3月4日(金)~ 6月19日(日)München
日本の現代ファッション、30年の歩み
Future Beauty

ヨウジヤマモト、川久保玲、三宅一生ら1980年代からアヴァンギャルドでモダンなデザインによって世界中を魅了してきた日本人デザイナーたち。同展では、80年代から今までの30年間の日本の現代ファッションの変遷を俯瞰する。会場には、ファッションショーで発表された作品の実物が多数展示される。

Haus der Kunst
Prinzregentenstr. 1, 80538 München
www.hausderkunst.de


5月 Mai

5月21日(土)~ 28日(土)Düsseldorf
経済展「150年の経済パートナー、
日独経済産業交流の変遷と展望」
Wirtschaftsbeziehungen zwischen Japan und Nordrhein-Westfalen im Wandel der Zeit

500社を越える日系企業が集まるノルトライン=ヴェストファーレン州。この地域が日本との経済関係において重要な拠点であったことは、欧州最大の日本人コミュニティーを擁するデュッセルドルフという街が証明してくれている。同展では、過去(1861~ 1950年)、現在(1951~2011年)、未来のそれぞれに焦点を当て、日独の経済交流関係を俯瞰する。

NRW-Forum Düsseldorf
Ehrenhof 2, 40479 Düsseldorf
デュッセルドルフ日本商工会議所
www.jihk.de/jp


5月21日(土)~ 28日(土) Düsseldorf
日本週間
Japan Woche

日本週間毎年恒例の日本デーを最終日のハイライトに、今年は「日本週間」と規模を拡大して開催される。期間中は芸術、学術、経済など幅広いジャンルのイベントが用意されている。

※詳細は下記ウェブサイト参照
www.japantag-duesseldorf-nrw.de


5月22日(日)、27日(金) 各地
札幌交響楽団50周年記念ヨーロッパツアー
50th Anniversary SSO Europe Tour 2011

ヨーロッパ3カ国4都市を巡る札幌交響楽団のヨーロッパツアー。日本を代表する現代音楽の作曲家、武満徹やチャイコフスキーらの名曲を聴かせてくれる。

5月22日 ミュンヘン
Philharmonie am Gasteig
Rosenheimer Str.5, 81667 München
www.gasteig.de

5月27日 デュッセルドルフ
Tonhalle
Ehrenhof 1, 40479 Düsseldorf
www.tonhalle-duesseldorf.de


6月 Juni

6月17日(金)~19日(日) Düsseldorf
生け花「池坊」
IKENOBO, der Ursprung des Ikebana

日本の伝統文化を伝える「恵光」日本文化センターでは、茶道や音楽など日本に親しむイベントが多数予定されている。生け花の流派の中でも500年以上の歴史を誇る池坊の展示会では、華道家元45世の池坊専永氏によるデモンストレーションも、この日独交流150年という記念すべき機会に実現する。

EKO haus der Japanische Kultur e.V.
Brüggener Weg 6, 40547 Düsseldorf
www.eko-haus.de


7月 Juli

7月17日(日)München
ミュンヘン日本祭り
Japan Fest München 2011

日本の伝統文化の紹介あり、コスプレあり、お盆の夏祭りのような楽しい日本祭り。

Englischer Garten München
80538 München
www.muenchen.de.emb-japan.go.jp


8月 August

8月26日(金)~10月24日(月) Berlin
北斎展
Hokusai – Retrospektive

ゴッホをはじめ、世界の画家に影響を与えた日本画家、葛飾北斎。今年、欧州では過去最大規模となる「北斎展」がベルリンにやってくる。

Martin-Gropius-Bau Berlin
Niederkirchnerstr. 7, 10963 Berlin
www.gropiusbau.de


11月 November

11月5日(土)~11日(金)Frankfurt
ジャパンウィーク
Japan Week

ジャパンウィーク日本の生活文化や伝統芸能、ファッションや音楽を世界中に発信しようと、開催地の地元市民を巻き込んで行われるジャパンウィーク。1986年以降、世界各都市を巡回してきた同イベントが、今年はフランクフルトで開催される。8月16日まで参加団体を募集中。

会場はOper Frankfurt ほか市内5カ所
www.iffjapan.or.jp/japan_week/new_info/


公式ウェブサイト

最終更新 Dienstag, 13 August 2019 10:12
 

ヘンドリック・トーマ インタビュー ソムリエからワイン・エンターテイナーへ

ヘンドリック・トーマ ソムリエからワインエンターテイナーへ

2009年夏にスタートし、好評を博しているインターネット・ワイン情報番組「TVINO(ティーヴィノ)」。ハンブルク近郊トルネッシュのワイン商社、Hawesko社のオンラインショップが提供するこの番組のパーソナリティーを務めているのが、マスター・ソムリエ(Master Sommelier)のヘンドリック・トーマ(Hendrik Thoma)だ。中でも醸造家やワイン関係者をゲストに迎えてのトークショーは、肩肘張らず、視聴者もおしゃべりに同席しているような気分にさせてくれる。20余年のソムリエ経験を活かしつつ、ワインジャーナリスト、そしてエンターテイナーとして活躍の幅を広げ始めた彼に、ソムリエになった経緯やドイツワインの可能性などについて聞いた。(インタビュー・構成:岩本 順子)


© tvino.de
ヘンドリック・トーマ Hendrik Thoma
1967年ノルトライン=ヴェストファーレン州ギュータースロー生まれ。ドイツおよび米国で料理人修業を経た後、ハイデルベルク・ホテル専門学校のソムリエコースを終了。ハンブルクのレストラン、ルイ・C・ヤコブ(ミシュラン1つ星)にて長年シェフ・ソムリエを勤め、その間にマスター・ソムリエ資格を取得した。現在は独立し、ジャーナリズム、プレセンテーション、コンサルタント分野で活躍中。
www.hendrikthoma.de
www.tvino.de

初めて飲んだワインは、マテウス・ロゼのはず

あなたのご両親は、ワインがお好きでしたか?

僕の出身地は非常にプロテスタント色の濃い地域で、ワインは特別な日の飲み物。伝統的にビール、コルンなどのシュナップス、ブランデーが飲まれている地方なんだ。僕の両親は標準的なドイツ人で、特にワインに興味を持っているわけではなかった。そんな彼らが、たまに食事時に飲んでいたワインがポルトガル産のマテウス・ロゼ(Mateus Rosé)だった。これが僕が初めて飲んだワインのはずだよ。当時はこのワインのように、甘口が主流だったんだ。ドイツ人は昔から輸入ワインが好きだった。エキゾチックで旅情を誘われるワインがね。そういえば、僕の父は時々ボルドーの赤を買って来て、自慢していたことがあったな。そうそう、彼が南アフリカ・ステレンボッシュ(Stellenbosch)地方にあるブラーウクリッペン(Blaauwklippen)醸造所のカベルネソーヴィニヨンを買って来た時のことはよく覚えているよ。

すると、ワインに興味を持たれたのはやはり、ご両親の影響でしょうか?

両親ではなく、彼らの友人の影響だったと思う。父母の友人に、大変なワイン好きがいて、彼の家には膨大なワインのコレクションがあったんだ。彼は、僕がワインに興味を持ち始めていることに気付いて、気前良くボトルを開けてくれたものだった。

あとは、実家の近くのワインショップでアルバイトをしたことをきっかけに、ワイン好きになったっていうのもある。仕事の後でオーナーやスタッフと試飲を繰り返し、多くのことを学んだよ。でも、ワインへの本格的な興味が沸いたのは、もっと後になってからだったんだ。

食への関心は、どなたの影響ですか?

これは祖母の影響だと思う。父母がいつも忙しかったので、僕はよく祖母のところに遊びに行っていたんだけど、そこで彼女が作る美味しい料理を食べるのが楽しみだった。プフェッファーポットハスト(Pfefferpotthast)や牛舌の煮込みなどの伝統料理で、祖母のキッチンでは手伝いもしたよ。

2009年のTVINOの番組風景。ゲストはピーター・ゲイゴ氏
2009年11月26、27日にアップロードされたTVINOの番組風景。
この時のゲストはピーター・ゲイゴ(Peter Gago) 氏。
英国生まれ、オーストラリアのペンフォールド社のワインメーカー。
ライターでもある © tvino.de

最初はソムリエではなく、料理人を目指したそうですね。

僕は勉強が苦手で、学校を卒業するとすぐ料理人の道に進んだ。最初はギュータースローのパークホテル(Parkhotel)で修業し、皿洗いから調理、サービスに至るレストラン業務を一通り学んだ。でも、このままギュータースローに留まっていては将来性がないと思い、料理人修業と兵役を終えると、ハンブルクのラントハウス・シェラー(Landhaus Sherrer)で働き始めた。ここは当時、ミシュラン2つ星のレストランだったんだよ(現在は1つ星)。

米国の名ソムリエ、 ラリー・ストーンが手本なんだ

当時、ラントハウス・シェラーにソムリエ職の人はおられましたか?

シェラーには素晴しいワインカルテがあったけれど、ソムリエに相当するケルナー(給仕)はいなかった。もちろん、これは今日の視点からの見解であって、決して批判しているわけじゃない。でも、1980年代後半のドイツでは、一流レストランであっても、ワインについての専門的な知識を提供できるスタッフはほとんどいなかったんだ。先駆者となったのが、かつてヴィースバーデンのレストラン、エンテ(Ente)にいたラルフ・フレンツェル(Ralf Frenzel)、そして1988 年に「ゴーミヨ・ドイツワインガイド」の創刊号で最優秀ソムリエに選ばれたパウラ・ボッシュ(Paula Bosch)といったソムリエたち。マルクス・デル・モネゴ(Markus del Monego)がソムリエ世界チャンピオンを受賞し、この職業が広く知られるようになったのは、それから10年後の1998年だった。

あなたが料理人からソムリエに転身したきっかけは?

1990 年にラントハウス・シェラーの調理スタッフの職を辞めて米国へ渡り、カリフォルニア州ナパ地方・ルサーフォード(Rutherford)のリゾートホテル、オーベルジュ・デュ・ソレイユ(Auberge du Soleil)のレストランで2年間働いたんだ。そのレストランのシェフ、ウド・ネクトニーズ(Udo Nechutnys)は、フランス・リヨンの著名レストラン、ポール・ボキューズ(Paul Bocuse)などで修業を積み、1970年代にナパ地方にやって来たドイツ人で、現地のあらゆるワイナリーやレストランと繋がりを持っていた。また、僕のルームメイトがニューヨーク出身の料理人で、当時ケイン・セラーというワイナリー(Cain Cellers Vineyard & Winery)のレストランで働いていてね。そのワイナリーで僕は再びワインに出会ったんだ。やがて、僕はそこでワイン造りのアシスタントをするようになり、いつの間にかレストランでよりもワイナリーで働く時間の方が長くなってしまったんだ。

また、オーベルジュ・デュ・ソレイユでも、徐々にソムリエ的な仕事を任されるようになり、米国で活躍するソムリエたちと知り合うようになった。あの頃の僕にとっての一大事件は、マスター・ソムリエのラリー・ストーン(Larry Stone) と出会ったこと。彼がルビコン・エステート(Rubicon Estate) のマネジャーをしていた頃だね。ラリーは多くの若手を育てた米国で最も重要なソムリエ。とても大らかな人柄で、僕のお手本なんだ。

探し求めていたものは、米国にあったというわけですね!

そう。ドイツへ戻ってから、僕はラインガウ地方のワイナリー、ヨハネスホーフ(Johanneshof)でしばらく働いていたんだけど、その時にはもうソムリエになろうと決意していた。その後、ハイデルベルクのホテル専門学校にソムリエ科があることを知って、2年生に飛び入り入学。コース終了後、ソムリエとしてスタートを切ったんだ。

ソムリエとしての最初の勤務先はどこですか?

まず、ライプツィヒのインターコンチネンタルホテル(現Westin Hotel)で1年半働いた。フランスワインが主体だったけれど、旧東独のザクセンやザーレ地方、世界各地のワインも豊富で、約300 種類が常備されていた。でも、上部の管理が厳しく、なかなか新しいことに挑戦できなかったんだ。そんなある日、オープンしたばかりだったハンブルクのホテルのレストラン、ルイ・C・ヤコブ(Louis.C.Jacob/1995 年オープン)がソムリエを募集していると知り、早速応募して採用された。以来、ずっとハンブルク住まいなんだ。

長年、ルイ・C・ヤコブのシェフソムリエを務められ、まさにヤコブの顔でしたね。

1995年から2008年まで勤務したから、計13年。実に様々な人と知り合い、多くのことを学んだ、充実した期間だったよ。

その13年の間に、レストランを訪れる客のワインの好みやソムリエの作法などに変化、進化はありましたか?

僕が働き始めた頃は、顧客のほとんどがボルドー・ドリンカーだった。誰もが「ワインはボルドーかサンセール(Sancerre)」という古典的嗜好。好みが画一化されていたんだ。1990年代半ばは、年代物のボルドーがまだそれほど高価でなく、専門業者から難なく購入できたしね。また、初期のヤコブには、ドイツワインと言えば、モーゼル地方のワインが少し置いてあるだけだったんだ。そこで僕はまず、ドイツワインの比率を増やした。ボルドーがどんどん高価になっていたので、ボルドー以外のワインを勧められる状況になったんだ。ほかのワインにもチャンスが巡ってきたというわけだね。そうしてドイツワインをはじめ、ポルトガルやスペイン、カリフォルニア産などのワインもよく飲まれるようになった。

顧客との信頼関係が大切

13年間で最も貴重な体験は何でしたか?

同じレストランで長年勤めたので、常連客の好みを熟知することができ、彼らとの間に信頼関係が生まれたことかな。信頼関係があったからこそ、彼らの本来の好みとは違うワイン、たとえばドイツワインを勧めても、それを楽しんでもらうことができたと思う。

僕は人の名前はあまりよく覚えられないんだけど、その人の顔とその人が飲んだワインは、なぜかしっかり覚えられたし、レストランでは顧客情報のカルテを作っていた。顧客が以前、どんなワインを選んだかをちゃんと把握した上で接客していたんだ。顧客にとっても、僕たちがそれを把握していることはいろんな面で有利だしね。

あなたが体得した、あるべきソムリエの姿とは?

ソムリエには、まだよく知られていない優れたワインを広く知ってもらうという役割がある。基本となる古典的なワインは知っておく必要があるけれど、そこで終わってはいけない。客にお勧めを聞かれて、すぐに答えられなければならない。顧客の予算にあったワインを押さえておくことも大切だ。

顧客が限られた予算内で充分楽しめるよう手助けすること、顧客と良い関係を築き、彼らにまた来てもらえるようなサービスをすることも大事だね。ほかには、価格が公正であること、ワインカルテがいつもちょっと流行の先、ほかのレストランの先を行っていることも大事。あと、ソムリエは正確な振る舞いをする必要がある。一番良いのは、正確に振る舞いつつ、リラックスした接客ができること。堅苦しくなっちゃいけない。僕はもともと堅苦しいタイプじゃないけれど、経験を積むごとにそのあたりが磨かれていったと思う。

今日、ミシュランの星を獲得しているレストランへのプレッシャーには大変なものがある。ルイ・C・ヤコブで働いていた当時の僕にとっても、それは大変なストレスだった。完璧さが要求され、失敗は許されない。しかし、食事というのは本来楽しいもの。正確さ以上にハートや情熱の方が重要だと思うんだ。

理想的なワインカルテとは、どんなものでしょう?

ワインカルテは大きい方が良い。小さなカルテではバラエティーが限られてしまうから、あらゆるワインを載せておく方がレストラン客にとっても選びやすい。でも、あまりにも分厚過ぎるワインカルテも良くないんだ。40、50本くらいのワインが揃っていて、良いソムリエがいれば理想的だね。

ワインと料理の組み合わせ、あるいはワインそのものをどう楽しんでいらっしゃいますか?

たとえばここに素晴しいワインがあるとする。すると、料理がどんなものであっても、そのワインをずっと愛おしみ、楽しみ続けるということがあるね。通常、僕はその時の状況や雰囲気でワインを決めることが多い。季節や天気、気温などを基準にね。料理を伴うなら、せいぜい軽いワインが良いのか、重い方が良いのかを考えるだけ。僕は、それぞれの料理に2種類もワインをサービスするような過剰なことはしたくない。そういう点で、ピノ・ノワールはカメレオンのように、かなりいろんな料理にマッチする。

ワインと料理の世界を平たい板に例えるなら、一方の端に不可能な組み合わせがあり、もう一方の端に最高の組み合わせがある。そして、その間がワインの世界だ。そこには無限の可能性がある。定説的な、凝り固まった考え方をする時代はすでに終わっていると思うよ。

ルイ・C・ヤコブに勤務されていた時に、マスター・ソムリエの資格を取得なさっていますが、ソムリエの仕事と勉強の両立は大変だったのではないでしょうか。

マスター・ソムリエの勉強は確かに大変だった。準備に4年掛かり、資格が取れたのは1999年だった。ザ・コート・オブ・マスター・ソムリエ(The Court of Master Sommeliers)というソムリエ資格を認証する世界機関は、とても英国的な組織だけれど、国際性を志向していて、世界中どこでも働けるワインケルナーを養成することを目的としているんだ

1999 年にゴーミヨの年間ソムリエ優秀賞を受賞なさいましたが、マスター・ソムリエの資格取得と同年だったのですね。

そう、1999 年は僕にとって大きな転機だった。受賞後、テレビ局から声が掛かるようになった。その頃には僕もシェフソムリエとしてスタッフを抱えていたので、時間的に余裕があり、副業も行える状態だったから、VOXやNDR局などの仕事を引き受けた。VOX 局のコッホドゥエル(Kochduell)は、ドイツのテレビ史上初めてソムリエを登場させた料理番組のはずだよ。

TVINOでは、これまでのあらゆる経験を活かせる

そのうちに副業が専業となり、独立されたのですよね。

いや、その前に業務用食材大手メトロ(METRO)から声が掛かったんだ。ワイン商の仕事も面白そうだなと考え、思い切って転職した。長年レストランでばかり働いていたから、ほかの世界ものぞいてみたくなったんだよ。でも、実際に働いてみると、ここは自分の居場所じゃないと感じるようになった。そこで、一通りのことをやってから辞めた。独立したのはそれからだったんだ。

2009年にスタートしたTVINOは好評ですね。

TVINOの仕事は本当に面白く、とても気に入っている。しばらくは、TVINOが僕の仕事の主体になると思う。インターネット上での番組公開はコミュニティーを作れるし、フェイスブックやツイッターなどを駆使しながらワインを自在に紹介できる。このような手段を利用することは効果的な戦略だと思う。それにTVINOでは、僕がこれまでやってきたあらゆる経験を活かすことができる。自分らしさを出せる仕事だと思うよ。

あなたは、これまでドイツワインの紹介に大変尽力されてきました。今、日本ではドイツワインの人気が低迷していますが、ドイツワインを勧めることには特別な困難が伴うと思いますか?

心の広い大らかな人たちになら、フランス人だろうが、アメリカ人だろうが、ドイツワインを勧めることは全然難しくないよ。でも、頑固で心の狭い人たちにドイツワインの良さを伝えるのは難しい。彼らは自分の意見や主張に凝り固まっていて、新たな挑戦をしたがらないから。寛大で素敵な人は、ワインに対してもとてもオープンな考え方をしているよ。

最終更新 Dienstag, 13 August 2019 10:25
 

年末年始の音楽の贈り物

©Sae Esashi

年末年始の音楽の贈り物  中村 真人

毎年12月半ばになると、新聞の文芸欄の一面にCD案内が掲載される。その年の推薦盤を選者数人がプレゼント用に紹介するというものだが、私は毎年このコーナーを楽しみにしている。CD 選びの参考になるだけでなく、選者の機知が感じられるからだ。例えば、ベルリナー・ツァイトゥング紙ではこんな風にカテゴライズされている。「年間ベストCD」「教養ある叔母のためのCD」「悪い甥のためのCD」「幸運をもたらすCD」・・・・・・。これを眺めていると、今年も1年無事に終わったことへの感謝と、来るべき年への希望を込めて、親しい人や自分自身のためにどれか1 枚選んでみたくなる。「贈り物としての音楽」を強く実感する季節である。

ドイツでも稀な厳しい寒さが続く。こんな冬の季節の音楽となると、大学時代に受講していた池田香世子さんのドイツ語の授業を時々思い出す。モーツァルトのオペラ《魔笛》のテキストを半年間かけて訳していくという授業だった。受講者は確か10人もいなかったが、それだけにアットホームな雰囲気があり、授業の後にみんなでカフェに行くこともあった。池田さんが、ベストセラー小説『ソフィーの世界』や映画『ベルリン・天使の詩』の字幕を担当した著名な翻訳家であることは知っていたが、実はジャンルを問わず相当な音楽愛好家でもあった。時々授業から脱線して、「実は私、ドイツに留学していたとき、よく車を運転して指揮者のチェリビダッケの追っかけをしていたのよ」といった意外な思い出話を聞くのは楽しかった。12 月に入った頃だったと思うが、池田さんがふとこんなことをおっしゃった。「ドイツの冬というのは本当に長くて厳しいの。でも、だからこそ人は劇場に足を運ぶのだと思うわ。映画『アマデウス』にもそういうシーンがあるけれど、劇場のシャンデリアのきらびやかさは本当に格別なのよね」。

大学卒業後、本場の音楽に思い切り浸りたくてベルリンにやって来た1年目、池田先生のあの言葉を本当に実感することになったのが年末年始の季節だった。日が落ちるのがみるみる早くなる、どこか陰鬱な11月が終わり、アドヴェントの季節になると、コンサートホールに、教会に、音楽があふれるようになる。日本だと「第9」一色に染まるが、ドイツでは例えば《クリスマス・オラトリオ》を筆頭に、《メサイヤ》、オペラ《ヘンゼルとグレーテル》、《くるみ割り人形》、胸躍るリズムのバロック音楽等々・・・・・・。寒く暗いこの時期、温かさに満ちた音に人は幸せを感じ、つかの間かもしれないが、憂鬱な気分から解き放たれる。そんな中に《魔笛》もあった。ドイツ全土の伝統というわけではないようだが、ベルリン州立歌劇場では毎年この時期、必ず《魔笛》を上演している。子ども連れのお客さんが多いのもこの季節の特徴だ。私の知人は、最近小さな息子がパパゲーノとパパゲーナが結ばれる場面で、2人に飛びつくエキストラの役をもらい大喜びしているのだと、嬉しそうに話してくれた。19世紀の建築家シンケルの舞台画が元になった、ブルーを基調とした美しくも楽しい舞台を見ていると、池田先生のチャーミングな日本語訳で息を吹き込まれたパパゲーノがいきいきと脳裏に蘇ってくる。素朴で愛が詰まったこの音楽も、モーツァルトから私たちへのかけがえのない贈り物だ。

おいら鳥刺しいつでも愉快 ごきげんハイサホプサッサ
おいら鳥刺しこの国じゃ どなたさんにも知れた顔
娘捕る網あったらなあ 片っ端から捕まえて 
みんな篭に入れちまう 娘はみんなおいらのものさ
(池田香世子訳)

音楽に彩られたクリスマスが終わると、家族と過ごしていた人々が続々と住む場所に戻って来る。クリスマスは家族と、大晦日は友達や恋人と過ごすというのが、こちらの定番のようだ。大晦日のコンサートは開演時間がおおむね早い。有名なベルリン・フィルのジルベスターコンサートは17時15分から。聴衆もオーケストラのメンバーも、コンサートが終わってから友達と落ち合い、祝う時間はたっぷり残されている。日本に比べると演奏頻度はずっと少ないが、この日は大都市ならどこかのオーケストラが世の平和への願いも込めてベートーヴェンの「第9」を演奏している。自宅でパーティーをする人もいれば、ブランデンブルク門やダンスホールへと繰り出す人も。日付が変わった瞬間、シャンパンかゼクトで乾杯!

©Sae Esashi

1月1日のコンサートといえば、世界中にテレビ中継されるウィーン・フィルのニューイヤーコンサートが何と言っても有名だ。だが、私はベルリンの音楽好きで、このコンサートを毎年欠かさず見ているという人になぜか出会ったことがない。「あのあまりに豪華絢爛な雰囲気が、ちょっとねえ。それにウィーンとベルリンはライバル関係にあるから」という生粋のベルリンっ子のおばさんの言葉の真偽はともかく、11時開演という時間にも理由がありそうだ。遅くまでパーティーをしていた人々の多くは、まだ夢の最中にあり、前夜に散乱したゴミを片付ける清掃車の姿がようやく街角から消えた頃。日本で中継が始まる19時という絶妙な時間を思うと、あれはまさに極東のファンへ向けた贈り物ではないかという気さえしてしまう。

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを一生のうちに一度でも生で聴ける人は相当限られているが、自宅で新年最初に聴くCD を選ぶのは、音楽好きにとって結構大きな楽しみだったりする。2011年のクラシック音楽シーンを彩るのは、没後100年のグスタフ・マーラーだろうか、それとも生誕200年のフランツ・リスト?

先のベルリナー・ツァイトゥング紙のCD紹介では、「年間ベストCD」の中にルネ・ヤーコプス指揮ベルリン古楽アカデミーの《魔笛》が選ばれていた。今年最初の1枚はこれにしようと思う。

2011年が皆様にとって、愛と喜びにあふれた、そして音との出会いに満ちた年でありますように。

2010年12月20日 ベルリンにて

中村真人(なかむら まさと) 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。現在はフリーのライター。著書に 『素顔のベルリン』(ダイヤモンド社)。ブログ「ベルリン中央駅」http://berlinhbf.exblog.jp

中村真人によるコラム
最終更新 Dienstag, 13 August 2019 10:34
 

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