ジャパンダイジェスト
特集


第40回世界体操選手権

第40回世界体操選手権

北京五輪まであと1年。晴れ舞台への切符をかけて技を競い合う第40回世界体操競技選手権大会が9月1日から9日までシュトゥットガルトで開かれる。個人、団体、種目別に24カ国から約500人の選手が参加。特に男子は地元開催の五輪を前に力の入る中国と前回のアテネ五輪で団体優勝を飾った日本、若手の台頭が著しいドイツの争いが見ものだ。

出場予定選手(男子)

富田洋之、桑原俊、中瀬卓也、星陽輔、沖口誠、水鳥寿思
Fabian Hambüchen, Thomas Andergassen, Phillipp Boy, Robert Juckel, Marcel Nguyen, Eugen Spiridonor

● 北京への出場権

今大会で優勝した上位12チームが出場権を獲得する。出場権を逃した国の選手は国際体操連盟の規定に従って、個人種目への出場権を得ることができる。

● 新採点方式

2006年1月から導入された新採点方式。高難度の「ウルトラC」が「スーパーE」に進化するなど10点満点の尺度では採点しきれないという現状から発案された。新しい方式では、①選手の演技構成の難度を反映した上限なしの「演技価値点」②実技の正確さを10点満点から減点して出す「演技実施点」の2つを合計する。

● シュトゥットガルトは体操の町

第2次大戦後に、ドイツで初めてとなる体操の国際大会がシュトゥットガルトのキレスベルクで開かれたのは1950年。その後、数年間は、ドイツ、ロシア、日本がしのぎを削る場として注目を集めた。今大会が開かれるハンス・マルティン・シュライヤー・ハレが1983年に落成され、以降は、ドイツ国内選手権が毎年ここで開かれている。ドイツ体操協会の本部もここにある。

● ドイツと日本の体操界を結ぶ縁

鉄棒の離れ技で有名なギンガー宙返りを考案し、1970年代、日本でも多くのファンがいたエーバーハード・ギンガーはドイツ人。シュトゥットガルト近郊に住んでいる。また具志堅幸司全日本男子監督も現役引退後は、ドイツ南西部のチュービンゲンに留学し、指導者としての研鑚をドイツで積んだ。


日独両チームの選手を応援しよう

世界選手権大会を生で見たい方は、
Hans-Martin-Schleyer Halle Mercedesstr.69 70372 Stuttgart
チケットはオンラインでも購入可能
詳細は www.enbw-turn-wm.de

テレビ中継
9月3日(月)4日(火) 22:30~22:45 SWR
9月5日(水) 22:00~22:30 SWR
9月6日(木) 22:00~22:30 SWR
9月7日(金) 16:00~17:30 ZDF
9月8日(土) 14:30~16:00 ARD
9月9日(日) 15:45~17:00 ZDF

エースの横顔

富田洋之冨田洋之
(とみた・ひろゆき)
● 1980年11月21日生まれ
● 大阪府出身、身長166センチ
● 得意種目は鉄棒、つり輪、平行棒

2005年の大会で個人優勝を果たした。06年は中国の楊威選手に敗れて2連覇はならなかったものの、今大会で再び王者の座を目指す。「美しい体操」を信条とする。

ファービアン・ハンビュヒェンFabian Hambüchen
(ファービアン・ハンビュヒェン)
● 1987年10月25日生まれ
● ベルギッシュ・グラードバッハ出身、身長163センチ
● 得意種目は床と平行棒

父親の指導の下、体操競技を始め、若干16歳で出場したアテネ五輪ではフレッシュな演技で観客を魅了した。19歳にしてドイツ体操界を背負う若きエースのモットーは「わが道を行く」。
最終更新 Montag, 02 September 2019 18:04
 

爽やかにドイツの夏を乗り切ろう

爽やかにドイツの夏を乗り切ろう

4、5月の真夏のような暑さから一転して、7月に入っても天気はぐずぐず、一体、今年はドイツに夏はやって来るのだろうか?と思っていたら、夏はちゃーんとやって来ました。それに統計では年々ドイツでも気温は上昇し、日本をほうふつさせるようなムシムシした暑さの日も増えているのです。そこで今回はドイツで夏を爽やかに過ごすための知恵を集めてみました。また、本誌の料理コーナー「ドイツ食の歳時記」でおなじみの舞楽あき子さんにドイツで手に入る食材を使ったさっぱり料理を教えていただきましたので、ぜひお試し下さい。(編集部)

01身の回り編

自然素材と風通しの良い服&サングラス

サングラス自然素材のものを身につければ、汗をかいても熱が衣服の外に出て行きやすいので、夏場は麻や綿といった素材のものを選ぶのが基本。そして紫外線のきつい欧州で忘れてならないのはサングラス。日本ではビジネスマンがサングラスをかけるのはあまり評判が芳しくないが、目の日焼けを予防するため、陽射しの強い日に外出する際にはドイツ人と同じようにサングラスを忘れずに。

シャワーでさっぱり

体のほてりをさまし、汗をとるにはシャワーをさっと浴びるのが一番。風呂よりシャワー文化のドイツだからこそ、シャワー用のジェルの種類も豊富。清涼感のあるもので、ベタつきを押さえれば気持ちよく過ごせる。またシャワーを浴びる時間がないという時でも、ひじから下を水につける、あるいは洗面器に水をはって足を時々つけるだけでもひんやりと心地よさが伝わってくる。

寝苦しい夜には冷水入りの湯たんぽ

熱帯夜というのにはドイツではそうそう遭遇しないが、時に寝苦しいと感じることはあるはず。そんな時は、冬には温水を入れる湯たんぽを活用して、代わりに冷水を入れて足元に置いてみよう。

ミントの香りですっきり

ミントオイルを耳の後ろやうなじにすりこんでみると頭がすっきりしてくる。暑苦しいオフィスにいるときにもすっと爽やかになる。間違っても目の下に塗ったりしないように。


懐かしのかき氷

ドイツに無ければ作っちゃえ。氷をミキサーでクラッシュして、シロップはスーパーで売っている飲料用のものをかければあっという間にかき氷の雰囲気が味わえます。

02住まい編

ブラインドを活用する

「暑い!」とは思っても、エアコンを購入しようとまで考える人は少ないはず。いくら湿度が高くても日本のそれとは比べものにならず、日陰に入ればまだまだ涼しい。そこで家の中を涼しく保つためにブラインドの活用を。朝、太陽光線が差し込まないようにブラインドを下ろし、窓を開けて冷気を入れる。気温が高くなってきたら、窓を閉め、陽が暮れたころにまた換気を すれば、熱気が入らず、快適な温度が保てる。

壁面や屋根の緑化で涼を呼ぶ

つたのからまる家つたやブドウなどを壁面にはわせたり、多肉植物を屋根の上に植栽することによって直射日光が避けられ、屋内の温度も2~3度下げることができるといわれている。自治体によっては助成金を出しているところもあるのでぜひ、問い合せを。一軒家でないという人も、ベランダのプランターに朝顔などを植えて誘引し、天然のすだれを作ってみるのも面白い。

アウトドアライフをエンジョイする

冬の寒さを考えて作られているドイツの家は密閉性が高く、どだい夏の暑さを快適に過ごせるようにはできていない。そこでお勧めしたいのはアウトドアライフ。といっても難しいことではない。涼しい朝の内に朝食を自宅の庭やベランダでとったり、休日もオープンエアの映画を見に行ったり、夕方から開催される野外での観劇や映画、コンサートを楽しんでドイツならでは夏を楽しみたい。また汗をかきながら飲むビールのおいしさは格別だ。

読者に教えていただきました
簡単自家製アイス

小さく切って凍らせておいたバナナに、クリーム大さじ2、3杯程度(バナナ1本につき)を加え、(ハンド)ミキサーにかけて冷やし固めればおいしいアイスのできあがり。*缶詰の黄桃でも同様にできます。

03食べ物編
舞楽あき子さんの手軽にできるさっぱり料理3品

スモークサーモンのたたき風

スモークサーモンのたたき風

暑い日は、喉ごしのよい刺身が食べた~い!!新鮮な魚が手に入らなくても、スモークサーモンをたたき風に仕立ててみたら、お洒落にそれっぽく仕上がりました。スモークサーモンは高価なものでなくても、塩気が少なくて脂がのったスーパーのブランドもので十分。つゆも器も冷蔵庫で、きりっと冷やして召し上がれ。刺身用の鮭やまぐろが手に入るのなら、もちろんそれで作ってみてください。その場合は、醤油をこころもち多めに。

材料(2人分)
スモークサーモン
200g
エシャロット Schalotten
2個
にんにく
1〜2片
いくら(塩漬け瓶詰め)
少々
あさつき Schnittlauch
少々
だし汁
50ml
しょうゆ
30ml
粉わさび
小さじ1
少々
コショウ(できれば挽きたて)
少々
作り方
1. 器を冷蔵庫で冷やしておく。
2. 粉わさびを水で溶き、火にかけただし汁に入れ、溶かす。(*粉わさびでないと溶けにくい)
3. しょうゆとコショウを加え、火から下ろし、荒熱をとって冷蔵庫へ。
4. エシャロット エシャロットとにんにくをみじん切りにする。
日本ではラッキョウのことを指す場合があるが、これが本物のエシャロット
5. スモークサーモン スモークサーモンを小さく切り分け、包丁の背でたたき、 (4)と混ぜ合わせる。
たたく時は包丁の背を使って
6. (5)をプリン型に入れ、冷凍庫で30~45分。表面がうっすら凍ってくるくらいまで冷やす。
7. 器に盛り、つゆをかけ、いくらとあさつきを飾る。

焼きなす

焼きなす

ドイツの大きななすを使った焼きなすです。ガスコンロや焼き網がなくても大丈夫。電子レンジとアルミホイルで簡単にできます。なすの皮のこげる匂いが郷愁を誘い、蝉の声でも聞こえてきそう。冷麦や素麺でつるつるっと済ませたい、という日のおかずや、酒の肴に最適。温かいままでも冷やしてもおいしいです。

材料
なす 1個
しょうゆ、もしくは麺つゆ  
薬味(しょうが、あさつき、かつおぶしなど)  
作り方
1. なすのへたをとり、半分に切ってそれぞれをラップでくるみ、電子レンジ強で3分加熱。
*ドイツのラップは電子レンジにかけると溶けてしまう場合があるので、必要な時はラップの代わりに電子レンジ用の容器を使うと安心
2. なすを焼く 電気コンロを強にし、その上に直接アルミホイルを敷き、なすの皮側をまんべんなく焼く。
アルミホイルを破らないように注意して!
3. 黒い焦げ目がついたら、アルミから外し、冷水で手を冷やしながら、皮をむいていく。
4. 適当な大きさに切り、しょうゆか麺つゆをかけ、薬味を添える。

Kombuchaのシャーベット

Kombuchaのシャーベット
シャーベット
これが
コンブチャ!

オリエンタルなデザインで、清涼飲料水コーナーで異彩を放つKombucha。名前を見て、あれっと思った人も多いのでは。しかし、昆布茶ではありません。日本では紅茶キノコと呼ばれているもので、紅茶に砂糖と菌を入れて発酵させたもの。紀元前中国の発祥ですが、5世紀頃、朝鮮半島のコンブー博士が日本に紹介したことから、この名前がつきました。近年、ハリウッドスターの間で評判になり、一気にメジャーに。そんなうんちくを傾けながら、是非どうぞ。

材料
Kombucha
500ml
砂糖
100g
ウォッカ
80ml
ライム絞り汁
1個分
作り方
1. Kombucha150mlくらいを温め、砂糖を完全に溶かす。
2. 残りのKombuchaとウオッカとライム汁を加え、粗熱がとれるまで置いておく。
3.
シャーベット
空気を入れないと氷の塊に…
ステンレスかアルミのバットに入れ、冷凍庫で2~3時間。かたまりかけてきたら、30分ごとにスプーンでかきまぜ、空気を入れること4、5回。
4. さらに1時間ほど冷やし、季節のフルーツを添える。
読者に教えていただきました
教会でひと時の涼をいただく

日本ならどこか建物に入ればクーラーがひんやりと効いている。片やドイツではクーラーが入っている場所はまれ。なので、どうにもこうにもならなくなった時には教会を訪れて、観光がてら、ひと時の涼をいただく。とはいえ、教会は信者のための神聖な場所という点だけはくれぐれも忘れないように。
お出かけスポット

欧州一大きな鍾乳洞 Atta-Höhle
アッテンドルンにある欧州一大きな鍾乳洞は、1907年に石灰採石場での作業中に発見された。全長6670メートルにも及び、その内1800メートルを見学できる。鍾乳洞の内部温度は常に9度前後。発見から100周年にあたる今年は様々なイベントが企画されているので、ぜひ家族連れで自然の作り出した造形美を楽しみたい。
Atta-Höhle
住所:Finnentroper Strasse 39, 57439 Attendorn
www.atta-hoehle.de

中世のワインセラー

バーデン=ヴュルテンベルク州、ズルツフェルトはドイツでも有数のワインどころ。1497年に作られた地下ワインセラーを見学した後は、選りすぐりのフランケンワイン2種類の試飲とズルツフェルト名産のお菓子が試食できる。
Tel: 09321-922665
www.weinerlebnis-sulzfeld.de
最終更新 Montag, 02 September 2019 18:02
 

5年に1度の現代アートの祭典 ドクメンタ12

Documenta Kassel 16/06-23/09 2007

5年に1度の現代アートの祭典 ドクメンタ12

現代アートって難しい。そう思っている方にも、アート好きの方にもぜひ行ってみてほしいのが、現在カッセルで開催されている「ドクメンタ12」。5年に1度しか開催されない、世界が注目する現代アート最前線のイベントだ。オープニング直後の暴風雨によって中国人アーティストの作品が倒壊するというハプニングに見舞われたドクメンタ12をリポートする。

ドクメンタとは?

「ドクメンタって一体何?」そう思われた方のために、歴史を少し振り返ってみよう。

ドクメンタが生まれたのは1955年、ドイツが第2次大戦後の挫折の只中にあった時代だ。本来ドイツは芸術面で非常に貢献度の高い国だったが、ナチス独裁により国際的なアートの潮流から遠ざかってしまっていた。そんなドイツの人々が再び現代の名作に触れられるよう、近現代の傑作品を 一堂に集めた展覧会が、カッセルの画家で教育者でもあったアーノルド・ボーデによって開催された。展覧会は大成功を収め、その後、テーマを変えて同様の展覧会が約5年周期で開催されるようになる。最初は近現代美術の紹介が中心だったが、やがて世界最新鋭のアートをフォーカスする方針に転換した。5回目以降は、毎回異なるディレクターを任命し、開催ごとに展覧会のテーマや運営をガラリと変えてしまうことで、ドクメンタを常に斬新な前衛的イベントに成長させた。

今日、ドクメンタはイタリアのヴェネチア・ビエンナーレと並び、現代アートの国際展としては不動の地位を占めている。過去に参加したアーティストには、パブロ・ピカソやヨーゼフ・ボイス、日本人では荒川修作や河原温など、現代の巨匠に数えられる作家が勢揃いしている。

作品
左)BÊLA KOLÁROVÁ "Bez názyu z cyklu Nádovil Untitled from Dishes cycle" (1966) ©Bela Kolarova
右)TRISHA BROWN “Floor of the Forest” (1970) © Trisha Brown; photo Egbert Trogemann / documenta GmbH ? VG Bild-Kunst, Bonn 2007

現代アートのテーマパーク

ドクメンタは今年で12回目を数える。過去には最新のアートがクローズアップされ過ぎて難解になってしまったこともあった。しかし今回は、観客が作品にアプローチしやすいよう様々な配慮がなされている。

中でも、アートガイドやレクチャー、映画や青少年向きのイベントなど、アート教育プログラムが豊富で、アートを理屈で捉えるのではなく、自分の心に響く作品に出合った時にどう作品と対話ができるのか、ヒントを与えてくれそうだ。

大人にも子どもにも適したプログラムが充実しているためか、会場には親子連れの姿も目立つ。子どもたちには特に、触れたり、中に入ってみたりできる作品が好評だ。また、映像を扱ったインスタレーションやドラマチックな写真などに見入るカップルの姿、強烈なインパクトを放つ絵画に圧倒されるアートガイドの参加者たち、突如始まるパフォーマンスに驚きつつカメラを構える人々などが見られ、それぞれに作品との出合いを楽しんでいるのがわかる。

ドクメンタ12は、複数の美術館や庭園を会場にしている。美術館で作品を鑑賞するだけではなく、庭園を散策しながらオブジェを眺めたり、会場間の移動中にカフェやショップに立ち寄ってみたりすることもでき、全体が現代アートのテーマパークといった趣もある。

作品
TSENG YU-CHIN “Who's Listening? 5” (2003~2004) © Tseng Yu-Chin

作品
左)AHLAM SHIBLI “Arab-al-sbaih” (2007), © Ahlam Shibli, Courtesy Ahlam Shibli; Max Wigram Gallery
右)Monika Baer “Vampir” (2007), © Monika Baer, photo Jens Ziehe / documenta GmbH, Courtesy Galerie Barbara Weiss

作品から見える私たちの時代

ディレクターにロジャー・M・ビュールゲル氏、キュレーターにルート・ノアク氏を迎え、3年半の準備期間を経て、500点以上の作品を集めた今回の展覧会。特徴は世界中のアーティストの作品を集めただけではなく、古くは16世紀から今日まで、幅広い時代を扱っている点だ。一見すると「最前衛のアートイベントでなぜ?」と問いたくなってしまう構成かもしれない。しかし、あえて国境も時代も超えて作品を集めることで、ドクメンタ12は私たちが生きる時代や世界を浮き彫りにしようとしている。

最新のインスタレーション群の中に数百年前の工芸美術を突如として配したり、近現代の絵画を対比したりすることで、古い時代の作品が新鮮な輝きを放ったりする。また写真や映像の作品からは、文化や政治、宗教など、私たちが生きる世界の多面性が垣間見えるかもしれない。ドクメンタ12は、グローバリゼーション、民族や人間としてのアイデンティティーなど、いまの時代に問われているテーマを凝縮しているとも言えそうだ。

現代アートの表現は無限だ。内容を掘り下げずとも、ただ単純に美しい作品やユニークな作品も多い。リラックスして作品を鑑賞し、何らかのメッセージをキャッチしたら、作品と積極的に対話してみてはいかがだろうか。現代アートの存在が、ぐっと身近に感じられるようになるかもしれない。(Ayako)

会場
左)ドクメンタ・ハレの展示会場 右)アートガイドの風景

会期 2007年6月16日(土)~9月23日(日)
開場時間 午前10時~午後8時
主要会場 フリデリチアヌム美術館(Museum Fridericianum)
ノイエ・ガレリー(Neue Galerie)
ドクメンタ・ハレ(Dokumenta Halle)
アウエ・パビリオン(Aue-Pavillon)
ヴィルヘルムスヘーエ城 (Schloss Wilhelmshöhe)他
入場料 1日券18ユーロ(12ユーロ)
2日券27ユーロ(18ユーロ)
7歳未満無料
インフォ ドクメンタ12お客様サービス(英語・ドイツ語のみ)
Tel: 01805-11 56 11
Fax: 01805-11 56 12
日本語アートガイド予約(日本語可、テキストファイル添付のこと)
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Webste http://www.documenta.de
最終更新 Freitag, 30 August 2019 17:37
 

写真家・杉本博司氏インタビュー

写真家・杉本博司氏インタビュー

©Hiroshi Sugimoto
Mathematical form
Privatsammlung
©Hiroshi Sugimoto

杉本博司の写真を前にして抱くのは、「怖い」という感覚だ。写っている対象が恐ろしいという意味ではない。見る者に匕首(あいくち)を突きつけるような迫力があるのである。被写体が意味するものを抽出するため長時間思考し、生まれたコンセプトを純化し、それを一分のスキもない簡潔なモノクロームの表現に託して放つ。哲学的内省と完璧な手仕事が一体となった杉本氏の写真は、作品と鑑賞者を抜き差しならない関係に追い込む力をみなぎらせている。

世界中の海を太古の人間のまなざしに戻って見つめた作品「Seascapes」にせよ、時間帯による影の現れ方の違いを考察した「Colors of Shadow」にせよ、杉本作品に通底するのは時間と人間存在の意味にとことん迫ろうとする作家としての姿勢だ。事実、杉本氏にとって写真を撮ることは、「我々がどこから来たのか、いかに存在するに至ったのかを思い起こすための作業」なのだと言う。

©Hiroshi Sugimoto
The electric Chair, 1994
©Hiroshi Sugimoto

ニューヨークと東京を拠点とした30年以上の活動を経て、現代屈指の写真芸術家として世界的な評価を確立した杉本博司。2005年の東京・森美術館での回顧展に続き、ドイツ語圏で過去最大規模の回顧展をNRW州立美術館K20が企画、7月14日から展覧会「Hiroshi Sugimoto」がスタートした。オープニングに際してデュッセルドルフを訪れた杉本氏に話を聞いた。(田中聖香)


杉本博司杉本博司(すぎもと・ひろし)
1948年東京生まれ。立教大学経済学部卒業。1970年米国に渡り、ロサンゼルスのArt Center College of Designで写真を学ぶ。1974年 ニューヨークに移住。2000年グッゲンハイム美術館(NY)、04年カルティエ現代美術財団(パリ)、05年森美術館(東京)など個展多数。

── 杉本さんの作品は原則的にモノクロームですが、なぜでしょうか。

カラー写真は科学物質の色、モノクローム写真は銀の色です。貴金属とケミカルでは、格からいっても雲泥の差があります。

── 19世紀末に製造された旧式カメラを撮影に使われてきたのはなぜですか。

世の中は便利になる方向で動いていますが、必ずしもより高い質が得られる方向には動いていません。未だに生フィルムを使う大判写真機が作り出すプリントのクオリティーは、決してデジタルでは出せないことは私の作品が証明しています。一般にはデジタル写真が主流になりつつありますが、私の使う機材は今後も変わりません。


Polar Bear, 1976 Privatsammlung
©Hiroshi Sugimoto

── モチーフはどのように決定されますか。また1シリーズの制作にかける時間は。

10年以上考え続けているテーマがたくさんあります。そのうちの1つ、2つと卵がかえるようにコンセプトが実現するのです。そのための秘密裏の実験が今も続けられています。シリーズ制作には必要かつ十分な時間をかけ、一度始めると飽きるまでやります。しかし、実際にはどのシリーズも飽きたためしがありません。

── 杉本さんの作品には、東洋的美学とミニマリズムが混在していると評されます。ご自分ではそれを意識されますか。

批評というものは自由であるべきです。そして批評は作家についてのファンタジーを生みます。私は、せっかくのファンタジーを大切にするようにしています。つまり、作られつつある虚像に自分をなるべく合わせていく。これが世界に対する作家のサービスです。

── 写真から建築、彫刻へと表現の幅を広げるに至った背景を教えてください。

世界の有名建築といわれる建築をほぼ見尽くした後に、建築的に自分で成すべきことが見えて来たという経緯があります。また彫刻に関しては、19世紀の数理模型を撮影中に、これらの数式を現代最高の工作技術を持つ日本で作ったらどうなるか、という実験が形になりました。したがって、これらの作品を彫刻ではなく数理模型と呼んでいます。K20に展示される「Onduloid」も、この形が表す数式の名称です(筆者注:ゼロでない平均曲率の一定な回転面のこと)。

©Hiroshi Sugimoto
左)Emperor Hirohito, 1999 Sammlung Diego Cortez, New York ©Hiroshi Sugimoto 
右)Lightning Fields008, 2006 ©Hiroshi Sugimoto


「Hiroshi Sugimoto」
2008年1月6日(日)まで
10:00-18:00(土日祝11:00-18:00)※月曜休館
6,5ユーロ(割引4,5ユーロ)
K20 Kunstsammlung, Grabbeplatz 5, 40213 Düsseldorf
www.kunstsammlung.de

最終更新 Freitag, 30 August 2019 17:34
 

生まれ変わるリープフラウエンミルヒ

生まれ変わるリープフラウエンミルヒ

リープフラウエンミルヒ(Liebfrauenmilch)は、おそらく世界で最も名の知られたドイツワインだろう。リープフラウは聖母マリアのことで、教会名に由来する。ミルヒの語源には「ミルク(ミルヒ)」と「修道僧(メンヒ)」の2つの説がある。リープフラウエンミルヒの生産量はドイツの全ワイン生産量の8%にすぎないが、輸出ワインの35%を占めているため、国外において、より知名度が高い。しかし、リープフラウエンミルヒと聞いて、どれだけの人が美味しいワインを思い浮かべるだろうか?リープフラウエンミルヒは、かつて栄光のワインだったが、その後、急激に名声を失った悲劇のワインでもある。そして21世紀、オリジナルのリープフラウエンミルヒが復活している。その盛衰を追った。(岩本順子)

リープフラウエンミルヒ小史

リープフラウエンミルヒの故郷、ヴォルムスは人口約8万人の小都市。トリアーと並ぶ、ドイツ最古の都市のひとつである。ローマ人の築いた街ゆえ、当時からワインがつくられていた。リープフラウエン教会は市壁の北に位置し、スペインのサンチアゴ・デ・コンポステイラまで続く巡礼道「ヤコブの道」の通過点だった。

14、5世紀ごろ、リープフラウエン教会の傍にあったカプチン会修道院の修道僧が、教会の周囲にぶどうを植え、ワイン造りをはじめた。やがて、その美味しさはヨーロッパ中に知れ渡る。この「リープフラウエン教会の塔の一番長い影が届く範囲内に植えられたぶどうからつくられたワイン」が、本来のリープフラウエンミルヒなのである。修道僧たちは、ワイン目当ての巡礼者たちが増えてくると、樽を一つ一つ封印し、証明書を発行するようになった。すでに当時からコピーが出回っていたのである。

17世紀後半、プファルツ継承戦争でヴォルムスの街は焼け野原と化したが、リープフラウエン教会は戦禍をまぬがれた。フランス軍が撤退し、ヴォルムスが再建されたのは18世紀前半。そして1784年、リープフラウエンミルヒの発展に貢献する人物がヴォルムスに現れた。鉄の取引のためにやってきたオランダ人実業家、ペーター=ヨーゼフ・ファルケンベルクである。彼は、リープフラウエンミルヒに惚れ込み、ヴォルムスの女性を妻に迎え、2年後には大聖堂の側にワイン商社を開業した。

フランス革命後、リープフラウエン教会周辺はフランス領となる。そして19世紀初頭、フランス政府主催の国家財産オークションで、カプチン会修道院とリープフラウエンミルヒのぶどう畑が競売にかけられた。当時ヴォルムス市長だったファルケンベルクは、この時の競売で念願の畑の大部分を手に入れ、自社ワインを造り始めたのである。

その後ファルケンベルク社は、自社のリープフラウエンミルヒを英国各地のレストランやパブに売り込み始めた。当初このビジネスはうまくいかなかったが、19世紀半ばにビクトリア女王が、ラインガウのホッホハイムにぶどう畑を所有するザクセン王子アルベルトと結婚したことが契機となり、英国王室でドイツのラインワイン「ホック」(ホッホハイムのワインの呼称)がもてはやされ、リープフラウエンミルヒも売り上げを伸ばした。20世紀初頭、イギリスのワイン商は、同社のリープフラウエンミルヒをシャトー・マルゴーなどの偉大なボルドーと同価格で販売していたという。

しかし、この時期、ファルケンベルク社の成功を目のあたりにした、他のドイツのワイン業者たちが、一斉にリープフラウエンミルヒのコピーを売り始めた。ファルケンベルク社は、オリジナルのリープフラウエンミルヒの1本1本に、かつてのカプチン会の修道僧のように、生産地と品質を保証する印章を押し、コピー商品の防止につとめた。しかし、リープフラウエンミルヒの需要は増える一方で、ファルケンベルク社も「リープフラウエン教会の塔の一番長い 影が届く範囲」を越え、ぶどう畑を拡張する。

1908年のドイツワイン法改正時に、ファルケンベルク社は、リープフラウエンミルヒという名称を「自らの畑の固有名」としてその使用権利を主張するか、現状に合わせ、「ラインワインの総合名称」として認めるかの選択を迫られ、同社は後者を選んだ。18ヘクタール程度のぶどう畑では、世界の需要を満たすことはできないからだ。当時、ライン川沿いの多くの醸造所が、リープフラウエンミルヒのコピーを生産することで生計をたてていたが、ファルケンベルク社の決断は、これらのワイナリーの経済的破綻を救うことにもなった。オリジナルのリープフラウエンミルヒの畑は、この時「リープフラウエンシュティフ ト(リープフラウエン修道院/Liebfrauenstift)」と改められた。

リープフラウエンシュティフト
シェーブス醸造所のリープフラウエンシュティフト・
キルヒェンシュトゥック(リースリング)

その後、2度の世界大戦を経ても、リープフラウエンミルヒ熱は冷めることを知らなかった。そして1971年に、再度ワイン法が改正され、オリジナルのリープフラウエンミルヒの畑は、今度は「リープフラウエンシュティフト・キルヒェンシュトゥック(リープフラウエン修道院教会区域/Liebfrauenstift Kirchenstück)」と改名され、現在に至っている。

現行のワイン法によると、リープフラウエンミルヒは、ラインガウ、ラインヘッセン、ラインプファルツ、ナーエの4生産地域のぶどうからつくられるワインの種類名である。同じボトルの中には、4地域のうち1地域のワインだけしか入れてはならず、原産地名をラベルに明記しなければならない。一方、ぶどう品種の混合は認められており、ミュラー・トゥルガウ、リースリング、シルヴァーナー、ケルナーの4品種のいずれかが最低75%含まれていればよい。 味は半辛口から甘口。リープフラウエンミルヒは、口当たりがよく、安価な初 心者向けワイン、との定評がある。

21世紀の新生リープフラウエンミルヒ

1990年代の終わりから、ファルケンベルク社のティルマン・クエインス、グッツラー醸造所のゲアハルト・グッツラー、シェーブス醸造所のアルノ・シェーブス、そしてシュポーア醸造所のクリスチャン・シュポーアの4人が、オリジナルのリープフラウエンミルヒの畑「リープフラウエンシュティフト・キル ヒェンシュトゥック」で、偉大なるリープフラウエンミルヒのリバイバルに取 り組んでいる。

ファルケンベルク社は、200年前とほぼ変わることなく、約13ヘクタールを所有、グッツラー醸造所とシェーブス醸造所は、隣り合わせの畑を、それぞれが0,2ヘクタールずつ所有、シュポーア醸造所はファルケンベルク社から1ヘクタールの畑を借りてワインづくりを行っている。「リープフラウエンミルヒは、良くも悪くも、世界で最も有名なワイン。この知名度をプラスに活かしたいと思った」。そうゲアハルト・グッツラーは言う。

2003年、ゲアハルトの醸造した過去5年のヴィンテージが厳しい審査に通り、ドイツ名醸ワイン生産者協会(VDP)は、リープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックの一部をグローセス・ゲヴェックス(特級畑)に認定。以後、VDP会員であるグッツラー醸造所は、この畑のリースリングをグローセス・ゲヴェックスとして市場に出している。彼の凝縮したリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックは、専門家たちの間で定評がある。

リープフラウエン教会とワイン畑
リープフラウエン教会とワイン畑
© Stadtmarketing Nibelungenstadt Worms

アルノ・シェーブスもゲアハルトとともに、1998年からリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックを生産している。友人同士である2人は、共同で畑作業を行っている。2人は土壌の特色を最大限に活かすため、62センチ間隔、1ヘクタールあたり約8000本という密植を試みている。「こうすると、ぶどうの樹はお互いに競い合って、地中深くに根をおろし、土壌の性格をより反映してくれる」。そう2人は言う。畑を購入した時に植わっていた、樹齢30年を越えるリースリングはそのまま活かし、新たに植樹する場合は、そのリースリングの古木の枝を接ぎ木して植えるという徹底ぶりだ。

アルノは毎年最良の状態で収穫したぶどうから、1種類の辛口ワイン「キルヒェンシュトゥックQ.b.A」を生産している。「収穫はすべて手作業、極端なまでのぶどうの選別作業を行っているため、できあがるワインは年間600本だけ」だそうだ。彼のリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックには秘められた、力強い味わいが感じられる。「僕は、リープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックの畑のすぐそばで生まれたので、この畑にとても愛着がある。僕は、繁栄と没落、そして復活、という物語を信じる。僕たちのリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックが、かつての名声を取り戻すことは、きっと可能だと思う」。そうアルノは意気込む。

「マドンナ」ブランドのリープフラウエンミルヒで有名なファルケンベルク社が本格的にこのプロジェクトに取り組み始めたのは、2001年にティルマン・クエインスが醸造責任者に抜擢されてから。13ヘクタールあるため、あらゆるランクのワインが生産されている。生産本数は年間約6万本で、すでに、アメリカ、スカンジナヴィア諸国のほか、シンガポール、香港、台湾にも輸出している。ティルマンのリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックは、いずれもエキゾティックな果実の味と香りに満ちたエレガントな仕上がり。純粋培養酵母を使い、18度で発酵させている。「リープフラウエンシュテイフ ト・キルヒェンシュトゥックは偉大なる歴史をもつ畑。そこに魅了される」そうティルマンは言う。


アルノ・シェーブス、ティルマン・クエインス
、クリスチャン・シュポーア、ゲアハルト・グッツラー(左から順に)

クリスチャン・シュポーアは、2003年からリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックで、リースリングとシャルドネを50%ずつ栽培している。「リープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックは複雑な構成の土壌なので、できあがるワインにも複雑味が出る」と言う。クリスチャンのリープフラウエンシュテイフト・キルヒェンシュトゥックは、同じ畑ながら、他の3人のそれよりスパイシーな味わいだ。

4人の造り手たちの生み出すオリジナルのリープフラウエンミルヒは、いずれもそれぞれの個性が表現された極上ワイン。伝説のリープフラウエンミルヒはすでに復活している。それは、14、5世紀の巡礼者たちが絶賛し、19、20世紀の英国王室が魅了された味に限りなく近いだろうか。

筆者プロフィール
岩本順子 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書においしいワインが出来た!―名門ケラー醸造所飛び込み奮闘記 (講談社文庫)ドイツワイン 偉大なる造り手たちの肖像 他。
最終更新 Dienstag, 03 September 2019 15:03
 

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