ヘルマン・ヘッセ(著)、高橋 健二(翻訳)
新潮社
ISBN: 978-4102001011
『春の嵐』は、1910年、ヘルマン・ヘッセが33歳の時に著した小説。孤独の中にあって、幸福とは何か、幸福であることの真の意義とは何かを問う作品。『車輪の下』の物語にはどうも深く入り込めず、ヘッセの小説から遠ざかっていたのだが、ふいに手に入ったこの小説には、心打たれるものがあった。
主人公クーンは、青年時代に気になる女の子の気を引こうと無茶をする。そんな若気の至りの代償としては大きすぎる事故の結果、足が不自由になったクーンは、誰もが謳歌する青春の一切を諦めて音楽を志すことに。
クーンの作曲した音楽は音楽学校の教授には受け入れられなかったが、有名なオペラ歌手のムオトによって見い出される。孤独を愛するクーンと、社交会の華と輝くムオトという、一見対象的な2人の間に友情が芽生えたのは、ムオトもやはり孤独な男だったから。
作曲家として成功しはじめたクーンの前に現れた女性ゲルトルートは、彼を魅了する。だが、美しい令嬢ゲルトルートとムオト、そしてクーンの三角関係は、マンガ『タッチ』(あだち充)で描かれた、南と達也、和也の3人のように真っ直ぐに向かい合う関係にはなりえなかった。クーンは、足の不自由な自分に同情するゲルトルートの心を知り、深く傷付き、恋心に対して傍観者であることを決意する。
クーンの経験する挫折や後悔、そして嫉妬の感情は、足を失わないまでも、誰もが経験するもので、自分自身も身に覚えがある。目の大きさ、足の長さ、声質、学歴、職業、何でも自信を喪失する要素になりえるが、それが何だと言うのか。実はそんなものは自分の幸せとは別次元のものかもしれないよ。そう、クーン(ヘッセ)は言っているような気がする。クーンは、1つの不幸と引き換えに、自分に対してどこまでも正直であるという幸せの鍵を手に入れたのかもしれない。自分に正直に生きることは実際、難しい。
「人は年をとると、青春時代より満足している」と言うムオトの言葉があったが、この言葉に実感を持てる年になったら、もう一度この本を読んでみようと思う。(高)