多和田葉子 著
日本経済新聞社
ISBN978-4-532-16595-6
私たちはよく、ガイドブックを片手に旅をする。そういうとき、すでにガイドブックで見覚えのあるイメージを探しに行き、自分が思い描いていたものがそこにあるのを確認し、安心して帰って行く、というのがパターンだ。
多和田葉子さんの同書「溶ける街透ける路」も「旅」の話なのだが、「自分の書いた本の朗読をし、読者と話をするという仕事」で行く彼女の旅の仕方はかなり異なる。そしてそこにはいつも、どこか異空間に入り込んでしまったような不思議な風景が広がっている。同書は、2005年 の春から2006年末まで、著者が実際に行った街の話で、日経新聞の連載 をまとめたものだ。
たとえばオーストリアのグラーツで「林の向こうには葡萄畑が広がっている。『国境はあの辺かなぁ』(中略)『どこ?』『あの辺。葡萄畑の中のどこか。』」ドイツのチュービンゲンでは「途中の町の名前がほとんどingenで終わるので、わたしはこのローカル列車をひそかに『いんげん電車』と呼んでいる」
読み進めていて印象的だったのは、著者が23年暮らしたハンブルクについて書く場合も、最近引っ越したばかりのベルリンについて書く場合も、それがまるで「旅先」について書いているかのように思えるところ。読んでいると少しずつ、国境のこちら側と向こう側、旅と日常の境界線があいまいになっていく。
「だいたいフランス人はこうでドイツ人はこうだという国民性の違いを強調して考え過ぎるのは私たちの悪い癖で、ヨーロッパ人としての共通性の大きさと、個人差の大きさを考慮すれば、国民性などというのは小さなものだ(トゥール)」
ドイツに住み、ドイツ語と日本語で著作活動をし、自作の朗読をしに他国を旅する著者の、まさに「多文化」の中で生きているその視点は、私たちの頭のなかにある既成概念を静かに壊し、自分の目で物を見ることを促しているかのように思える。(M)