熊谷徹 著
新潮社
ISBN 978-4-10-417104-0
ドイツを東西に分断していた壁が崩壊してから17年目にあたる、2006年11月9日の未明。一人の老人がベルリン東部・ニコライ地区の自宅で、ひっそりと息を引き取った。マルクス・ヴォルフ、83歳。社会主義時代の旧東ドイツで、対外諜報機関HVA(情報収集管理本部)を34年間にわたって率い、西側の諜報機関と死闘を演じた大物スパイである。
ヴォルフは、旧西ドイツのブラント首相の側近にスパイを送り込んだり、NATO(北大西洋条約機構)の最高機密を盗んだりするなどして、西側の諜報機関を震え上がらせた。旧ソ連が日本に送り込んだスパイ、ゾルゲと並んで、世界の諜報史上に名を残す人物である。
本紙に「独断時評」を連載しているミュンヘン在住のジャーナリスト、熊谷徹氏が、このたび17年におよぶ取材の結果をまとめてルポルタージュを出版した。本書は、ヴォルフの一生をたどり、東西ドイツが繰り広げたスパイ戦の実態を描くことによって、第2次世界大戦、東西分割、そしてベルリンの壁崩壊から統一という、歴史の荒波にもまれた人々の運命を浮き彫りにしようとするものである。
ヴォルフ本人へのインタビューだけでなく、彼の部下やシュタージ(国家保安省)に弾圧された人々への取材の内容も盛り込まれ、今は消えてしまった社会主義国・東ドイツの雰囲気がまざまざと伝わってくる。熊谷氏本人が撮影した写真も多く掲載されており、歴史やインテリジェンスに関心のある人にお薦めしたい1冊だ。