ジャパンダイジェスト

子どもたちは希望の種 ドイツ国際平和村と世界ウルルン滞在記

子供爆弾や地雷に怯えないで生活ができること
家族が戦争に巻き込まれる心配をせずに暮らせること 

そんな人生を当然のように享受できるのは幸せなことです。

世界は、今だあまりに混沌としていて
同じ時代に生まれたのに、ただ生まれてきた国が違っただけで、
まったく違う状況に置かれてしまった子どもたちがいます。
戦争、政治不安、経済不況、そこから派生するあらゆる問題が
子どもたちにのしかかっています。

戦争が起こったとき、
一番被害に遭っているのは、常に弱者・・・・・・
生活に窮している市民であり、保護を必要とする子どもであり、
そしてまだ生まれる前の赤ん坊でさえあるのです。

今も、世界のあちこちで爆弾テロが起こり、紛争が起こり、
人と人とが殺し合いをしています。
暴力と破壊が止むことはないのでしょうか。

子供たち

しかし「平和な世界を!」、
それを途方もない夢物語だとあきらめない、
平和を願い続けることを
あきらめない人たちと出会いました。
ドイツで、または日本で、
この果てしない夢を追い続け、
平和の「種」 を蒔き続ける人たちがいます。

子どもの笑顔が溢れる世界を
子どもが夢を追い続けられる世界を築くために

(編集部:高橋萌)

ウルルン取材班に密着!

1999年以降、「世界ウルルン滞在記」はドイツ国際平和村を追い続けてきました。放送のたびに大きな感動と、問題意識を呼び起こしてきたドイツ国際平和村シリーズはなんと7回目(8月17日(日)放送終了)を迎えました。

今回のテーマは「種を蒔く」。子どもたちが母国に帰ったときに役立てられるよう、畑仕事を教えます。子どもたちが平和という花を母国に咲かせる種となるようにとの願いを込めて。

活動するのは、この人、東ちづるさん。
5年ぶり、6回目となったドイツ国際平和村への訪問を通して感じたこと、平和村への想い、また、長年続けているボランティア活動の本質などについて語っていただきました。

東ちづるさん

東ちづる プロフィール
1960年広島県生まれ。女優

女優として活躍する傍ら、骨髄バンクやあしなが育英会などのボランティア活動を続けている。ドイツ国際平和村への支援は、平和村の子どもたちの写真などの巡回展や絵本の読み聞かせ会などを全国各地で開催。平和村関連の著書に「わたしたちを忘れないでドイツ平和村より」絵本「マリアンナとパルーシャ」などがある。

知ってしまった。だから始めました

私は10年前にドイツ国際平和村(以下、平和村)を知ってしまった、という言い方がふさわしいかもしれません。そこで出会った子どもたちが置かれている状況を知り、そこから人生が変わりました。日本で暮らしていても子どもたちのことが気になって仕方がない。私にできることは、ひとりでも多くの人に現状を伝え、募金をつのること。

平和村に来ると、今の戦争がわかる

平和村に来ている子どもたちの怪我や病気の変化に驚きました。今回は特に、奇形や障害、ガンや白血病、腫瘍の子どもが増えていることにショックを受けました。どの子も、原因不明・先天性とあります。化学兵器が新しい生命に影響を与えている。ニュースでは伝わらない今の戦争を、子どもたちの体がSOSを訴えているんです。

目標は平和村がなくなること

一日も早く平和村が役割を終える日が来てほしい。いつになったらこの活動を止められるんだろうっていう想いは正直あります。でも、子どもたちが母国に帰り、戦争を否定し、平和を創る大人になる、そして、いつか平和な世界がくると信じています。

「相互感動」がもたらすボランティアの醍醐味

ボランティア活動をしていると、「エライですね」と言われることも。日本ではまだ特別なことなのかもしれません。でも、本来は自発的な行為なので、本人がやりたいからやっているというシンプルなもの。ボランティアをする側と受ける側は、お互いに救われ、癒され、育まれていく、という対等な関係です。一緒に喜び、悔しがる。この「相互感動」がホスピタリティの原点だと思います。私の大切な居場所・仲間ですね。

ディレクターの河原剛さん「子どもたちは平和の種なんだよ」
そう言って、大きな体ともっと大きな心を持ったドイツ国際平和村担当ディレクターの河原剛さんは熱い眼差しを子どもに向ける。平和村を10年追い続けたディレクターには、強い願いがある。子どもたちが、母国で繰り返される憎しみの連鎖を断ち切る役目を果たすこと。平和村では、肌の色が黒くても、白くても、生まれた場所が違っても同じごはんを食べ、一緒に遊ぶ。そういう経験をした子どもが母国に帰ることは、大きなチャンス。違う国の人、違う民族の人は敵ではないって知っている。だから、子どもは母国で、平和の種を蒔いていく使者になることができるはず、と語る。
カメラマンの小松正一さん「最初はカメラを回し続けることができなかった」
初めて平和村に来たとき、顔面にやけどを負った男の子が食堂に座っていて、その子の顔をカメラで捉えたが10秒もカメラを向けていられなかった。今では、平気になっちゃって、それはそれでおかしなことなんだよな。子どもを映し続けるカメラマンの小松正一さんは、カメラを通して子どもと向き合ってきた10年をそう振り返る。

ドイツ国際平和村とは

ドイツ国際平和村は、1967年にノルトライン=ヴェストファーレン州、オーバーハウゼン市の市民が立ち上げた人道支援団体。戦争で被害にあった国や危機的な状況にある国への支援を40年以上続けており、活動資金はそのほとんどを寄付に頼っています。

主な活動は、母国では治療が困難な怪我や病気を負った子どもたちに、ヨーロッパで治療するチャンスを提供すること。そして、紛争地域や危機的状況にある地域の自立を促すための海外プロジェクトなどです。治療のためにドイツにやってくる子どもたちの母国は、アンゴラ、アフガニスタン、グルジア、ウズベキスタンなどです。親から離れてのこの治療生活は半年~数年に及ぶことも。2007年には、1年間で合計15カ国から1186人の子どもたちを援助しました。

ヒロシマ通り
子どもたちは「ヒロシマ通り」に住んでいます
● ドイツ国際平和村
FRIEDENSDORF INTERNARIONAL

Lanterstraße 21, 46539 Dinslaken
www.friedensdorf.de

 

● 連絡先(日本語)
e-mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
TEL: 0206-44974126

ドイツ国際平和村を支える 日本からの支援

ウルルンの放送、そして東さんの紹介で始まったという通販雑誌「通販生活」(カタログハウス)での連載をきっかけに、平和村の存在は多くの日本人に知られるようになりました。日本からの募金は現在、全体の25~30%を占め、日本から来たボランティアはこれまでに合計130人を超えたそうです。今も常時15人前後の日本人が子どもの世話、キッチン、リハビリセンターなどの部署で働いています。

くりかぼちゃでパーティー
畑に「くりかぼちゃ」の種を蒔いて、その後くりかぼちゃのパンケーキをみんなで食べました。子どもたちも日本人ボランティア、取材班のスタッフもみんな大満足!!

マリオン・モイリッヒさん

それは、いつ果たせるかわからない夢物語のような話だけれど、 平和村のスタッフは本気でその夢を目標としている。

当初、「ウルルンで平和村」の企画はボツに

マリオン・モイリッヒさん私が初めてドイツ国際平和村を知ったのは、かれこれ15年前になります。その時はNHKのボランティアをテーマにしたドキュメンタリーでした。その後、世界ウルルン滞在記という番組が、平和村を取り上げるのにぴったりの番組だと考えて、提案させていただいたんです。でも、戦争の話だし、子どもたちの傷跡は生々しく、エンターテイメント番組としてはテーマが重すぎると反対にあいました。でも、ディレクターの河原さんが説得を続け、ようやくGOサインがでました。

東ちづるさんを指名してのスタート

GOサインが出たときの条件は、東ちづるさんをリポーターにするというものでした。ウルルンでは、若手のタレントが多く出演しているのですが、平和村をテーマに扱うのなら、ボランティア経験も豊富な東さんが適任と、この企画のスタートと同時に決まっていました。

日本からの支援の波がドイツへ

ウルルンで平和村を取り上げたことは、結果的に大成功でした。視聴率はウルルン史上初、20%を超え、寄付金もたくさん集まりました。それだけではありません。日本からの支援の勢いがドイツの企業を動かすなど、大きな相乗効果があったんです。今の平和村があるのは、ウルルンでの放送と、それに突き動かされた日本の方々の頑張りのおかげだと思います。

現地に行って見てきたもの

私は、アンゴラとアフガニスタン、そしてグルジアでの取材に同行し、子どもたちの母国を見てきました。忘れられないのは10年以上前、まだ平和条約締結前のアンゴラの病院での風景。衛生状態は劣悪、救急車にはタイヤがない、レントゲンにはフィルムがないといった感じで病院としての機能を果たしていない。そこに、畑仕事の最中に地雷を踏み、両足を失くした女の子が血まみれで運ばれてきました。果たして麻酔なしでの手術が始まり……その時の女の子の叫び声は本当に悲痛なものでした。

またアフガニスタンでは、ひげを生やし、民族衣装を着て堂々と振舞っているアフガニスタン男性が、治療を終えて帰国した我が子との再会の時、子どもをきつく抱きしめてわんわん泣いている光景に出会い、胸が締め付けられました。この瞬間を見た時、ドイツ国際平和村があって本当に良かったと思いました。

中岡麻記さん「ドイツ国際平和村の願い、
それはいつの日か 平和村が必要なくなること」

ドイツ国際平和村職員の中岡麻記さんは、2000年に第3回放送のためカメラを回していたウルルン取材班と、ボランティアの一員として出会った。しかし、その後ウルルン効果で多数の問い合わせがドイツ国際平和村に殺到した時、ドイツ人の中に対応できる職員がいなかったため、日本に特化した部署を新設、当時ほかに2人いたボランティアとともに常勤の職員として雇われることに。ここにもまた、ウルルンと平和村によって人生が変わってしまった人がいる。
平和村の存在には、その活動自体の必要性のほかにムーブメントを起こす役割もあると中岡さんは考えている。ここにいる子どもや他の海外プロジェクトを通して見えてくる現実に、より多くの人が関心をもつこと。そして、自分にできることからやろうと思えたなら、世界は少しずつ良い方向に変わっていくんじゃないか。小さな平和が大きな平和を作っていくんじゃないかと話す。
平和村の目指すところは、世界が平和村の存在を必要としない状態になること。これは、戦争がなくなることだけではなく、平和村の援助を必要とする子どもがいなくなること。すべての人が、生きていくために必要な最低限の公正さと健康を享受できる世界になること。それは、いつ果たせるかわからない夢物語のような話だけれど、平和村のスタッフは本気でその夢を目標として掲げている。

私たちに何ができるだろう

テレビで見た。ニュースで報道していたから知っている。
歴史の授業で勉強したから知っている。
そんな風に思っていたけれど。
それは大きな勘違いだったと気づかされた。
知っていたのは、そういう出来事があったということだけ。
その現場で実際に苦しんでいる人の声は聞こえてこない。
その現場の痛みは感じられない。

ここにいる子どもたちは戦場を知っている子どもたち。
平和とは何か、学び始めたばかりの子どもたち。

子どもたちの目は想像を絶する悲惨な光景にさらされてきた。
それにもかかわらず、子どもたちは普段、
本当に澄んだ輝きをもった目をしている。
しかし、一旦話が母国での生活、家族のことに向かうと、
その瞳に影が落ちる。

ドイツ国際平和村、
そこはドイツで一番戦場に近い場所かもしれない。
それと同時に、平和への希望と願いが息づく場所でもある。

まずは、世界に溢れる問題に目を向けるところから始めよう。
そして、自分のやれる範囲で行動を起こしてみよう。

そんな風に考える機会をくれたドイツ国際平和村と
世界ウルルン滞在記に感謝します。

イベント情報

DORFFEST in FRIEDENSDORF INTERNATIONAL
9月13日(土)10:00~18:00

ドイツ国際平和村では年に数回、施設を一般公開しています。ドルフフェストは中でも一番大きなお祭り。フリーマーケットや食べ物の屋台が立ち並ぶほか、今や平和村のイベントでは恒例となっている「ふるさと2000」による盆踊りの披露や、日本人メゾソプラノ歌手とコーラス隊によるコンサート、日本人漫画家 「プリン&海こんぶ」の2人によるマンガ・ワークショップも予定されており、子どもたちと一緒に丸一日楽しめるプログラムとなっています。

この日は12:00から日本語での施設案内、活動紹介も予定されているため、ドイツ国際平和村をもっと知りたいという人は是非参加してみては。

 寄付金口座

● ドイツ国内から
Stadtsparkasse Oberhausen 102400 (BLZ 365 500 00)
IBAN: DE59 3655 0000 0000 1024 00 / SWIFT-BIC: WELADED1OBH
Postbank Essen 1218-434 (BLZ 360 100 43)
IBAN: DE12 3601 0043 0001 2184 34 / SWIFT-BIC: PBNKDEFF

● 日本から
三菱東京UFJ 銀行 本店 普通口座
口座番号:0152887
口座名:ドイツ平和村
または AktionFriedensdorf e.V
 
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