ジャパンダイジェスト

建築家ブルーノ・タウト

タウトが設計した日本に現存する唯一の建築物、熱海市にある旧日向別邸第2次世界大戦のさなか、ナチスドイツから亡命のようなかたちで来日し、日本文化に新しい光を当てたドイツ人建築家がいる。ブルーノ・タウトだ。今年、没後70年を迎え、その作品と思想に今また注目が集まっている。

(編集部:高橋萌)

写真:タウトが設計した日本に現存する唯一の建築物、熱海市にある旧日向別邸

ブルーノ・タウト(Bruno Taut)
1880年ケーニヒスブルク生まれ。建築家

1913年に「鉄の記念塔」、翌年に「ガラスの家」を発表し国際的評価を得る。24年以降、ベルリン住宅供給公社(GEHAG)の建築家として集合住宅の設計に携わる。30年にベルリン・シャルロッテンブルク工科大学の教授に就任するも、ナチスからの迫害を逃れるため33年に日本へ移住。高崎の少林山達磨寺洗心亭に住み日本文化に関する著作を発表する。36年トルコへ渡り、38年12月24日、イスタンブールの自宅で死去。

タウト建築を守る日本人

お茶の水女子大学名誉教授
田中辰明さん

ブルーノ・タウトの建築物を追い続けて30年以上になるという田中教授に、タウトの歩んできた道、そしてタウト建築の今後について語っていただきました。

プロフィール
田中辰明さん田中辰明(Tatsuaki Tanaka)
1940年東京都生まれ。
お茶の水女子大学名誉教授、1級建築士


株式会社大林組に入社後、早稲田大学にて工学博士取得。その間1971年にベルリン工科大学へ客員研究員として派遣され、タウトの集合住宅と出会う。以後たびたびドイツを訪問し、タウト作品を追い続けている。2006年10月ドイツ技術者協会(VDI)よりヘルマン・リーチェル栄誉メダル受賞。

ブルーノ・タウトとは

ブルーノ・タウトは「鉄のモニュメント」「ガラスの家」などを発表し、表現主義の建築家として認められます。しかしドイツが第1次世界大戦で敗戦、戦勝国から払いきれない賠償金を突きつけられます。ドイツは工業化を促進し賠償金を払うべくベルリンなど大都市に大きな工場を沢山造ります。そして地方から労働者が大都市に集まります。労働者は低賃金で働かされ、その住宅は監獄のようであったと記録されています。ブルーノ・タウトはこれではいけないと考え、ベルリンの住宅供給公社(GEHAG)の主任技師となり労働者の健康を考えた集合住宅(隣棟間隔をあけ、松や白樺を中心とした緑化を行い、芝生を植えた)を多数設計、建設しました。これらは日本の住宅公団のモデルにもなっています。

そして今年2008年7月にベルリンのタウトの作品である4つの住宅団地がユネスコの世界文化遺産に指定されました。タウトの設計した団地にはタウトの顕彰碑がよくあります。住民がタウトに感謝を示したからです。世界に有名建築家は多数いますが、タウトのように住民から敬愛された建築家は少ないでしょう。タウトは労働者の味方になり、社会主義建築家として認められます。そしてモスクワにまで行って仕事をしてしまい、台頭してきたナチス政権ににらまれ、身の危険を感じ「日本インターナショナル建築会」からの招きにより来日します。

日本人が忘れていた、日本の美しさを再発見

タウトが日本に亡命してきた当時、日本はドイツのナチス政権と組んでいた訳ですから、希望していた東京帝国大学教授など公職に付くこともできませんでした。やむなくスポンサーとなった群馬県高崎の井上工業の勧めで高崎市少林山達磨寺の「洗心亭」という粗末な小住宅に住みました。設計活動も出来なかったものですから「建築家の休日」と称し、文筆活動に力を入れます。1933年5月から離日する1936年まで毎日日記を書き、これは「日本―タウトの日記」として篠田英雄により翻訳され、岩波書店から出版されました。その他「日本美の再発見」「日本文化私観」などを著し、日本人の気づかなかった日本文化の素晴らしさを世界に紹介しました。特に当時の日本人が価値を見出していなかった桂離宮を、アテネのパルテノン神殿と並ぶ世界の2大建築物と激賞しています。

「今こそ、タウトに恩返しをする時」と言う田中教授が計画する今後のプロ ジェクトについて伺いました。

ドイツでも見直され始めたタウト作品

タウトの設計には「集合住宅だから同じ事の繰り返しで、建築家としてはたいしたことはない」と辛口の批評をする人もいます。今、やっと世界文化遺産に指定されたことで、評価されたといってよいでしょう。タウトは集合住宅の設計は多く行いましたが、独立住宅の設計は少ないのです。現在ダーレヴィッツ(Dahlewitz)に残る旧宅はタウトが大変に力を入れて設計したものです。この住宅の為に「Ein Wohnhaus」(ある住宅)という本を出版したくらいです。タウトは日本で熱海に日向別邸という別荘を設計し、これが現存しています。この居間とダーレヴィッツの住宅の居間は彩色、形態がそっくりです。タウトは日本文化を愛していましたが、在日中はユダヤ人説が流されたり、特高警察に付けられたり、失意のうちに日本を去りトルコに渡ります。そして設計活動に精を出し、過労により亡くなります。

タウトが暮らした住宅の
保存・修復プロジェクトをスタート

世界文化遺産に指定されたことで、ドイツの新聞もタウトの事を大きく報じ、有名になりました。それまではタウトの事を知らない人が多かったのです。私もタウトの集合住宅の写真撮影をし、住人から「何をしているのだ!」と叱られたことがあります。「タウトの作品だから撮影しているのだ」と答えても「タウトって何だ!」という次第で、住人ですら知らないということに驚きました。旧宅は現在、住人の個人の所有です。しかしその方も高齢化し今まで個人の出費で修理保存を行ってきましたが、旧東ドイツの年金生活者ということもあり、修理保存に困窮しています。旧宅はブランデンブルク州にありますが、州都はポツダムで公的資金はポツダムの観光資源となる城などの修復に当てられ個人所有の住宅には回ってきません。そもそもドイツ鉄道(DB)のダーレヴィッツの駅舎ですらまだ破れたガラス窓にはベニヤ板が貼り付けた状態です。今こそ日本からタウトへ、少し恩返しをしても良いのではないかと考えています。

ブルーノ・タウト自邸改修工事プロジェクトへご協力ください

ブルーノ・タウトの住んだ家を修復するためには最低500万円の工事費、そして修復を行った後の保存、管理に必要な経費を含め800万円の寄付金が必要だということです。ドイツではベルリン工科大学やタウト研究グループが協力体制にあり、現地ではチャリティーコンサートも開かれています。タウトを中心とした独日交流が広がっている、この活動に興味をお持ちになった方は下記の連絡先までお問い合わせください。

田中辰明 /  Tatsuaki Tanaka
〒167-0041 東京都杉並区善福寺3丁目16-6
E-mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
フォト・ギャラリー
ブルーノ・タウト

日本の古民家を蘇らせるドイツ人

建築デザイナー
カール・ベンクスさん

日本の伝統を守る「現代のブルーノ・タウト」とも称されるドイツ人。崩れかけた古民家でも骨組みを生かしつつ、今の時代の生活に合った家に再生しているカール・ベンクスさんの話をご紹介します。

プロフィール
カール・ベンクスカール・ベンクス(Karl Bengs)
1942年ベルリン生まれ。建築デザイナー


現在、新潟県十日町市の集落「竹所」在住。自宅(双鶴庵)である古民家の移築再生を手掛けたことをきっかけに、日本で古民家再生プロジェクトに挑む建築デザイナー。再生した古民家は30軒以上に及ぶ。2001年、新潟県「にいがた木の住まいコンクール」入賞、07年、第2回安吾賞新潟市特別賞受賞。
カールベンクス&アソシエイト有限会社 www.k-bengs.com

「日本の設計士は幸せだ。腕のいい職人がいるから」

ブルーノ・タウトの遺した言葉です。講演会ではよくタウトの言葉を引用します。タウトが褒める日本の建築物の美しさや、技術の高さは実際に自分の目で見て実感しました。本当に日本の大工さんや職人さんは良い仕事をします。

昔の日本の木造建築ではボルトを使わずに木を組んでいた、この技術の高さはすごいですよね、感動しました。日本の木造建築に魅了されて日本に渡った外国人は実は多いんです。古民家の再生をしていると古い技術を学ぶことができます。曲がった材料を使っていたり、生きている木材の変化を計算に入れて設計していたり、驚きの連続です。

タウトが、今の日本を見たらがっかりするんじゃないでしょうか。古い建物が本当に少なくなってしまっているので。

日本人は宝石を捨てて、砂利を買っている

画家をしていた父の書棚には浮世絵や日本文化について書かれた古い本があり、小さいころから日本文化を知るチャンスがありました。タウトが書いた本もその中から見つけました。つまり、不思議なことにブルーノ・タウトの影響で今、日本で仕事をしているということです。

しかし、古い家に強く惹かれていく中で、なぜ日本人は大切な文化を捨ててしまうんだろうという疑問がわいてきました。古い家をどんどん壊して、新しい家を建てている。このことに関して私はよく「日本人は宝石を捨てて、砂利を買っている」と表現します。本来、日本の木造建築は何百年も風雪に耐えられるほど頑丈に作られています。古くなっても骨組みは再利用できるので、ゴミはほとんど出ません。新しく建てられた家は見た目はきれいかもしれないけど、これからが大変ですよ。20~30年でだめになってしまうし、その後は大量のゴミが残る。

でも、これから変わっていくんじゃないでしょうか。私が賞をいただいたことからもわかるように、考え方や価値観が少しずつ変わってきているように思います。でも急がないと間に合いません。一度失ってしまったら取り返しがつかない文化です。職人が減っている、家を守る人が高齢化している、重要な文化が瀕死の危機に面しているのです。

古民家に暮らす魅力

木造建築は長持ちしない、住みにくい、地震に弱いと思われがちですが、その逆です。ちょっと曲がっても修理すれば直るし、地震のときも倒れなかった。もちろん、頑丈な家であり続けるためにはメンテナンスが必要です。

私が手がけた家には窓や屋根、ペアガラスなど部分的にドイツのものを使用しています。また、隙間風が入らないように壁を厚くしたり、屋根にも断熱材を入れたり、床暖房を付け足したりと、現代風の基礎を作って立て直しています。今の技術を利用すれば古民家も快適な住居に生まれ変わることができるのです。

私が日本に家を建てた理由は、まず、場所が気に入ったからです。そして、今にも倒れそうな民家、その中に入って立派な骨組みを見たときに、これは再生できると思ったんです。自然に囲まれた環境の中、田んぼの仕事を手伝ったりするのも楽しいし、私が思い描いていた理想の生活がここにあります。

古民家
一見、再生不可能に見えるが骨組みは立派だったという
双鶴庵
生まれ変わった古民家は「双鶴庵」と呼ばれている
内装
ドイツの様式と日本の造りが調和する内装は、
暮らしやすさを求めて出た答え

 
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