新年が明けたばかりだというのに、世の中、右を見ても左を見ても暗い経済ニュースばかり。しかし、そんな時こそ明るく楽しく過ごしたいと願う人々の気持ちは強まるものだ。そう、今年もまた冬の一大イベント、カーニバルの季節がやって来た。デュッセルドルフだけをとっても、このイベントに訪れる人は毎年200万人を超え、投資金額は2億ユーロを越えるという。ド派手なコスチュームに身を包み、「金融危機なんて吹っ飛ばせ!」とばかりに弾けるドイツ人たちに混じって、思いっきり羽目を外して大騒ぎしよう!(編集部・林 康子)
肉よ、さらば!
主にケルン、デュッセルドルフ、マインツなどのライン川沿いの町やバイエルンなど、カトリック教徒の多い地方で盛大に催されるカーニバル(謝肉祭)。その語源には諸説あるが、"carne vale"(=肉よ、さらば!)というラテン語に由来するという説が有力だ。キリスト教には、春の復活祭(イースター)を迎える前の40日間、肉を絶つ断食節(Fastenzeit)があるが、その前に大いに食べて飲み、ひと騒ぎしようというのがこの風習のもともとの主旨だった。このため、地方によっては断食節の「前の晩」を意味する"Fastnacht" とも呼ばれる。
起源は宮廷の道化遊び
カーニバルが祝われるようになったのは中世の時代からで、当時宮廷で行われていた"Narrenfest"(宮廷道化師の祭り)という、低身分層が貴族や聖職者を演じ、面白おかしく揶揄する遊びに端を発する。これに加えて、19世紀に入りフランスのナポレオン軍やプロイセン軍が進駐したラインラント地方では、市民がこれに抵抗する意味を込めて派手な軍服を着て街中を行進し、進駐軍を皮肉った。この伝統は現在も、カーニバルの仮装や山車パレードに反映されている。
「ひげのマスクで仮装する人(15世紀)」
Schembartläufer, 1476 Quelle Ernst Mummenhoff, Der Handwerker in der deutschen Vergangenheit, 2. Aufl ., 1924
カーニバル委員会が主催
カーニバルが山車パレードや宴会で羽目を外して騒ぐ現在のようなスタイルになったのは、各地で運営団体ができてから。1823年にケルンで最初のカーニバル委員会(Festordnende Komitee)が設立され、この時に山車パレードを中心として、庶民のヒーローである「カーニバル・プリンツ」のアイデアも生まれた。これを皮切りに、25年にデュッセルドルフ、さらに38年にマインツで同様の委員会が発足。現在では、市民の手による数多くの協会がこの祭りを支えている。ケルンでは今年、初のトルコ人による協会も設立された。
宴会(Sitzung)
各カーニバルの協会が催す宴会で、通常ゲストは仮装して参加する。規模は主催する協会ごとに異なり、少人数で行われるものから1000人を超えるものまでさまざま。参加者を楽しませる朗読や小さな劇の上演、ダンス、歌などのプログラムが用意されている。目玉はプリンツとプリンツェッスィンの登場。そのほか、ブュッテンレーデ(Büttenrede)と呼ばれる演説もある。これは、中世に身分の低い人が貴族や君主などを非難しても罰せられない「叱責の権利 (Rügerecht)」を得ていたことに由来し、現在のカーニバルの宴会では、演説者がケルン、ライン地方の方言でブュット(Bütt)と呼ばれるビール樽の形をした演台に立ち、方言を使って韻を踏みながらユーモアと皮肉たっぷりに社会、文化、政治批判を行う。参加費用は通常10~50ユーロ程度で、誰でも参加できる。場所、時間などの詳細は各地のカーニバル委員会、協会のサイトで確認しよう。
山車パレードとコスチューム
(Umzugswagen & Kostüme)
2008年ボーフムのノキア工場閉鎖のニュースを
象徴した山車(デュッセルドルフ)©Jacques Tilly
カーニバル中、一番の人出で賑わうパレードに披露される山車は、各カーニバルの協会が約半年の月日をかけて仕上げた力作ばかり。毎年、政治批判を意図したものや時代を象徴するものが多いので、最近世の中を騒がせている出来事をドイツ人がどう思っているかを垣間見ることができるかもしれない。そして、思い思いの仮装をした人々が山車を取り巻き、カーニバル独特の呼び声(デュッセルドルフやマインツならヘラウ(Helau)!、ケルンならアラーフ(Alaaf)!)を発しながら街を練り歩く。コスチュームには、世界各地の民族衣装や動物の着ぐるみなどの定番のほかに流行りもあり、今年は女性ならスチュワーデスや警察官などの制服にミニスカート、男性なら袖や襟が広く開いた70年代スタイルが人気だとか。
モットー
各地のカーニバル委員会は、毎年カーニバルを楽しむためのモットーを 掲げる。今年は、デュッセルドルフでは"Do bes de platt!"(=さあ、君もこの瞬間、言葉を失うほど驚き、感激しただろう!)、ケルンでは、"Unser Fastelovend himmlisch jeck"(=最高におかしなカーニバル)、マインツでは "Freude pur"(=ただ単純に、喜ぶ)だ。
割れたビール瓶に注意!
カーニバルにアルコールは欠かせない。ただ、路上で酔って大騒ぎし、ビール瓶を割る行為が後を絶たず、毎年けが人が続出する。昨年も瓶入りアルコール類に1ユーロのデポジット制が設けられたが、効果は上がらなかった。このため、製造会社によっては瓶に代えてカーニバル限定缶を販売する試みを行うところも 出てきている。
故郷の哀愁漂う音楽
電車の中から宴会会場まで、皆が集まる席で聴かれるのがカーニバルの音楽。ケルンなら、人生の喜びを皆で噛み締めながら軽快なリズムに合わせて歌う 「Viva Colonia!」、デュッセルドルフなら、 ワルツ「Im Rheinland geboren(ラインラントに生まれて)」がオススメ。肩を組んで一緒に歌えば、地元の人たちとの距離もぐっと縮まる。
「 11」の秘密
カーニバルのカギとも言える数字が 「11」。この数字の解釈はいくつかある が、11がキリスト教の「十戒」の次に来る数字で、また最初に戻るという意味を持つため、改心への警告であるという見方や、フランス革命のスローガン「Egalité(自由)、Liberté(平等)、Fraternité(博愛)」の頭文字を並べElf(fドイツ語の11)になったという説もある。
2月19日(木)
女性のカーニバル Weiberfastnacht
朝早くから町はお祭りムード一色に染まり、大勢の仮装した女性たちが賑やかに市街を歩く。11時11分には女性たち がその日1日、町の支配権を握って「ボス」になることを宣言。通りを歩く男性のネクタイを、いきなりちょん切ってしまう!
2月21日(土)
カーネーションの土曜日 Nelkensamstag
2月22日(日)
チューリップ日曜日 Tulpensonntag
2月23日(月)
ローゼンモンターク Rosenmontag
カーニバルのハイライト。派手に飾られた巨大な山車のパレードが市内を練り歩く。山車の上からは観客に向かって、カメレ(Kamelle)と呼ばれる飴などのお菓子が投げられる。
2月24日(火)
スミレの火曜日 Veilchendienstag
2月25日(水)
灰の水曜日 Aschermittwoch
断食節の初日に当たり、ホッペディッツのお葬式が執り行われる。ホッペディッツに見立てた藁人形が火葬されるのを眺めながら、人々は最後の宴を楽しむ。この日でカーニバルは終了。
ライン地方で楽しむ
デュッセルドルフ
2月21日(土)18:00~ 女装レース
(場所: Königsallee)
女装した男性たちが市内のメーンストリートを駆けめぐる障害物競争。風が吹いても悪天候でも平気なように、軽装するのがポイント。
2月22日(日)14:30~
ビール樽運び競争
( 場所: Niederkasselerstraße)
ニーダーカッセル地区で100年以上の伝統を誇るレース。プリンツの格好をした男性、力持ちの女性たちが、巨大なビール樽を軽々と運ぶ。
www.karneval-in-duesseldorf.de
ケルン
2月19日(木)13:00~ 「ヤンとグリートの物語」
(場所: Severintor)
若き乙女グリートに失恋し、心に傷を負ったまま30年戦争に趣く青年ヤンが、そこで騎兵隊長に昇格しケルンに凱旋するという、この町のカーニバルには欠かせない物語。
2月23日(月)10:30~ ローゼンモンターク・パレード
(出発: Chlodwigplatz)
国内最大規模とも言われるケルンの山車パ レード。旧市街の6.5キロメートルを約4時間かけて練り歩く。
www.koelnerkarneval.de
マインツ
2月21日(土)14:11~
子ども仮装パレード
(場所: 市の中心街)
カーニバルは大人だけの楽しみじゃない!大人に負けずカーニバル好き な子どもたちによるパレード。このほか、子どもたちの宴会もある。
2月23日(月)11:11~ ローゼンモンターク・パレード
(出発: Boppstraße)
新旧市街7キロメートルを約15の協会が、それぞれの自慢の山車を引きながら進む。
www.mainzer-fastnacht.de
ライン地方以外で楽しむ
ベルリン
2月22日(日)11:44~ カーニバル・パレード
(出発: Steinplatz)
www.karneval-in-berlin.de
フランクフルト
22日(日)13:11~ ファストナハト・パレード
(出発: Untermainkai)
http://frankfurt-interaktiv.de
ミュンヘン
2月15日(日)11:00~ ファッシング・パレード
(出発: Odeonplatz)
www.muenchen.de
カーニバルファンにとっての憧れの存在、それがプリンツ(Prinz)とプリンツェッスィン(Prinzessin)のカップル。パレードでも宴会の席でも、彼らが登場すれば、周囲からは一斉に歓声が上がる。なぜ彼らは、そこまで人々を熱狂させるのか?今年76代目のデュッセルドルフのカーニバル・プリンツとヴェネツィア(この街でプリンツェスィンを指す)に選ばれたロターとウテ。2人は今、カーニバルの伝道師として日々駆け回っている。熱狂的なカーニバリストでもある彼らに、当地のカーニバルとその魅力について語っていただいた。
カーニバルとは何ですか?
ロター ロター カーニバルは、今で言うロール・プレイング・ゲームのようなもの。中世の時代に、庶民がお上になりきり、お上が庶民になりきって役割交換をしました。特に、ごく普通の人が豪華な衣装を着てプリンツを演じたことが、 観衆に受けたのだと思います。
デュッセルドルフっ子にとって、カーニバルはどんな意味を持っていますか?
17世紀半ばから18世紀初期にかけてこの地域を統治したヤン・ヴェレム選帝候の時代から続く伝統です。彼が宮廷でカーニバルを祝ったのが最初と言われています。この伝統は今日まで継承され、デュッセルドルフの人々の中に今も深く根付いています。
ウテ ここ数年、一段と盛大に祝われるようになり、この慣習の意味は大きくなってきています。それは、カーニバリストだけでなく、この町の市民の1人ひとりが一緒になって祝うことの大切さに気付いたからかもしれません。
カーニバルの魅力とは何ですか?
特に興味深いのは、毎年新しいプリンツが選ばれることです。年によって祝い方も異なるので、その分、祭りの面白みも増します。そして、皆で楽しく大騒ぎすれば、日常生活の厄介な悩み事も忘れることができます。誕生日や結婚式の時のお祝いにも似ていますね。
人々は常に、誰かアイドル的な存在を望んでいるのではないでしょうか。心躍らせることができる誰かです。それが、カーニバルのプリンツとプリンツェッスィンということなのでしょう。
お2人にとって、カーニバルとは何ですか?
すべてです!1年中この季節が来るのを楽しみにしているし、カーニバルを祝うのがとにかく大好きなの。私の体には、「カーニバルの血」が流れているのです。
ずっと、カーニバルのシンボルであるプリンツになりたいと思っていました。例えるとすれば、熱心なテニス選手が1度はウィンブルドン選手権で勝ちたいと思うのと同じです。そして今、その夢が実現しました。プリンツ、そして町で最も美しい女性であるヴェネツィアには、一生に1度しかなれません。
どうすればカーニバリスト(カーニバルに参加して祝う人)になれますか?
まずは、カーニバルの慣習、歴史について知っておくことが必要です。そして、カーニバルを体験して初めてカーニバリストになれます。1度でも参加し、一緒になって祝えば、「カーニバル・ウィルス」に感染して病みつきになってしまいます。そうすれば、もう立派なカーニバリストです。
プリンツとヴェネツィアは、毎年どのように選ばれますか?
プリンツとヴェネツィアの
名前が入ったワッペン
プリンツは市長の承認の下、カーニバル委員会によって任命されます。まず、通常仕事を探す時のように、履歴書から志望動機まで、必要書類一式を揃えて応募します。委員会と市長の審査に通れば晴れてプリンツになり、カーニバル中は(お上と庶民の役割交換というカーニバルの主旨により)市長代行となります。ちなみに、私は3度目の挑戦でやっとプリンツに選ばれました。任命されたプリンツは、ヴェネツィアを選ぶことができます。そこで私は、もともと良く知っていたこともあり、笑顔がチャーミングなウテを選びました。そして、「僕のヴェネツィアになってくれるかい?」と、プロポーズに匹敵する言葉を彼女に捧げたのです。
そんな素敵な申し出を断るわけにはいきませんよね!?
選ばれた時、どんな気持ちでしたか?
超幸せでした!昨年の3月末に決定したのですが、公表が行われた6月14日までは絶対に誰にも口外してはいけなかったので、苦しかったですね。
まさに勝利の瞬間でした。
プリンツ、ヴェネツィアに選ばれるには、 何が必要ですか?
絶対にプリンツ、ヴェネツィアになりたい!という目標、高い志しを持つことです。
任務は何ですか?
街中にいる道化者がちゃんと祝っているかどうかを見て、彼らを指揮、監督することです。そのほか、各所で行われる宴会を回って道化者に話しかけ、彼らに人生の楽しみ。喜びを伝授します。
お2人のカーニバルのモットーは?
「人に情熱を伝えたければ、自分の中に熱い思いを持とう」
ある友達に、「君たちが誇りに思って着ているプリンツとヴェネツィアの祭服からも、役を心から楽しんでいるという、喜びが溢れ出ているよ」と言われました。自分の中に熱い思いがあれば、それはほかの人にも自然と伝わるものです。
読者に、カーニバルを楽しむヒントを教 えてください。
躊躇しないで、1度体験してみてく ださい。「ちょっと行ってみようか」という気持ちがあれば十分です。出かけてみれば、楽しめること間違いなしです。カーニバルでお会いしましょう!Helau! Helau! Helau!
Lothar Hörning
1961年2月2日生まれ。金属部品会社の経理マネージャー。2人の息子の父。市のテレビ局Center TVのキャスターも務める。好物はシャンパン入りトリュフと赤ワイン、シュニッツェル。
ウテ・ハイアーツ= クリングスさん
Ute Heierz-Krings
1964年8月13日生まれ。カトリック教区のコミュニティの秘書。ニーダーカッセルで、夫と2人の娘と暮らす。趣味はカーニバルのほか、演劇、愛犬「ピコ」 とのジョギング。