ヴュルツブルクからフュッセンまで
全長約410km、28の個性的な街々を繋ぐロ
マンティック街道は、ドイツ一有名な観光地。
この人気街道と日本がパートナーシップを
結んでから、今年でちょうど25年。
日独ロマンティック街道姉妹街道
締結25周年を記念して、
ドイツ・ロマンティック街道の魅力を再発見しよう。
まるで絵画のような街並みを守り続ける街の人々の
情熱と歴史ロマンの息づく場所。
ここを訪れればきっと、ドイツがますます好きになる。
(編集部:高橋 萌)
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ヴュルツブルク
ロマンティック街道の起点
マイン河畔の美しい古都では、キリスト教の司教が輝かんばかりの威光を放っていた時代を振り返ることができる。世界遺産に指定されている大司教が住んでいた宮殿レジテンツ、そして大聖堂やマリエンベルク要塞など見どころたっぷり。ぶどう畑が広がるこの街は、質の高いフランケンワインの産地でもある。
アウグスブルク
ロマンティック街道最大の都市
ローマ皇帝アウグストゥスに由来する街の名 前からもわかる通り、ここはローマ人によって建設されたローマ帝国都市。2000年の歴史の重みと、現代も発展を続ける街のパワーが感じられる。北方ルネッサンス様式の傑作と言われる市庁舎、モーツァルトも一時期を過ごしたという父レオポルトの生家もある。
ネルトリンゲン
隕石が落下した跡にできた街
見事な円形を描く城壁に囲まれた街ネルトリンゲンは、今も中世の街並みをほぼ完全な形で遺している。全長4kmにもわたる城壁は、屋根が付いているちょっと珍しいスタイル。約1500万年 前に隕石が落下してできたと言われる盆地が街の基盤になっている神秘的な場所でもある。ゲオルク教会が街のシンボル。
ヴィースの巡礼教会
「牧場の奇跡」と呼ばれる教会
世界遺産に登録されている教会は牧場の中に建ち、外観は質素だが、内部は壮麗なロココ様式で装飾された異空間。キリストの像が涙を流したという奇跡が起きたことから、巡礼地として人気が高まり、ドイツ・ロココ様式の完成者として名高いドミニクス・ツィ ンマーマンが、およそ10年の歳月を掛けて完成させた。
フュッセン
ロマンティック街道の終着点
ドイツで一番人気の観光名所ノイシュヴァンシュタイン城へのアクセスが良く、1年中観光客で賑わうアルプス山麓の森と湖に囲まれた美しい街。もし時間があれば、城見学だけでなく、城の主ルートヴィヒ2世が「南ドイツの宝」と称えた 自然にも目を向けてみよう。リュートやバイオリンの製造地としても有名。
ロマンティック街道の旅にはバスがお勧め!
ヨーロッパバス
個人旅行者にとって、実はロマンティック街道は難易度の高い場所。小さな街が点在し、鉄道が通っていない場所もあるのだ。そんな観光客の強い味方がヨーロッパバス。毎年夏季シーズン(4~10月)には毎日運行され、フランクフルト―フュッセンを結ぶ南北、北南便が1日1便。ロマンティック街道28都市とヴィース教会に停車する。運行期間:10月20日(日)まで毎日運行
フランクフルトを朝8時に出発して南下する便と、
フュッセンを朝8時に出発して北上する便がある
*料金の詳細・予約は下記ウェブサイトより。
www.romanticroadcoach.de
www.romantic-road.com/index.php?id=homepage&L=1(日本語)
写真 © Romantische Straße Touristik-Arbeitsgemeinschaft GbR
市民が守る「中世の宝石箱」
中世の時代に時計の針を止めてしまったかのようなローテンブルクの旧市街は、「中世の宝石箱」とも称される景観で訪れる者を魅了する、まさにロマンティック街道の看板娘。鮮やかなパステルカラーに彩られた三角屋根の建物、凝ったデザインの吊り看板は見上げるだけでワクワクしてくる。
ローテンブルクが中世の街並みをほぼ完璧な形で現代に遺しているのは、激動の時代を経て、一度は忘れ去られた街だから。ドイツで北方ルネサンスが花開いた15世紀に帝国自由都市として栄華を極め、フランケン地方第2の規模にまで上り詰めた栄光の歴史は、その後の欧州全土を戦火に包んだ「最後の宗教戦争」と呼ばれる30年戦争(1618〜48年)とペストの大流行により、衰退の歴史に取って代わられる。盛者必衰の理をそのまま表すような残酷な時代の波に飲まれ、19世紀に鉄道が開通して街の文化的価値が再発見されるまで、街は発展の歩みを止めたまま、ひっそりとその姿を留めていた。
観光都市として国内外から注目を集めるようになったローテンブルクを次に襲ったのは第2次世界大戦。空爆を受けて旧市街の40%以上が破壊された。さらに軍を進めようとする米軍に対し、ヒトラーの「最後まで戦え」という指令を無視する形で1945年4月17日、ローテンブルクは降伏。ドイツが敗戦する3週間も前のことだった。戦後、市民はすぐに立ち上がり、米国をはじめ全世界からの寄付を受けて街を再建。ローテンブルクは世界に誇る美しい街並みを取り戻した。
街を守る市民の努力は、丁寧に塗られた鮮やかな壁の色、何度も修復された屋根の様子など、1つひとつの建物を見れば分るように、現在まで続いている。ローテンブルクの観光都市としての輝きは、街を愛する人々のたゆまぬ努力と情熱とに支えられているのだ。
市庁舎のすぐ側にあるクリスマス博物館(Deutsches Weihnachtsmuseum)は、1年中クリスマス雑貨が並ぶケーテ・ヴォールファールト内に併設。その規模の大きさに驚かされる。マルクト広場から真っ直ぐ南下するとたどり着くのが、小さな三角形の広場があるプレーンライン(Plönlein)。ここからの景色は、絵画のような美しさ。外せない撮影スポットだ。旧市街をぐるっと囲む市壁に登り、通路から街を観察したり、西側にある城塞公園(Burggarten)を訪れ、市壁の外からローテンブルクを望むと、また新しい魅力を発見できるはず。
Meistertrunk
ローテンブルクでは、3.25リットルのワインを飲み干し、街を救ったという英雄のみごとな飲みっぷりを「マイスタートルンク」と讃える。危機にさらされたときに伝説が生まれるのは歴史の常で、1631年10月30日、三十年戦争の真っ只中にあって、プロテスタント側のローテンブルクはカトリック側である皇帝軍のティリー将軍と彼の率いる大軍に包囲され、ついには陥落。街は破壊される寸前という局面で、市民は将軍をフランケンワインでもてなしていた。そのワインを見て、「もしこの大杯のワインを一気に飲み干す者がいたならば、すべてを許そう」と将軍が提案し、命を懸ける覚悟でこの難題に挑戦したのがヌッシュ元市長。10分以上を掛けて大杯を飲み干し、街は救われたというメルヘンのようなお話。9月には当時の様子を再現するお祭りも開かれる。
※マルクト広場にはマイスタートルンクをモチーフにした仕掛け時計があるが、現在は修復中 (2013年7月現在)。
街全体が「中世の生きた博物館」
幸運にも戦火に巻き込まれることなく中世の街並みをそのまま今に留めているディンケルスビュールは、「生きた博物館」そのもの。取材で出向いた日は、ちょうど「Kinderzeche」のお祭りが行われており、バスの停留所前の広場にはスウェーデン国旗がはためく野営地が再現されていた。
この祭りの期間中に限り、旧市街への入場料4ユーロが徴収される。中世の衣装を身にまとった市民に「野営地の中に入ったら、銃で撃たれるか、水をぶっかけられるからね!」と脅されながら、「ようこそ! ディンケルスビュールへ!!」と笑顔で迎えられた。ディンケルスビュール市民が一体となって、中世を再現するこのお祭りの日々は、まさしく生きた中世の博物館を体験できる。子どもたちだって、「毎年、夏休み前のテストが近いこの時期は暇じゃない」けれど、参加を義務付けられている。とは言え、街の歴史を再現する劇やパレードで演じる子どもたちの表情はちょっぴり恥ずかしそうで、でもやっぱり誇らしげ。
川と市壁によって堅固に守られた旧市街へは、細い橋を渡り、または城門をくぐって入る。石畳の小道が続き、眼前に木組みの建物が広がる。予想を上回る美しさに、思わず足が止まる。ディンケルスビュールの街としての成り立ちは、ローテンブルクよりも早い12世紀にさかのぼるため、中世の街に特徴的な大きな中心広場はまだ都市計画に含まれていない。縦横に伸びる通りに市場が立ち、通商の拠点を担っていたそうだ。
ディンケルスビュールも、中世の面影を遺すほかの街が辿った運命に違わず、14~15世紀にその繁栄の最盛期を迎えるが、30年戦争で破産状態に陥った。現在、私たちが目にしている街の姿は、14世紀に完成したもの。再び脚光を浴びるまで、400年ほど沈黙を貫いてきたこの街には、確かに静かな中世の暮らしが息づいている。
ツーリストインフォメーションは歴史の家(Haus der Geschichte)の中。ヴェルニッツ塔(Wörnitz Tor)は外部からの敵を迎えた歴史の舞台でもある。荘厳なゲオルク教会(Münster St. Georg)はカトリックの教会として重要な文化的価値を持ち、ワイン市場(Weinmarkt)と名付けられた通りに面して、ドイツ一美しい木組みの家との呼び声高いドイチェス・ハウス(Deutsches Haus)がある。市壁に沿って4つの門と14の塔を見て回っても1時間も掛からない小さな街。せっかくだから、のんびりと中世の雰囲気を堪能しよう。
Kinderzeche
30年戦争中の1632年、ついにスウェーデン軍がディンケルスビュールに侵攻してきた。屈強なスウェーデン軍を前にもはやなす術はなく、街を明け渡す(Stadtübergabe)しかなかった大人たちの前に現れたのが、塔の見張りの娘ローレ。街の子どもたち全員を引き連れて、スウェーデン軍の隊長に「街を破壊しないで!」と懇願した。その結果、現在まで街が残っていることからもわかるように、隊長は子どもたちの願いを聞き入れたのだ。破壊から街を救った子どもたちの活躍を讃え、この小さな勝利を記念して毎年7月には10日間にわたって盛大な祭り「Kinderzeche」が開催される。仮装した市民が、パレードや郷土舞踊、当時を再現した演劇などを披露。そして、子どもたちへの感謝のしるしにお菓子(Kinderzeche Gucke)が配られる。