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細貝萌インタビュー

細貝萌インタビュー

2013年からブンデスリーガのヘルタ・ベルリンに所属する細貝萌選手は、体を張ったプレーとチームへの献身的な姿勢などが評価され、主軸として活躍中だ。プロサッカー選手として異国の地で成功すべく、「強くありたい」と努力し続ける一方、家族やファンへの思いやりも忘れない、繊細で優しい人間性も顔をのぞかせる。ベルリンのクーダム近くで行ったインタビューは、ドイツでの日々からサッカー観、ファンとの交流まで多岐に及んだ。 (取材・文:中村真人)


HAJIME HOSOGAI

1986年、群馬県前橋市生まれ。前橋育英高校卒業後、2005年に浦和レッズ入団。ボランチとしてレギュラーに定着する。11年、ドイツ・ブンデスリーガのレヴァークーゼンに移籍し、アウグスブルクにレンタル移籍。主力として1部残留に貢献し、12/13シーズンにレヴァークーゼンに復帰した。13/14シーズンからはヘルタ・ベルリンでプレー。2010年9月のパラグアイ戦でのA代表デビュー以降、日本代表でも活躍している。

兄たちの背中を見ながら

2014年を振り返ってみて、細貝選手にとって大きな出来事の1つは、ワールドカップ(W杯)ブラジル大会日本代表に落選したことだったのではないでしょうか。先日、そのことを取り上げたテレビのドキュメンタリー番組を拝見しました。細貝選手がそこで、無念の気持ちだけでなく、家族やファンへの感謝の気持ちを言葉にされていたのが印象的でした。

僕自身は、代表に選ばれなかったのは実力不足によるもので、「仕方ないな」と思っていました。しかし、ヘルタ・ベルリンでプレーしていると、練習場やスタジアムに大勢のファンの方が足を運んで応援してくれて、ワールドカップの応援メッセージもたくさんいただきました。家族、妻、両親、ファンの方たち…… 周りにいる人の気持ちや期待に応えられなかったことが申し訳ないと思ったし、それが悔しくて悲しかった一番の理由です。

細貝選手は群馬県前橋市出身。どのような家庭環境の下で育ったのですか?

両親には、自由にさせてもらいました。当時は気付きませんでしたが、プロ生活を送っていると、練習の送り迎えなど、両親は僕がサッカーを楽しくできるように、よくサポートしてくれていたなと思います。サッカーをやっていた2人の兄の影響もとても大きいですね。3つ上の双子なので、誕生日も入学式も七五三も、何をするのも当然一緒。僕は小さかったので、よく分からなかったんです。なぜ2人は誕生日も一緒で、服も同じなんだろう、なぜ自分だけ違うんだろうと思っていました。3つ離れているので、運動能力は自分より高く、サッカーも上手でした。それが悔しくて、兄たちの背中を見ながら、どうにかして彼らに付いていきたいという気持ちが強かったですね。

細貝選手
インタビューに答える細貝選手の言葉の端々から、
その誠実な人柄が垣間見られた

ドイツへの道のり

前橋育英高校を卒業して、2005年に浦和レッズに入団されました。

浦和には6シーズン在籍し、2011年にドイツに来ました。最初はレヴァークーゼンと契約したのですが、当時、レヴァーク―ゼンの同じポジションには代表クラスの選手がたくさんいました。レンタルを考えてほかのチームとコンタクトを取っている際に、FCアウグスブルクのヨス・ルフカイ監督が僕の映像を観て、「ぜひ欲しい」と言ってくださったのです。そして、そのままスムーズにレンタル移籍が決まりました。

もともと、海外でプレーしたいという強い想いを持っていたのですか?

はい。高校を卒業して浦和レッズと契約する段階から、「将来的には海外に行きたいので、チャンスがあれば行かせてほしい」と伝えていました。当時はまだ現実的ではありませんでしたが、気持ちは強かったですね。

ドイツを選んだ理由は?

とにかく欧州、その中でもレベルの高いイタリア、ドイツ、イングランド、スペインのリーグのいずれかでプレーしたいと思っていました。2010年にドイツからオファーの話をいただき、年齢的なこともあったので、これを逃したら行けないと思って決意しました。

そして、FCアウグスブルクのチームの一員になります。

2011年1月のアジアカップ後にドイツへ渡り、ブンデスリーガ2部の後半戦からアウグスブルクに合流しました。クラブは2部で2位につけており、そのまま進めば昇格できるというところでした。幸い1部に昇格し、次のシーズンを戦いました。アウグスブルクがクラブ史上初めて1部入りしたシーズンだったので、どうにか頑張って残留しようという目標があったし、それに貢献したいと強く思いましたね。その時、まさに今僕がいるヘルタ・ベルリンとの残留争いに勝ってアウグスブルクは1部に残りましたが、ヘルタは降格したんですよ。まさか自分がベルリンに来ることになるとは、当時は思いもしませんでした。

アウグスブルクでの生活はいかがでしたか?

まず、ドイツ語を覚えるのが大変でした。数字はなんとか1から10まで言えるぐらいで、選手との会話も、簡単な英語と片言のドイツ語。話し掛けてくれても、何を言っているのかが分からないという時期が長く、辛かったですね。でも、言葉が上達しないからといって日本に帰りたいというのはなかったです。自分が生まれ育った日本の環境とは全く違うので、何もかもが新鮮で充実していました。ただ、ドイツに来たのは1月後半だったので、本当に寒かったのを覚えています。

食事の面で苦労されたことはありませんか?

最初の頃は、アウグスブルクで日本人が経営している日本食レストランに毎日のように通っていました(笑)。行くと、まかないのようなものを作ってくださるんです。そこで昼食を食べて練習に行き、また夜にそこでご飯を食べてから家に帰るというのが日課でした。お店のスタッフの皆さんは、日本人選手がアウグスブルクに来るなど、思いも寄らなかったようで、喜んでくれていましたが、僕はそこに皆さんがいてくれて良かったと感謝しています。その間に妻と入籍し、ドイツに来て間もない頃から食事のサポートなどをしてくれているので、とても助かっています。

今は、ドイツ語にも大分慣れてきたのではないでしょうか。

上手い下手は別にして、何か問題があるときには電話をして解決できるぐらいにはなり、今は普段の生活で困ることはあまりないかな。マッサージをしてくれる方とけがについて話したり、監督とミーティングをしたり……。昨シーズンは全く勉強していませんでしたが、またやらなければと思い、今、ドイツ人の家庭教師の下で勉強しています。週に1、2回、時間をみてやるという感じですが、せっかくドイツにいるので、もっと困ることのないようにと思って。

ブンデスリーガには、世界各国から優秀な選手が集まっていますよね。

今、自分が所属するヘルタ・ベルリンのメンバー構成も、ドイツ、チュニジア、スロヴァキア、ノルウェー、ブラジル、オランダ、アメリカ、カメルーン、コートジボワールなど多国籍です。いろいろな国の選手と話すので、その国の状況を聞いたり、プライベートな話をするのも楽しいですね。仲の良い選手もいますよ。

ヘルタ・ベルリンへ

少し話を戻して、ヘルタ・ベルリンに来ることになった経緯を聞かせてください。

アウグスブルクが1部に残留した後、レヴァークーゼンで1シーズン、プレーしました。そして、2013/14シーズンに合わせてヘルタに来て、現在2シーズン目です。ヘルタに移籍できたのは、アウグスブルク時代のルフカイ監督のおかげと言えます。ベルリンへ行きたいと思っても、監督が僕のことを知らなかったら、そこで終わっていたでしょうから。

昨シーズンのヘルタは、前半戦は好調でしたが、後半戦はなかなか勝てませんでした。

結果的に11位でした。後半をスムーズに戦えていれば、もっと良い結果が出たはずです。今(2014年11月時点)もあまり良い状況ではありませんが、ウィンターブレイク明けは雰囲気が変わるので、逆に後半戦、良い流れに乗っていける可能性もあります。まずはそれまでの間、1つでも試合に勝つことで勝ち点を積み重ねていきたいです。チームがアウェーに弱いということは、もちろん選手自身も分かっているのですが、なかなか結果が出せないのが現状で……。

私が細貝選手に注目するようになったきっかけは、『Number』誌(2011年2月発行771号)で紹介されていたメンタルコントロールの記事でした。当時に比べると精神的にもタフになったと感じていますか?

ピッチに立つ時間が長くなり、充実した時間を過ごせています。日本からドイツに来てプレーする中で、自分でも精神的には間違いなく強くなったと思いますし、そう信じてやっています。

その記事の中で印象に残ったのが、試合中にミスをしてしまったら、心の中にそれを「パーキング(駐車)」するという対処法です。

上手くいく試合もいかない試合もありますが、ミスをしても、ふと「パーキング」を思い出せるときは、精神的にも落ち着いている証拠なのかなと思います。スポーツ心理学の齊藤茂さんに、そういうやり方があることを教えていただきました。今も定期的にメールで連絡を取り合っていて、「こうした方が良い」ではなく、「こういう方法もあるよ」という形でアドバイスをいただいています。いくつかの選択肢や方向性を提示され、その中から自分に合ったものを見付けていくという感じです。齊藤さんには昔からお世話になっていて、高校生のとき、試合前の寝られない夜などに、「1回シャワーを浴びてみたら?」「目を閉じているだけでも精神的には違うよ」といったアドバイスをもらい、時間は掛かりましたが、寝られるようになりました。克服したというか強くなった証拠だと思います。

細貝選手
惜しくも0-1で勝利を逃したものの、フル出場し、
攻守に貢献した昨年11月29日の対バイエルン戦

ボランチというポジション

細貝選手は、今でこそボランチというポジションに定着していますが、昔はそうではなかったそうですね。

高校時代は、ボランチよりもう1つ前のトップ下などでプレーすることが多く、ボランチもやるけれど、攻撃が好きな選手でした。プレースタイルは今と全く違いましたね。今はまず守備をしっかりして、チームのバランスを整えることを考えています。長いサッカー生活を経て、このスタイルが選手として一番活きる方法だと思いましたし、いろいろな監督や選手と出会う中で、自ずとそういう風になっていきました。

相手の攻撃の芽を潰すのに長けているという評価が高いですが、その能力はどのように身に付けてきたのですか?

感覚ですね。危機察知能力と言われますが、これは鍛えようとして鍛えられるものではありません。だからこそ評価していただけるのは嬉しいですし、評価してもらえるように頑張りたいです。自分がアシストやゴールをするよりも、泥臭くチームのために働いて勝つのが嬉しい。それが自分の色だと思っていますし、そこで勝負していきたいという気持ちは強いです。

以前、女子サッカーの大儀見優季選手にインタビューした際、「ドイツのサッカーは1対1の戦いを重視し、それに勝ってこそ評価される」と仰っていましたが、やはりそうですか?

まさにその通りで、ドイツ語のツヴァイカンプフ、1対1の重要性というのは感じています。現時点でチームが結果を出せていない原因の1つは、チームも自分も球際で戦うことができていないからではないかと思います。ボランチはチームの真ん中の位置にいるので、そこで勝ってこそチームを勝利の方向に近付けられる。失点するときというのは、やむを得ない場合もありますが、基本的には課題が確実に出るもので、細かい点が勝負を分けてしまうというのは感じていますね。

記憶に新しいのは、昨年のW杯の日本対コートジボワール戦です。後半同じパターンで立て続けに点を奪われました。

試合を観ていただけの自分よりも、実際にプレーしていた選手の方が、当然悔しい思いをしているはずです。僕はあのW杯で代表に入った選手全員の性格も知っていますから。コートジボワールの選手のクロスに対して、「あのポジションを取っておけば良かった」と後悔している選手もいると思います。あともう少し、どうにかして相手の体の前に入るというところなんです。ただ、そういった課題は、ゴールが入らなければ時間とともに忘れられてしまいがちで、ゴールを入れられたからこそ、「あの時、ああしておけば!」と思うもの。結果論なのですが、結果から見えることは何よりも大きいのです。

次のW杯は2018年ロシア大会。まだ先です。

もちろんロシアには行きたいですが、重要なのはやはり今。目の前のことをしっかりとやれば、日本代表に選ばれたり、本大会に行ける可能性が上がる。結果は後から付いてくるものだと思っています。そういう意味では、ヘルタでのキャリアは一番重要ですね。毎年毎年が勝負ですが、自分自身の状態は良いので、今しっかりとやることで、この先の状況が変わると思っています。

現在28歳。サッカー選手としても、円熟期に入ってきましたね。

もう上から数えた方が早い世代ですが、この年齢になったからこそ分かることもあります。歳だからできないということはないし、歳と経験を重ねた分できることがあると思っています。

先ほど1対1の話になりましたが、Jリーグとブンデスリーガでプレーして、日独のプレースタイルにどのような違いがあると感じますか?

日本はどちらかというと、細かくパスを繋いでゆっくりと攻めていきますが、ドイツはチャンスがあれば縦に速く、力強く攻撃していくというスタイルですね。僕は日本でプレーするよりもこちらの方がやりやすいし、より自分らしさが出せると思っています。だから、ドイツに来て本当に良かったですし、もっともっと長くプレーしたいです。ヘルタを引っ張っていく存在になりたい。まだ契約は残っているので、まずはこのベルリンで長くプレーできるように頑張りたいですね。

ドイツに来て特に衝撃を受けたサッカー選手は?

バイエルン・ミュンヘンのバスティアン・シュヴァインシュタイガー選手です。日本にいたときはそれほど惹かれませんでしたが、こちらで対戦相手として一緒にプレーをしたり、毎試合のハイライトを観ると、さすがはドイツ代表、バイエルンの主役として活躍するレベルだなと思います。強いし、ポジショニングも良いし、前に行こうと思えば行けるし、本当にすべてにおいてクオリティーが高い。「あんな選手がチームにいてくれたら、周りの選手は助かるだろうな」と思うようなプレーをします。今後はドイツ代表でもキャプテンマークを付けるでしょうし、チームの精神的な支柱です。

バイエルン戦では、距離的にも同選手と近いところでプレーするのですか?

目の前にいることはありますが、プレー中に対峙する時間が長いのは、彼より前の位置にいるマリオ・ゲッツェやトーマス・ミュラー、昨シーズンまでだったらトニ・クロース(現レアル・マドリード)らです。当然、彼らも皆レベルの高い選手たち(笑)。大変なのですが、そのようなチームと戦える環境にいるというのは、恵まれています。親善試合や練習試合とは違って、球際の接戦を感じますね。

バイエルンと下位チームが引き分けることがもあるのも、ブンデスリーガの面白さです。

バイエルンが実力的に頭1つ抜きんでている状況ではありますが、順位は毎回分かりませんし、チャンピオンズリーグに出たチームが降格争いをすることもあり得ます。だからこそ、ヘルタにも上へ行くチャンスはあるし、選手のレベルもブンデスリーガの中で決して低い方ではない。ここから良い流れに持っていきたいですね。もちろんほかのチームの選手もそう思っていますが、相手よりも強い気持ちがないと勝てません。チームのために自分は何ができるのかを常に考えながらプレーしたいです。

ベルリンでの生活とファンのこと

普段の生活について教えてください。

試合は週末に行われ、翌日はクールダウン。その次の日がオフですが、僕はオフの日も練習場に行って体をほぐしたり、トレーニングしたりして過ごしています。基本的には規則正しい生活で、毎日同じサイクルで過ごしている感じです。家で過ごす時間は自然と長くなりますが、リラックスできるし、心も落ち着きますね。

ベルリンという街については、どのような印象をお持ちですか?

ベルリンには悲しい歴史が多いですが、せっかく住んでいるので、もっとこの街について学びたいという気持ちはあります。日本にいた頃からベルリンの壁のことは知っていましたが、写真で見るのと、実際にその場で見て感じることは違います。サッカー選手としては、90分の試合に、ベルリンの壁に関する知識の有無は正直関係ありませんが、細貝萌という1人の人として歴史を知らなければいけない、知りたいという気持ちはありますね。(ナチス時代の)ユダヤ人の強制輸送など、今では考えられないじゃないですか。自分でインターネットなどで調べようとすると、結構難しいこともあるので、例えば関連映画を観たりしながらベルリンのことをもっと知りたいです。

細貝選手はファンをとても大事にされています。今シーズンの開幕前、ヘルタファンの少年にユニフォームをプレゼントして、少年が感動して泣いてしまった話がインターネットで話題になりました。

あの日は練習試合で、試合前から「細貝選手、ユニフォームをください」というボードを持った男の子がいることには気付いていて、「ありがとう」って合図したんです。自分の交代後、その子がベンチの目の前までやって来て、ボードを出しながら「くれませんか?」と。小さな声で、すごく頑張って来たという感じでした。僕の方こそ「こんなに応援してくれているんだ」と思って嬉しくて、迷うことなくユニフォームを渡しました。交代直後だったので汗びっしょりでしたが(笑)。その2日後ぐらいに、泣いているその子をお父さんが抱いている写真が地元紙のウェブサイトに出ていたんですよ。その時は、ただユニフォームを渡しただけでしたが、そこまで喜んでくれていたんだと、後から知って本当に嬉しかったですね。

 
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