2016年はオリンピックの開催年。今年8月からブラジルのリオデジャネイロで開幕するスポーツの祭典に世界中から大きな注目が集まるはずだ。また近年はオリンピックだけではなく、続いて行われるパラリンピックへの関心が急激に高まっている。そこで新春号では、欧州各国の注目すべきパラリンピック代表候補へインタビュー。ドイツからは、オリンピックのメダルに一番近いパラリンピアンとして注目を集める、義足の陸上選手マルクス・レーム選手に話を聞く。
PROFILE1988年8月22日、バイエルン州ゲッピンゲン生まれ。2003年夏、ウェイクボードの練習中に事故に遭い、右足のひざ下を切断。しかし、05年にはウェイクボードのドイツ・ジュニア選手権で準優勝。08年からTSVバイエル04レバークーゼンに所属。09年、IWASジュニア世界大会で走り幅跳びの優勝者となり、翌年は同大会で走り幅跳びと100M走、200M走の3冠を達成した。12年のロンドン・パラリンピックでは、走り幅跳びで金メダル、400Mリレーで銅メダルと活躍。15年10月、自身が持つ障害者(T44)の幅跳び世界記録を更新する8M40を飛んだ。義肢装具士のマイスター資格を持つ。
www.markus-rehm-88.de
健常者と一緒に競技をすることで
障害者スポーツへの注目を集めたい
約束の時間にトレーニング施設の前で待っていると、スケートボードに乗って颯爽と坂道を下ってくる男性が一人。目の前で奇麗に着地し、スケートボードをひょいっと小脇に抱え、こちらに駆けてくる人物が待ち人であると気付くのに、一息分の時間を要した。現れたのは、義足の走り幅跳び選手、マルクス・レーム。
2015年10月、カタール・ドーハで行われた障害者陸上世界選手権で自身が樹立した世界記録(8メートル29)を大きく更新する8メートル40を跳び、金メダルを獲得しました。この結果をどのように受け止めていますか。
もちろん、家族や支えてくれている人たちと一緒に大いに喜びました。世界記録を更新するほどのベストな跳躍というのは、毎日飛べるようなものではありません。それを今年一番のハイライトとして目指してきた大会で発揮できたことが特にうれしかった。これよりも良い結果は望めないというくらいの成果だと思います。
世界記録を更新するために、何か新たな試みやトレーニングをしてきたのでしょうか。
少し前から1日2回へとトレーニングの回数を増やしました。現在、日曜日以外は毎日トレーニングを行っています。まず、早朝トレーニングをしてから仕事に向かい、半日の仕事を終えてから、再び練習場へ。着地の時の姿勢や空中での身体の動きといった、記録と大きくかかわる部分の改善に力を入れてきました。そうしたことの積み重ねが、8メートルの大台を超える跳躍を生み出すのに役立っていると思います。
同じ競技で世界を相手に戦う日本人選手としては、T42クラスの山本篤選手がいます。同選手はドーハで自身の大会記録を更新し、大会2連覇を果たしました。
もちろん、彼のことはよく知っています。素晴らしい選手です。世界大会で顔を合わせるアスリート同士は、皆良い仲間ですよ。2012年のロンドン・パラリンピックでは、ポイント制*が採られていたので一緒に飛びました。その後、ポイント制は公正性の面で問題があるとされ、クラス分けで競技が行われるようになりましたが。
*障害の度合いによってポイントを加算し、総合得点で競い合うルール
義足は、一発逆転を可能にする魔法の道具ではない
2014年7月には、ドイツ陸上選手権で健常者を破って優勝し、陸上界に衝撃を与えました。この時の記録は8メートル24。ロンドン五輪で銅メダルを獲得できる水準の記録でした。それ以降、「義足の公正性」について、様々な角度から議論が噴出しています。このことに関して、レーム選手はどのようにお考えですか。
私はこの大会について、障害を持たないアスリートと一緒に参加することに意義があると思っていたので、記録は同等に扱ってもらわなくてもOKという姿勢で参加を申し込みました。ドイツ陸連が私の参加を許可し、さらに記録についても同条件で評価すると決定したのです。その結果、私は優勝。すると、カーボン製の義足のおかげで記録を伸ばしているのではないかと注目されるようになりました。もちろん、自分としては「フェアじゃない」と言われるくらいなら、優勝を取り消して欲しいと申し出ましたが。最終的にドイツ陸連は、記録は「参考」扱いに、優勝は取り消さず、欧州選手権への出場権は2位の選手に与えることを決めました。
ドーハで行われた障害者世界陸上で、私と2位以下の記録の間には1メートル以上の差がありました。幅跳びにおいて、この差は歴然です。私は、世界のトップ・アスリートたちと肩を並べ、ほんの数センチの差が勝敗を分ける、そんな緊張感のある戦いに身を投じてみたい。そのために、挑戦の場を健常者の大会に求めたのです。障害者が健常者を負かす形で1位になって、「なぜだ?」と疑問に思う人が出てくることは理解できます。ただ、自分が新記録を樹立する度に、「彼は義足だから」と言われることを残念に思います。私の記録は、トレーニングの賜物です。義足は、一発逆転を可能にする魔法の道具ではありません。こういった見方は、これから育つはずの若い世代に悪影響を与える可能性があると危惧しています。
医療技術の発展により、将来的にはもっと接近してくるはずの障害者と健常者の距離。だからこそ、誰もが納得できる形で評価する仕組み作りが進むことを願っていますし、そのための協力は惜しみません。昨年、まずはドイツで健常者と一緒に競技することができました。これはとても素晴らしい試みだったと思います。今はまだ問題点にばかり議論が集まっていますが、障害者と健常者が一緒に競技をすることの意義にもっと光が当たればと願っています。
事故は自分の運命、障害は自分の個性
確かに義足を履けば記録が出るということならば、義足の選手が皆、軽々と8メートルを超える記録を出しているはずですね。ご自身が義肢装具士であることは、記録を伸ばすのに役立っていますか。
現在使用しているスポーツ用の義足については、誰でも私と同じ義足を注文できますよ。皆が平等に技術的な恩恵を受けられるよう、同じ製造元の製品を使用することになっています。もちろん、切断した足の状態によって形状に違いはありますが、素材や構造は一緒。自分が義肢装具士であるがゆえに、義足を改良しているのではないかと思われることもありますが、それもありません。メリットがあるとしたら、サイズやフィット感を自分で調整できるということくらいでしょう。
それにしても、義足をしているとは分からないくらい、自然な動作で歩行されています。義足に慣れるまでにご苦労はありましたか。
私は、義足を使うセンスに恵まれていたと思います。仕事柄、初めての義足をどう受け止めるか、人によって大きな差があることを目の当たりにしてきました。義足を必要とする状況を望む人は一人もいません。そのため、義足に対して拒否感のようなものを持つ人もいます。でも私の場合は、身体の一部としてすぐに受け入れることができました。2008年に事故に遭い、病院の中で14歳になりました。まさに青春真っ盛りです。それまで障害者と接したことがなかったものですから、障害者は不自由で、弱くて、守られるべき存在だと思い込み、絶望しました。でも、すぐにそのイメージは正しくないと気付きました。どういう存在であるかは、結局は自分次第です。事故に遭う前、自分は運動神経に自信があり、スポーツに夢中でした。義足になってからも、同じスポーツの分野に挑戦し、結果を出すことができたので自信を取り戻すことができたのです。
お話を聞いていると、あなたが右足以外、何も失っていないということが分かります。
もちろんです!いや、それ以上にたくさんのことを得ているのです。事故後、自分は変わらざるを得なかった。その変化の過程では、困難なこともありましたが、もはや事故がなければ良かったのにとすら思っていません。こうなる運命だったのです。あの事故によって、家族の絆が深まり、スポーツの楽しみを再発見し、魅力的な職業と出合えた。運命は、幸せな人生を自分にもたらしました。自分は義足を、ハンディキャップではなく、個性だと思っています。障害者と非障害者の違いは、何が得意で何が不得意かということだけかもしれません。
パラリンピック選手も、一流であるということを証明したい
私は、どの大会に参加していても、パラリンピアンです。そのことが私の誇りです。だからこそ、世界の最高峰といわれる大会への出場を果たし、健常者と共にフィールドに立つことで、障害者スポーツにもっと注目が集まることを願って止みません。残念ながら障害者スポーツを二流だとする見方が、まだ強い。しかし、障害の有無にかかわらず、一流のアスリートのパフォーマンスは感動を与えるということを、皆さんには、まずご自分の目で確かめていただきたいです。
今年のハイライトは、リオ・パラリンピックですね!
大きなけがやアクシデントに見舞われなければ、参加できるとみています。目指すは、幅跳びでの2連覇!そして、パラリンピックの3週間前に行われるオリンピックへ参加するチャンスを与えられたら(参加標準記録8メートル15)、それほど素敵なことはありません。たとえ記録が参考扱いになるとしても。それがかなわなくても、パラリンピックで良い成績を出し、オリンピックに負けず劣らず注目を集められるような成績を残したいです。
今はまだ、オリンピックとパラリンピックを一緒に開催するのは難しいかもしれません。しかし、オリンピックとパラリンピックが完全に分かれている現在の状況を少しずつ変えることができれば、新たな可能性や希望が見えてくるのではないかと考えています。オリンピックの閉会式で聖火が消え、パラリンピックが別の聖火を再び灯すのではなく、「次は君たちパラリンピアンの舞台だよ」と、オリンピアンからバトンを引き継ぐような式典になるとか。そういう意味で、4年後の東京でのオリンピック・パラリンピック開催には期待を寄せていますし、自分がドイツ代表として出場することも、既に具体的な目標として持っています。
競技解説 - 陸上競技
2016年リオ・パラリンピックの陸上競技は、トラック競技、フィールド競技など15種目。そこへ障害の種類や状況の違いを考慮し、公正な競技運営をするために定められたクラス分けが各種目で採用され、全96レースが行われる。トラック競技のクラス分けの例:
T11~13: 視覚障害、T20: 知的障害、T31~34: 運動機能障害(脳性まひ / 車いす)
T35~38: 運動機能障害(脳性まひ / 立位)
T40~41: 運動機能障害(低身長症)
T42~47: 運動機能障害(切断・機能障害 / 立位)
T51~54: 運動機能障害(頸髄損傷・脊髄損傷・切断・機能障害 / 車いす)