キリスト教が生活に根付く欧州で、イエスの生誕を祝うクリスマスは1年の中でも特別なイベント。シーズン目前の今号では、英国とドイツの過ごし方を徹底比較!その祝い方は国や地域によって様々だが、クリスマスにまつわる伝統文化や風習からは一様に、身近な人の幸せと平和を願う市民の顔が見えてくる・・・・・・。(ニュースダイジェスト編集部)
どう過ごす? 今年のクリスマス
S・A(バイエルン州出身のドイツ人学生)
L・J(日本在住経験のあるアーヘン出身のドイツ人)
M・S(デュッセルドルフ在住の会社員)
クリスマスの過ごし方
クリスマスのスケジュール
4週間かけてクリスマス・ムードを盛り上げる
クリスマスの4週前の日曜の朝、4本のろうそくを飾り付けたアドヴェンツ・クランツ(リース)の1本目に火を点けて、クリスマスへのカウント・ダウンが本格的にスタートする。12月1日~24日まで、毎日1つずつ小さなプレゼントをもらえるアドヴェント・カレンダーも欠かせないアイテムだ。ドイツでは、「アドヴェント(降待節)」の1カ月こそが、クリスマスの醍醐味。そして、日本からの観光客の期待を裏切るように12月24日の午後から26日までのクリスマス本番は、街中が静まり返る。交通機関は間引き運行、一部地域では運休。店のシャッターは固く閉ざされ、クリスマス・マーケットも終わっているところがほとんど。皆、家族や大切な人たちと、温かい部屋の中で特別な時間を過ごしている。12月24日は、朝から教会を訪れたり、夕方から始まるプレゼント交換や食事を楽しむ「Bescherung(贈り物)」の時間の準備をする。意外にも、家庭用のクリスマス・ツリーの飾り付けもこの日に行うことが多い。25日の朝食も大切な家族の行事。レストランやホテルを予約する家庭もある。24、25、26日は、日本の三が日のような感覚で、親戚へあいさつへ行ったり、家でゆっくり過ごす。クリスマスには欠かせないクラシック音楽と言えば、バッハの「クリスマス・オラトリオ(BWV248)」。
クリスマスの食事
肉とシュトレンとグリュー・ワインと
クリスマスのメイン・イベントとなる12月24日のディナーのメイン・ディッシュは、ガチョウや鴨のロースト、いつもよりもご馳走感のある牛肉料理が人気で、北部ではコイ料理(カルプフェン・ブラウ)が定番という地域もある。「ソーセージとジャガイモ・サラダ」と、いつものメニューでクリスマスを祝う家庭も。アドヴェント期間中は、焼き菓子もいっぱい。家庭で作るクッキー「プレッツヒェン」、香辛料の効いた「レープクーヘン」やジンジャー・ビスケットの「シュペクラティウス」、三日月型の口溶けなめらかなアーモンドのビスケット「バニラキプフェル」など、家庭でも職場でも、常時、焼き菓子やチョコレートに手を伸ばせるような「ヴァイナハツ・テラー」で来客をおもてなし。ドイツのクリスマス・ケーキ「シュトレン」は、ドライ・フルーツとマジパンたっぷりのどっしりとした焼き菓子。薄くスライスして、クリスマスまで少しずつ食べ進めるのだが、だんだんと味がなじんでいくのが分かる。クリスマスの代表的な飲み物はあつあつの「グリュー・ワイン」。凍てつくような寒さがこたえる夜のマーケット探索で身体を温めるには、これが一番。温かいアイヤープンシュ(エッグノック)も、お試しあれ。カップはデポジット制だが、屋台や街ごとにデザインが違うので、色々集めるのも楽しい。
クリスマス・プレゼント
プレゼントをもらうチャンスが2度来る!
12月に入ると毎日、アドヴェント・カレンダーで小さな贈り物を楽しむドイツだが、12月のプレゼント攻勢はそれだけに留まらない。12月6日は、紀元270年ごろ、貧しい者たちに施しを与えたとされる聖人ニコラウスの日。サンタクロースのモデルとなった人物とも言われており、子供たちはこの日、靴下を下げてニコラウスからのプレゼントを待っている。一部地域では、クネヒト・ループレヒトという強面の従者も、ニコラウスと一緒に子供たちの前に現れ、良い子にはプレゼントを、悪い子にはクネヒト・ループレヒトからのお仕置きがあるという、日本の「なまはげ」的な演出も。そして、24日の夜には、クリストキント(幼児キリスト)というクリスマスの天使からプレゼントが贈られる。24日に来るのが、クリストキントだったり、ヴァイナハツマン(いわゆるサンタクロース)だったり、地域や家庭によって違いがあるのもドイツの特色だろう。質素な倹約家というイメージのあるドイツ人だが、この時期は財布のひもがゆるくなる。ドイツ小売業連盟(HDE)は、今年の1人当たりのプレゼントの予算は昨年から40ユーロアップし、500ユーロになると予想している。大切な人へプレゼントを準備するのは、楽しみでもあり、プレッシャーでもあるようで、近年はデパートや通販の商品券の人気も高まっている。
クリスマスの風景
ドイツ全土が大小のクリスマス・マーケットで彩られる
ドイツのクリスマスの風景は、クリスマス・マーケットなしには語れない。大都市のマーケットだけでも2500以上を数え、自治体の大小を問わずドイツ全土にマーケットが立っている。一番有名なニュルンベルクの「クリストキンドレスマルクト」は、毎年200万を越える訪問者を数えるほどの人気だ。ドイツの冬を明るくロマンティックに彩るマーケットは、長い冬を越すために必要不可欠な市民の心の支えでもある。マーケットや教会には、キリスト生誕の馬小屋を人形で再現した「クリッぺ」も出現する。家庭用のミニチュア・サイズのものもあり、ジオラマのような本格的な装飾をほどこす人も。くるみ割り人形やスモーク人形、クリスマス・ピラミッドなど、木製のクリスマス用装飾品は職人の手仕事が光る品質の良さから、国内外で根強い人気を誇る。また、クリスマス・ツリー発祥の地と言われるドイツではこの時期、約3000万本のツリー(生の木)が出荷される。伝統的なオーナメントは、りんご。そしてりんごを模したガラスや陶器で出来た球体(クーゲル)。ツリーは1月6日の公現祭までリビングや庭に飾られる。その後は、英国と同様、道端に放置され、ごみ収集業者が回収。2階より上の階の住人がツリーをバルコニーや窓から投げ捨てるのも許されているとのこと。頭上注意!
クリスマス休戦の奇跡「1914年12月25日」
Christmas Truce / Weihnachtsfrieden
クリスマスは奇跡を起こす時間。誰もが幸福と平和を想い、「クリスマス・キャロル」のスクルージが最後に心を入れ替えたように、隣人にとって少しでも良い人間でありたいと願う。それは、絶望の中で迎えた1914年のクリスマスでも同じだった。
1914年7月に勃発した第一次大戦は、短期決戦を想定していたドイツの目論見が外れ、また、「クリスマスは故郷で過ごせるだろう」という兵士たちの願いむなしく、フランス・英国との西部戦線、ロシアとの東部戦線ともに泥沼の持久戦に突入していた。
12月24日、西部戦線。塹壕(ざんごう)の中で夜を明かそうとしていた英国兵は、ドイツ語で歌われる「きよしこの夜」を耳にする。戦場で声を発することは、敵に自分の居場所を知らせる危険な行為。すぐに攻撃を受けることになりかねないが、このときは違った。銃弾のかわりに、英語で歌う声がドイツ兵に届いたのだ。戦争に疲れきっていた両軍の兵士は、武器を置き、顔を出す。お互いの距離を縮め、ついには一時的な休戦が実現したのだ。
とても奇妙なクリスマスだった。数時間前まで互いの命を奪い合う激戦を繰り広げていた者たちが、一緒にクリスマス・ツリーを飾り、戦友の遺体を共同で埋葬。さらには、友人に語るように自分の妻や恋人を自慢し合い、たばこの火を交わし、プレゼント交換まで始めた。ドイツ兵と英国兵によるサッカーの試合が行われた記録もある。
「クリスマス休戦」は、西部戦線の各地に広がり、一部では数日間の休戦が実現した。世界に向けて休戦を提案した人物は、当時のローマ教皇ベネディクトゥス15世。ドイツ軍はこの提案を承諾し、戦場で決死の覚悟で敵兵に呼び掛けたのだった。
当時の写真が残っている。そこには、違う軍服を着た、同じ人間が並んでいる。
その後、4回のクリスマスを戦下で迎えたが、二度と奇跡は起こらなかった。犠牲者1500万人とも推定される第一次大戦は、1919年にベルサイユ条約が締結され、ようやく終結。世界は、その未曾有の被害を前に不戦の誓いを立てたが、それが守られなかったことを、私たちは知っている。