ジャパンダイジェスト
Isabel Kreitz

文学作品のコミック化の
先駆者

ニューヨークでの半年間は、
大学での勉強よりずっと役に立った

今回の仕事人
Isabel Kreitz
イザベル・クライツ

コミック作家(Comiczeichnerin)。ハンブルク生まれ。ハンブルク応用科学大学在学中、米ニューヨークのパーソンズ・スクール・オブ・デザインに留学。アメリカン・コミックに出会い、コミック作家を目指す。帰国後、コミック製作プロダクション勤務を経て独立。2012年にマックス&モーリッツ・ドイツ最優秀コミック作家賞を受賞。現在は絵本に挑戦中。

映画をコミックに描き直して遊んでいた

イザベル・クライツ(46)がコミックらしきものを描き始めたのは10歳の頃。テレビで映画を観る度に、それを基に全く違うストーリーを考え、コミックを描いて遊んでいたという。「あの頃は、休日の朝9時頃にテレビで古いホラー映画をやっていて、それを観るのがすごく楽しみだった。でも、いつも結末でモンスターがやっつけられることに納得が行かなくて、自分で描き変えて遊んでいたの」。

一時は映画の道に進もうかと考えた。静止画より、映画のように動きのある画像に興味があったからだ。いずれにせよ絵を描きたいと思ってハンブルク応用科学大学に進学し、まずは商業イラストレーションを学んだ。「大学在学中に休学届を出してニューヨークへ行ったの。このまま商業イラストを勉強しても、勤め先は広告代理店くらいしかない。何か別の可能性がないものかと、探るような気持ちだった。当時のドイツでは、コミックはまだまだアンダーグラウンド的存在で市場はなかったけれど、ニューヨークではそれがビジネスとして成立していた。自分が働きたいのはこういう世界だと思ったの」。

ニューヨークで見付けた天職

ニューヨークでの半年間、彼女はパーソンズ・スクール・オブ・デザインに通い、マーベル社で働くプロのコミック作家の指導を受けた。「ニューヨークでの半年間は大学での勉強よりずっと役に立った」。そう振り返る。ハンブルクに戻り、ウリー・アルント・スタジオが描き手を募集していることを知ると、迷わずその仕事に飛び付き、コメディアンのオットー・ヴァールケスが発案した子象のキャラクター、オティファントのカートゥーンを担当した。

最初にカートゥーンの仕事をしたせいもあり、イザベルの初期の作品は4コマのコミカルなタッチで描かれている。しかし、その作風は新作ごとに変貌と成長を遂げている。また、建築家である父親の影響か、彼女のコミックの背景の建物は実に緻密に描かれており、この職人技が彼女のコミックを豊かにしている。「細部を正確に描くことが好き。誰が見ても、それが何であるかが分かる絵を描きたい。描きたい光景は、たとえどんなに複雑でも、絶対に省略したくないの」。彼女はアメリカン・コミック界の大家ウィル・アイスナーの作品から多くを学んだ。「アイスナーは常に最先端の映画技術に注目し、新しいカメラワークを取り入れていた。彼のコミックを見ると、彼がいかに楽しんで工夫して描いていたかがよく分かるの」。

絵コンテ製作中のイザベル
絵コンテ製作中のイザベル。
綿密な取材、写真資料の収集が彼女のリアルな作品を支えている

カートゥーンから文学作品のコミック化へ

イザベルは、1994 ~ 2003年に掛けてアンダーグラウンド系のコミック出版社ツヴェルチフェルから、地下鉄サーファー、ラルフを主人公とする4部作を発表。各500部と少部数の出版だったが、このシリーズを描き続けることにより、カートゥーン作家から長編コミック作家へと転身した。並行して、メジャーなコミック出版社であるカールセン社からも50ページ単位の作品を続々と発表する機会に恵まれた。

彼女が初めて文学作品に取り組んだのは1996年のこと。ウヴェ・ティムの小説「カレーソーセージをめぐるレーナの物語」(日本語版は浅井晶子訳)のコミック化だった。読後、この話をどうしてもコミック化したいと思い、出版社に問い合わせたら、すんなりと許可が下りた。この作品に取り組むことで、彼女は映画制作にも似た、文学作品のコミック化の難しさと面白さを知ったという。「文学作品は、そのままではコミックにならない。どこを削るかという判断はとても難しく、何度も練り直す必要があった」。

翌年にはトーマス・マンの小説「ブッデンブローク家の人々」のコミック化を構想。著作権の交渉をしながら仕事を進めた。しかし、380ページにおよぶ絵コンテが完成した頃、出版社から作業の中断を言い渡された。著作権管理者がコミックを低俗なものとみなし、許可を渋ったのだという。日本では、文学作品の漫画化は当たり前のように行われているが、1990年代のドイツではイザベルがたった1人、その可能性を探っていたのだった。

ドイツを代表するコミック作家に

イザベルが再度文学作品のコミック化を実現したのは2006年。選んだのはエーリッヒ・ケストナーの「5月35日」だった。「承諾を得るまで1年掛かった。前回のように途中で断られたらどうしようかと不安だったわ」。ケストナー作品の挿絵画家ヴァルター・トリアーの画風を逸脱しないという制約があったが、イザベルはそれを制約とは感じず、トリアーの挿絵に生命を吹き込んだ。彼女はその後もケストナーの「点子ちゃんとアントン」「エーミールと探偵たち」を描いている。

2008年、イザベルは「ゾルゲのこと」でオリジナル作品における新境地を開いた。第2次世界大戦時に日本で諜報活動を行ったソ連軍のスパイ、リヒャルト・ゾルゲに興味を持ち、アイデアを温めていたのだ。作 品はゾルゲの愛人エタ・ハリッヒ=シュナイダーの回想録という形で、ゾルゲの最後の数年間を活写している。この作品はインクを使わず、鉛筆デッサンの濃淡だけで仕上げた。続いて2010年には20世紀初頭のハノーファーに実在した連続殺人犯の物語「ハーマン」(ベア・メーター原作)を、やはり鉛筆だけで描いた。2つのスリリングな物語は、モノトーンの精緻な鉛筆画により、映画のようなリアリティーを獲得している。

昨年、イザベルはエアランゲンで隔年開催されているコミックサロンで、マックス&モーリッツ・ドイツ最優秀コミック作家賞を受賞した。この賞はドイツにおいてコミック作家に与えられる最高の栄誉だ。受賞後のイザベルは、これまで以上に精力的に描いており、子ども向け絵本という新しいジャンルにも取り組みつつ、ハンブルクの作家コンラート・ローレンツの少年時代の回想録の絵コンテを終えたばかり。 ケストナーの「ふたりのロッテ」も準備中だ。

Isabel Kreitz
Pinnasberg 81, 20359 Hamburg
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www.isakreitz.de

 

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岩本順子(いわもとじゅんこ) 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。www.junkoiwamoto.com
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