Hanacell
Ina Mierig

ハンブルクの空の下、
ゴンドラを漕ぐ

あったのは、自分のゴンドラを手に入れたい、
ゴンドラを漕ぎたいという思いだけ

今回の仕事人
Ina Mierig
イナ・ミエリッヒ

船大工、ゴンドリエーラ、La Gondola協会会長。ビーレフェルト生まれ。7歳の頃からヨットを漕ぎ始める。アビトゥア取得後、複数の船大工の下で修業し、ゲゼレ資格を取得。その後、英国とデンマークで家具デザインを学ぶ。家具会社勤務を経て、ハンブルクで木工工房を立ち上げる。1999年に中古のゴンドラを購入し、ハンブルグで漕ぎ始める。

水の都ハンブルクでは、天候の良い季節になるとヨット遊びが盛ん。遊覧船のほか、ヴェネツィア名物のゴンドラに乗って運河を巡ることもできる。誰もが一度は夢見るゴンドラでの船旅を提供しているのが、イナ・ミエリッヒ(45)。ドイツ初のゴンドリエーラだ。

ヨットが大好きな女の子

イナの父は運送会社に勤務、母はアンティークショップを経営していた。そのためイナは、幼い頃から母の店でアンティークの家具などに囲まれて育った。両親はシュタインフーダー・メアという湖の畔に小さな別荘を持っており、7歳の頃から、そこで子ども用ヨットを漕ぎ始めた。双子の姉がいるが、イナだけがヨットに夢中になった。ヨット漕ぎは父親から学んだ。「両親は、『ヨット遊びは楽しいのが一番』と考えていたから、私をヨット学校に入れたり、試合や大会に出場させたりしなかったので良かったわ。子ども時代は、休暇の度にヨット遊びをするのが本当に楽しくて仕方なかったの」。

船大工の修業

アビトゥア(大学入学資格)取得後、イナは船大工の工房で修業を始め、計3つの工房を転々とした。母は「そんなに肉体的に大変な修業をしなくても……」と言いながら、反対はしなかった。木の肌触りが好きで、木工技術を活かせる職に就きたいと思うようになった背景には、母の仕事の影響もあったのだ。

最初は、大型ボートを製作するフレンスブルクの工房に入った。大変だったのは仕事ではなく、プラットドイチュ(Plattdeutsch)という北ドイツ方言だった。

マイスターも先輩も方言しか話さず、方言を学ばないことには何も理解できなかったという。次に入門したのは、ハンブルクのポーランド人マイスターの工房。ここでは主に木造ボートの修復方法を学んだ。3つ目は同じくハンブルクのペーター・クニーフの工房で、彼女を指導したのはベトナム人のマイスターだった。イナはこれらの工房で3年半に及ぶ船大工修業期間を消化し、1992年にゲゼレ資格を取得する。「本当はゲゼレ試験の作品としてゴンドラを製作したかったの。左右非対称である特殊なフォルムなど、ゴンドラならではの構造に魅了されていたから。でも、そう言ったら大笑いされて……。限られた期間内に、あれほど複雑な構造の船を製作するなんて無謀よね。でも、あの頃からゴンドラのことがずっと頭にあったわ」。

家具デザイナーへの道

ゲゼレ資格取得後、 ヨット専門誌『Segeln』の編集部での実習を希望したが、採用されなかった。しかし専門知識を買われ、1998年までフリーライターとして雑誌に寄稿。でも、イナはライターになりたかったのではない。それよりヨット製造技術をもっと学びたいと思い、英国ハンプシャー州から3年間の奨学金を得てサザンプトンのワーサッシュ ・マリティム・アカデミーに留学。しかし1年後にそこを去る。授業内容のほとんどが、ドイツの工房で学んだことの繰り返しだったからだ。幸い、奨学金はほかの大学に編入しても受給できることがわかり、ロンドン・ギルドホール大学の家具デザイン学科を経て、コペンハーゲンのデザインスクールの工業デザイン科を卒業した。「大学を転々とできたのは、ゲゼレ資格を取得していたおかげ」とイナ。英国でもデンマークでもドイツのゲゼレ資格は高く評価されており、2度の編入にもかかわらず、短期間で大学を卒業することができたのだ。

ゴンドラが忘れられなくて

1995年に帰国し、ミュンヘンの家具会社でデザイナーの職を得た。仕事は楽しかったが、母が病に倒れ、イナは一旦故郷のビーレフェルトへ戻る。会社に未練はなかった。北ドイツ育ちの彼女にとって、ミュンヘンは居心地が悪く、いつかハンブルクに戻りたいという気持ちもあった。翌年、イナはハンブルクで木製ボートの修理と内装を専門とする工房を開いた。「当時は1960年代の木製ヨットなどをお洒落に改装したりするのが流行っていて、仕事があった。でも、船大工という職業が斜陽であることはずっと感じていた。そして、いつしかゴンドラのことばかり考えるようになったの」。

工房でカヌーを修復中
工房で古い木製カヌーを修復中

イナはゴンドラのことを片時も忘れていなかった。友人が手に入れてくれたゴンドラの設計図は、英国、デンマーク、ミュンヘンで、常に彼女の部屋の壁を飾っていた。自分なりに研究を重ね、何度もヴェネツィアへ旅した。1999年、彼女は一念発起して3カ月の予定でヴェネツィアへ向かい、ゴンドラ漕ぎを習得するほか、今は亡き名工、ロベルト・デイ・ロッシの工房を訪ねて、中古のゴンドラを探してもらう。当時、ロッシの元には注文が殺到しており、新品は10年待たないと入手できなかった。「イタリアでは女性が船大工として働いたり、ゴンドラを漕いだりするなど考えられないこと。でも、ロッシは私の夢に興味を持ってくれ、状態の良い中古を探し出してくれたの」。購入したゴンドラをハンブルクへ運ぶと、クニーフの工房で改修した。「解体してすべての木材が健全かどうかを調べ、改修したの。ロッシも喜んでくれたわ」。

ゴンドラは完成したものの、当初、イナには具体的なビジネスモデルはなかった。「あったのは、ゴンドラを手に入れたい、ゴンドラを漕ぎたいという思いだけ」。前例がないので、目前の問題を1つひとつ解決していくしかない。「ハンブルクの運河では、ゴンドラを漕ぐことも、船着き場にゴンドラを停泊させることも禁止されていた」とイナ。役所との交渉は9カ月にわたった。

その頃、北ドイツ放送(NDR)が彼女の奮闘ぶりをテレビで報道。その後事態は好転し、徐々に予約が舞い込むように。中には、ゴンドラの上で挙式したいという要望もあった。今では、ゴンドラの上での結婚式も定着し、船上で婚姻手続きを執り行ってくれる戸籍吏もいる。ゴンドラ漕ぎの仕事がないときは、木製カヌーなどの修復の仕事も続けている。また、自ら興したLa Gondel協会の会長としても広く活躍中だ。

La Gondola e.V.
Eppendorfer Landstr. 180, 20251 Hamburg
Tel. 040-4900934
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www.diegondel.de

 
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岩本順子(いわもとじゅんこ) 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。www.junkoiwamoto.com
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