ベルリン中央駅の北側は、近年再開発が著しいエリアだ。この9月末の週末、久々にハイデ通りを北に向かって歩いた。最後にここをゆっくり歩いたのは、もう13年ぐらい前になる。ハンブルガー・バーンホフ現代美術館に近いこともあって、面白そうなギャラリーがいくつも集まっている通りだったが、すっかり様相を変えていた。
ギュンター・リトフィン記念館として知られる旧監視塔
モダンな住宅が立ち並び、新しい飲食店もある。ナチス時代にユダヤ人を支援したオットー・ヴァイトにちなんだ真新しい広場にたどり着くと、運河に黄色い歩道橋が架かっているのに気づいた。周囲の変貌ぶりに圧倒され、現実感が伴わないまま橋を渡ってゆくと、わがもの顔で構える集合住宅の間に、見覚えのある建造物が目に入った。かつての監視塔である。こんな形で「再会」するなんて……。絵本『ちいさいおうち』(岩波書店)のように、私は思わず建物に話しかけたくなった。
東西分断時代、全長約150キロものベルリンの壁に沿って、280もの監視塔が立ち並び、それぞれに国境警備隊が配置されていた。そのうち32は司令塔の役割が与えられ、将校や下士官が監視塔の勤務員や国境警備を指揮していた。この塔もその一つである。
この監視塔はギュンター・リトフィン記念館という名前が付けられている。1961年8月24日、当時24歳だったギュンター・リトフィンは、この塔の近くの地点から運河を泳いで西側に逃亡しようとしたところ、国境警備隊に射殺された。ギュンターはそれまでは毎日東から西ベルリンの職場に通っていた。ベルリンの壁の建設が始まってまだ11日後、彼は壁の最初の犠牲者となった。
監視塔の最上階の様子
ギュンターには3歳年下の弟ユルゲンがいた。彼が後にこの旧監視塔を兄の名を冠した記念館として立ち上げ、自ら来訪者を案内していることは読んでいたが、私が前を通るときはいつも閉まっていた。
入口の前に座っていたスタッフの女性に迎えられて中に入る。内部は狭いので、リュックなどの大きな荷物は下に置いて登るよう勧められた。2階は休息用の簡易ベッドが置かれていたという。頭をぶつけないようにして(それでも一度ガツンとぶつけた)慎重に上がっていくと、そこが最上階だった。
国境警備隊の原寸大の人形が置かれ、窓から緩衝地帯の方を向いている。そばにはギュンター・リトフィンの展示に加えて、ユルゲンの写真も飾られていた。ユルゲンは1981年に西ベルリンに家族で亡命したが、兄の記憶を失うことはなかったのだろう。2018年に没したものの、この記念館はベルナウアー通りの財団に引き継がれ、ふたたび定期的に公開されるようになった。
この11月9日でベルリンの壁崩壊から丸35年を迎える。ユルゲンさんが笑みを浮かべている写真を眺めながら、世界が分断と相互不信の迷路にこれ以上陥ることがないよう、そもそもは無意味であるはずのこの塔を残すことの意味を思った。
ギュンター・リトフィン記念館
Gedenkstätte Günter Litfin
ミッテ地区にある、もともとは東独時代の壁の監視塔。ユルゲン・リトフィンのイニシアチブにより2003年8月に記念館としてオープンし、2017年からは財団法人「ベルリンの壁」が運営している。土曜11:30~14:00と日曜14:00~16:30はガイドが待機しており、直接話を聴くことが可能。入場無料。
オープン:5~10月の木金13:00~17:00、土日11:00~17:00、2024年11月9日11:00~17:00
住所:Kieler Str. 2, 10155 Berlin
電話番号:030-213085123
www.stiftung-berliner-mauer.de
ベルリンの壁メモリアル
Gedenkstätte Berliner Mauer
同じく財団法人「ベルリンの壁」が運営する記念施設。通りそのものを東西に分断した悲劇で知られることになったベルナウアー通りの1.4キロに沿って、壁と緩衝地帯だった場所をメモリアルとして保存している。情報センターとビジターセンターの開館時間は以下の通り。入場無料。
オープン:火~日10:00~18:00
住所:Bernauer Str. 111, 13355 Berlin
電話番号:030-213085123
www.stiftung-berliner-mauer.de