プレッツェンゼー記念館の処刑室
「プレッツェンゼー」には2つの顔がある。1つは、地名の由来になっている同名の湖。太陽が照る夏の日にここを訪れたことがあるが、西側の岸には人口の海水浴場もあり、誰もが上機嫌、パラダイスのような光景が広がっていた。もう1つは、運河をはさんで湖の西側に位置するプレッツェンゼー刑務所。ここはナチス時代、国内外の反体制派の人々を送り込んで処刑したという暗黒の歴史を持つ場所として知られる。
テーゲル空港からTXLバスで市内に向かう際、運河に沿って走る記憶をお持ちでないだろうか。プレッツェンゼー刑務所の記念館は、この運河沿いにある。昨年12月の暮れも押し迫った日の午後、私はGedenkstätte Plötzenseeのバス停に降り立った。
運河側とは反対の方向に歩くこと数分、目の前に赤煉瓦を積み上げた高い壁がそびえ立ち、それが通りに沿ってずっと続いていた。遠くを見ると、工場の煙突からもくもくと煙が上がっている。どこか殺伐とした気配を漂わせる場所だが、それだけではない。1933年から45年までの間、この壁の向こうで2891もの人が絞首刑にされたのだ。
門をくぐると、そこは壁に囲まれた大きな中庭になっており、奥には「ヒトラー独裁の犠牲者に捧ぐ」と書かれた銘板が、その裏には2つの部屋からなる小屋が立っていた。最初の部屋に入り、私は思わず後ずさりした。手前にはいくつもの献花が置かれ、奥には2つの縦長の窓。その上には鉄製の竿が架けられ、5つの釣り鉤がぶら下がっている。ここが処刑室であることは明らかだった。
ここでの処刑は元々手斧で行われていたが、1936年にはヒトラーの命でギロチンに取って代わったという。死刑判決を受けた人々は、ここに面した大きな監房(現存せず)に収容された後、中庭の処刑室に運ばれた。
もう1つの部屋では、刑務所の歴史と犠牲になった人々に関する資料が展示されていた。私が特に見入ったのは、当時ドイツ最大のレジスタンスグループの1つだった「赤いオーケストラ」について。ドイツの軍事情報を通信やビラを通じてソ連に伝えようとした彼らは、42年夏ゲシュタポによって捕らえられ、プレッツェンゼーで死刑判決を受けた。現在この部屋に見られる釣り鉤の付いたギロチン台が設置されるようになったのは、彼らを一段と残酷な手法で殺すためであったという。私は映画『白バラの祈り』での理不尽な法廷のシーンを思い出し、また絞首刑に要した分秒まで几帳面に記された報告書を見て、その冷酷さに身が凍った。「赤いオーケストラ」のメンバーの死刑の日付は、私の父が生まれるちょうど前後の時期でもあった。そのことを連れてきた妻に伝えたら、一瞬間を置いて、声を上げた。「え、それってつい最近のことじゃないの!」。
大晦日のカウントダウンを控えて華やぐ中心部から、わずか20分ほどの距離だった。世界でいくつもの独裁政権が崩壊した2011年。私はそれらの出来事を思い返しながら、決して遠くない過去と現在とを重ね合わせようとした。
高い壁がそびえる記念館の入り口。
この奥は現在も刑務所として使われている
プレッツェンゼー記念館
Gedenkstätte Plötzensee
「赤いオーケストラ」同様、1944年7月20日の有名なヒトラー暗殺未遂事件(通称「ワルキューレ作戦」)に関わった89人もここで絞首刑にされた。最寄りのバス停Gedenkstätte Plötzenseeには、以前のようにTXLバスは停車せず、123番バスに乗る必要がある。バス停からは徒歩3分。入場無料。
住所: Hüttigpfad, 13627 Berlin
電話番号:(030)344 32 26
開館:(3~10月)毎日9:00~17:00 (11~2月)毎日9:00~16:00
URL:www.gedenkstaette-ploetzensee.de
プレッツェンゼー
Plötzensee
ヴェディング地区のレーベルゲ公園に面した全長1.7キロの湖。毎年6~8月にオープンする西岸の海水浴場(Freibad Plötzensee)は、水の清潔度も良好とのこと。天気の良い日には、日光浴など湖畔でくつろぐ人の姿が多く見られる。106番バスのSylter Str.が最寄りのバス停。
住所:Nordufer 24, 13351 Berlin
電話番号:(030) 4502 0533 (Freibad Plötzensee)