ライプツィヒ中心地のオペラ座のあるアウグストゥス広場から、東へ向かった少し先にグラッシィ博物館があります。この中には、「楽器博物館 」「工芸美術館」「文化人類・民族学博物館」の3つのミュージアムが所属しています。
メインエントランス。パイナップル型の塔が特徴
名前は、フランツ・ドミニク・グラッシィ氏に由来しています。ライプツィヒで実業家として成功した彼が1880年に亡くなった後、市に寄付した2億マルクで、1892年、まず現在のウィルヘルム・ロイシュナー広場に第一期のグラッシィ博物館が建てられました。その後、拡張のため1925年に現在の場所に第2期となる建物が建設されました。建築設計コンペを勝ち抜いて実現された案は、ワイマール共和国時代のアールデコ様式として、今ではドイツ国内のミュージアム建築の中でも大変貴重な建築物となっています。
さらに特徴的な点は、3つのミュージアムが独自の展示内容を所蔵していることです。一つ目の楽器博物館はライプツィヒ大学に所属し、ドイツ国内で最大規模を誇る音楽文化コレクションを有しています。ここには欧州を中心とする16世紀から現代までの楽器が約5000点も収蔵されており、来場者が直接いくつかの楽器に触れて演奏を楽しむこともできます。
二つ目の工芸美術館は市が所有し、欧州を中心に世界中の工芸品が9万点以上所蔵されています。特に1920年代と30年代の作品に重点を置いており、マイセン磁器やバウハウスの家具など貴重なコレクションの数々はとても興味深いものばかりです。
三つ目の文化人類・民族学博物館はザクセン州が所有し、アフリカやアジアの収集品が20万点以上所蔵されています。学術的な研究対象となる貴重な品を多く有し、ドイツの文化人類・民族学の重要な拠点となっています。
博物館の中庭の奥には、かつて市の中央墓地であった旧ヨハニス墓地があります。緑濃いその敷地には、ライプツィヒ出身の作曲家リヒャルト・ワーグナーの母ヨハンナと姉ロザリー、そして彼の師事したトーマス教会音楽監督テオドール・ヴァインリヒなどが眠っています。
また、知られざる隠れた名所として、楽器博物館の脇にはかつての「日本庭園」があります。とはいえ典型的な日本庭園ではなく、欧州的なデザインと日本のイメージを複合させたものでした。第ニ次世界大戦で被害を受けた後も修復されていないため、残念ながら現在はその名残もなく、積極的に使われてもいません。資金不足のために完全な再生は困難ですが、市民団体からのアイデアで日本に関連する短期のイベントを行う場所として活用されるなど、ゆっくりですが次の世代の「日本庭園」として使われ始めています。
かつての日本庭園(上/写真:Grassimuseum)と、現在の庭園での
音楽と現代舞踏イベント (下/写真:Reinhard Hennig, 2014)
ドイツ建築家協会認定建築家。福岡県出身。東京理科大学建築学科修士課程修了後、2003年に渡欧。欧州各地の設計事務所に所属し、10年から「ミンクス・アーキテクツ」主宰。11年より日独文化交流拠点ライプツィヒ「日本の家」の共同代表。
www.djh-leipzig.de