古来より今この瞬間に至るまで、数億年の地球の歴史と数千年にわたり人類が生きてきた証、壮大な自然 ── それが世界遺産だ。ここドイツは、登録件数33で世界第4位を誇る世界遺産大国。各地に堂々たる遺産が散在し、地球の神秘や人類の偉業、育まれてきた文明、磨き上げられた技術の集大成を肌で感じられるチャンスが身近に溢れている。でも、ただ観るだけでは面白味がない!今号では、ちょっと通で粋なドイツの世界遺産と関連イベントをご紹介。人類の壮大な歴史ロマンが秘められた世界遺産 を隅々まで味わう旅へ、いざ! (編集部:林 康子)
ユネスコ世界遺産
1972年にユネスコ(国連教育科学文化機関)が「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)」を採択して以来、2008年現在までに世界145カ国、計878件が世界遺産に登録されている。(文化遺産679件、自然遺産174件)
文化遺産
顕著な普遍的価値を有する記念物、建造物群、遺跡、文化的景観など
例)インドのタージマハル、スペイン・バルセロナのア ントニ・ガウディの作品群
自然遺産
顕著な普遍的価値を有する地形や地質、生態系、景観、絶滅のおそれのある動植物の生息・生息地などを含む地域
例)オーストラリアのグレート・バリア・リーフ、タンザニアのキリマンジャロ国立公園
複合遺産
文化遺産と自然遺産の両方の価値を兼ね備えている遺産
例)ペルー・マチュピチュの歴史保護区
世界遺産リスト
登録については、ユネスコが独自に組織した多国間委員会が毎年、条約加盟国によって登録申請された候補地について、文化遺産の場合は「顕著な普遍的価値」「(歴史の)信憑性」、自然遺産の場合は「(周辺一帯との)統合性」の 前提を満たしているかを審査す る。さらに「人類の創造力を表現する傑作」「現存する、もしくは消滅した文化的伝統または文明を示す唯一または少なくとも希少な証拠」「人類史上重要な時代を象徴する建築様式、建築群、技術の集積または景観の優れた例」など10項目の登録基準のうち、少なくとも1つ以上満たしている候補地が、新しく「世界遺産リスト」に加えられることになる。
危機遺産リスト
なお、登録遺産の中でも後世に残すことが難しいと懸念されているものについては「危機遺産リスト」に加えられ、特別保護の対象となるほか、「顕著な普遍的価値」が失われたと判断された場合には、世界遺産リストから抹消されることになっている。これまでに抹消されたのは、オマーンのアラビアオックスの保護区のみ。
ドイツ世界遺産デー
ドイツでは2005年以来、毎年6月にユネスコ委員会とドイツ・ユネスコ世界遺産協会の共催により「世界遺産デー」が開かれている。このイベントは、これまでにヴォルムス近郊のロルシュ修道院やデッサウ、ゴスラーなどを 巡回し、今年は6月7日にマウルブロン修道院で催された。イベントでは主に子どもたちを対象にしたワークショップや展示、体験ツアーなどのプログラムが実施されたほか、開催地以外の世界遺産がある各地でも、この日に合わせた様々な催しが行われた。
※ ドイツでは文化財の保護は各州の権限に属するため、候補地を自ら連邦政府に申請する権利も州が所有している。このためドイツでは、通常は候補地の選択をする各国政府が担う遺産の維持・保全のための財政的負担を各州が負うことになっている。
数あるドイツの世界遺産の中でも、ケルン大聖堂やポツダムのサンスーシ宮殿、ベルリンの博物館島などの大御所はあまりにも有名で、学校の歴史の教科書にも写真付きで紹介されているほど。しかし、そこまでメジャーでなくても、この国の文化や歴史の奥深さを物語る遺産はたくさんある。行く前にそれぞれの遺産にまつわるエピソードを知っておけば、実際に遺産を目の前にしたときの感動はずっと大きいはず。ここでは、知って見て触れて楽しめる世界遺産を厳選紹介しよう。
中世の修道院・教会建築の最高峰
マウルブロンの修道院群(1993年登録)
Maulbronn – Kloster und Klosterstadt
マウルブロンの修道院群
行き方(カールスルーエから約1時間)
Karlsruhe Hbf(IC)→ Mühlacker→ Maulbronn West(S9)→ここから修道院までは乗り合いタクシーを利用できる
※RE を利用する場合はKVV-24 Stunden-Karteで8.10 ユーロ
アルプス以北で唯一、中世の姿をそのままにとどめる修道院群。1147年にローマ教皇エウゲニウス3世の支援を受けて地元修道士たちの手によって建設が始められ、約400年もの歳月を掛けて完成した。ロマネスク様式からゴシック様式の移行期に建てられたため、両建築スタイルが融合された稀少な建築物として評価が高い。例えば、北、西、東の回廊の窓1つ取っても、石材彫刻による豪華な装飾が施されており、当時の最高峰の建築技法が結集している。修道院は墓地や池、沼などに囲まれており、そこでは当時すでに魚の養殖が行われていたそう。修道院は約1キロメートルの防御壁によって周囲の街とは隔てられていて、中庭に残る威風堂々たる住居や塔は、訪れる人に中世の修道院生活の息吹を肌で感じさせる。
宗教改革の後、クリストフ・フォン・ヴュルテンベルク公が1556年に同修道院にプロテスタントの神学校を創設。この学校が天文学者 のヨハネス・ケプラーや詩人で思想家のフリードリヒ・ヘルダーリンら著名人を輩出したほか、作家ヘルマン・ヘッセの自伝的小説「車輪の下」の舞台にもなり、今なお全寮制の学校として利用されている。
修道院祭り
隔年6月に開催される修道院の祭り。様々な中世の料理を味わえる屋台と並んで、当時の雰囲気そのままにピエロや道化師、剣士などが観客を楽しませる。目玉のプログラムは綱引き大会。通常の綱引きとはひと味違い、4チームが1度に競う。中世の騎士や市民の衣装を身にまとった勇士たちが、十字架の形になった綱を力一杯引き合う。修道院の中庭で開かれる中世のマーケットも見どころの1つ。木工細工師や鍋工、仕立て屋、製本師などあらゆる種の職人が、中世から受け継がれてきた技術を披露する。
6月27日(土)~ 28日(日)
通行税(入場料):1日2.50 ユーロ 両日3.50 ユーロ
TEL: 07043-1030
www.maulbronn.de
工業の歴史を物語る2大施設
エッセン・ツォルフェライン炭坑産業遺産群(2001年登録)とフェルクリンゲン製鉄所(1994年登録)
Industrielle Kulturlandschaft Zeche Zollverein &
Völklinger Hütte
フェルクリンゲン製鉄所
ツォルフェライン炭坑へ(エッセン中央駅から16分)
Essen Hbf( Straßenbahn 107)→ Essen Zollverein
フェルクリンゲン製鉄所へ(ザールブリュッケンから約10分)
Saarbrücken Hbf(RE)→ Völklingen→ここから徒歩3分
ドイツの工業発展の歴史を物語る2大遺産が、ルール地方のエッセンとザール地方のフェルクリンゲンに存在する。
19世紀後半以降、ヨーロッパの重工業の中心地ルール工業地帯の発展を支えた炭坑。中でもエッセンのツォルフェライン炭坑とコークス炉は、世界最大、最新の石炭搬送装置を抱えていた。1932年にバウハウスの影響を受けた設計士フリッツ・シュップとメルティン・クレマーが左右対称、幾何学の原理に基づいて設計した第12抗とコークス炉の工業複合施設は、建築面、技術面で同業施設の傑作と評されている。施設は1986年に閉鎖され、現在は文化複合センター、当時の炭坑労働の様子を今に伝える博物館として公開されている。
一方フェルクリンゲン製鉄所も、同時代のドイツの工業化最盛期の興隆を物語る。1873年に製鉄技術者ユリウス・ブーフがザール川に面したフェルクリンゲン近郊に製鋼所を建設、その後徐々に拡大し、1928年にはヨーロッパ最大の製鉄・製鋼所に発展した。1984年の閉鎖後は、こちらも文化施設、テーマパークとして利用されている。
エクストラ・シヒト
年に1度、ルール地方を挙げて盛大に執り行われる文化イベント。2010年ヨーロッパ文化の首都に指定されているエッセン市が、「文化を通しての変化、変化を通しての文化」をモットーに主催するこの一大夏祭りには毎年およそ160万人が訪れ、ツォルフェラインを含め、ルール工業地帯の40カ所でストリート・パフォーマンスから各種コンサート、映画上映、朗読、さらには銀貨鋳造などの参加型コーナーまで多彩なプログラムが催される。当日は、開催スポットを結ぶシャトルバスが運行される。
6月27日(土)18:00 ~ 02:00
12 ユーロ(割引10 ユーロ)
TEL: 01805-181650
www.extraschicht.de
ハンザ都市の軌跡をたどる
シュトラールズント及びヴィスマールの旧市街(2002年登録)
Stralsund und Wismar - Altstädte
シュトラールズントの街並み
シュトラールズントへの行き方
(ベルリンから約2時間45分、ハンブルクから約3時間)
Berlin Hbf(IC)→ Stralsund Hamburg Hbf(IC)→ Stralsund
ヴィスマールへの行き方(リューベックから1時間15分)
Lübeck Hbf(RE)→ Bad Kleinen(RE)→ Wismar
「2つの都市──1つの遺産」と謳われる海洋貿易都市シュトラールズントとヴィスマール。両市は12~13世紀にかけて行われたドイツ人によるスラブ地方の植民の結果、当地の領主によって建てられた都市で、その歴史はバルト海南岸におけるハンザ都市の誕生や発展の歴史そのものをなぞっている。
ヴィスマールは漁村のアルト・ヴィスマールから約1km、メクレンブルクから北へ約5kmに位置し、1229年に正式に都市として認められた。一方、1234年に都市として公認されたシュトラールズントにも都市建設以前はスラブ人の漁村があり、ドイツ最大の島リューゲン島への中継地となっていた。
13世紀以降の両地域における都市発展は目覚ましく、都市の安全を確保するために市内を取り囲む壁と塔の建設が始まった。その後、ハンザ都市リューベックに倣って通りや教会、市庁舎などの建設が計画的に進められ、両市は19世紀に初めて都市拡張が行われるまで誕生当時の姿をとどめていたのである。
ヴィスマール港祭り
この祭りの由来は、ヴィスマール港が東西ドイツ統一後の1991年6月17日に国からヴィスマール市に引き渡されたこと。この市の港で昔、ヨアヒム=アーレント・オロフソンという男が船の誘導員として働いていた。貧しいながらも自分の仕事にプライドを持っていた彼は、何度も市に賃上げを要求するが、掛け合ってもらえなかった。しかし彼は、最後まで誘導員として港で働き続けたという。そんな昔話に思いを馳せながら、伝統を今に残す古い船の帆行を眺めるのも粋なものだ。
6月12日(金)~ 14日(日)
TEL: 03841-2513260
www.wismarer-hafentage.de
絵画のような自然風景が広がる
ムスカウ公園(2004年登録)
Muskauer Park
ムスカウ公園の南東に位置する新宮殿
行き方(ドレスデンから約3時間)
Dresden Hbf(RE) → Görlitz(OE Ostdeutsche Eisenbahn) → Weißwasser(Bus)→ Bad Muskau Siedlung
ドイツとポーランドの国境を流れるナイセ川両岸にまたがる庭園。1815年に、ドイツを代表する庭園設計士ピュックラー・ムスカウ公 が、モダンで芸術性のある公園というコンセプトの下、造園に着手した。ピュックラーは、何世紀にもわたる王家の支配・権力を象徴する英国の庭園や丘、宮殿に憧れを抱き、同国の庭園様式をモデルに建築家フリードリヒ・シンケルとともに独自の公園を構想したが、財政上の理由により計画を断念。実際の建設は後継者たちに引き継がれた。1945年の終戦時に庭園内の城や橋は壊滅的なダメージを受けたが、その残骸をもとに95年から「バート・ムスカウ・ピュックラー公園財団」主導で修復が開始された。このようにピュックラーの作品とその精神は、彼の構想に感銘を受けた多くの人々によって現在に至るまで受け継がれているのである。
彼自身が「自然の風景画」と称している通り、森や丘、草原、川、宮殿などの計算しつくされた配置が公園全体の統一感を形成してい る。芸術作品としての公園は、1歩足を踏み入れると、まるで絵画鑑賞をしながら歴史の一片をたどるような気分を味わえる場所だ。
ピュックラー展覧会
同展覧会では、ピュックラーの人生を俯瞰することができる。1785年に生まれたピュックラーは、庭をこよなく愛する芸術家であったと同時に、女性にもてる道楽家でもあった。彼が女性に贈った愛のささやきや自筆のラブレターも展示されているので、まるで著名人の私生活を垣間見ているような気分になるかも。ハイライトは、庭園設計士としての彼の壮大なビジョンがいかに実現されていったかを示すシミュレーション展示。さらにピュックラーの作業室や図書館などは、細部に至るまで当時の様子をそっくりそのまま再現している。
11月1日(日)まで
www.muskauer-park.de
宗教改革者ゆかりの地:
ヴィッテンベルク&アイスレーベン
ルター記念建造物群(1996年登録)
Wittenberg und Eisleben - Luthergedenkstätten
ヴィッテンベルクの城教会
ヴィッテンベルクへの行き方(ベルリンから約40分)
Berlin Hbf(ICE/IC)→ Lutherstadt Wittenberg
アイスレーベンへの行き方(ベルリンから約2時間)
Berlin Hbf(ICE)→ Halle(Saale)Hbf(RE)→ Lutherstadt Eisleben
16世紀に宗教改革の中心となり、プロテスタント派の源流を築いた偉大な神学者マルティン・ルターはアイスレーベンという街で生まれ、1546年2月18日に同地で没した。この街のあちこちに彼の生き様が深く刻み込まれており、特に旧市街の生家はドイツ語圏で最古の博物館としても重要な意味を持っている。このほかにも、彼が洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会やルター説教壇のある聖アンドレアス教会、ヨーロッパで唯一の石絵の聖書がある聖アネン教会など、彼の生涯の軌跡を物語る建造物がたくさん並ぶ。
またヴィッテンベルクには、ルターが有名な「95カ条の論題」を扉に張った城教会や1502年にザクセンの選定候フリードリヒが創設し、ルターが教鞭を振るったヴィッテンベルク大学もある。
アイスレーベンとヴィッテンベルク、この2つの街は宗教改革とルネッサンスの雰囲気を色濃く残す情緒あふれる聖地である。
ルターの結婚式
ルターは1525年6月13日42歳にして修道院を抜け出した元修道女カタリーナ・フォン・ボーラと結婚した。2人が教会へ趣いたのは通例の式の直後ではなく、少し日を置いた27日。朝から街中に祝祭の音楽が流れる華やかな雰囲気の中、皆が歓喜の踊りで祝ったという。1994年以来毎年行われている「ルターの結婚式」は、今やヴィッテンベルクを代表するイベントの1つとなっている。13日の14:00から始ま る祝賀パレードをはじめ、聖マリーエン教会、クラナッハ庭園、そして街中の通りでコンサートや演劇が繰り広げられる。
6月12日(金)~ 14日(日)
TEL: 03491-419260
www.lutherhochzeit.de
世界遺産に迫る危機!
世界遺産の登録は、遺産を抱える地域の知名度を高め、地元の観光産業の発展を活気付ける一方、景観や環境保全の義務を負うことを意味するため、周囲の住民の生活や経済開発との摩擦を生じることがある。
昨年10月、ヴァルトブルクにて「危機下にある世界遺産」と題されたユネスコの世界遺産会議が開催され、世界遺産の保護や観光に関する有識者、関係者ら250人が集まった。会議では、ドレスデンのエルベ渓谷が現在持ち上がっている「Waldschlossbrücke」という橋の建設計画のため、世界遺産の「レッド・リスト」(登録抹消の可能性が審議されるべきリスト)に名前が挙がっていることから、ドイツにはほかにも脅威にさらされている世界遺産があるのか、危機から救うためにどんな解決策が考えられるかなどが論議された。
2001年からドイツ・ユネスコ世界遺産協会の代表を務めるホルスト・ヴァーデーン氏によれば、遺産が危機にさらされる理由の大半は、実務・専門レベルの都市計画担当者による横暴な決定や無責任な投資によるものだという。同氏は物議を醸した中流上部ライン川渓谷の橋建設計画においても、ライン川中流域が船舶や電車、自動車が絶え間なく行き交う交通の大動脈であることは確かで、世界遺産のためにその地域の経済発展が犠牲になるべきではないが、これらの交通が一帯の景観を変えてしまう程の振動を引き起こすような事態は避けなければならないと主張している。
また、2004年に起こったワイマールの「アンナ・アマリア図書館」の火災や2002年のエルベ渓谷流域の大洪水のように、災害が遺産を破壊することもありうる。さらには、時間を経るごとに建造物の自然朽廃の可能性も高まってくるので、将来、遺産保護のために莫大な財政的負担が必要になることが予想される。
地元の経済発展と遺産・文化財を共存させる方法として現在注目されているのが、それらの保護を重視した開発計画。実際にライン渓谷の橋建設では、ラインラント=プファルツ州の政府が景観に溶け込むようなモデルをヨーロッパ中から募ったという。また、同地域では遺産を抱える複数の地域が協力し合って観光力の強化、地域の活性化に努めている。
地球、そして人類の歴史を物語る世界遺産の魅力を次世代に伝えていく身として、私たち1人1人に世界遺産の保全に対する思慮が求められている。その第一歩として、まずは身近な世界遺産を観て知ることから始めよう!