Hanacell

ドイツで活動する日本人アーティストたち

芸術が社会に溶け込むドイツという地を拠点に活動する日本人アーティスト。その数は、決して少なくない。今号では、デュッセルドルフの劇場FFTで5月24日(金)に開催される『NIPPON PERFORMANCE-NIGHT』に参加する5人のアーティストの仕事観、人生観に迫る。アーティストとして生きる──この何となく実体の掴みにくい彼らのリアル。そこから見えてくるものは、生きることへの真摯な姿勢と、逆境を楽しむ強さだった。(編集部:高橋 萌)

どれだけクリエイティビティーを持って、
作品だけでなく人生と向き合っていけるか

ミキ ユイ Miki Yui

作曲家、サウンドアーティスト、美術家

ミキ ユイ Miki Yui

1971年、東京都生まれ。94年に多摩美術大学デザイン科を卒業後、渡独。デュッセルドルフ芸術アカデミー、ケルン・メディア芸術専門学校で学び、現在はデュッセルドルフを拠点に作曲家、美術家として活動中。パートナーだった故クラウス・ディンガーと共同制作したアルバム「Japandorf」を3月25日にリリース。www.mikiyui.com

「アーティストは自営業のようなもの。パンを売るような仕事ではないけれど、胃袋の代わりに心や社会を満たすものにはなり得るかもしれない」。そう、自身のアーティスト稼業を表現するミキ ユイ。アーティストとして生きる「覚悟」が必要としつつも、それはほかの人にとっても同じことだと言う。事故や災害、人生の転機に「こんなはずじゃなかった」と思うことが何度か訪れる。皆、計算できない不安定な世界を生きているはずだと。  

そういう意味で、アーティストという存在は特別なものではないのかもしれない。でも、やはり特殊な職業だ。なぜ、アーティストを目指したのか。ミキ ユイの場合は、手工芸や芸能の分野に携わっていた祖父母の、「無」から何かを生み出しながら楽しそうに生きる姿に強く心惹かれたことがきっかけだったという。そうして、アイデア力や創造性を発揮して、不安定な人生を楽しみに変えるアーティストという生き方を、小学生の頃から漠然と志していた。  

日独の3つの大学で、合計11年間学んできた。その中で「音」という感覚に魅せられ、「スモールサウンズ」というコンセプトで学生時代にCDをリリース。その300枚が国境を越え、次のチャンスに繋がっていった。仕事として成り立つという感触を得られたのは、ケルンの大学を卒業する3年前。自分の芸術が社会でどのように機能し、どのような収入になるのかがわかってきた。こういう方法で社会に貢献できるんだと、「それで、腹を括ったという感じですね」。  

日常の音を積み重ねた音楽が、懐かしい記憶や個人的なイメージを刺激する。ミキ ユイの音の空間に身を委ねて、思うがままにならない人生にキラリと光る価値を見出したい。

職業として選んだというよりは、
運命的にダンスというものと出会ってしまった

神谷 理仁  Lihito Kamiya

振付家、ダンサー

神谷 理仁  Lihito Kamiya

1980年、東京生まれ。2004年にパリに渡り、国際ジャックルコック演劇学校に入学。05年、ドイツ・フォルクヴァンク芸術大学に入学し、演劇とダンス振付科を卒業。10年にはフォルクヴァンクの舞台芸術賞受賞。ドイツを拠点に振付家として活動しつつ、ダンサー、役者としても様々な作品に出演。 http://choreographicworkslihitokamiya.
weebly.com

23歳まで踊ったことがなかったという神谷理仁にとって、ダンスは職業として選んだものではなく、強い衝動。大学時代、映画の分野で活動していた彼は、大きな壁にぶち当たる。思い悩んだ彼がクリスチャンとして祈りを捧げていると、ある日突然、踊る自分を発見した。一種の啓示のように体の声を聞き、動きを表現すると、「映像なんてぶっ飛んじゃうくらい、ぐっと来た」。静かな語り口調で話を進める彼が、インタビューの中で2回だけ興奮を隠しきれなかった場面があった。その1つが、このダンスとの出会い。  

ダンススタジオに通うと、その日のうちに舞台に上がることになる。急な欠員を補うためだった。その後、導かれるようにパリの学校で学ぶことを勧められ、一路フランスの都へ。街に恋をする明るい感覚も覚えたが、「パリは芸術に対して保守的」と閉塞感を感じ始める。そんな矢先、偶然にも現代ダンス界の女王と呼ばれた故ピナ・バウシュとパリの街角で出会う。憧れのダンサーと直接、言葉を交わした。もちろん、この出会いが2回目の興奮エピソードで、ドイツへの道を決定付けた。  

とある1日23歳のときにダンスの世界に入って約10年。この異色の経歴を持つダンサーは、「まだまだ道半ば」と自身を評しながらも、「ダンスについては決定的に出会っている」という感覚を信じ、この道を進む。だから、ダンスを始めた年齢が周囲より遅かったということについても、「苦労の種であり、同時にアドバンテージでもある」と認識している。  

ドイツの舞台で光(Licht)に照らされる理仁、その人が体で表現するアートに触れ、イマジネーションを膨らませてみよう。「自分の感覚をもっと信じて」と、彼は観客を勇気付ける。

スタジオに何時間もこもってレコーディングに集中する、
こんな幸せな音の作り方はない

大塩 駿介  
Syunsuke Oshio

日独混成バンド「Ai」のギタリスト

大塩 駿介 
Syunsuke Oshio

Ai(アイ)は2010年に大塩駿介とFrank BauerのDuoとして活動を開始した。11年にドラマーのMatt FloresとベースのAndreas von Hillebrandtを加え、4人組のバンドとして再スタート。12年にはデュッセルドルフのレーベルSlowboyからコンピレーションアルバム「Kingii」をアナログでリリース。www.shunsuke-oshio.com, www.facebook.com/aisoundz

「会話するように、作曲します」。クラウト・ロック(Krautrock)に影響を受けつつも、即興演奏を主体とした、ジャンルにとらわれない実験的な音楽を追求しているAi。このバンドの結成メンバーでギタリストの大塩駿介は、自由に使える作業場としてのスタジオ空間を愛してやまない。週に数回、最長8時間という長丁場のレコーティングに向けて、1人で練習し、音楽を聴き、新しいアイデアを集める。セッション中の音のコミュニケーションから生まれる予期しない音楽に興奮し、レコーディングの日は家に帰ってからも眠れないほどだ。  

音楽活動だけで食べていけるのが職業ミュージシャンなら、まだその域には達していない。しかし、職業ミュージシャンの製作現場を知っているからこそ、今の作曲法にこだわる気持ちもある。「今のような作曲の時間が失われるのは嫌なんです」。プロの現場と違い、スタジオ内では一見、無駄とも思われる膨大な時間があり、そこで音楽をやっていない時間、ほかのメンバーと過ごすリラックスした時間、あるいはコミュニケーションが、作曲そのものに影響を与える。  

とある1日「音楽を作る上で、職業であるがゆえの制約や不自由さを負うくらいなら、ほかで生活費を稼ぎながら、求める密度で音楽を作っていく方が納得できる。そう言う自分は、ホビー・ミュージシャンと呼ばれても否定できないかもしれない」。でも、生み出す音がホビーレベルじゃないことは、自信を持って言える。  

今年は、4月20日(土)の「Nacht der Mussen(ミュージアムの夜)」の関連イベント、6月29日(土)の野外イベント「Open Source Festival」などに出演予定。喜びに満ちた音を、聞かせてくれる。


ベルリンには、チャンスはあれどお金がない。
自分で仕事を創って、それを肥やしにしていかないと

カセキユウコ  
Yuko Kaseki

舞踏家、振付家

カセキユウコ 
Yuko Kaseki

ベルリン在住の舞踏家、振付家。故古川あんず氏に師事し、カンパニーDance Butter TOKIO、Verwandlungsamtに参加。1992~97年ドイツ・ブラウンシュバイク市立芸術大学に在籍。95年、ベルリンにてカンパニー「cokaseki」をMarc Atesと設立。ミュージシャン、障がい者劇団など、共演するアーティストは幅広い。www.cokaseki.com

舞踏家の故古川あんずと出会い、彼女がブラウンシュヴァイク芸術大学の教授職に就いたことをきっかけに、追い掛けるように渡独したのが1991年。今ではベルリンを拠点にフリーの舞踏家として世界各国で舞うカセキユウコが、ドイツへと拠点を移してから早20年以上が経過した。

「先生が行くと言うなら、アフリカでもアラスカでもどこへでも行ったと思います」。それほどまでに憧れ、やりたいことが定まっていなかった自分が開眼するきっかけを与えてくれた存在から、すべてを学ぼうとした。しかし、95年にベルリンに拠点を移し、自分の踊りを作り始めた当初は「いつも頭の上にあんずさんがいる感じ」。そこから抜け出すべく、師に影響を受け、自分の中に取り込んだものを一度すべて洗い流した。  

とある1日そんな産みの苦しみの後に訪れたのが、今度は自分の型に凝り固まってしまうという苦悩。そんなとき舞踏家・笠井叡の即興的要素が強いパフォーマンスの舞台を観た。作品は、作ることがゴールではなく、舞台に立つ自分の心身のあり方と共に変化するもので良いんだと実感。それからは、即興シリーズ「AMMO-NITE GIG」を企画するなど、強制的に自分に即興を課す。様々なアーティストと「一戦を交える」中で、体の語彙は確実に増えていった。  

「私にとって、舞踏は精神的な柱」。だから舞踏の概念にはこだわらない。「出会いを逃さない。ここでは自分で仕事を創って、それを表現の肥やしにしていかないと」。ベルリンという文化の中心地には、アーティストが集まり、チャンスが溢れている。ただし、経済的には難しい街。とは言え、この地を拠点に、旅するように世界各地で公演を続ける現状を、楽しんでもいる。

『アート』というものがあって助かった。
自分の居場所や、考え方の器となってくれているから

miu

コンセプチュアルアーティスト

miu

1976年、島根県生まれ。国立音楽大学の音楽デザイン学科を中退後、オランダ・ハーグ王立音楽院で3年間学ぶ。2010年からドイツ・ウルムに拠点を構え、創作活動を続けている。9月6日~10月19日にはウルムでStefan Winklerとの二人展を開催。
www.milch-labor.org
http://de.dawanda.com/shop/miuklein(オンラインショップ)

アーティストとして生きることを選んだ理由について、「実際、ほかにできることがありません」と断言するmiuの活動の幅は広い。実験音楽家、平面作家であり、「両手で描く」パフォーマーでもあり、様々なアーティストとのコラボレーションにも意欲的だ。「表現手法に違いがあっても、根幹にある感覚は同じ」と言う。器用な人なのか、不器用な人なのか、彼の個性は鏡写しのように相反するイメージの間を行き来する。  

両手に筆を持って、左右対称に絵や文字を描く活動「spiegel-verkehrt.org」の一環として開催しているワークショップでは、参加する子どもたちが左右の手に書道の筆を持ち、白い和紙に墨を走らせる。利き手じゃない手に違和感を感じるのもつかの間。描く楽しさに子どもたちの顔に笑顔が浮かぶ。miu自身は、書道の形式に対して敬意を払っているが、この中でもっとも重点を置いているのは「感覚に対する礼儀」。書道に馴染みのない当地の子どもたちは、完全なフリースタイルで筆を握るが、ここではまったく問題にならない。  

とある1日見えないものを見えるもののように扱いたいし、また、その逆も然り。「何でもないことが『何か』に感じられ たり、その人が本当に感じている感覚を再発見できる場所やきっかけを作れるといいな」。彼のアートは、体の感覚や心の動きを丁寧にすくい上げることを大切にしている。  

自分の活動を「アート」という言葉で表現できることに、感謝に近い想いを抱いている。その一方で、コンセプチュアルアートという肩書きは、便宜的な言葉で、特定の枠組みの中に入れ込む必要性はないとも考える。「カテゴリーや偏見は、心の整理術としては便利だけど、そういったものを外してみるのも楽しいから」。

アーティストの活動を支える
コミュニケーター

miu

コミュニケーター

岡本あきこ Akiko Okamoto

1996年渡独、ボーフムのルール大学メディア学修士課程修了後、ビジネスコンサルティング企業及びダンスカンパニーでのマネージャー職勤務を経て、現在は通訳・翻訳、文化プロジェクトのコーディネーションやマネージメントなどを専門とするフリーランスのコミュニーケーター。
http://akiko-okamoto.org/

デュッセルドルフの劇場FFT(Forum Freies Theater)が、観客から選んだ5人のキュレーター(Zuschauer-Kuratoren)に5月のプログラムを委ねるという野心的なプロジェクトを企画。そのメンバーの中で唯一の日本人として、今回のNIPPON PERFORMANCE-NIGHTなどのキュレーションを担当している。  

本業は「コミュニケーター」。人と人とを繋ぐ仕事を幅広く手掛けている。「アートの分野に限らず、とある1日様々な分野のプロジェクト、マネージメント、通訳・翻訳を請け負いますよ」と言うが、アートに対する情熱は明らか。日々、ギャラリーや劇場に足を運んでいるうちに自然と人脈が広がり、仕事に繋がることも多い。  

これまでが「人に親切にしてもらった人生だったので、何かをお返ししたい」。そのようなギブ&テイクを循環させたいという気持ちが根底にある。今回は、日本人の観客とFFTという場所、そして日本人アーティストとを繋ぐために奔走した。「このプログラムでは4つのパフォーマンス・アートを一度に少しずつ体験できます。普段はアートにあまり触れることがない人にも、何か新しい発見や関係が生まれるきっかけになれば……」そう願っている。

FFT Düsseldorfで日本人アーティストと出会う
NIPPON PERFORMANCE-NIGHT

日本デー(Japan Tag)の前夜、
FFTで4組の日本人アーティストたちとの一夜を楽しもう!

プログラムキュレーション: 岡本あきこ

5月24日(金)

20:00 シアターホール カセキユウコ & miu ダンスパフォーマンス『PEU À PEU』
20:45 ロビー ミキ ユイ コンサート『SMALL SOUNDS』
21:30 シアターホール 神谷理仁 ダンスパフォーマンス 『UNFIXED IMAGES(仮)』
22:30 ロビー Ai ライブ・コンサート

チケット

Nippon Performance-Night:
前売り15ユーロ(割引8ユーロ) 当日18ユーロ(割引10ユーロ)
Aiのライブのみ:10ユーロ

FFT Kammerspiele
Jahnstraße 3 40215 Düsseldorf
TEL: 0211-87678718
E-Mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
www.fft-duesseldorf.de

フィリップ・ケーヌ / ヴィヴァリウム・ステュディオ
『アナモルフォーシス』

平田オリザ率いる青年団の日本人女優とフランスの演出家、造形作家フィリップ・ケーヌが生み出した新作『アナモルフォーシス』。日本語上演(ドイツ語字幕付き)。

5月11日(土)20:00

前売り15ユーロ(割引8ユーロ)、当日18ユーロ(割引10ユーロ)
FFT Juta
Kasernenstraße 6, 40213 Düsseldorf

 
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