誰もが子どもの頃、本を読んで、言葉の背後に広がるファンタジーの世界に胸躍らせた経験を持っているだろう。しかし、様々な事情によってこの当たり前のことを体験できずに幼少期を過ごす人が、ドイツには大勢いる。「Berliner Büchertisch(ベルリン・読書テーブル)」は、どんな環境であっても、読書によって得られる貴重な体験を、できるだけ多くの人にしてもらいたいと、読書促進活動に励む団体。運営者の1人、コーネリア・テメスヴァリさんに団体の活動内容と意義についてうかがった。
Berliner Büchertischとは?
2006年にベルリン・クロイツベルク地区で設立された非営利団体。本を買う余裕がない人々に本に接する機会を持ってもらうことを目的に、市民から寄付された古本を同地区と隣接のフリードリヒスハイン地区の3店舗で低価格で販売しているほか、ベルリン市内とブランデンブルク州の学校図書館や託児所などに寄贈する活動を行っている。ベルリン・ブランデンブルク州学校図書館共同体会員として、優良な図書館を表彰する「学校図書館賞」を主催。buechertisch.org
1人の母親の思い付きから生まれた自助活動
第2次世界大戦後の復興とその後の高度経済成長期、西ドイツは好景気に沸く一方で、深刻な労働力不足を抱えていた。そこで受け入れたのが、「ガストアルバイター」と呼ばれる外国人労働者。南欧やトルコなどから来た働き盛りの男性たちは、建設作業などのきつい労働をこなした。当初彼らはドイツ社会から、当地での仕事が終われば母国へ帰る「客人」とみなされていたが、やがて家族を呼び寄せて定住し、独自の生活インフラを築き、それが2、3世へと受け継がれていく。クロイツベルクは、そんな移民たちが集中するエリア。そこでは、どうしても格差や貧困などの社会問題が深く根を下ろしてしまう。特に移民の出自を背景に持つ子どもたちの教育は、自治体の悩みの種。そこで「ベルリン・読書テーブル」は、読書の促進を通して地域の教育レベルの向上に一役買っている。
創設者はアンナ・リヒトヴェアさん。大学を中退し、無職で2人の子どもを抱え、将来の展望も持てず途方に暮れていた彼女は、あるとき家の中を見回して、もう読まない本が溢れていることに気付く。そこでふと、「要らない本を抱えている人はほかにもいるはず!」と思い立ち、自転車でベルリン市内の家々を回って古本を集め始めたのだ。
「彼女は小さな店舗を借りて、道行く人々にチャリティー団体への参加を募り、寄付を呼び掛けました。集まったのは主に失業者や経済的に困窮している人、精神的な問題を抱えている人たちで、設立当初は自助団体の性格が強かったと言えます」。その後、団体は徐々に規模を拡大し、今では約30人のメンバーを抱える。過去に薬物・アルコール中毒だった人、複雑な家庭環境の下で育った人、障がい者作業施設で働いていた人のほか、学生や民間企業での勤務経験を持つ人もいる。「同じ悩みや問題を抱える人と、いわゆる普通の人が混在するチャリティー団体は、ドイツでは珍しいですね。私自身、ここに所属する前は大学の研究員でした。ここでは、大学卒のようにエリートばかりではなく、様々な背景を持つ人が一緒になって社会的、政治的に意義深いことをしているという実感が持てます」
読書を、学校だけでする行為にとどめない
同団体が実施している活動の柱は大きく分けて3本。うち2つが、「Ein Kind, ein Buch(子ども1人、本1冊)」と「Berliner Lesetroll(ベルリン読書トロリー)」という子ども向けのプロジェクトだ。クロイツベルクとフリードリヒスハインの3店舗で販売している古本を、子どもなら誰でも1日1冊、無料で持ち帰ることができるというのが「子ども1人、本1冊」の仕組み。「もちろん、本は学校や地域の図書館でも借りられますが、ここの本は『自分のもの』にできます。読み終わったら友達に貸したり、あげたりすることもできますしね」。無償で本が手に入ることを知り、頻繁に書店を訪れるようになる子どもは多いそうだ。
一方、読書トロリーはクロイツベルクの店舗に地区の小学校の1クラスを集め、小さなキャリーバッグ(トロリー)に本やDVD、CD、おもちゃなどを詰め込んで学校へ持ち帰り、クラス内で回し読みをするというもの。トロリーの本は家に持ち帰って、家族と一緒に読んでも良い。子どもたちにとって、「読書」を学校で行うものにとどめず、家庭へ広げていくことが狙いだ。貸与されたトロリーは、1年後に書店に戻される。人気が高いのは冒険小説や少年探偵もの、海賊や騎士などをテーマにした本だという。
そして第3の柱は、寄付された本を近隣の施設に寄贈するというもの。対象は主に学校図書館だが、刑務所内の図書館や難民受け入れ施設などもそこに含まれ、これまでに本を寄贈した施設は約230カ所に上る。さらにはオンライン販売や、問い合わせがあれば国外発送も行うなど、まさに世界を股にかけた活動を展開している。
「社会的焦点」で、子どもの可能性を広げる
大学研究員時代に活動に参加し、現在はプレス
担当としてフルタイムで勤務する
コーネリア・テメスヴァリさん
同団体が読書普及活動を行う背景には、クロイツベルクやフリードリヒスハインが市内でも特に多くの貧困層の集中する「社会的焦点(Sozialer Brennpunkt)」で、子どもに本を買い与えることができなかったり、親が読書を教育の優先順位に置いていなかったりする社会構造がある。現在では、停滞地域に高級層が移り住むことで一帯が豊かになる「ジェントリフィケーション」も一部では起きているが、子どもに読書をさせる余裕がない家庭があるのは事実。加えて、学校図書館の本不足がこの問題に追い打ちを掛けている。ドイツの学校図書館は長年、本不足に悩まされており、閉鎖を余儀なくされているところもある。図書館への公的助成金給付は皆無で、設置する本の大部分を寄付に頼っているためだ。教科書を除いて、休み時間や放課後に読める本は、図書館がなければ親に買ってもらうほかないが、それがかなわない子どもは多い。同団体は、そのような子どもたちに読書の機会を積極的に与え、言語教育の面でも一役買うことに存在意義を見出している。
「クロイツベルクには移民や伝統的な労働者階級が多く、十分な教育を受けられずに育つ子どもたちが大勢います。親が子どもにちゃんとした教育を施したいと思っても、社会や行政、法制度がそれを阻んでいるケースが多いのです。また、教師もそれらの子どもたちを教育からは縁遠い生徒とみなし、はなから『大学進学を目指すギムナジウムへの入学は無理』と決め付けてしまうことがあります。小学校4年生の段階で将来の進路選択を迫るドイツの教育制度において、学校を卒業していなかったり、職業訓練を修了していない親の元で育つ子どもの将来の可能性は極端に狭められるという研究結果も出ています。だからこそ、彼らへの支援が必要なのです」
同団体はまた、インターネットの普及と利用者層の低年齢化に伴う「本離れ」も危惧している。子どもたちがコンピューターの前で過ごす時間が格段に増えている現代、本がそこに入り込む余地は限られつつある。ただそれは、本が消滅することと同じではない。団体のメンバーは活動を通して、子どもたちに本と接する機会を与えさえすれば、彼らはたちまち本の虫になることを実感している。
「読書トロリーを体験した生徒のフィードバックを聞いていると、妹弟に読み聞かせたり、クラスの友達と読んだ本の感想を語り合ったりする中で、彼らが特にけんかをしたときの仲直りの仕方や障がい者への接し方など、コミュニケーションや仲間意識、道徳に関する知識を自ずと学んでいるのだと分かります。ドイツ語とトルコ語、ドイツ語とイタリア語など、2カ国語表記の本を希望する声も多いんですよ。クラスメイトに外国語を話す子がいれば、読み比べるという楽しみ方もできますからね。これらは、1人でコンピューターに向かっているだけでは絶対に得られない体験です。本はデジタル技術が発達した今日なお、子どもたちを喜ばせる大きな魅力を備えていると信じています」
本が、地域住民の交流の活性剤に
クラスの皆で本の回し読みをする「読書トロリー」は
子どもたちに大好評。「来年もやりたい!」という声が
絶えないのだとか
書店には日々、児童書から専門書、小説、アート作品集、写真集まで、ありとあらゆるジャンルの本が持ち込まれるが、それらを古本市場の相場と照らし合わせつつ、1ユーロからの廉価で販売している。レアなものは優先的にオンラインで販売するなどして、できる限り売れ残らないよう工夫。売り上げを職員の報酬や読書促進プロジェクトの運営費に充てるほか、一部を学校図書館に寄付している。
同団体は読書の促進のほかに、団体の活動に携わるメンバーに職業面で展望を与えることを目的にしている。しかし、最大の困難もまたここにある。つまり資金繰りの大変さだ。職員の多くはパートタイムだが、本を回収し、どの施設に何を送るかを考えて仕分けるというシステムはかなり煩雑で、「可能ならフルタイムの職員をもっと増やし、報酬も引き上げたい」というのがメンバーの本音だ。
運営の難しさは、それだけではない。設立以降、団体はたびたび活動中止の危機に見舞われた。数年前、クロイツベルクの店舗付近で大規模な火災が発生し、中の本がほぼ全焼した際は、近隣住民がボランティアとして駆け付け、再建を手伝ってくれた。また、約1年前に創設者のリヒトヴェア氏の引退が決まった際も存続が危ぶまれたが、メンバー全員が協同組合を立ち上げる方針で一致し、難を乗り切った。そして今は、近隣住民にとって、読む喜びを味わいに来る心のオアシスとなっている。
現在、団体は読書トロリーを幼稚園に普及させようとしている。「本に触れるのに時期尚早ということはありません。できるだけ人生の早い段階から本に慣れ親しむことで、豊かな想像力や感性が育まれるのです」。テメスヴァリさんの言葉には、読書の楽しみを幼い子に届けたいとの思いが溢れている。このほか、通りや区役所に力車や書棚を置いて、誰もがそこに不要となった本を置き、そこから持ち帰ることができる「プレゼント用の本の棚(Bücherverschenkregal)」や、地域で面白い社会活動に携わる人を紹介すべく、彼らに実際に料理を作ってもらいながらその素顔に迫るレシピ付きポートレイト『クロイツベルク・クッキング(Kreuzberg kocht)』『フリードリヒスハイン・クッキング(Friedrichshain kocht)』を発行するなど、本を軸に活動の幅を広げている。また、今年試験的に始めたプロジェクト「読む場所(Ein Ort zum Lesen)」も今後、軌道に乗せたいという。これは、1933年にナチス・ドイツによって行われた焚書を記憶し、犠牲となった作家を追悼する、ベルリン市共催の読書・朗読会で、子どもたちに歴史に対する意識を喚起することを目指している。
「私たちの引き出しにはアイデアがいっぱい詰まっていますが、すべてに手を付けるわけにはいきません。資源は限られていますから」と話すテメスヴァリさん。チャリティーである以上、資金の問題は常にメンバーの頭をもたげる。その打開策の1つとして、公的支援を得ることが今の目標だ。難関だが、越えられない壁ではないはず。なぜなら、少しでも多くの人を本の中の壮大な世界へ誘うという崇高な使命と、賛同者の熱意に支えられているのだから。
ドイツのチャリティー事情
ドイツ連邦統計局によれば、同国内の昨年の寄付金総額は約74億ユーロ(政治目的のもの、税控除の対象とならない寄付を除く)。うち3分の1が特定の団体や活動に繰り返し送金する定期寄付で、寄付という行為が市民に広く根付いていることがうかがえる。
大規模なチャリティー団体としては、難病を抱えていたり、経済的に困窮している子どもの支援のために寄付を募る大衆紙「ビルト」主宰の「子どもたちのためのハート(Ein Herz für Kinder)」や、世界の災害・伝染病の発生地域、貧困地域を支援する「ドイツは助ける(Aktion Deutschland hilft)」などが有名。過去には、「ドイツ音楽ケア支援協会(Hilfsbund für Musikpflege)」という音楽の国ドイツならではの団体も存在した。これはハンガリー系ユダヤ人ヴァイオリニストで音楽教育者のカール・フレッシュが第1次世界大戦後の1920年に、音楽をする環境が失われたドイツの音楽家たちを助けるために、ベルリンに設立した団体で、36年6月にナチス・ドイツに活動を禁止されるまで、貧困にあえぐ音楽家を支援した。
ドイツと言えば、今や環境大国としても世界的に認知されており、自然を尊ぶ精神はチャリティー活動の形でも表れている。その1つが、「Plant for the Planet」というプロジェクト。始まりは、2007年にバイエルン州に住むフェリックス君(当時9歳)が学校で行ったプレゼンテーションで、彼はアフリカで30年間に3000万本の木を植えたという人物にヒントを得て、世界中の子どもたちが自分たちの住む土地に100万本の木を植えることを提案。これが国連環境計画(UNEP)によって評価され、地球の緑化プロジェクトとして発動。3年後にはドイツ国内で100万本の植樹が達成され、現在では、子どもたち自身が、ほかの子どもたちに環境保護の意識を喚起するための講演を行うなど、環境チャリティー団体としての地位を確立している。