ジャパンダイジェスト

ドイツゼクト物語 - シャンパンとの接点を探して 岩本順子

25. ブッサルト4 王家に愛されたゼクト

Deutsche Sekt-Geschichte

ブッサルト社は自社ゼクトをザクセン王室に売り込むなどして、ドイツ産ゼクトのトップブランドに成長させた。ゼクトの多くは宮廷のほか、海軍将校らが出入りするカジノなどで消費された。同社が最も力を入れていたゼクトが「キュヴェ・ロイアル」だった

「キュヴェ・ロイアル」はこだわりのゼクトで、シャンパーニュ産のベースワインを使用した、シャンパンと変わらない製品だった。すでに製品名をドイツ式にゼクトと名乗ってはいたが、ブッサルト社の初代ケラーマイスターがランス出身のシャンパン醸造職人であったことは、同社の誇りであり、その伝統は販促に大いに役立った。1900年には地元紙ドレスナー・ナハリヒテンがブッサルトを高く評価した記事を掲載、同社のゼクトは広く注目を集めた。

歴代のザクセン王は、ブッサルト社を訪問するのが恒例になっていた。1840年にはフリードリヒ・アウグスト2世が、1856年にはヨハンが醸造所を視察した。1904年に即位したザクセン王国最後の王、フリードリヒ・アウグスト3世も、1908年にブッサルト社を訪問している。ザクセン王は宮廷のほか、オペラ鑑賞の休憩時間などにもブッサルト社のゼクトで乾杯していたという。中でもシャンパーニュと同品質の「キュヴェ・ロイアル」はとりわけ王家に愛されていた。

フリードリヒ・アウグスト3世はブッサルトを訪問したのち、長男に以下のような手紙を書いた。「やっと、かの有名なゼクトケラーライへの訪問が叶った。アスパラガスとイチゴのシーズンになったら一緒に行こう。父」。その後、王は息子たちを連れて、退位する1918年まで毎年ブッサルト社を訪問したという。

1911年、創業75周年を迎えたブッサルト社で盛大なパーティーが行われた。記念の冊子には、当時販売されていた7種類のゼクトが紹介されている。 ボウレ(パンチ)に向く「シルバー」、軽快なゼクト「スペシャル」、「ロゼ」、フルーティーさを強調した「パール」、真紅のゼクト「ローター・ムスー」、メインブランドの「 ブリリアント」、そして前述の「キュヴェ・ロイアル」だ。100年前のものだが、現在でも十分に通用する多彩なコレクションだ。

近隣のマイセンやフライブルク(ウンストルート)には競合する醸造所がいくつかあったが、ゼクトの需要は高く、ブッサルト社の経営は順調だった。同社ではフィロキセラによる被害が落ち着いてからも、ライン川、モーゼル川流域やフランスから引き続きベースワインを購入していた。「キュヴェ・ ロイアル」のベースワインはシャンパーニュ産でなければならなかった。南方のブドウから造られるベースワインを使ったゼクトの方が、地元産よりも品質が良く、消費者の評判も良かったからである。しかし、そのために地元のブドウの生産量は落ち込み、エルベ川流域の畑は荒廃していった。

ブッサルト社の醸造所と庭園ブッサルト社の醸造所と庭園

 
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岩本順子(いわもとじゅんこ) 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。www.junkoiwamoto.com
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