ジャパンダイジェスト

ドイツゼクト物語 - シャンパンとの接点を探して 岩本順子

29. ブッサルト7 ヘレンゲデックの流行

Deutsche Sekt-Geschichte

シャルマ製法をいち早く採用した先駆的なラーデボイル醸造所は、1970年代半ば、同醸造所とは対照的に伝統製法を守り続けるブッサルト社と手をつなぐことになった。この頃、旧東ドイツではビールとゼクトのカクテル「ヘレンゲデック」が誕生し、人気を博した

ラーデボイル醸造所は、ゼクト用のベースワインを旧西ドイツのモーゼル地方やライン地方から買い取っていたが、東西ベルリン間に壁の建設が始まった1961年を最後に供給が途絶えた。同醸造所では、代わりにソ連やハンガリー、ブルガリア、西側諸国ではフランス、スペイン、イタリアからベースワインを調達するようになり、自社畑も開墾し始めた。畑を最大限に活用するために、ジャガイモを混植して失敗するなど試行錯誤を経て、ブドウ畑の面積は徐々に増えていった。

一方のブッサルト社は、1961年に創業125周年を迎え、着実に成長しつつあった。同社も1960年代後半からベースワインの買い付け量を増やす必要があり、新たにソ連やハンガリー、ユーゴスラビアなどの東欧諸国から購入し始めていた。シャンパーニュにゆかりがある同社は、その伝統を守り、フランス産のベースワインの輸入は継続していた。

ところが、1970年代前半に、ブッサルト社はまたもや存続の危機に見舞われた。人民公社ロートケプヒェン・フライブルクが資本参加を止めたのである。しかし、この時にも同社には救いの手が差し伸べられた。成長中のラーデボイル醸造所がブッサルト社をテイクオーバーしたのである。

今日のシュロス・ヴァッカーバート醸造所の前身であるラーデボイル醸造所は、1970年代後半から続々と新製品をリリースし、旧西ドイツで発案されたミニボトル入りのゼクト、ピッコロ(0.2L)の生産にも着手していた。旧東ドイツにもゼクトの大量生産時代が到来し、航空会社インターフルークが機内でサービスするほか、インターホテル、職場のパーティーなどでも提供されるようになった。

この頃、「ヘレンゲデック」(Herrengedeck)と呼ばれるカクテルが誕生した。旧東ドイツでも、男性の定番の飲み物といえばビールなので、同醸造所では、ゼクトを浸透させる方策をいろいろと練っていた。同社にとって都合の良いことに、当時はビールが品薄で、男性は自分のためにはビールを注文するが、同伴の女性のためには決まってゼクトを注文していたそうだ。いよいよビールが足りなくなると、ゼクトを加えて飲むようになり、ビールのゼクト割り「ヘレンゲデック」が生まれた。「ヘレンゲデック」は当時、ホテルのドリンクメニューにも載るほど人気のカクテルだった。シュロス・ヴァッカーバート醸造所の文献には、「ヘレンゲデック」が日本人客にも大好評だったとの一文が残されている。

1964年のパンフレット1964年のパンフレット

 
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岩本順子(いわもとじゅんこ) 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。www.junkoiwamoto.com
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