シンガーソングライターが案内する
ハンブルク時代のビートルズの足跡
ビートルズとの出会い、
それは私の人生における
最大の事件だった
シュテファニー・ヘンペル
シンガーソングライター、ビートルズ・ツアー・ガイド。旧東独出身。6歳でピアノを始める。9歳の時に初めてビートルズの曲を聞き、夢中になる。12歳の時、先に亡命していた父に呼び寄せられ西独に移住。音楽活動をしながらハンブルク音楽演劇大学を終了。2007年に発案したビートルズ・ツアーが好評を博す。2010年にCD「So nah dran」でデビュー。
旧東独で出会ったビートルズ
シュテファニー・ヘンペル(35)は、旧東独のパルヒム(現メクレンブルク=フォアポンメルン州)で生まれ育った。父親は歯科医、母親は眼科医のアシスタント。母方の曾祖母の家にビアノがあり、幼い頃から音楽に親しんだ。シュテファニーは両親の勧めで6歳の時から午前中は小学校、午後は音楽学校に通い、ピア ノを習った。旧東独政府は音楽とスポーツの才能がある子どもたちに無料で専門教育の機会を与えていたのだ。「でも、本当に厳しい学校だった。半年毎に試験があり、成績が悪いと学校を追い出されるの」。ピアノ以外の楽器や理論も勉強しなければならず、毎日練習と勉強に明け暮れていたと言う。両親の目に狂いはな く、彼女にはピアノの才能があった。しかし、彼女自身はピアノの先生が苦手で、当時はいやいや練習していたという。
1986年のある日、9歳だった彼女は父親が持っていたカセットを聞いてビートルズに夢中になる。引き金となった曲は「She loves you」。旧東独のレコード会社アミガの「A collection of Beatles-Oldies」というカセットシリーズに入っていたのだ。以後、シュテ ファニーはビートルズに熱中し、ビートルズが彼女のすべてになる。彼女自身もこの体験を「人生における最大の事件だった」と言う。幸いパルヒムは旧西独との国境に近く、西側のラジオやテレビを受信できた。ニーダーザクセン州のラジオffnから流れて来るビートルズの曲を録音するのが彼女の日課になった。
当時学校で習っていた外国語はロシア語。英語はさっぱりわからなかったが、聴こえるままに歌詞を書き取り、真似して歌い始めた。10歳の時には自分でも詩を書き、作曲を始めていた。
旧西独に亡命した父の元へ
1988年、父親が旧西独に亡命。突然の出来事だった。旧東独政府は当時、特別な場合に限り、旧西独の親戚を訪問することを認めていた。西独に住んでいた祖母の70歳の誕生日パーティーに出席した父は、そのまま戻らなかった。まもなく父から、ドイツ語対訳付きのビートルズ歌詞集が送られて来た。シュテファニーはこの歌詞集で初めてビートルズの歌詞の意味を知り、それは彼女のバイブルとなった。
亡命後、父は家族呼び寄せの手続きに取り掛かっていた。通常1年半程で呼び寄せは実現するのだが、移住の許可は直前に通達される。母親、シュテファニー、妹のクラウディアが西側に移住できたのは、1989年11月7日のこと。その2日後、ベルリンの壁が崩壊した。「皮肉な展開になったけど、私は西に引っ越せてとても幸せだった。これからはビートルズの曲を存分に聞けると思うと、それだけで嬉しかったのよ」。一家はしばらくの間、クックスハーフェン近郊の街で暮らし、やがてブレーマーハーフェンに落ち着いた。
ギムナジウムに転入したシュテファニーは、生まれて初めての英語の授業に戸惑う。しかし、3週間の補習授業を受けると、成績はぐんぐん上がった。「ずっとビートルズの真似をして歌っていたでしょ。だから発音を褒められて成績も上がったの」。週に1回、音楽学校にも通い始め、ピアノも続けた。ピアノの先生の 自宅には膨大なレコードコレクションがあり、彼はビートルズの曲を全部カセットに録音してくれた。ある時、彼が「ビートルズもいいけど、ほかの音楽も聴いてみないか?」と言って、レッスンの度にローリング・ストーンズやエルトン・ジョン、ジム・モリソン、ジョニ・ミッチェルなどの曲をカセットにコピーしてくれるようになった。「ピアノのレッスンは当時の私にとって、1週間のハイライトだったのよ」。
14歳の時、両親から堅信のお祝いに録音機一式をプレゼントしてもらうと、子ども部屋はスタジオになった。やがて、自分の歌とギター演奏を組み合わせたいと思うようになり、音楽の先生を通して知ったミュージシャン・デュオに、自分の曲を録音したデモテープを送ってみた。「なかなか連絡が来ないから、思い切っ て電話をかけて会いに行ったの。2人とも当時の私の倍の年齢で、仕事の傍ら、バンド活動をしていた。2人の前で緊張して自作の曲を歌ったら、とても気に入ってくれて、すぐに3人で バンドを結成することになったのよ」。バンド名はシュテファニーの名字を取って「ヘンペルズ」。ギムナジウムに通いながらの音楽活動は、3年に及んだ。
ハンブルク時代のビートルズ探訪ツアー
21歳でハンブルクへ引っ越し、音楽演劇大学に通い始めた。大学ではピアノとクラリネットを専攻しつつ、教職課程の勉強も始めた。夢はシンガーソングライターとして活動することだが、それだけでは食べていけない。大学での勉強とミュージシャンとしての活動はどちらも大切だった。在学中に参加した3週間の ポップ・ミュージック・コースで出会った現役のミュージシャンに大いに刺激されて曲を作り、レコード会社へ売り込みに行ったが、デビューへの道のりは険しかった。27歳の時に息子を授かり、妊娠中に卒業試験に挑戦。息子を育てながらロックンロールの歴史をテーマに卒論を書き終えたが、その後は子育てに追われ、教職課程の勉強を続ける余裕はなくなった。
現在、シュテファニーはセカンドアルバムを準備中
そんなある日、シュタットライゼン(Stattreisen Hamburg e.V.)という団体のツアーガイドをしている友人と食事をしている時に、ビートルズゆかりの地が観光ルートに入っていないという話題になった。その彼にいきなり「ビートルズ・ツアーのコンセプトを考え てくれないか」と言われ、シュテファニーは自分にしかできないガイドツアーを考えてみた。それは、ビートルズゆかりの場所を散策、ハンブルク時代のエピソードを紹介し、さらにそこで生まれた歌をウクレレ伴奏で披露するというもの。まもなくシュテファニーは、歌うガイドとして働き始めた。ツアーは大好評を博し、各メディアにも取り上げられた。並行して念願のアルバムデビューも果たした。
シュテファニーは2年前にシュタットライゼンを離れ、ビートルズ・ツアーとシンガーソングライターの2本立てで独立した。「大好きなビートルズについて語り、彼らの歌を歌ってツアー客に楽しんでもらえるなんて、本当に幸運だと思う」。今や、彼女のビートルズ・ツアーには、スカンジナビア諸国や米国からも予約が入る盛況ぶりだ。
Stefanie Hempel
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