ジャーマン・グラフィック・ノベルを
世に送り続ける出版人
どんなに小さくても、
自分の出版社でなら、
本当に好きな作品だけを
出版し続けられる
ディルク・レーム
出版社経営者。1963年リューベック生まれ。ハンブルク美術大学の卒業制作として、米国のコミック作品の版権取得から翻訳、装丁、印刷、出版に至る一連の仕事をテーマに選ぶ。この仕事が91年に出版社を立ち上げる基礎を形成。1人で興したコミック出版社REPRODUKTは、現在8人のスタッフを抱えるまでに成長、年間40タイトルを出版している。
ディルク・レーム(49)はコミックが大好きな子どもだった。6歳で「ペッツィ」(デンマーク)に出会い、やがて「アステリックス」(仏)や「タンタンの冒険旅行」(ベルギー)の熱心な読者に。ギムナジウム在学中はコミック作家に憧れ、選択授業で美術を学んだ。本気で作家になろうと考えたことはなかったが、何らかの形でコミックに関わる仕事に就きたかった。
卒業制作が出版物第一号
ギムナジウム終了後、南米を旅行した。旅から戻り、1984年にハンブルク美術大学に入学。ビジュアル・コミュニケーション科で映画作りを学ぶ一方で、ギルバート&ジェイム・エルナンデス兄弟(米国)、チェスター・ブラウン(カナダ)など、北米のインディペンデント系コミックに夢中になった。80年代に登場した彼らニュージェネレーションの作品は、歴史、冒険、SFといった従来のコミックのテーマに囚われず、個人的な体験を語るもので、グラフィック・ノベル*の範ちゅうに入る。
在学中の87年に、大手コミック出版社カールセン(Carlsen Verlag)のレタリング・スタッフに応募し、採用される。このアルバイトを通して出版界が一気に身近になった。そして卒業制作に、「外国コミックの翻訳出版」というテーマを選ぶ。具体的には、大好きなエルナンデス兄弟の作品「ラブ&ロケッツ」の版権取得から出版に至る一連の仕事を課題とし、ハンブルクの印刷屋で印刷、製本を行った。この卒業制作が、91年に1人で立ち上げたコミック出版社レプロドゥクトの第1号出版物となる。「当時ドイツには、インディペンデント系の出版社がなかった。それなら自分で出版社を興そうと思ったんだ」。
レプロドゥクトの人気作家マヴィルがスケッチした編集部のある1日
試行錯誤の90年代
ディルクは、インディペンデント系のコミック界が元気だったベルリンに拠点を置いた。「ラブ&ロケッツ」の初版は2000部売れた。シリーズ物なので、年1冊のペースで出版し、徐々にそれ以外の作品の出版も開始。作家たちを訪ねて北米へ飛び、友情を育んだ。90年代半ばには仏作家の翻訳出版を始め、ルイス・トロンダイム、ダヴィット・Bらをドイツに紹介した。
同時に、アンドレアス・ミヒャエルケなどのドイツのインディペンデント系作家や、アタック、アンケ・フォイヒテンベルガーといった前衛作家たちも紹介するようになる。ディルクの当初の目論みは、ドイツの作家たちの作品を北米の作家たちのように年1冊のペースで出版し、市場にダイナミズムをもたらすことだったが、彼らはそのリズムについていけなかった。どの作家もコミックだけで生計を立てることはできず、ほかにも仕事を持ち、1人きりで制作していたからだ。
大手出版社を経てレプロドゥクトに戻る
出版社を興して10年目、ディルクはカールセンに引き抜かれ、期限付きで編集部に勤務することに。細々と経営していたレプロドゥクトは、2人のスタッフに留守を頼んだ。「カールセンでは、年間出版計画の立て方や販売委託人のネットワーク作りなどを仔細にわたって学ぶことができた」と言う。
2003年の春、カールセンに「レプロドゥクトをたたんで、うちで一緒に働かないか」と誘われたが、悩み抜いた末、ディルクは自分の小さな出版社に戻った。「この時の選択は本当に難しかった。でも、大手出版社で働けば自由が利かなくなる。どんなに小さくても、自分の会社なら、自分が本当に好きな作品だけを出版し続けられる」。そうディルクは考えた。
カールセンにいた3年間は、90年代から徐々に始まった漫画出版の成長期だった。ディルクも日本の漫画に関心を持ち、谷口ジローの作品を出版したいと考えていた。「ベルリンでの再出発の前、谷口ジローの作品の版権交渉のため日本へ行ったが、 僕の前にはカールセンなどの大手出版社が立ちはだかり、相手にしてもらえなかったんだ」。インディペンデント系出版社の限界を知る経験だった。
ディルクはベルリンに戻ると、欧米の作家の紹介に専念する決意を新たにし、猛烈に働いた。やがて、留守を守ってくれたスタッフ以外に、1人、2人とやって来た実習生たちが居残り、カールセンで学んだことを活かせる人数が揃った。レプロドゥクトではプレス担当も営業担当も、誰もが自由に作家を発掘し、編集を行っている。また、担当作家とはとことんつきあい、2、3作目を送り出す。これらはディルク独自の方針だ。
グラフィック・ノベル元年
2004年、マルジャン・サトラピ(仏)のグラフィック・ノベル「ペルセポリス」がドイツでも大ヒットし、大人向けコミックのイメージアップに繋がると、ディルクのモチベーションも上がった。長年、確信をもって出版してきたジャンルのコミックが注目されたからだ。この頃から地道に行ってきた仕事が実を結び始め、出版社は少しずつ軌道に乗った。近年では、ハンブルク時代のビートルズを描いたアルネ・ベルストルフの「ベイビーズ・イン・ブラック」が14カ国で翻訳出版されるなど、話題は尽きない。
「レプロドゥクトが成長できたのは、作家たちが頑張ってくれたからこそ。僕たちは作家のための出版社でなければならない」。そうディルクは語る。しかし、彼らのユニークで誠実な仕事ぶりも成長の秘訣だろう。例えばディルクは、ストーリー作りに行き詰まることの多い作家たちを支援するため、プロの脚本家を招いてワークショップを開いたり、 有能な作家たちが安心して制作できるように月給という形で原稿料を前払いしたりしている。本をアート作品と考え、作家に装丁を任せたりしているのもディルクらしいやり方だ。
現在では大手出版社がレプロドゥクトの動向に注目しており、その守備範囲であるグラフィック・ノベルの分野に進出しようと躍起になっている。
*歴史的、社会的な物語から個人的な物語に至る、幅広い題材を扱う文学的要素の濃い大人向けコミック。通常、完結した話が語られる。
REPRODUKT
Gottschedstr. 4/Aufgang 1, 13357 Berlin
Tel.030-46906438
www.reprodukt.com
www.graphic-novel.info