常時警官が立ち構えているベート・カフェの入り口
Sバーンのオラーニエンブルガー通り駅からトゥホルフスキー通りを北に向かって歩き、アウグスト通りを越えると、白黒の独特の字体で「Beth-Café」と書かれた看板が右手に見えてくる。入り口前には柵が立てられ、その横には常に警官が構えているため、この前を通る時はいつもどこか緊張する。何も知らなかったら、警官の視線を感じながら敢えてその横のカフェに入ってみる気にはそうならないだろう。
「Beth」は、ヘブライ語で「家」を意味する。つまり、ユダヤの「カフェ・ハウス」だ。ユダヤ教の中にもいろいろな流れがあるが、モーゼス・メンデルスゾーンらの改革派の波に反抗し、1869年に設立された厳格なイスラエル・シナゴーグ教区(Adass Jisroel)の建物がカフェに隣接している。この正統派の教区が運営するカフェとして、1991年にオープンしたのが「Beth-Café」である。ゆえに、ここで提供されるすべてのメニューは、ユダヤ教の食事規定を指す「カシュルート」によって作られているそうだ(ちなみに改革派は、すでに100年以上昔にこの規定を廃止している)。
夕日を浴びて金色に輝く新シナゴーグのドーム
このように紹介すると、ほとんどあらゆる食文化を受け入れてきた日本人はますます「Beth-Café」に入りづらくなってしまうかもしれないが、これも経験、一歩中に足を踏み入れてみてはどうだろう。私はすすけた外観からは予想できない、落ち着いた空間が待ち受けていることに新鮮な驚きを感じた。どこか憂いのあるユダヤの音楽が店内に流れ、キッパと呼ばれる帽子のようなものを被った父と子も見かけた。時折、年配のウェイトレスが慎ましやかにそばを通り過ぎる。メニューにはKnischesと呼ばれるひよこ豆のクリームやファラフェルなどが並び、デザートのBeth-Café Cremeは、日本のカスタードプリンにも似て美味だった。
このカフェの周辺からアレクサンダー広場までの一帯は、今でも「ショイネン(穀倉)地区」と呼ばれることがある。ナチスによるユダヤ人排斥が始まる前まで、ここは特に東方からのユダヤ人が密集して住む貧しいエリアだった。1920年代にジャーナリストとしてベルリンに滞在した作家ヨーゼフ・ロートは、この地区のヒルテン通りを指して「世界中どこを探してもこれほど物悲しい通りはない」(『放浪のユダヤ人』〈鳥影社。平田達治訳〉)という印象を残している。
「Beth-Café」を出て、アウグスト通りを東に歩いてみた。現在はギャラリーが多く並ぶ人気の通りだが、ここにもユダヤ人の影があることを私は大分後になって知った。かつて住んでいたユダヤ人がそこを追われ、所有主が分からなくなっていた状態の空き家に、東西統一後、アーティストが不法に住み着いて、活動を始めたのが、そもそもの発端なのだそうだ。
ナチスによってほとんど根こそぎ奪われた、ベルリンのユダヤ文化の何がしかを私は「Beth-Café」の中に感じたが、同時にまたユダヤ人の施設というだけで、常に警備を付けなければならない現実も思い出し、何とも複雑な気持ちになった。
ベート・カフェ
Beth-Café
スープ、サラダ、コーヒーからワインなどのアルコール類、ここで取り扱われているユダヤの食材に至るまで、「カシュルート」に基づいており、いろいろ試してみるのも興味深い。奥には夏場に開放している美しい中庭があり、ここで 過ごす時間も良い。やはり安全上の理由からか、店内は撮影禁止となっている。
営業:日~木11:00~20:00、金11:00~17:00
住所:Tucholskystr.40, 10117 Berlin
電話番号:(030)282 3135
新シナゴーグ
Neue Synagoge
もともとは1861年に完成したドイツ最大のシナゴーグ。ナチスによる「水晶の夜」事件で放火され、現在は一部しか残されていないが、ベルリンのユダヤ文化を知る上で必見の場所であることに変わりない。ユダヤ・センターとして、常設展のほか、定期的に企画展を開催。戦前、かのアインシュタインがここでヴァイオリンを演奏したこともある。
開館:日月10:00~20:00、火~木10:00~18:00、金10:00~17:00
(10~3月の開館時間は下記URLを参照)
住所:Oranienburger Str.28-30, 10117 Berlin
電話番号:(030)8802 8300
www.cjudaicum.de