5月8日の終戦記念日の夜、ベルリン東側の郊外リヒテンベルク区にあるドイツ・ロシア博物館を目指した。ドイツ鉄道(DB)のストライキのため、通常の最寄り駅であるS バーンのカールスホルスト駅を避け、地下鉄のティーア・パーク駅から運良く最終バスに乗ることができた。人気のない静かな住宅街を走ること約10分、バスは突然雑踏の中に紛れ込んだ。
正直、これほどの人出は予想していなかった。博物館横の芝生には多くの屋台が並び、ウオツカやロシアビールを片手に人々は陽気に飲み語らっている。まさに祭りの雰囲気だ。「日本人がイメージする終戦記念日の雰囲気とずいぶん違いますね」と、この日に合わせて関西からやって来た知人が驚きを込めて言う。確かにそうだ。
1945年5月8日の深夜、もともとはドイツ国防軍工兵学校だった赤軍司令部内で、ナチス・ドイツの代表が降伏文書に調印。欧州における第2次世界大戦が終わった瞬間だった。私たちは22時から行なわれる「平和の乾杯」というセレモニーに合わせて来たのだが、人が殺到し、調印式が行なわれたホールへは一向に進めない。ついに諦めた人々は、前に立つ屈強な門番の指示を受けて外に出て行く。どうやら大型のスクリーンに式典の様子が映し出されるらしい。後に付いて行くと、ドイツの文化大臣が、赤軍がナチス・ドイツの支配から人々を解放したことへ感謝の挨拶を述べるところだった。
ドイツの無条件降伏の調印が行なわれた歴史的なホール
乾杯の式典の後、ホールの中に入ると、熱気がまだ残っていた。ポツダム会談が行なわれたツェツィーリエンホーフ宮殿と同じく、背景に掲げられた戦勝国の旗、調印式に使用されたテーブルや机などが、当時と同じ状態で保存されている。画面に映される調印式の映像を見ると、ドイツ国防軍のカイテル元帥があの席に座ったのかとリアルに想像できた。その横には、本物の文書がガラスケースの中に保管されている。
気が付くと、ホールの中からほとんど人が消えていた。向こうの方から爆発音が聞こえる。急いで外に出ると、花火の打ち上げが始まっていた。色とりどりの花火が夜空に放たれる度に歓声が上がり、スピーカーからはナポレオンのロシア遠征を描いたチャイコフスキーの序曲『1812年』が流れる。ベルリンでこんな立派な花火を見るのは初めてで、私と知人はあっけに取られるようにしてその様子を眺めていた。ここがモスクワならばともかく、敗戦国であるドイツの閣僚を交えて行なわれた公式行事で、ここまで派手な演出は予想外だったからだ。
翌9日、ベルリンは平和的なムードに包まれていたが、サッカーの国際試合以外でこれほど多くのロシア国旗を街中で見たのは初めてだった。モスクワでは過去最大規模の軍事パレードが行なわれ、ドイツのメディアはロシアの動きを警戒する論調の記事も掲載した。お祭りの雰囲気の中、その前日、町で出会ったドイツ人女性が語っていた「(強制収容所などで)解放されなかった人々のことも記憶に刻まなければ」という言葉がふと思い起こされた。
5月8日、博物館には大勢の人が押し寄せた
ドイツ・ロシア博物館
Deutsch-Russisches Museum
ソ連軍がベルリンから退却した後の1995年にオープンした博物館。第2次世界大戦、特に甚大な犠牲者を出した41年6月からの独ソ戦の歴史が、ドイツとロシア双方の視点を取り入れて展示されている。S3のKarlshorst 駅、もしくはU5のTierpark駅からバス296番に乗り、Museum Berlin-Karlshorst下車すぐ。入場無料。
開館:火〜日10:00〜18:00
住所:Zwieseler Str. 4, 10318 Berlin
電話番号:030-50150810
URL: www.museum-karlshorst.de
ソ連戦勝記念碑
Sowjetisches Ehrenmal
ブランデンブルク門の西側、6月17日通りに面した記念碑。第2次世界大戦で犠牲になった赤軍兵、中でも大戦末期のベルリン地上戦による犠牲者を追悼する目的で建てられ、45年11月に完成。当時そこはすでに英国占領地区だったため、東西分断時代は事実上ソ連の「飛び地」の形で存在し続けた。記念碑の両側にはベルリンの戦いで使われた2 台の戦車と榴弾砲が並ぶ。
住所:Straße des 17. Juni 4, 10785 Berlin