スポーツをすることにほとんど縁がなかった私が、マラソンなどに挑戦してみようと思ったのは、2年前のある出来事が一つのきっかけだった。2015年のベルリンマラソンの確か翌日だったと思う。日本からマラソンに参加するためにやって来たという60代の会社員の方をご案内する機会があった。ベルリンの街をご一緒しながら、Iさんというその方は「自分が初めてフルマラソンを走ったのは50歳を超えてからなんです」と話してくれた。「それから世界のいろいろなマラソンを走ってきましたが、ベルリンはホスピタリティも含めて素晴らしい。中村さんの歳だったらまだ何でも始められます。羨ましいですよ」。当時40歳になったばかりの私は、日に焼けて充実感たっぷりに語るI さんの表情が、心のどこかに残った。それから2回のハーフマラソンを走った後、9月24日、私はベルリンマラソンのスタート地点に立つことになったのである。
9時15分、トップランナーを含めた最初のグループがスタートを切った。しかし、私のいる一番後ろのグループが出るまでには約1 時間かかる。何しろ4万人以上が一つの方向に向かって走り始めるのだ。小雨が降っていたので、体が冷えないように気を付け、10 時過ぎにいよいよスタート。乳白色のもやがかかったジーゲスゾイレの女神像を見上げながら、ゆったりと西に向かって走り始める。
最後の気力を振り絞ってブランデンブルク門をくぐり抜ける
沿道の声援は最初こそまばらだったものの、政府地区に入ると、観客の数がぐっと増える。長年このマラソンを走っている知人の家族や、わざわざ日本から来てくれた母の姿もこの中にあった。奇しくもこの日は4年に一度のドイツの総選挙。その行方を気にかけながら、首相官邸の横を通り過ぎる。9キロ地点の最初の補給ポイントでは、ボランティアスタッフが果物を食べやすいように切って渡してくれ、リンゴの心地良い甘み酸味が体中に沁み渡った。
ベルリンのさまざまな街角の表情を数時間で一度に見られるのも、このマラソンの面白さだ。旧東側の大通りからクロイツベルク地区に入り、コトブサー・トーア駅のガード下をくぐる時、ステージの上で歌うトルコ系の女性の歌声が朗々と鳴り響く。そこから続く大声援。少し鳥肌が立った。東から西に移動するにつれ、沿道の人々の顔ぶれは少しずつ変わってゆくが、人が集う場所というのはやはり良いものだ。ゼッケンには下の名前が書かれているので、見ず知らずの方が私の名前を呼んで鼓舞してくれることもあった。
35キロまでは楽しく走れたが、ポツダム広場を越えてからの最後の数キロはかつてないほど苦しい時間。ミッテの街をくねくねと曲がった後、ついにブランデンブルク門上方の勝利の女神像が視界に入ると涙が出てきた。もっとも、5時間をわずかに越えてゴールすると、初めてハーフマラソンを走った時のような爽快感はなかった。ただ、「ああ、これでもう走らなくていいんだ」と。
足の痛みがようやく引いてきた今、ベルリンでの生活にまた一つ財産となる経験が加わったことをしみじみと振り返っているところである。
ベルリンマラソン
Berlin Marathon
1974年に当時の西ベルリンで始まったマラソン大会。ボストン、ロンドン、シカゴ、ニューヨーク、東京の大会と並んで、ワールドマラソンメジャーズの一つに数えられる。今年はケニアのキプチョゲ選手が2時間3分2秒で優勝。2018年9月16日に開催される次回大会には、この10月18日から11月8日まで下記サイトからエントリーでき、12月頭に抽選結果が発表される。
URL:www.bmw-berlin-marathon.com
朝食ラン
Frühstückslauf
インラインスケートやミニマラソンなど、大会中はベルリンマラソンの関連イベントがいくつも開催されるが、フルマラソンの参加者におすすめなのが前日に行われる朝食ラン。シャルロッテンブルク宮殿前からオリンピックスタジアムまでの6キロを楽しく走りながら、本番に向けたウォーミングアップができる。ラン後はスタジアム周辺で朝食が提供される(参加費無料)。