最近インターネットの古書サイトで1枚の古い絵葉書に出会い、思わず購入した。そこにはゼーバート・ヴィルマースドルフと書かれた湖畔のテラスと隣接した屋外のコンサートホールが細かく描かれ、のんびりくつろぐ人々の様子が伝わってくる。
ヴィルマースドルフが村だったころ
この絵葉書に惹かれたのは、描かれているのがまさにいま私が住む界隈だったからだ。絵葉書の中の高い尖塔の教会を見れば、位置関係はすぐにわかる。現在のフォルクスパーク・ヴィルマースドルフのほぼ真ん中。昔ここに湖があったことは知っていたが、郊外の行楽地のような雰囲気だったとは!
1871年にドイツ帝国の首都となったベルリンは、人口が急増し、猛烈な勢いで生活圏を西へと拡張していた。それまで村に過ぎない規模だったヴィルマースドルフ(「ドルフ」は「村」の意)もその流れに抗えず、急速にアパートが建設されてゆく。ここに越してきた人の多くは、都会の喧噪に嫌気が差し、静かな環境を求めていた富裕層だったという。
新しい住宅街ができると、求められるのが鉄道だ。もともと農地だった土地を鉄道会社が買収したことによって、ヴィルマースドルフや隣のシェーネベルクには巨額の富を得た農家もいた。この絵葉書に書かれているオットー・シュラムもその一人。彼は湖の南側に2500平方メートルの土地を購入して、1879年に湖水浴場と行楽施設をオープンさせた。風光明媚なビアガーデンとダンスフロアを備えたシュラムの施設は、都会に憩いの場を求めるベルリーナーの思惑と一致し、瞬く間に人気を集めるようになる。この絵葉書には、「1898年4月12日」という日付が記されているが、差出人はここでくつろぎながら、家族や友人宛に便りを書いたのかもしれない。
だが、20世紀に入り、近くのハレンゼーにルナ・パークという欧州最大規模の遊園地が造られると、湖水浴場の客はそちらに奪われてゆく。さらにこの時期、ヴィルマースドルフの人口が短期間に5000人から10万人へと一気に膨れ上がると、村の性格は失われ、静けさを求める裕福な人々の関心はグルーネヴァルトなどより郊外の地へと移っていった。もともとヴィルマースドルフは沼地だった場所。土壌の水分を抜いて住宅街を乱立した結果、この湖の水位は次第に下がってゆき、とうとう1915年に湖は埋め立てられてしまう。シュラムの夢の風景は、はかなく幻影へと消えたのである。
上の絵葉書から120年後の同じ場所の様子
「アパートの不足」、「新しい住宅地の建設」、「ある地区で家賃が急激に高騰したことで住民が大量に移動」等々、数年前からベルリンではこういう話題が上らないことの方が珍しくなった。私がベルリンに来た頃を思うと、信じられない気もする。外から人や資本が流入すれば当然起こり得ることとはいえ、あまりに急激な変化は住む人をどうしても不安にさせる。19世紀末から20世紀初頭にかけて生きたベルリーナーも、似たような不穏に直面していたのだろうか。
そんなことを思いながら、このヴィルマースドルフの絵葉書を眺める。ベルリンが今よりも牧歌的だった時代への懐かしさを幾分感じながら……。
フォルクスパーク・ヴィルマースドルフ
Volkspark Wilmersdorf
シャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフ区にある公園。隣のシェーネベルク区のルドルフ・ヴィルデ公園と合わせて、長さ2.5キロ、幅150メートルの東西に細長い公園を形作っている。もともとは氷河時代に雪解け水がたまった沼地だったところで、東側にあるフェンゼーという湖はその名残。ジョギングにも最適な公園で、春から秋にかけては多くのランナーが汗を流している。
住所:Am Volkspark, 10715 Berlin
アウエン教会
Auenkirche
この絵葉書にも描かれている教会。1895年から97年にかけて、ネオゴシック様式で造られた。ベルリンでも最大級のオルガンを備えており、時々コンサートが行われる。ヴィルヘルムスアウエという教会の前の通りには、石畳に沿って背丈の低い建物がいくつか並び、ヴィルマースドルフがまだ村だった時代の名残を残している。
住所:Wilhelmsaue 118a, 10715 Berlin
電話番号:030-405045340
URL:www.auenkirche.de