1989年のベルリンの壁崩壊というと、真っ先に挙げられるのが11月9日という日付です。しかし、ベルリンの隣、ブランデンブルク州の州都ポツダムの人々にとっては、もう一つ重要な意味をもつ日があります。あれから32年を迎えた日、ポツダムのルイーゼ広場に新しい記念碑が誕生しました。
ポツダム・ルイーゼ広場で行われた民主化運動記念碑の除幕式
1989年11月4日のポツダムは、肌寒い土曜日だったといいます。この日の午後、旧市街のブランデンブルク門に面したルイーゼ広場には、「自由選挙」や「シュタージ(国家保安省)を追い出せ」など、旅行や言論の自由を求めた横断幕を掲げた市民が四方から集まり、やがて広場を埋め尽くしました。約1万人が参加したというこのデモは、ポツダムの歴史上最大規模といわれます。
正式名称「1989年秋のポツダム民主化運動記念碑」は、地元の歴史家ハイケ・ロートさんの発案により生まれたもの。コロナ禍により当初の予定から1年遅れて、この11月4日に除幕式が行われました。ポツダムのミケ・シューベルト市長は、挨拶のなかでこう述べました。
1989年の民主化デモに参加した市民の足跡が刻まれた記念碑
「当時の人々の精神を伝えるこの記念碑はとても重要です。なぜなら平和革命は、今日に至るまで、そしてこれまで以上に、民主主義というものが勇気ある民主主義者を必要としていることを示しているからです。社会における自由と公正は、私たちが日々闘っている限りにおいてのみ、もち得るものです」
あいにくの悪天候でしたが、記念碑のデザインをした彫刻家のミコス・マイニンガーさんがシューベルト市長と共に記念碑を除幕していくと、訪れた人たちから歓声が上がりました。
マイニンガーさんがデザインした記念碑は、地面に埋め込まれており、そこには当時市民が掲げた横断幕のスローガンが刻まれています。文字の間に、いくつもの足跡が埋め込まれているのに気づくでしょう。これは当時のデモに参加した市民を募って残してもらったという計108人の足跡。この記念碑を上から見ると「4.11.1989」という日付が大きくかたどられており、夜になると合成樹脂が埋められたプレートの文字が浮かび上がるという考え抜かれた趣向です。
彫刻家のミコス・マイニンガーさん(左)と歴史家のペーター・ウルリヒ・ヴァイスさん
「ルイーゼ広場は世界遺産であるサンスーシ公園の入り口。単なる記念プレートではなく、芸術作品と呼べる記念碑を造りたかった」というロートさん。ここに刻まれた市民の足跡は、いずれまた世界中から訪れる人々にも何かを語りかけることでしょう。
以下のサイトでは、記念碑の詳しい情報に加えて、1989年秋のポツダムの民主化運動に関する豊富な資料が公開されています。
Denkmal für die Potsdamer Demokratiebewegung im Herbst 1989:www.potsdamer-demokratiebewegung89.de