大きな目玉がこちらを覗き込む、印象的なポスターが街角で目に入りました。それは、「啓蒙とは何か?18世紀への問い」というドイツ歴史博物館の特別展の案内でした。11月の「ミュージアム・サンデー」(ベルリンの多くの博物館・美術館が入場無料になる毎月第一日曜のイベント)を利用して、早速観に行ってみることにしました。
1783年、ベルリンの牧師ヨハン・フリードリヒ・ツェルナーは、ある雑誌の中で「啓蒙主義とは何か?」と問いかけました。18世紀の欧州は、絶対君主制の翳と共に、人間の自由や平等、信仰などについて新しい問いが投げかけられた時代です。当特別展は、啓蒙主義の時代をさまざまな視点から紹介するのみならず、現代における啓蒙の意味をも提起する試みといえます。
ドイツ歴史博物館の「啓蒙とは何か?」の展示より
展示は2階に分かれ、下階では科学、世界の秩序、宗教、教育がメインテーマ。世界を体系的、かつ客観的に理解したいという精神は、一方でニュートンをはじめとする科学の発達を促し、他方では壁一面に展示されたフランスの百科全書へと結実します。宗教においては寛容の精神が謳われるようになりました。神の絶対性を揺るがす一つのきっかけとなったのが、1755年のリスボン大地震だったといいます。
上階では、人権や貿易(特に重商主義)、古代ギリシャ・ローマへの憧憬などにスポットが当てられます。18世紀前半、大西洋間の奴隷貿易はピークを迎えますが、人権侵害と見なした啓蒙思想家たちから批判が起こり、遅まきながらそれは19世紀後半の奴隷制度廃止に至ります。興味深かったのは、18世紀後半、かつてないほど欧州で出版が活発になり、特に八折り判の発明によって本の価格を抑えることが可能になったこと。啓蒙への問いは活発な議論を促し、カフェハウスやサロンでの文化につながっていくのです。
特別展のポスターに使われているのは、1700年頃ニュルンベルクで製作された目の模型
もちろん、そこには理想と現実のギャップがありました。身分や性別の違いによってそのような文化を享受できない人たちもまだ多くいたからです。最後の部屋で紹介されていた、宮廷ユダヤ人の娘として大バッハの息子たちと交流を持ち、18世紀末のベルリンの啓蒙主義時代に重要な役割を果たしたザラ・レヴィ(1761-1854)の存在は、輝きを放っていました。プロイセンで一般のユダヤ人が市民権を持つのは、ようやく1812年になってからでした。
啓蒙の重要性は、先が見えにくい今の時代においても変わりありません。当展覧会は教育プログラムを重視し、ドイツ語と英語に加えて、セクションごとに平易なドイツ語による説明も用意されています。2025年4月6日(日)までの開催。
ドイツ歴史博物館:www.dhm.de