メナヘム・プレスラーというピアニストをご存じでしょうか? クラシック音楽に興味がある人でも、誰もが知る名前ではないかもしれません。それは、プレスラー氏がソリストとしてよりも、「ボザール・トリオ」という米国のピアノ三重奏団で長年活躍してきたからなのですが、驚くべきことに90歳の今もなお、精力的に演奏活動を続けています。1月中旬、この超ベテランピアニストがベルリン・フィルと“初共演”すると聞き、期待を胸に出掛けてきました。
ハンス・アイスラー音大のマスタークラスで指導したメナヘム・プレスラー氏
万雷の拍手の中、小柄なプレスラー氏が舞台に現れました。曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第17番。セミヨン・ビシュコフ指揮の柔らかな伴奏に乗って、ピアノのソロが始まります。極めて軽く透明なタッチに耳を奪われました。何より驚いたのは、彼独自の世界観を感じさせながらも、オーケストラと完全に調和していたこと。木管楽器が活躍するこの作品で、愛らしいメロディーの掛け合いが幾度も交わされ、協奏曲というよりは室内楽を聴いているかのような親密な演奏でした。
アンコールで演奏されたのが、ショパンの遺作となった夜想曲第20番。忍び寄る死と生が同居したような、不思議な軽みと温かみに包まれた演奏で、聴衆は最後、総立ちでピアニストを讃えました。
その翌日、プレスラー氏がベルリンのハンス・アイスラー音楽大学の若手ピアノ三重奏団に対してマスタークラスを行うというので、見学に行きました。前夜、天上のような音楽を奏でていた人とは思えないほど厳しく、また細かい指導に驚きます。「タッチが乱暴過ぎる。手を無重力のまま下ろすような感じで」「楽譜をよく見て! ピアニッシモと書いてあるでしょう」。英語だけでなく、時折流暢なドイツ語も交じります。彼は1923年にマグデブルクでユダヤ人として生まれ、1938年の「水晶の夜」事件の後、ナチスによる迫害を逃れて米国に亡命した経歴を持ちます。ドイツに帰化したのは2012年と言いますから、祖国への果てしない道のりに思いが至ります。
マスタークラスの様子
レッスンの後、プレスラー氏と少し言葉を交わすことができました。別れ際、にっこり笑みを浮かべて一言、「春に日本に行くよ。サヤカと共演するんだ」。この4月、ヴァイオリニストの庄司紗矢香さんと日本でデュオ・リサイタルを行うそうです。
何かを達観したような美しいピアノの音色とその背景にある激動の歩み。そして、今も持ち続けている好奇心と向上心。プレスラー氏の歩みはこの先も続きます。