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ドイツの核廃棄物を学ぶ信州大学の学生たち

3月11日、東日本大震災、そして福島第一原子力発電所事故から9年を迎えました。僕がブラウンシュバイクに移住した2012年ごろ、街中で目に付いたのは、黄色く「A」と書かれた看板。それが放射性廃棄物の中間貯蔵施設を警告するサインだと教わり、驚いた記憶が蘇ってきます。

この街の周辺には、中間貯蔵施設、最終処分場候補地、住宅地で原発並みの放射性物質を扱う会社など、核に関わる施設が少なくありません。というのも冷戦期、この辺りは東西ドイツの国境付近でした。そして東西両陣営が核廃棄物を互いの辺境に追いやっていたため、再統一後は国の真ん中に「危険」が居座っている状態になってしまったのです。

現地の活動家の話を聞く学生現地の活動家の話を聞く学生

先日、信州大学で「ドイツ環境ゼミ」という授業を履修する学生たちがこの地を訪れました。彼らは3週間ドイツに滞在し、松岡幸司准教授の指導のもと、ゴミ処理、環境教育、エネルギー政策を視察。その最後に訪れたのが、ブラウンシュバイク近郊の街で、旧東ドイツの放射性廃棄物が地層処分されたモアスレーベンです。彼らはこの街の低中レベル用核廃棄物処分場を見学後、ブラウンシュバイクの教会で、現地の反核活動家の話に耳を傾けました。

訪問の際に、ブラウンシュバイクから南方へ11キロ離れた街、アッセも話題に。アッセの元岩塩鉱山では、1967年からプルトニウムを含む放射性廃棄物が地層処分されていたのですが、その後、地殻変動によって地下貯蔵室に地下水が流れ込み、処分した放射性物質が水に溶け出していることが判明。一旦埋めた廃棄物を取り出すには60〜90億ユーロが必要とされ、地層処分にかかったコストをはるかに超えます。現地で活動する市民団体WA AG(Wolfenbütteler Atomausstiegsgruppe) のヴォルフガングさんは、アッセの問題は「地層処分を決める時点で明らかだった」と学生たちに話しました。

この問題は、日本にとって無関係ではありません。今、福島第一原発で保管しきれない汚染された土壌を、全国の公共事業で使用する計画が進められているのです。あくまで「人体や生命体には影響がない放射線レベル」と説明されていますが、アッセのように後から危険性が明らかになることも考えられます。

信州大の学生と現地の人々との集合写真信州大の学生と現地の人々との集合写真

研修に参加した学生の光門舞花さんは、ドイツの若者との交流会で「デモクラシーという言葉をよく聞いた」と語りました。日本でもドイツでも核の問題に取り組む人はいますが、その声に対する社会のあり方には違いがあるのかもしれません。僕自身も学生の活動に触れ、現地の核のゴミ問題を改めて学び直そうと思いました。僕が以前アッセで取材、撮影したビデオがあるので、ぜひご覧になってみてください。

「Endlager/最終処分場」:https://vimeo.com/135041210

国本隆史(くにもと・たかし)
神戸のコミュニティメディアで働いた後、2012年ドイツへ移住。現在ブラウンシュバイクで、ドキュメンタリーを中心に映像制作。作品に「ヒバクシャとボクの旅」「なぜ僕がドイツ語を学ぶのか」など。三児の父。
takashikunimoto.net
 
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