ジャパンダイジェスト

シュトゥットガルトの桜と12年前の震災のこと

シュトゥットガルト中央駅からミッテ駅に向かうケーニヒ通りのちょうど真ん中くらいに、1本の桜の木があります。毎年春になると見事な花を咲かせ、道行く人が写真を撮ったり、木陰のベンチに座って桜を観賞したりする、ひときわ目を引く存在です。私はこの桜の木を見るたびに思い出すことがあります。12年前のまだ肌寒かった3月のある日、私はたくさんの日本人と、この場所で街頭募金を呼びかけていました。

今年3月初めの桜の様子今年3月初めの桜の様子

2011年3月11日、三陸沖を震源地とする東日本大震災が発生しました。マグニチュード9.0という巨大地震と津波、そして福島第一原発の事故。12年がたちましたが、その被害は今も続いています。当時、私たちは遠い母国の悲報を知り、赤十字の方の協力を得て街頭募金活動を行うことにしました。総勢で60人はいたでしょうか。多くの道行く人が募金に協力してくれました。中には「本当にお気の毒です。あなたの家族は大丈夫ですか」と涙ながらに声をかけてくれる人や、ハグをしてくれる人もいて、人の温かさを身をもって感じました。一緒に活動をしていた日本人ファミリーが差し入れをしてくれた豚汁が、とても温かかったことを今でもよく覚えています。

あの震災を機に、世界中が原発の在り方について以前にも増して関心を寄せるようになりましたね。シュトゥットガルト近郊にあるネッカーヴェストハイム原子力発電所では、今年も3月11日に原発反対デモが行われました。「電気が足りないのなら、リスクを伴う発電方法に頼るのではなく、使う電気の量をもう一度見直そう」。そんな彼らの呼びかけに、とても共感しました。私自身も、子どもたちの未来の不安要素を少しでも減らすことにつながればと思い、日頃からできる範囲で省エネや家庭ゴミをなるべく出さない生活を心がけています。

原発反対デモのポスター原発反対デモのポスター

また震災以降から海外在住の日本人たちの間で、3月11日に味噌を仕込む小さなムーブメントがどこからともなく始まりました。震災のことを忘れないために、そして若い世代にもこの大惨事を知ってもらうために。なぜ味噌なのかというと、第二次世界大戦時に原爆が投下された長崎の聖フランシスコ病院でのエピソードが関係しています。戦時下の備蓄食料としてワカメと味噌を備えていたため、毎日味噌汁を飲んでいたそうです。同病院に勤めていた秋月辰一郎医師(1916-2005)は、これにより原爆症の被害が少なかったと書き残しました。

2023年3月11日の味噌仕込みの様子2023年3月11日の味噌仕込みの様子

味噌の放射能への効能については、科学的な裏付けが十分とはいえませんが、わが家では備えの一つとして毎年仕込んでいます。また子どもたちが自らの手で仕込んだ経験を通して、「自分のことは自分でできる」という自信にもつながればいいなと思っています。1年後に熟成した味噌を、家族全員が健康な状態で開封できることを祈って、日々大切に生きていきたいです。

グリュッツマン 貴子( たかこ )
おんせん県出身。ドイツ人の夫と、二人の子どもと日独いいとこどりの暮らし。趣味は、( こうじ ) を醸して発酵調味料を手作りすること。世界各地に住む日本人の醸し人仲間たちと共に、糀の可能性を研究する「伝統食クリエイター」としても活動。台所はいつも実験室のようになっている。

 
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