日本では総理大臣が突然職を投げ出して国民を驚かせたが、ドイツでも大連立政権の一党である社会民主党(SPD)で党首が突然辞任し、社会に衝撃を与えた。もっともクルト・ベック氏が党首を辞めるのは、時間の問題だと思われていた。彼の政策や態度は、SPDへの支持率が30%を割った原因の1つだったからである。ベックは、シュレーダーの改革路線にブレーキをかけ、社会保障の削減を見直すことによって、左派ないしリベラルな市民をSPDに引き戻そうとしていた。つまりシュレーダーが首相だった頃に、右に揺れたSPDの振り子を、左寄りに修正しようとしたのだ。このためシュレーダー路線の支持者だったミュンテフェリングは、SPD執行部からはじき出されて、野に下った。
だがベックの特徴は、他のSPD幹部と十分に協議を重ねないまま、自分の考えを党の路線であるがごとくマスコミに話してしまうことだった。たとえばベックが、ヘッセン州のSPDと左派政党リンケの連立についてゴーサインを出したことは、SPDの中道、右派の市民を失望させた。リンケの一翼を担う民主社会主義党(PDS)の前身は、東ドイツの政権党として、人権を抑圧したドイツ社会主義統一党(SED)だからである。
ベック自身の説明によると、彼は来年の連邦議会選挙で首相候補として出馬せず、シュタインマイヤー外相を首相候補にすることについて、数カ月前に同意していた。だが一部のSPD関係者が9月上旬に「シュタインマイヤーがベックの反対を押し切って首相候補になる」という誤った情報をマスコミに流したため、ベックは怒って党首の座を放り出したのだ。SPDの幹部たちがいがみ合い、統率がとれていないことが国民の前にさらけ出された。
後任の党首が、すでに政界を離れたと思われていたミュンテフェリングであることも、SPDの人材不足を浮き彫りにしている。彼とシュタインマイヤーは、ともにシュレーダーの改革路線を後押ししたSPD右派に属する。グローバル経済の時代にドイツを適応させ、雇用を増やすには、社会保障サービスを減らして企業の国際競争力を高めることが重要だと考えている。つまり、ベックが左に揺らそうとした振り子を、今度は右に戻そうとする政治家たちである。SPDの路線が短い期間に豹変することに、有権者はとまどうばかりだ。この2人の登場で、SPDの政策は原子力問題を除けばキリスト教民主同盟(CDU)に極めて似てしまい、差が見えにくくなるだろう。ということは、SPD、CDUともに単独過半数を取れないという前回総選挙の悪夢が再来することも考えられる。その意味でSPDの危機は終わっていない。
多くの市民は、シュレーダーの改革路線によって、自分の生活水準が下がることに強い不安を抱き、社会保障サービスの現状維持を望んでいる。来年の総選挙で、ミュンテフェリング&シュタインマイヤーのコンビに失望した市民の浮動票が左派政党リンケや緑の党に流れるかもしれない。SPDのお家騒動に有権者がどう反応するかを占う最初の試金石は、今月28日のバイエルン州議会選挙である。
19 September 2008 Nr. 732