ジャパンダイジェスト

メルツ氏が公約撤回 債務ブレーキを大修正

連邦議会選挙からわずか10日後の3月5日、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)のフリードリヒ・メルツ首相候補は財政に関する公約を撤回して、債務ブレーキを修正する方針を打ち出した。ドイツは国債発行に消極的だった財政政策を転換し、約1兆ユーロ(160兆円、1ユーロ=160円)の資金を国債発行によって調達する。

3月18日、連邦議会で基本法改正の採決前に演説するメルツ氏3月18日、連邦議会で基本法改正の採決前に演説するメルツ氏

防衛支出とインフラ投資を大幅に増額

ドイツには2009年以来債務ブレーキという憲法上の規定があり、連邦政府は国内総生産(GDP)の0.35%を超える財政赤字、州政府は財政赤字を持つことを一切禁じられていた。政府の借金によって、将来の世代が利払いに苦しむ事態を避けるためだ。

選挙期間中、メルツ氏は「債務ブレーキは修正しない。財政難は節約や予算の組み換えによって克服するべきだ」と語っていた。それだけに突然の方針転換は、政界・経済界を驚かせた。今後ドイツは、日本や米国と同じように「借金経営」に移行する。この日メルツ氏と、社会民主党(SPD)のラース・クリングバイル共同党首は「両党は、債務ブレーキに修正を加え、防衛支出と国内インフラのための投資を大幅に増額することで合意した」と発表した。

米国に依存しない防衛体制を目指す

CDU・CSUとSPDによると、軍備拡張のために、防衛支出のうちGDPの1%を超える部分(約440億ユーロ、7兆400億円)までは通常予算でまかなうが、1%を超える部分を、無制限に国債でカバーする。この部分には債務ブレーキは適用されない。メルツ氏が債務ブレーキに関する方針を180度転換した理由は、欧州の地政学的な環境の急激な悪化である。

ドナルド・トランプ米大統領は、欧州諸国とウクライナ政府を蚊帳の外に置いたまま、ロシアとの間で停戦をめぐる交渉を続けている。欧州諸国の首脳の間では、トランプ政権がロシア寄りの姿勢を強めており、将来欧州防衛への関与を減らす可能性があるという意見が強まっている。このため欧州諸国は、防衛について米国に大きく依存している現状を変えるために、防衛支出を大幅に増額しなくてはならない。

ドイツは2022年に1000億ユーロの連邦軍特別予算を計上し、昨年北大西洋条約機構(NATO)の「防衛支出をGDPの2%以上にする」という目標を達成した。だがNATOは、ロシアの脅威への抑止力を高めるには、防衛支出をGDPの3%以上に引き上げる必要があるとみている。メルツ氏が防衛支出について、無制限の借金をできる枠組みを作ったのはそのためだ。

老朽化したインフラ整備に80兆円

さらにメルツ氏とクリングバイル氏は、送電網、水素製造設備などのエネルギー関連インフラ、鉄道、道路の新設・修理、病院や介護設備、教育機関などの整備やデジタル化の推進、サイバー攻撃に対する防御などのために、2025~2034年までの10年間にわたり5000億ユーロ(80兆円)のインフラ特別予算を計上すると発表した。この部分にも債務ブレーキは適用されない。

ドイツでは鉄道や橋などの老朽化が進んでおり、早急に修復する必要がある。デジタル化も米国や中国ほど進んでいない。さらに再生可能エネルギー発電設備が多い北部から、南部へ電力を送る送電線の建設が大幅に遅れている。ドイツ連邦エネルギー水道事業連合会(BDEW)とドイツ産業連盟(BDI)は、2024年に「インフラ構築などに1兆ユーロ単位の投資を行わなければ、ドイツは経済競争力を回復できない」とする報告書を発表していた。また特別予算のうち、1000億ユーロは気候保護や経済の脱炭素化に使われる。

ドイツのメディアでは、「メルツ政権が今後国債市場で調達する金額は、1兆ユーロ(160兆円)にのぼる」という見方が出ている。債務ブレーキ修正のための基本法(憲法)改正案は、3月18日に連邦議会で、同21日に連邦参議院でいずれも議席の3分の2の賛成票を得て承認された。防衛産業と建設業界は今回の決定を「歴史的なチャンス」と評価。メルツ氏が新政策を発表すると、ラインメタルやレンクなどドイツの兵器・砲弾メーカーの株価は一時7~8%上昇。建設大手ホーホティーフの株価は、一時14%はね上がった。

「メルツ氏は国民を欺いた」との批判も

IFO経済研究所のクレメンツ・フュスト所長は、「地政学的な脅威が高まっているために、防衛支出を債務ブレーキの対象外とすることは正しい。だがインフラ構築費用は、まず連邦予算の節約や変更によって捻出するべきだった。現在ドイツの公的債務残高の対GDP比率は約63%だが、今回の政策が実行されると、約80%に上昇する。財政政策が大きく変更され、わが国は借金大国になる」と語った。

ただしメルツ氏の突然の変節は、支持率に悪影響を与えた。公共放送局ZDF(第2テレビ)が3月21日に発表した世論調査結果によると、回答者の73%が「メルツ氏は有権者をだました」と答えた。さらに「メルツ氏を支持する」と答えた比率は、3月上旬の44%から37%に減った。選挙で勝った首相候補が、投票日の直後にこれほど急激に政策を変更するのは異例だ。この転向劇は、欧州の地政学的状況がいかに悪化しているか、そして連邦政府がいかに深刻な財政難に直面しているかを示している。メルツ氏の一世一代の賭けは、ドイツの体力強化につながるだろうか。

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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