「Abgrund(破滅の淵)」「Empörung(怒り)」「Betroffenheit(衝撃)」。こうした言葉がヘッセン州だけでなくドイツの政界全体を飛びかった。
11月4日、ヘッセン州の社会民主党(SPD)を率いるアンドレア・イプシランティ党首は、赤・緑連立政権を樹立して州首相に就任する予定だった。ところがその前日、4人のSPD党員が彼女を首相に選ばないことを明らかにしたため、イプシランティ女史のもくろみはあっけなく崩れ去ったのである。
彼女は今年1月の州議会選挙で勝利したが、政権樹立のために左派政党リンケの票に依存することを明らかにしたことから、党内の保守派から強く批判された。この時にも、左派との共闘に反発したSPD党員がイプシランティ党首の首相就任に反対したため、彼女は首相になることができなかった。このためヘッセン州では半年以上も首相が決まらない空白状態が続き、選挙で負けたキリスト教民主同盟(CDU)のコッホ氏が暫定的に首相職を続けていた。
今回造反した4人の党員は、いずれもSPDがリンケと協力することに強い不満を抱いていた。リンケは社会主義時代に東ドイツで反体制派を弾圧したドイツ社会主義統一党(SED)の流れを汲んでいる。このため造反議員たちは、「リンケは民主主義に反する要素を持っており、そのような党と共闘することはSPDにとって百害あって一利なしだ」と主張したのだ。
イプシランティ女史は3月の最初の挫折から現在まで、いったい何をしてきたのだろうか。SPDの保守派と積極的に対話を重ね、必死で根回しを行ってきたのだろうか。連立政権樹立の直前になって造反議員の数が4人に増えたことは、彼女がリンケと協力することが必要である理由について、SPD党員たちに十分に説明できなかったことを示している。彼女の敗北の原因は、草の根の懸念を無視したことによるコミュニケーション不足だ。
今回の紛糾の影響はヘッセン州だけにとどまらない。全国レベルの世論調査によると、SPDへの支持率は10月の時点でわずか25.8%。党内の意見のとりまとめすらできないSPDに失望する有権者の数は今後も増えるだろう。イプシランティ女史の失態は、SPD支持者の数をさらに減らすと予想される。
イプシランティ女史がリンケの票を使ってヘッセン州で連立政権を組むことに青信号を出したクルト・ベック氏は、すでにSPD党首の座を追われている。その意味でイプシランティ女史の挫折は、ベック前党首がSPDにもたらした大きな混乱の余波だと言える。その意味で、ミュンテフェリング新党首がリンケとの共闘を一切禁止したことは、SPDへの支持率低下を防ぐ上で正しい選択だろう。
あと1年もしない内に連邦議会選挙がやってくる。現在のままでは、SPDは連立政権に参加することすらできないかもしれない。SPDは来年9月までに結党以来の危機を乗り越えて、支持率を回復することができるだろうか?
14 November 2008 Nr. 740