ドイツの銀行危機の焦点となっている金融機関が、ミュンヘンの中心部にあるヒポ・レアル・エステート(HRE)だ。端正な外観とは対照的に、内部は腐食しきって「炉心溶融(メルトダウン)」状態になっている。そのきっかけは、HREが2年前にダブリンに本社を持つデプファという銀行を買収したことだった。その後デプファは、米国のサブプライム・ローン債権が混入した金融商品への投資により巨額の損失を被った。ドイツ政府はHREに1020億ユーロ(約12兆2400億円)もの公的資金を投入したが、損失はさらに膨らむ見通しである。この国の銀行は病人だらけだが、HREは集中治療室に入れられた危篤患者だ。国からこれほど多額の支援を受けた銀行はほかにない。
政府はなぜHREを救わなければならないのか。その理由は、HREがドイツのPfandbrief(抵当証券もしくは担保証券)市場で最も重要な金融機関の1つだからである。担保証券とは、金融機関が担保に取った不動産担保権を引き当てにして発行する債権証券。様々な債権証券の中で、最も信用度が高いとされている。ドイツの担保証券市場は、9000億ユーロ(約108兆円)と世界最大の規模で、HREはその内の約15%を発行する。担保証券は安全度が高いと見られてきたため、多くの金融機関が投資している。したがってHREが倒産すると、担保証券に投資している企業に連鎖的な影響が及ぶのである。ドイツの金融システム全体が揺らぐのを防ぐために、政府はHREの倒産を絶対に防がなくてはならない。そこで政府は、HREの株式の過半数を買い取って事実上国有化する方針をとった。国営になれば、倒産はありえないからだ。
ところが、政府は大きな壁にぶつかった。米国の投資家クリストファー・フラワーズ氏が、所有する25%の株式を手放すことを拒否したからだ。同氏がHREの株式を買った当時、1株当たりの値段は22.5ユーロだった。しかし、現在ではわずか1.3ユーロと大幅に低くなっている。今株を売ればフラワーズ氏は100億ユーロ近い損失を受けることになるため、売却を拒んでいるのだ。
これに対しメルケル政権は、HREに限って個人投資家の株式を没収できる法律を施行させることを決めた。ドイツの憲法である基本法(第14条第3項)によると、政府は公共の利益にかなう場合に限り、個人の財産を没収できることになっている。財産を没収された市民は、政府から賠償金を受け取る。
それにしても、自由市場経済であるドイツで、政府が個人財産を強制的に没収するというのは穏やかではない。外国の投資家の中には、将来この国への投資をためらう人も現われるかもしれない。キリスト教民主同盟(CDU)の議員からは、「政府はタブーを破った。財産没収は許されない行為だ」と批判する声が出ている。これに対しメルケル首相は、「財産没収は、市場経済を守るために必要な措置だ」と防戦に努めている。
政府が通常では考えられない「禁じ手」を使わざるをえないという事実は、金融システムがいかに切迫した状況にあるかを浮き彫りにしている。重症患者が集中治療室から出られるのは、いつの日か。
6 März 2009 Nr. 755