「全く受け入れることができない」(vollkommen inakzeptabel)」メルケル首相は8月29日、政治家としては最も強い表現で連邦銀行のティロ・ザラツィン理事を批判し、連銀首脳に対して、この人物の解任を間接的に要求。連銀理事会は9月2日に、全会一致でザラツィン理事の解任手続きを開始することを決めた。連銀が理事の解任を決めたのは初めてであり、今回の事態の重さを示している。
ザラツィン氏は、「ドイツは自らを廃止する」という最新の著書の中で、トルコ人などイスラム教徒の移民について、「生産性が低く、社会保障に依存している人が多いのでドイツに経済的な利益をもたらさない」と批判。しかもイスラム教徒はドイツ人に比べて出生率が高いので、ゆくゆくは国全体の知能水準を下げるという差別的な主張を行った。
さらに彼はマスコミへのインタビューの中で「ユダヤ人には共通の遺伝子がある」と発言し、民族の特性を遺伝子によって説明しようと試みた。これはナチスがユダヤ人迫害や人種差別を正当化するのに使った、似非(えせ)優生学に極めて近い発想である。ナチスは遺伝子など生物学的な理由付けによって、ユダヤ人やスラブ人を劣等民族、アーリア人を優秀な民族と決め付けた。ザラツィン氏はNPDなどのネオナチ勢力から拍手喝采を受けている。彼の主張は、危険な論理を秘めているのだ。
また社会民主党(SPD)のガブリエル党首も、「ザラツィン氏はユダヤ人に関する発言によって、超えてはならない一線を超えた」として、彼を党から除名するための手続きを開始したことを明らかにした。ザラツィン氏は、「自分は何も悪いことをしていない」として、自ら連邦銀行の理事職を辞めたりSPDを去ったりする意思がないことを明らかにしている。連邦銀行は国際的にも高い評価を受けている組織だ。そのような公的機関に極右のごとき言辞を弄する人物が理事として居座り続けるのは、ドイツの国際的な対面を傷付ける。
だがザラツィン氏は確信犯であり、あらゆる批判は織り込み済みだ。彼は昨年も雑誌「Lettre International」に対するインタビューの中で、「トルコ人などイスラム教徒はドイツ政府の金で生きているくせに、政府を拒絶し、子どもにまともな教育を受けさせない。さらにスカーフを頭にまとった子どもをどんどん作る。トルコ系住民の70%、アラブ系住民の90%は、社会に溶け込む能力がない」と発言して、リベラルな国民から批判された。
しかし同時に、一部の国民から「自分がいつも感じているのに口に出せなかったことをよくぞ言ってくれた」としてザラツィン氏を支持する投書が新聞に寄せられたことも事実である。フランクフルター・アルゲマイネ紙ですら、ザラツィン氏を「勇気ある人物」と評価する社説を載せたことがある。ザラツィン氏が政府や連邦銀行からの批判を覚悟の上で、今回イスラム教徒に対する批判を強めた背景には、昨年のインタビューに対する社会の反応から「ドイツ人の間には、自分と同じ意見を持つ者がいる」という自信を持ったからであろう。
ドイツ政府は高度経済成長期にトルコ人など多数の外国人を労働移民として受け入れてきたが、彼らにドイツ語の習得を義務付けるなど、社会に溶け込ませる努力を数十年間にわたって怠ってきた。30年もここに住んでいるのにドイツ語を話せないトルコ人がいることは、移民政策の失敗のつけである。政府が外国人を社会に溶け込ませる努力を強めず、外国人とドイツ人の共同体が並存する「パラレル・ソサエティ(二重社会)」がなくならない限り、ザラツィン氏のように極論で市民を扇動しようとする人物は、今後も間欠泉のように現れるだろう。
10 September 2010 Nr. 833