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緑の党の時代

ドイツでは環境政党・緑の党が地方選挙で連戦連勝を続け、「わが世の春」を謳歌している。同党は、3月27日のバーデン=ヴュルテンベルク州議会選挙で24.2%という史上最高の得票率を記録し、キリスト教民主同盟(CDU)に属する原発推進派の首相を追い落として、結党以来初めて州首相の座を確保した。58年間CDUが支配していた保守王国にとっては、「革命」である。得票率は前の選挙に比べて2倍以上増えたが、最大の原因は福島第1原発の事故だ。有権者の原発に対する不安が高まったため、緑の党は脱原子力を争点とし、市民の心をつかむことに成功したのだ。1万キロ離れた福島の原発事故が、ドイツで最も裕福な州の政治地図を塗り替えた。

同じ日にラインラント=プファルツ州で行なわれた州議会選挙でも、緑の党は得票率を4.6%から15.4%に増やし、社会民主党(SPD)と連立政権を樹立した。

さらに緑の党は5月22日のブレーメン市議会選挙(ブレーメンは市だが州と同格)でも、得票率を前回の選挙の16.5%から22.7%に増やし、CDUを追い抜いて第2党となった。州議会選挙で緑の党がCDUを上回る得票率を記録したのは、全国で初めてのこと。緑の党は、今年9月にやはり州と同格のベルリンで行なわれる市長選挙で、第一党になることを目指している。

メルケル政権は、遅くとも2022年末までに原子力を廃止することを閣議決定し、夏休みまでに関連法案を連邦議会と参議院で通過させることを目指している。緑の党は、6月26日にベルリンで開いた臨時党大会で、この法案に同意することを決めた。クラウディア・ロート党首ら党の執行部は胸をなでおろしたに違いない。緑の党の急進派からは、「2022年では遅過ぎる。2017年までに脱原子力を実現するべきだ」という意見が出ていたからである。党大会でメルケル政権の路線が承認されたことは、緑の党の中で、現実主義者が大きな影響力を持っていることを示している。

1980年にカールスルーエで結成された緑の党は、当初「原発の即時停止」や「NATO(北大西洋条約機構)からの脱退」など、急進的な目標を掲げていた。しかし党内の左派と現実主義者の激しい路線闘争の結果、ヨシュカ・フィッシャーに代表される穏健派が舵を握り、左派は緑の党を次々と去っていった。緑の党は政策を年々穏健化、もしくは保守化させたため、CDUやSPDに失望した有権者の支持を獲得することに成功したのだ。

2013年には連邦議会選挙が行なわれる。2009年の選挙で緑の党の得票率は10.7%だったが、公共放送ARDの世論調査によると、今年6月末の時点で支持率を24%に増やしている。SPDと緑の党の合計支持率は49%で、ほぼ過半数。これに対して連立与党のキリスト教民主・社会同盟と自由民主党(FDP)の支持率を合わせると38%で、赤・緑に11ポイントもの差を付けられている。

現在の状態が続けば、2013年にSPDと緑の党が勝つのは確実。初めて緑の党から首相が生まれるのも、夢物語ではない。人気のあったフィッシャーが政界を去った今、緑の党は誰を首相候補にするのだろうか。ユルゲン・トリッティンをはじめとして、役不足の感は否めない。野党は政府に反対していればよいから楽だが、緑の党が政権を担当した時に十分な統治能力を発揮するだろうか。ベルリンの連邦首相府を目指して快進撃を続ける緑の党は、こうした問いに明確な解答を出さなければならない。

8 Juli 2011 Nr. 875

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
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