主要先進国首脳会議(サミット)は回を重ねるごとに、マスコミを大動員した国際政治ショーとしての性格を強めている。私は1990年にヒューストン・サミットを取材したが、記者はプレスルームに缶詰にされて、広報課員が持ってくる声明を字にするのが主な仕事。(食べ物や飲み物は主催国がふんだんに用意するので、ひもじい思いはしない)記者団は、各国首脳が協議している様子を見られるわけではない。彼らを目にすることができるのはサミット後の記者会見の時くらいだ。読者や視聴者が見たら「これがサミット報道の実態か」とあきれるだろう。旧東ドイツ・ハイリゲンダムで開かれたG8サミットも、政治ショー化した首脳会議の例にもれなかった。
しかし、ホスト役を務めたメルケル首相は、一応満足しているに違いない。各国首脳は2050年までに地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)の排出量を半減させるべく、真剣に努力することで合意したからだ。特にメルケル首相にとって重要なことは、米国の離反を防ぎ、しかもCO2削減を国連主導で行うことを受け入れさせたことである。会議の直前まで、米国はCO2の排出量の上限値などを設定することに強い難色を示していた。経済活動に制約を受けることを恐れたからである。もしも米国がCO2削減を国連の枠組みの中で行うことを拒否していたら、ハイリゲンダムは「CO2削減をめぐって、米欧が決裂したサミット」として記憶されることになったはずだ。
もちろん、サミットでの合意は条約でも協定でもない。これから43年間に世界の経済情勢が激変して、米国が約束を反故(ほご)にしても、不思議ではない。イラク侵攻など数々の例に見られるように、米国は、基本的に多国間合意よりも単独主義を優先する。ブッシュ大統領の米国での影響力も、すでに大幅に弱まっている。
ただし、当時コール政権の環境相として、京都議定書のとりまとめに大きな役割を果たしたメルケル首相は、少なくとも各国首脳が「CO2削減をめぐって、共同歩調を取る」という印象を世界に与えられたことを及第点としているに違いない。今年12月には、京都議定書が失効した後のCO2削減計画を作成するための会議がバリ島で開かれる。ハイリゲンダムは、バリ島での会議へ向けて、道筋を示したサミットとして記憶されるだろう。
だがサミットは、気候保護を除くと大きな成果は生まなかった。「アフリカの感染症対策のために、少なくとも600億ドルを投じる」という声明が出されたが、これまで何度同じようなコメントがサミットで発表されてきたことだろうか。メルケル政権のシェルパ(サミットのために各国政府と事前協議を行う、裏方の官僚たち)もサミットの落とし所は最も合意しやすいCO2削減問題にする方向で作業を行っていたようだ。イラク、アフガニスタンでの欧米諸国の軍事介入の行方、イランの核開発、ヘッジファンドの規制、情報公開などデリケートな問題が協議された可能性はあるが、公式声明という形では表に出てこなかった。これらのテーマも気候保護に劣らず重要である。華やかなサミット報道に幻惑されて国際政治、国際経済の厳しい現実から目をそらしてはならない。
22 Juni 2007 Nr. 668