私は18年前からミュンヘンに住んでいるが、比較的治安が良い町だという印象を持っていた。それだけに、昨年暮れにこの町で起きた暴力事件には、強い衝撃を受けた。
ギリシャ人とトルコ人の若者が地下鉄の車内で煙草を吸っていたので、ドイツ人のお年寄りが喫煙をやめるよう注意した。すると二人の外国人は、お年寄りに殴る蹴るの暴行を加え、頭蓋骨陥没などの重傷を負わせたのである
この事件はミュンヘンだけでなく、ドイツ全土で激しい議論を巻き起こした。そのきっかけは、ヘッセン州のローラント・コッホ首相(キリスト教民主同盟=CDU)が行った発言である。彼は「この国には犯罪を犯す外国人の若者が多すぎる」と述べ、ミュンヘンでの事件は、ドイツの外国人政策が破綻したことを示していると指摘した。
コッホ氏によると、戦後ドイツ社会では、文化の多様性を重んじる政策が取られてきた結果、一部の外国人の乱暴な態度まで大目に見られてきた。今回、監視ビデオがとらえた目をそむけたくなるような暴力シーンは、外国人政策が甘すぎ、機能不全を起こしたことを象徴しているというのだ。
この発言の背景を理解するには、ヘッセン州で州議会選挙が迫っていることを見逃がしてはならない。外国人に対する寛容な政策を取るよう、特に強く求めてきたのは、社会民主党(SPD)と緑の党である。Multi-kulti(文化的多様性を重視する姿勢)は、一時リベラルな知識人の代名詞ですらあった。
つまりコッホ氏の発言は、SPDと緑の党への間接的な批判なのだ。そこには「外国人による暴力を減らすには、CDUに政権を任せる必要がある」というメッセージが隠されている。コッホ氏は、SPDと緑の党に対する有権者の支持を減らすために、ミュンヘンの事件を使ったのである。
CDUはこの事件をきっかけに、犯罪を犯した青少年への罰則を強化したり、警告の意味で、若年容疑者を一時的に逮捕する制度を導入したりすることを提案している。だが、刑事罰の強化だけでは犯罪は防止できない。米国や日本には死刑があるのに、凶悪犯罪が大きく減らないことは、その証拠である。外国人を社会に溶け込ませる努力を怠ってきたのは、SPDと緑の党だけではない。コール氏など歴代のCDUの首相たちも、Integrationspolitik(外国人を社会に溶け込ませるための政策)には熱心ではなかった。
経済成長期にこの国にやって来たトルコ人たちは、人材不足を補う労働力としてしか見られていなかった。彼らに言語の習得や資格の取得を義務付け、法律や慣習、民主主義の精神を守るように教える努力は不十分だった。ドイツ社会はいま、そのツケを払わされている。昨年12月の外国人の失業率は18.6%と平均の2倍を超える。所得格差の拡大で最も影響を受けるのは、外国人の若者だ。
彼らを社会に溶け込ませる努力を本格的に行い、希望を持たせなければ、ミュンヘンの事件はこれからも、形を変えて再発するかもしれない。
18 Januar 2008 Nr. 697