フィンランドの携帯電話メーカー、ノキアがドイツ北西部のボーフム工場を閉鎖し、2300人が路頭に迷うことになった。このニュースを聞いて、私は「ドイツ病はまだ治っていない」と強く感じた。
工場閉鎖の最大の理由は、ドイツの労働コストが他の国に比べて高いことである。ノキアは今月、ルーマニアに6000万ユーロを投じて新しい工場を建設する。そこでは約3500人分の新しい仕事が生まれる。ルーマニアの労働コストは、旧西ドイツのおよそ10分の1。携帯電話の分野ではグローバルな価格競争が激しい。ノキアのようにいま黒字を出しているメーカーでも、市場の状況にすばやく対応してコストを1ユーロでも他社よりも安くしなければ、直ちに売れ行きが悪化し、赤字に転落しかねない。
このためノキアの経営陣は、「ボーフムの工場では人件費が高すぎるために、価格競争力の強い製品を作ることができない」と判断して、労働コストが安い東欧に生産施設を移転するのだ。これでドイツには、携帯電話の生産施設は一つもなくなった。典型的な「産業の空洞化」である。
政治家の間では、ノキアに対する批判の声が高まっている。その理由は、同社がボーフムに工場を置き、雇用を確保する代償として、連邦政府と州政府からおよそ9000万ユーロの補助を受けてきたからである。「これだけの資金援助を受けながら、人件費が安い地域に生産拠点を移して2300人を解雇するのでは、補助金泥棒ではないか」と考えるドイツ人は多い。ボーフムは、南ドイツの都市に比べると雇用情勢が厳しく、工場閉鎖は地元経済にとって大きな打撃である。
ドイツの人件費が高いのは、年金保険や健康保険、失業保険、介護保険などの社会保障コストが高いためである。経営者は従業員の社会保険料の半分を負担しなくてはならないので、人を雇うと付随コストが肩にのしかかる。かつて高福祉国家だったことを反映して、人件費は世界でもトップクラスだ。一方、法定労働時間は世界で最も短く、有給休暇の日数は世界で最も多い。大企業では、労働組合の代表が監査役会に出席できるなど、労働者にはさまざまな権利が認められている。シュレーダー前首相が減税を始めたとはいえ、法人税もかつては欧州で最も高かった。環境税などのために、電力代も欧州で1、2を争う高さである。
米国や日本とは違って、ドイツ政府が国民のためにさまざまな安全ネットを張り、自由競争の荒波から手厚く守っているのは、大変結構なことだ。だがこの独特の経済システムが、労働コストを高くし、グローバル企業が工場を閉鎖して、人件費がより割安な国へ逃げる原因となっている。この症状を、私は「ドイツ病」と呼んでいる。ボーフム工場の従業員は、ドイツ病の犠牲者である。
社会保障制度の改革によって、労働コストは下がる方向にある。しかし、その効果が本当に現れるのは、10年から20年先のことだろう。1990年代後半まで改革を真剣に行わず、高い労働コストを放置してきた政治家たちにも、責任の一端はあるのだ。
1 Februar 2008 Nr. 699