ジャパンダイジェスト

ライプツィヒ東部にあるみんなの居場所「日本の家」は続く、どこまでも!

かつて「ドイツで最も危険な通り」と呼ばれたライプツィヒ東部のアイゼンバーン通り。安い家賃に惹かれた若者や移民が集まり、ここ数年で活気のある通りへと変貌した。一方で地域の活性化は、家賃上昇や低所得者の排除も引き起こす。この通りで10年以上活動してきたフリースペース「日本の家」も、昨年、賃上げによる退去勧告を受けた。今年3月、移転したばかりの日本の家で、運営メンバーたちに話を聞いた。

今年3月、引っ越し作業を終え、空になった旧日本の家の前で最後の記念撮影今年3月、引っ越し作業を終え、空になった旧日本の家の前で最後の記念撮影

お話を聞いた人
イェンスさん

イェンスさん

メンバー歴7年の古株。大工仕事や事務処理、コミュニケーション能力に長けた、日本の家の良心的存在

ダヴィッドさん

ダヴィッドさん

料理の腕とたくましいパンク精神、そして日本への愛で、コロナ禍で閉鎖の危機にあった日本の家を救った

郁子さん

郁子さん

岡山で「日本の家」のドキュメンタリーを観たのがきっかけで渡独。ここでの出会いから、日本食レストラン「ponpoco」を立ち上げた

晴香さん

晴香さん

日本の家の現代表の一人。自由人な運営メンバーたちを見守っていることが多いが、実は日本の家への愛は誰よりも深い

トビアスさん

トビアスさん

本業は心理カウンセラー。イベントでは琴の演奏やDJなどを行うほか、優れた日本語能力で運営メンバー間の橋渡し役にも

そもそも「日本の家」って?

「日本の家」(Das Japanische Haus e.V.)は、ライプツィヒの衰退していた一角の空き家を日本人チームが中心となってセルフリノベーションし、2011年に立ち上げた非営利団体。ライプツィヒ東部地域に根付いた活動を軸にさまざまな地域交流イベントを実施してきた。運営は常時10〜15人程度のコアメンバーによって、ボランティアで行われている。10年以上活動を続けるなかでメンバーの世代交代も何度かあったが、多様な人々が交流するスペースとして、地元民たちから愛されてきた。

 
 
 

トビアスさん:初期メンバーは建築やアート関係の人が多かったこともあり、展覧会や街づくりワークショップ、日本文化にまつわるイベントが中心だったそうです。それが大きく変わったのが、2014年からの「ごはんの会」。これは参加者みんなで調理をして、一緒にごはんを食べようというもので、お代は寄付制。日本に興味があるかどうかや、経済的・社会的状況に関係なく、さまざまな人が訪れるようになりました。現在も毎週木曜・土曜の夜に開催しています。

メンバーの交代が新しい風を呼ぶ

ごはんの会を契機に、「日本人が運営しているアートスペース」から「地域に開かれた交流の場」へと変化した日本の家。この場所の特徴の一つが、多様な背景を持つ人々によって運営されていることだろう。ワーキングホリデーや留学生、職人、フリーランサー、会社員、失業者、難民申請中など、国籍や世代、背景もばらばら。今回お話を伺った面々も、それぞれの思いがあってこの場所と関わっている。

イェンスさん:娘が日本のアニメやマンガが好きだったことがきっかけで、日本に興味を持つようになりました。その後ライプツィヒに引っ越してきて、日本関係でどんな場所があるかを調べたら「日本の家」に行き当たった。初めて遊びに行った日、すぐにみんなが私を輪の中に入れてくれて。とても幸せな時間で、いつの間にか自分も運営メンバーになっていました。

晴香さん:私がドイツに来たのは、コロナ禍でロックダウンしていた頃。もともとドイツ人のパートナーと暮らすためにこちらへ来たので、彼以外には知り合いもいなくて、初めのころは辛いことも多かったです。そんなときに勇気を出して日本の家に来てみたら、すごく居心地が良くて。ドイツ生活で大変なことがあったときは、日本の家があるから頑張ろうと思えています。

郁子さん:私が日本の家で面白いと思うのは、普段生活していてなかなか出会わないであろう人たちと肩書きなしで話せるところ。人種や性別、年代に関係なくオープンな人が多く、すごくエネルギーをもらえます。

モデルを決めて、似顔絵を描くイベントモデルを決めて、似顔絵を描くイベント
旧日本の家の裏側スペースでは、映画の上映会なども行われた旧日本の家の裏側スペースでは、映画の上映会なども行われた
 
 
 

運営メンバーのなかには、学生やワーキングホリデーなどドイツに滞在できる期間が限られている人も多いため、メンバーの入れ替わりも頻繁に起こる。そんなフレキシブルかつ多様な人たちの集まりをまとめていくのは、実際のところ大変ではないのだろうか。

イェンスさん:日本の家は、すごくカオスな集団です(笑)。月に一度Plenum(メンバーでの会議)を開き、大きなイベントの役割分担や、日本の家全体の方向性について議論をします。しかしそれ以外は、「今日は誰がごはんを作る?」「誰が来られる?」「こんなイベントをやりたい!」という感じで自発的に進んでいきます。

郁子さん:ダヴィッドのように料理が得意な人がいれば、家具作りや掃除が得意な人がいたり、残った雑務をイェンスやトビアスが片付けてくれたり。はっきり役割分担があるわけではなく、信頼関係によってゆるく成り立っています。さまざまな人がいる分、コミュニケーションに苦労することもありますが、このまとまりの無さも日本の家らしさかなと思います。

退去勧告は突然に……

日本の家がアイゼンバーン通りで活動を始めた当初、この地域は空き家だらけの廃れた場所だった。やがて日本の家のようなフリースペースが人を集めるようになり、通りの活性化が進んだが、それと引き換えに家賃が高騰。元の居住者たちが排除されてしまう、いわゆるジェントリフィケーションが起きつつある。日本の家にも2022年3月のある日、不動産管理会社から退去を求める手紙が届いた。

イェンスさん:手紙には、①私たちが退去しなければいけないこと、②私たちの建物の裏側に入居している自転車修理スペースRadsfatzとセッションバーTrautmannも退去させるので、そこに日本の家が引っ越したらどうか、ということが書かれていました。RadsfatzとTrautmannも地域交流の場であり、私たちの昔からの隣人で友人です。彼らを追い出して、そこに日本の家が入居するなんてありえない。すぐに弁護士に相談し、新しい引っ越し先を探し始めました。

ダヴィッドさん:退去の理由は、「日本の家よりも多く家賃を払える借り手がいるから」。自分たちは10年以上もここで活動し、家賃も常に期限通りに支払ってきました。コミュニティースペースとして地域に貢献している自負もあったので、とても残念です。とはいえ退去期限は迫るばかりなので、自分たちのベストを尽くそうと気持ちを切り替えました。

それから日本の家では「Wir müssen raus!」(私たちは出ていかなければならない)というプラカードを掲げ、発信を始めた。ライプツィヒ東部には、ほかにも有志で運営しているギャラリーやカフェ、スペースがいくつもある。日本の家がこのような形で退去させられることは、彼らにとっても他人事ではなかった。

郁子さん:日本の家の退去についてソーシャルメディアに投稿したところ、瞬く間に100件以上もシェアされて、さまざまなグループや地域団体が連帯を示してくれました。ほかにも近所の印刷屋さんが私たちの活動のチラシを印刷してくれたり、引っ越し費用や弁護士費用を集めるためにチャリティーイベントを実施したりするなかで、「ここに相談してみてはどうか」「あそこに空き物件があるよ」など、さまざまな情報が届くように。コミュニティーの力の強さに驚きました。

救世主となった200メートル先の隣人

転機が訪れたのは2022年8月。日本の家からアイゼンバーン通りをさらに東へ200メートルほど行ったところにある、「Gleiserei」(グライゼライ)というコレクティブから連絡を受けた。彼らはジェントリフィケーションの煽りを受けないようにと、2014年にアパートを一棟まるごと購入。1階は非商業的なイベントを行えるフリースペース、2階から上は自分たちの住宅として改装した。一方で、人手不足もあって1階スペースを有効活用できていなかったという。

トビアスさん:Gleisereiの人たちは、1階スペースを商業店舗ではなく、若者や移民たちがプロジェクトをできるような場所にしたいと考えていたそうです。これはまさに日本の家の在り方と一致します。それからGleisereiのメンバーと、スペースをどのように共有するか、お互いのイメージを擦り合わせていきました。約半年かけて話し合いを続け、今年3月、晴れて引っ越しが完了。Gleisereiの人たちも、私たちの入居を喜んでくれていて、まさにウィンウィンの関係ですね。

再出発した「日本の家」

こうして日本の家は、新しい場所でスタートを切った。全ての荷物を運び終えた翌週にはごはんの会も再開し、今までと変わらず多くの人が一緒にごはんを食べ、語り合う姿があった。

ダヴィッドさん:(新しい日本の家は)最高ですね。宝くじに当たったくらいラッキーだと思います。新しい日本の家の雰囲気も、引っ越し前と全く変わらない。前の場所からさほど離れていないので、今まで日本の家に来ていた人たちも変わらず遊びに来てくれています。

晴香さん:以前よりも座れる席が多く、キッチンやトイレも広くて使いやすい。キャパシティーが大きくなった分、ここでできるイベントの可能性も広がったので、これからが本当に楽しみです。

新しい日本の家は、バーカウンターも広々新しい日本の家は、バーカウンターも広々

これからの日本の家の活動に興味を持つ人や、日本の家を応援したいという人に向けて、どのような支援方法があるかを尋ねたところ、全員が口を揃えて「Mitmachen」(一緒にやること)と答えてくれた。

ダヴィッドさん:自分たちにとって一番の支えは、多くの人がここに来て、一緒にごはんを食べて、ビールを飲んで、楽しんでくれること。それが日本の家にとって最も大切なことだと思います。

晴香さん:遠方に住んでいる人は、たまに旅行で来たときに遊びに来たり、音楽をやっている人はコンサートを開いたり、あるいは一緒にごはんを作ったり。どんな関わり方も歓迎です。また日本の家の活動に共感する人や、ごはんの会やコンサートを楽しんだ人は、自分にできる範囲で寄付をしてくれたらありがたいです。

トビアスさん:得意なことで日本の家を助けてくれるのもうれしいですが、この場所では、逆に自分がやったことのないことにも挑戦できます。例えば人生で初めてイベントの企画に挑戦する人や、隠れた趣味である絵の展覧会をしてみんなを驚かせる人も。そういう新鮮な刺激が日本の家を面白い場所にしていると思うので、新しいことをしたい人にも訪れてみてほしいです。

新しい日本の家のキッチンで、ごはんの会の準備中新しい日本の家のキッチンで、ごはんの会の準備中
地元のアーティストらが、難民としてドイツに来た子どもたちとコミックワークショップを行いその成果物を発表地元のアーティストらが、難民としてドイツに来た子どもたちとコミックワークショップを行いその成果物を発表
 
 
 

ニューヨークやロンドン、ベルリンなどの大都市がそうであるように、今日、都市開発によってライプツィヒでも多くのフリースペースが消えつつある。文化的・社会的な活動を通して街を盛り上げてきた当事者たちが、やがてそこを追い出されるのだ。そんな社会の流れにあらがうのは簡単ではない。しかし日本の家の引っ越しは、この問題について地域共同体として考える機会にもなったと、彼らはポジティブに語る。

イェンスさん:今回の引っ越しは、日本の家の力をもっと発揮できるチャンスだと思っています。ごはんの会をはじめとする今までの活動を継続するのはもちろん、これからはアクセルをもう少し踏み込んで、ほかのコミュニティーとのネットワークを広げていきたい。Gleisereiの人たちと良い関係が続く限り、私たちはずっとここにいられるでしょう。この場所だからこそ、もっと多くのことに挑戦できるはずです!

info

日本の家

日本の家 Das Japanische Haus e.V.

Eisenbahnstr. 150, 04315 Leipzig
http://djh-leipzig.de
Instagram @dasjapanischehaus

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