2. 19世紀はゼクト製造業の起業ブーム
ドイツのゼクト史は、フランスのシャンパーニュで活躍した一人のドイツ人、ゲオルグ・クリスチャン=ケスラーが母国に戻ったことで始まったと言ってもいい。19世紀の動乱の中で、彼と、彼に続こうとした意欲的な人々が立ち上げたゼクト醸造所の多くは、今なお健在だ。
18世紀末から19世紀前半にかけて、多くのドイツ人がシャンパーニュに渡り、フランス人の経営するメゾンに就職したり、独立してシャンパン・メゾンを立ち上げて、フランスを永住の地としたが、帰国した者もいた。その中に、シャンパーニュで得たノウハウを活かし、母国でスパークリングワインの製造を始めた人物がいる。
ハイルブロン出身のゲオルグ・クリスチャン=ケスラーは、ナポレオン戦争真っただ中の1807年、シャンパン・メゾンのヴーヴ・クリコ・フォルノー社(後のヴーヴ・クリコ・ポンサルダン)に簿記係として就職した。やがて彼は、メゾンの後継者であるバーブ=ニコル夫人とともに、著名メゾンの共同経営者になるほど出世。しかし1826年に袂を分かち、フランスでの生活にも終止符を打って、故郷ドイツで初のゼクトケラーライ、G.C. ケスラー社を設立する。
ケスラーがゼクト醸造所を設立すると、ドイツでは、まるで彼に続こうとするかのようにゼクト製造の起業ブームが起こった。1833年にはマインツ産業界の大物で政治家のクリスチャン=ルードヴィヒ・ラウテレンがゼクト製造業に着手した。ラインガウ地方エルトヴィレのワイン商マテウス・ミュラー社(創業1811 年)も、1837年にゼクト生産に踏み出した。コブレンツのワイン商ダインハルト社(創業1794年)も1843年にゼクトの醸造を開始した。1850年にはマインツにクプファーベルク社が、1856年にはフライブルク(ウンストルート)にクロス&フォルスター社(今日のロートケプヒェン・ゼクトケラーライ)が開業した。当時マインツを拠点としていたワイン商ヘンケル社(創業1832年)も1857年からゼクト生産を開始した。1864年にはヴィスバーデンにゾーンライン社が、1865年にはヴュルツブルクにゼクトケラーライ・J・オップマン、そして1868年にはエルトヴィレにシュロス・ヴォーが創業した。19 世紀にドイツで設立されたゼクトケラーライは、このように枚挙にいとまがない。
ボランジェ、ドゥーツ&ジェルダーマン、クリュッグ、マムといった、シャンパーニュのドイツ系メゾンの創業ブームとドイツのゼクトケラーライ(醸造所)創業ブームは同時代の出来事だ。それは、フランスとドイツが互いに敵国として戦った「普仏戦争」が始まる前夜の出来事だった。
エスリンゲンにあるケスラー社のステンドグラス。ルミアージュ(酵母の澱を瓶の口に集める作業)の様子を表現したもの