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1988年 | 北海道生まれ |
2000年 | 「岩倉ぺリグリン」所属 |
2006年 | 「SEIBUプリンセスラビッツ」所属 |
2010年 | 早稲田大学スポーツ科学部卒業後、 スイス・チューリッヒの「ZSC LIONS」に移籍 |
2011年 | 渡独。ベルリンの「OSC Berlin」所属 |
「氷上の格闘技」と呼ばれるアイスホッケーの世界に身を投じ、日本のトップアスリートとして活躍してきた高嶌遥さん。日本と世界との距離を埋めようと、たった1人で欧州に乗り込み、経験を積み上げる彼女には、目指すべき明確な夢がある。
2014年のソチ冬季五輪に出場すること。06年トリノ、10年バンクーバーと、2度の五輪予選を日本代表として戦ったが、あと一歩のところで涙を呑んだ。来年から始まるソチ冬季五輪予選は、「最後の挑戦」と高嶌さんは言う。現在24歳の高嶌さんが、26歳で迎える五輪で引退も視野に入れていることに驚いた。
なぜ?「私が知る限り、アイスホッケーだけで食べていけている女子選手はほとんどいないんです」。仕事と競技の両立には限界があると、高嶌さんは選手人生の次のステップを冷静に見据える。でも今はまだ、アイスホッケーを始めた9歳の頃からずっと応援し続けてくれた家族に世界の舞台に立った勇姿を見せるため、すべてを賭ける。
スケートの町、苫小牧で生まれ育った高嶌さんは、趣味でアイスホッケーをしていた父の背中を追う様に、自然とアイスホッケーに魅了されていった。冬になると、どこにでも一晩で天然のアイスリンクができる環境。家の庭にも父が作ってくれた小さなリンクがあり、車のライトを頼りに練習した。女子部がなければ男子部に参加し、中学生で社会人チームに加わり、高校生で日本代表に。才能をいかんなく発揮する高嶌さんが世界に目を向けるのは、当然の成り行きだったのかもしれない。
スイスに挑戦の地を見出して1年。ドイツへの移籍の際は、日本代表FWとしての攻撃力と、スイスで養ったDFとしてのセンスを買われ、「守備に攻撃に強い、経験豊かな選手」と歓迎された。「自分にない強さ」を欧州に認めながらも、「海外の方が、自分らしいプレーができる」と笑顔。言葉のハンデを少しずつ乗り越えながら、自力で挑戦の場を開拓するたくましさが、彼女を強くしている。(編集部:高橋 萌)
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OSC Berlinでブンデスリーガを戦う
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日本代表として、バンクーバー五輪最終予選に挑んだ時
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ZSC Lionsの優勝記念品としてプレゼントされたパーカーを着て
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OSC Berlin
www.osc-berlin-eisladies.de
高嶌さんのブログ
http://ameblo.jp/dream-on-ice