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ケーテ・コルヴィッツと「種を粉に挽いてはならない」

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ロシアのプーチン大統領が部分動員令を発表した9月21日の夜、ロシア全土で抗議デモが行われた。自分の意見を表明することが即逮捕につながる現在のロシアで、路上で「戦争反対」と叫ぶ人々。彼らが機動隊に暴力を受けながら連行される映像は、見ていて胸が張り裂ける思いだった。そのなかで、「子どもの命は絶対渡さない。(状況は)変わらないかもしれませんが、私の立場を表明するのは市民の義務です」と語るモスクワの女性の姿が、脳裏に焼き付いて離れなかった。

その週末、ケーテ・コルヴィッツ美術館のリニューアルオープンに足を運んだ。約35年居を構えたクーダムから移った先は、シャルロッテンブルク宮殿。M45バスのクラウゼナープラッツで降りると、宮殿の西端にある旧劇場(Theaterbau)がすぐに見えてきた。もともとは1787年にカール・ゴットハルト・ラングハンスが設計した宮殿の劇場だった建物だ。改装中のためファサードは櫓やぐらで覆われていたが、コルヴィッツのポートレートが迎えてくれた。

この週末は入館無料ということで、少し混み合っていた。コルヴィッツ美術館には3カ月前に足を運んだばかりだが、展示スペースが変わったためか、初めて見る作品もいくつかあった。例えば、コルヴィッツの彫刻作品の代名詞にもなっている死んだ子を抱き抱える母親の像。この作品は戦争の影響を受けて取り組み始めたものと思っていたが、すでに第一次世界大戦前の1909年から10年にかけて同じテーマのエッチング作品をいくつも描いていたことを知った。

ケーテ・コルヴィッツ作の「種を粉に挽いてはならない」(1941年)ケーテ・コルヴィッツ作の「種を粉に挽いてはならない」(1941年)

最後の部屋にある作品を見つけて、「ああ、これだ」と足が止まった。この日の私は無意識のうちにこの作品を探し求めていた気がする。コルヴィッツ最後の版画作品「種を粉に挽いてはならない」。母親が3人の子どもを太い腕の下にがっしりと抱えて守り、にらみつけている。子どもたちは外の様子をうかがいつつも、母の中で安心しているように見える。

タイトルは、コルヴィッツのお気に入りだったゲーテの小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』から取られている。彼女がこの言葉を日記に書いた1915年2月は、兵士に志願した次男のペーターが戦死した4カ月後のことだ。1918年に詩人のデーメルがドイツの名誉のために銃を取れと訴えた際、コルヴィッツはこの言葉を引用して反論した。

シャルロッテンブルク宮殿の本館と庭園シャルロッテンブルク宮殿の本館と庭園

「未来をつくる子どもたちを死に追いやってはならない」。作品のタイトルに込められたメッセージは、この彫刻家にとって終生逃れられない主題となった。1941年12月、コルヴィッツは長男のハンスに「これは私の遺言です。(タイトルの言葉は)切なる願いではなく、おきてです。命令なのです」と語ったという。作品の中で睥へいげい睨する母親やコルヴィッツの言葉が、その前日に映像で見たモスクワの女性の姿と重なった。戦争の現実を前に無力感に苛まれるようなときは、この作品に封じ込められた意志や共苦を心の中に想起しようと思う。

インフォメーション

ケーテ・コルヴィッツ美術館
Käthe-Kollwitz-Museum Berlin

1986年、ファザーネン通りにオープンした版画家、彫刻家ケーテ・コルヴィッツ(1867-1945)の私営美術館。この9月24日にシャルロッテンブルク宮殿の旧劇場に場所を変えて再スタートを切った。代表作の約100点が展示されている。2024年中期からは、常設展と特別展が2階に移される予定。入場料は7ユーロ(割引4ユーロ)。

オープン:月~日11:00~18:00
住所:Spandauer Damm 10, 14059 Berlin
電話番号:030-8825210
URL:www.kaethe-kollwitz.berlin

シャルロッテンブルク宮殿
Schloss Charlottenburg

17世紀末、初代プロイセン国王フリードリヒ1世が、妻のゾフィー・シャルロッテの夏の離宮として建てさせた宮殿。第二次世界大戦で大きく破壊されたが、戦後オリジナルに忠実に再建された。初代国王夫妻の部屋に加え、名高い磁器の間などを見学できる。裏手に広がる英国式の風景庭園も素晴らしく、このために訪れる価値があるほど。

オープン:月~日10:00~17:30(11~3月は16:30まで)
住所:Spandauer Damm 10-22, 14059 Berlin
電話番号:030-320910
URL:www.spsg.de

 
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中村さん中村真人(なかむらまさと) 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。現在はフリーのライター。著書に『ベルリンガイドブック』(学研プラス)など。
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