刑務所という場所は、高い壁で外の世界と隔絶されている。きままに歩く散歩の連載にふさわしい場所とはいえないだろう。だが、ベルリンには内と外をつなげる「刑務所演劇」というプロジェクトが存在する。今回それを体験する貴重な機会に恵まれた。
昨年12月頭の夕刻、S バーンのボイセルシュトラーセ駅で数人の知人と落ち合い、凍てつく寒さのなか、北に向かって歩く。運河を越えると、刑務所の入口が見えてきた。ナチス時代に多くの反体制派が処刑された、隣接の記念館には行ったことがあるが、現役の刑務所の中に入るのは初めてだ。
高い壁で周囲と隔絶されたプレッツェンゼー刑務所
厳しいセキュリティーチェックを受け、荷物はロッカーに全て預けなければならない(ジャーナリストには例外的に筆記具を持つことが許される)。上階の奥に進むと、そこが会場のホールだ。80人ほどの客席は、ほぼ満員の状態だった。今回の舞台は、ドイツ国内外でよく知られる「アウフブルッフ」という刑務所演劇プロジェクトによるもの。この活動を日本に紹介している庭山由佳さんによると、チケットは毎回発売と同時に売り切れになるという。
この夜の演目はカミュの「正義の人びと」。8人の男性の受刑者たちが力強い合唱をするところから始まる。彼らの年齢層はさまざまだが、こわもての演者がまくし立てるように叫ぶと、最前列に座っている私はその迫力をじかに受け取る。正直、ちょっと怖いとさえ感じた。
プレッツェンゼー刑務所で行われた「正義の人びと」の舞台より
舞台は20世紀初頭の恐怖政治を敷く帝政ロシア。主人公のカリャーエフは皇帝の叔父である大公が乗った馬車の爆破を試みるが、子どもたちも乗っているのが目に入り、爆弾を投げるのをためらう。そこから仲間との激しい議論になる。正義とは、テロ行為との境とは何なのかを観る者に問いかける。
劇が進むにつれ、この迫真さは彼らが歩んできた人生そのものとどこかでリンクするからではないかと思わずにいられない。アウフブルッフにはいくつかの重要な理念がある。過去の犯罪に関係なく、受刑者は誰でも参加できること。互いを受け入れ、暴力を振るってはならないこと。目的はセラピーではなく、アートをつくること。
劇中にブレヒトやヘルダーリンのテキストが織り込まれ、「三文オペラ」の歌が鳴り響く。そんな舞台を、受刑者たちが7週間ほどの稽古期間でつくり上げたのだから驚嘆するほかない。そしてカーテンコール。熱狂的な喝采に包まれた彼らが、充実感を漂わせながらとびきりの笑顔を見せたのだ。私にとって、この日一番印象的な瞬間だったかもしれない。
アウフブルッフ専属演出家のペーター・アタナソフは、「私を引きつけ、ずっとこの仕事を続けさせているのは、人間は変わることができるというその瞬間を目の当たりにできるからです」と語っている。帰り際、あの8人のカーテンコールでの表情が脳裏に浮かんだ。彼らがどういう経緯を経て受刑者となったのかは知らないが、75分の舞台に人間の悲喜と一瞬の輝きが凝縮されていた。
刑務所演劇「アウフブルッフ」
GEFÄNGNISTHEATER aufBruch
1997年に設立された刑務所演劇プロジェクト。団体名は「出発」を意味するドイツ語に由来する。ベルリン州の助成を受けながら毎年3作品のペースで公演を行っており、2023年には、少年鑑別所を舞台にしたシェークスピア「マクベス」(3月)、元受刑者やプロの役者、市民との共演によるシラー「群盗」(5~6月)等の舞台が予定されている。
電話番号:030-44049700
URL:https://gefaengnistheater.de
プレッツェンゼー記念館
Gedenkstätte Plötzensee
プレッツェンゼー刑務所に面した記念館。1933~45年までの間、ここで2891人もの反体制派の人々が絞首刑に処せられた。その中には、ドイツ最大のレジスタンスグループの一つだった「赤いオーケストラ」や1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に関わった89人も含まれる。処刑室だった場所には、今も献花が絶えない。
オープン:月~日9:00~17:00
住所:Hüttigpfad 16, 13627 Berlin
電話番号:030-3443226
URL:www.gedenkstaette-ploetzensee.de