先日、ピアニストの知人が出演するホームコンサートに足を運ぶ機会があった。無数の書物に囲まれた親密な空間で、フェリックス・メンデルスゾーンやショパンの音楽を聴くのは至福の時間だった。
演奏が終わってから、メンデルスゾーン協会のメンバーという年配の男性が前に出て話をした。「明日はフェリックスの姉ファニー(1805-1847)の命日です。17時からこの一家の墓地で音楽と朗読による記念式典を行うので、ぜひいらしてください」。フェリックス作曲「無言歌集」の旋律が頭に残っていた私は、行ってみることにした。
5月14日(日)の夕方、地下鉄U7のメーリングダム駅から地上に上がって、共同墓地の入口から中に入る。著名人の墓の場所を記した地図が置かれているが、六つの教会の墓地がある敷地内はかなり複雑だ。一本道を進み、突き当たりの壁の向こうに出ると、そこが三位一体教会(Dreifaltigkeitskirche)の第一墓地。ライプツィヒ通り3番地(現在の連邦参議院辺り)に居を構えていたメンデルスゾーン家の墓はここにある。彼らはユダヤ人だが、フェリックスが7歳だった1816年、父アブラハムは子どもたちに洗礼を受けさせたことはよく知られる。
命日の5月14日に行われたファニー・メンデルスゾーンの追悼セレモニーから
墓の前には特設のベンチが置かれ、小さなセレモニーが始まろうとしていた。C.P.E. バッハ音楽ギムナジウムの生徒による木管五重奏曲の演奏の後、トーマス・ラックマンさんという人がファニーの手紙や日記の中から5月に書かれたものを抜粋して朗読した。生き生きと時に思い入れたっぷりに読み上げるものだから、場の雰囲気が和んだ。
前夜のコンサートで出会った男性が遅れてやって来たので、会釈をした。私の横に立つと、「あそこで朗読しているのは、ファニーの末裔 なんですよ」と教えてくれた。朗読の合間に、ファニーの弦楽四重奏曲の抜粋が木管アンサンブルによってみずみずしく奏でられた。女性が社会で活躍するのが難しかった時代、ファニーが41歳という短い生涯で輝かせた才気のほとばしりと、弟のフェリックスとの深い精神的な結びつきに思いをはせずにはいられない。
セレモニー終了後、改めて一家の墓の前に立った。ファニーの左隣には、姉の死の衝撃から立ち直れず翌年に亡くなったフェリックス、右隣にはファニーの夫で宮廷画家ヴィルヘルム・ヘンゼルの墓が並んでいた。礼拝堂には、哲学者のモーゼスから始まるメンデルスゾーン家の歴史が展示されている。壁一面に書かれた家系図には圧倒された。出ようとしたとき、ラックマンさんが鍵を閉めに現れた。私はメンデルスゾーンの音楽が大好きで、と声をかけたら、「そうですか。それならきっとまたどこかでお会いするでしょうね」と柔和な笑みを浮かべて、メンデルスゾーン協会理事の名刺を手渡してくれた。
左からフェリックス、ファニー、ヴィルヘルム・ヘンゼルのお墓
お礼を言って別れると、たくさんのタンポポの綿毛が西日を浴びて輝いていた。ユダヤ人としての不遇を受けながらも、ベルリンの地に根を張って生をつないできたこの偉大な一家の系図と重なった。
ハレ門前の墓地
Friedhöfe vor dem Halleschen Tor
クロイツベルク地区にある共同墓地。18世紀初頭、ベルリンの市壁の中での埋葬が許されなくなったため、六つの教会の墓地としてハレ門の外側に設置された。作家のE.T.A. ホフマン、シャミッソーなど、著名人の墓も多い。礼拝堂でのメンデルスゾーン家の展示は、3月から10月までの土日14:00~16:00にオープンしている。
オープン:8:00~18:00(3~10月)
住所:Mehringdamm 22, 10961 Berlin
URL:www.evfbs.de
メンデルスゾーン・レミーゼ
Mendelssohn Remise
ジャンダルメンマルクト広場からほど近い、かつてメンデルスゾーン銀行の拠点だった建物。現在はメンデルスゾーン協会が運営する展示会場で、思想から芸術、金融に至るまで巨大な足跡を残したこの一家の歴史が紹介されるほか、定期的に室内楽コンサートも開催されている。展示は入場無料だが、募金の形を取っている。
オープン:12:00~18:00
住所:Jägerstr. 51, 10117 Berlin
電話番号:030-81704726
URL:www.mendelssohn-remise.de